怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

1年ぶりに食べたしょうゆ味の煮物

2019年08月31日 | 貧困
台湾人宅の保温調理鍋で作った煮物と米飯。
煮物はにんじん、玉ねぎ、去年作って保存しておいた切り干し大根。和風のだしはないので、こちらのスープのもとを使った。ここの普通のスーパーで売られている醤油と砂糖。

おいしかった。
直径23センチほどのこの皿、二回分を一気に食べてしまった。
何年も前から炭水化物の摂取しすぎの問題が取りざたされているけれど、私はその摂りすぎの一人だと思う。
最近見つけたネット記事では「貧困層が炭水化物の食品しか買うことができず、病気になる」とあってぎょっとした。
肥満と糖尿病を招く、と続いていた。ネット仲間からも5,6年前にわたしの炭水化物中心の食生活をみて「せいぜい糖尿病にならないように気をつけて」とコメントをもらったものだ。
今のところ、健康診断で糖尿病の気配はまったくない。肥満になるどころか、痩せすぎを医師に注意されてしまい、困っている。かかりつけ医の彼女、数年前には「遺伝的な痩せだろうから問題ない」って言っていたではないか?

義母の料理も比較的炭水化物中心だ。
代表的なのは菓子昼食。砂糖と小麦粉で成り立っている食事だ。夫が家で食事をするとなると、張り切って菓子昼食にしようとするから大変だ。
こんな我家のメンバーも、肥満と糖尿病にはまだなっていない。貧困家庭、ってのはあっているかもしれないが。

上の写真と煮たような色合いの義母料理。

自家製ズッキーニとトマトを煮込んだもの。豚肉を小さく切って入れているのだが、その肉が本当に不味くて食べるのに難儀した。米飯入りだが、その米がここで長く愛されている凄まじく不味い品種の米だ。同じ長粒米だったら、バスマティやジャスミンなどのほうがずっとおいしいのに、義母は数倍値段の高いそれらを試すこともしない。
私が糖尿病や肥満にならないのは、義母のまずい料理のおかげかもしれない。
充分に消化吸収しないのだろうな・・・・・

そういえば、二週間ほど前に庭の葉物野菜について質問した。
レタスの一種と知り、スープにして食べるとおいしいこともわかった。
だが・・・・
二度ほどスープにしたのだが、二度とも食後に具合が悪くなるんだ。
私の胃腸がそのスープをきちんと消化できないようで、下痢状態になる。ひどくはないので通常の生活を送ることができるけれど、お尻の辺りの不快感が耐えられなかった。
そういえば、サラダで食べても、翌日の排泄物に形がそのまま状態のことが多い。
私と野菜はあまり相性が良くない、ってことで、ますます炭水化物中心の生活になってしまうかもしれないぞ?
肉食は否定しないが、肉の種類などによっては食べるのに苦労することがあり、やはり、避けてしまう傾向にある。
ってことは、本当に炭水化物しか食べるものがない私?




何気ない写真が喜ばれる

2019年08月31日 | 節約
あまり面白くない内容だろう、写真だろう、と思って掲載したものが結構受けたりすることがある。
では、この面白くない写真はどうだ?

バスを待っている間にその後ろにある建物を撮ったんだ。二枚が上手く繋がらなかった・・・
昔は、家具店、少し前までクリーニング工場だった。いまは、何もやっていない様子。だが、廃墟にはしたくないようで、定期的な手入れを怠っていない。正面玄関前の芝生はきれいに刈られている。
いったい、どうなるかな?
慢性的な住居不足のこの辺り、やはり、低所得者用の住まいにしたらいいのでは、と思う。

スーパーの廃棄処分されるまえに引き取られたハーブ鉢植えをプランターに植え替えて育てたもの。

植え替える前は、もう、枯れてだめかな、って思うのだが、植え替えてしばらくすると見事に甦るものが多い。(そのまま枯れちゃうのも多し)

こうした小物を作るのが好きなドイツ人女子の作品。

縫い物、編み物が好きなのは人種国籍を問わず、女性なのはどうしてなのだろう、と思う。
脳の奥にそのように組み込まれているのか。

難民の種類はいろいろ

2019年08月30日 | ドイツ在住難民・移民
近所のアフガニスタン人一家宅にて。

この家族はドイツ入国後早々に正式な滞在許可が出て、旦那さんもかなり安定した仕事を得ている。
朝には仕事に出かけ、その間に妻は子供を幼稚園へ送り迎え、家事をこなし、たまにこうして社交。
何人もの、滞在許可で苦労していたり、仕事が探せなかったり、長続きしなかったり、コロコロ変わる難民に対する法律に翻弄されていたりしている人々と接しているので、この上手く行っている家族は珍しいくらいだ。
奥さんは物が好きで、食器や家具、調理用具などはちょいと目を引くものをたくさんそろえている。

上は、梅の一種を種を取り、煮込んで塩を混ぜ、薄く伸ばしたもの。なんだか懐かしい味がした。
ひどく手間がかかっているものなので、もう一枚欲しいと言い出せなかった。

私が持参した鶴に興味を持った彼女、折ってみたいという希望をかなえてやった。

ほとんどの日本人以外のここのドイツ人・外国人は初めての折り紙に苦労する。(義母はできるんだ、折り紙。夫も子供の頃に経験あり)
このイラン育ちのアフガニスタン人は、苦労することなく折っていた。
ちょいと荒っぽい折りかただが、彼女の日頃の生活の丁寧さを観察していると、きっと何回かの練習のあとにはもっときれいにできるだろうと予想した。

難民に対する法律は毎月のように変わっているのだそう。
ウクライナ人難民のG子さんが嘆いていた。彼女は数ヶ月前、突然それまで住んでいた難民住居から、引越しを命じられ、街中からより遠い不便な場所に移った。
そこのほかの難民たちはほとんどがアフリカ人だそうだ。
噂には聞いていた。アフリカ人は夜中も大騒ぎすると。
単なる偏見だと思っていた私は、二人目の証言で信じることになった。夜中に太鼓をたたいたパーティになるのだそう。
なるほど、そんなのを街中付近に住ませたら、近隣住民から難民に対する反感が大きくなってしまうだろう。だから、郊外に住ませているのだろう。
アフリカ人でないG子さんにはたまったものではない。9歳の息子さんは寝不足の日々が続いているらしい。

往来で物乞いをしている人々のほとんどはドイツ政府からの生活支援がなされているとG子さんは言っている。
ドイツ語が拙い彼女だが、母語のロシア語でのドイツ生活情報は多く仕入れているようだ。
彼女がいまいましそうに物乞いたちの話をするのでついつい、言ってみたくなる。
「あなたも物乞いをしてみたらどうですか」
彼らの多くは組織的な集団で、街中以外の地域では一台の車に乗って、それぞれ戸別訪問をして物乞い業に精を出すらしい。
組織に入らないと、物乞いもなかなか難しいのかもしれない。

所属するボランティア団体が毎年新学期を前に、生活保護受給家庭の子供に文具を配布する活動をしている。
これがまた、ただ配るだけではなく、強欲な人々との争いのようなことになるので非常に辛い。
数の制限などを明確にしてくれればいいのに、その団体のトップは金持ちで、大らか過ぎるので決まりがない。
っていうか、ここはさまざまな面でテキトーで、その時の担当者の気分で物事が決まることが多いのではないか?
私が「担当者」になると、困るんだ。日本だったら、絶対、もっと細かなルールを作るだろう。そのマニュアルに従っていれば安泰なのに・・・・
ドイツ人生活保護受給者は比較的穏やかだが、難民たちはかなりあつかましく攻撃的な雰囲気(と、実際の態度)をさせていることがあり、憂鬱にさせてくれる。
義母にこぼしたら「その金持ちトップに一度相談して、担当を二人にしてもらいなさい」と私に答えた。
さらに「東洋人のあなたは、醸しだすオーラが穏やか過ぎるから、馬鹿にされやすいんです」と、ついに欧州人の東洋人に対する一般的な印象を語った。
この穏やかな雰囲気が好きで、西洋男が東洋女と親しくしたがるのだろう、と改めて確認。
義母のような、第一印象が「怖い」女を妻としている義父は素晴らしいと思う・・・・











何気に風呂敷を持って歩いてしまった

2019年08月29日 | 節約
夫と湖へ水遊びに出かけた。
夫の後姿。
もっとお洒落なかばんとかないの、って尋ねられそうだ。

右はフィンとゴーグルが入っている折り畳みビニールバケツ、左は鶴の絵柄の風呂敷。ウエットスーツが包まれている。
地下室に収納しているそのままを持ち出したんだ。
日本での生活時から風呂敷を日常的に使っていた。結構便利だ。風呂敷スタイルのかばんは日本独自のものではないらしく、近所のイラン育ちのアフガニスタン人が「イランにもありますよ」と言っていた。
夫も、嫌がらずに持ってくれているので、それほど違和感は無いのだろう。
では、次回は結婚祝いの頂き物、布団を収納するための大きな風呂敷を使ってみようか。
緑の唐草模様だ。かなり目立つぞ。使うのがもったいなくて、ほとんど使っていないんだ。
ウエットスーツもフィンもゴーグルも、弁当・水筒・タオルもぜーんぶまとめて運べるぞ~

ドイツ人がいまだにたまにやるファッション。

サンダルソックス。
運転時は普通の靴で、車から降りたとき、用意してあったサンダルに履き替えた夫。
ま、それくらいは許してやってくれ。


生活レベルは案外下げることができるとつくづく実感

2019年08月28日 | 頑張って食べる
8月になると値段が下がるこのノート。
いつもは30円くらいなのが10円になるんだ。

8月下旬から9月にかけて新学期が始まるのにあわせて(各州によって休みの期間が違うため。日本も夏休みや冬休みは1週間ほど違う地域があるではないか)文具の値引きを行っている。
このノート、ここに来た当時は嫌いだった。小学生向きの品なのだけれど、それにしても安っぽい。
紙類は紙幣に始まり、とにかく低質なのが特徴の欧州。
このタイプのノートは確か、南米にも普通にあった。あの頃は「経済力の関係で、ノートも貧しげになるのだろう」と思っていた。うすうす「白人支配のここ、もしかしたら多くの点で欧州もこんなふうなノートかも」と思ってはいた。
実際に、そうだったのでそんなに驚かなかったけれど、やはりがっかりした。

罫線が、わざとなのか、偏っているのが今でも気になる。

どちら側も同じほうに余白が多ければ使いやすいのだけれど、偏っているので面倒だ。
とはいえ、どういうわけか、このノート、最近はお気に入りなんだ。
まず、8月特別セールの価格の安さ。A5という小さい大きさは持ち運び易いし、収納もしやすい。
32ページしかないので、すぐ使い終わる。ヨレヨレになる前に使い切るのはいい。

日本のノートは丈夫なので、いくら使ってもヨレヨレにならない。2006年から使っているノート、ここで単語帳になっている。某会社の宣伝の品で配布されていたものだ。もう、輝くばかりに素晴らしい質。手触りさえ違う。
こんな素晴らしいノートを毎日使っている日本の子供たち、凄いなあ・・・・

日常的に日本のノート、あるいは日本の品に接しない生活をしていると、しだいに慣れてくるものだ。
「こんな低レベルの物で大丈夫か」
と始まったドイツ生活。
生活レベルの比較とは、個人によって何が重要なのか違ってくるだろう。
家屋や自動車を所有することが「いい生活」と感じる人は多いだろう。きちんとした医療、教育を安価に受けられるというのは先進各国の一般的な特徴だ。母国では子供にまともな教育を受けさせることができない、とドイツに移住してきた人々も多い。
一般日本人にとっては、もしかしたら、ドイツ生活は生活レベルが下がるかもしれない。個人によって感じ方は違うだろうが、まず、外国生活という不自由さがレベルを下げる。私のように、物資の質が日本のそれらより軒並み低く感じること、衣類のサイズを見つけるのが困難になることもストレスになる。
店員は一般的に横柄で乱暴、まるで客を敵のように扱う。(店員をしている知人は、いつも客の悪口を言っていたものだ。ここでは客は神様ではなく、王様だ。王様は神と同等に扱われない)
医療も、例えば採血、注射などは「痛いな」と思うことが多い。日本の方が丁寧だ。(患者を子供のように扱う日本の医療機関にちょいとイラつくことはあった)
日本の大都市から来ると、住居に関してはこちらは恵まれることが多い。特に、冬場の暖房は東京の冬の生活が悲惨と感じるほどだ。

いまだに不自由なことは多いとはいえ、少なくともノートに慣れたのは幸運だ。
ひとつでも多くの物事で満足できるのは幸福感を増やす方法だ。
できれば読書も・・・・電子書籍がもっと自由になって、ここでも日本の品がもっと普通に手に入れることができればいいな、って思う。(一部の電子書籍は海外から購入可能らしいが、販売されている作品を見てがっかりした)いや、私がもっとドイツ語を普通に読めるようになって、ここの本を楽しめるようになるほうがいいのだろう!

昨日の昼食。

じゃがいもと自家製さやいんげんの煮物、ソーセージ添え。義両親たちはパンを、私は米飯を添えた。

そういえば、以前はソーセージも不味く感じて辛かった。
義母はこの煮物の味を気にしていた。義母のお母さんがしばしば作っていたものらしい。
「もう、どんな味か忘れてしまったのよ」
ここの味って、みんな、塩と胡椒だけじゃあないか?多少香辛料で変わってくるけれど、わたしにとってはみな、同じ・・・
と、言ってみたかった。
義母が目を盗んで、醤油をかけたかった。
日本の煮物はみんなしょうゆ味だ物ね、ああ、ここの料理を馬鹿にすることはできない。

そうさ、最大の生活レベルの低下は食部門。
これも外国生活が長くなると慣れていくとはいえ、ノートほど受け入れ態勢が整っていかない。

母国に帰省すると、太る、という人は多い。(私は帰省すると時差ぼけによる体調不良や忙しさで痩せてしまう)
私だけでなく、多くの外国生活者がそう感じている。食べることだけは、誰にも起こりうる外国生活の生活レベル低下。






住宅街の芸術作品が妙に合わないような気がする、堂々十字架が輝いていられるまだまだ平和なドイツ

2019年08月27日 | 奉仕活動
よく歩いて通る道にあるこれ。

完璧だよな。こんな芸術作品が無造作に普通の住宅街にあっていいのだろうか、っていつも思うんだ。
西洋にはこうしたものが方々にあるんじゃないか、と日本の人たちは思うのだろうが、私の今までの経験ではほとんど見かけない。
知っているのはここだけ。
悪い感じはまったくしない。好感を持っている。
周辺に住む人々を観察すると、すでにドイツ人は少数派だ。女性たちは頭巾姿も多く、彼らをターゲットにした食料品・衣類店も複数ある。
彼女ら(あるいはイスラム教徒の男性にも?)にとってはこの半裸の像は不快きわまるんじゃないか、とか、そんなことを考えてしまい、ちょいとした不安も感じる。

そこから数十メートル離れた一角にはこれ。

ここの伝統宗教のシンボルだ。
これも、周辺住民たちにはまったく意味がない余計なものかもしれない、と考えると恐ろしくなる。
いや、今現在、こうしてきれいに手入れされていることに感謝しなくてはならない。
移民・難民については問題が多発しているだろうが、こうしてこれらの物資がちゃんと保たれているという事実に、まだまだ大丈夫、と安堵したい。



義父の嘆き

2019年08月26日 | 庭仕事
まずは先日たくさんいただいたコメント効果を報告。

私が一人で大量にこのレタスを消費するのでこんな姿になってきた。義母は何も言わないので、満足している様子。

私に訪問客があると、義父はときどきこんな話をする。
「友人関係は永遠に続かない、だからないほうがいい」
ひどい話を私にしてくれるものだ。だいたい、ウチまで来てくれる私の知人友人はわずかだ。
かなり田舎に住んでいること、また、義両親たちが一緒に住んでいるということから、ちょいとした躊躇があるようだ。
その二つの悪条件を無視してやってきて、実際に義両親に会うと、義父は愛想がいいのだが義母のかなりつっけんどんで高圧的なものの言い方に恐れをなし、二度目の訪問がないことがほとんどだ。

わたしでさえ、夫と交際をし始めて、始めてここを訪問したときに「怖いお母さんだな」って思ったものだ。
その時は、結婚やドイツ移住などまったく頭になかったので、実家から程遠い夫のお母さんの性格などどうでもよかった。
まさか、その後、同居するなんて・・・・人生、本当にわからない!

義父は若い頃にはたくさんの人たちを交流があったようで、ここにも訪問客が絶えなかったらしい。
外交的な義父のことだ、それを楽しんでいたのだろう。年齢とともに、人々の生活状況、興味などが変化し、交流関係が変わっていくのは当然のことではなかろうか?
すでに20歳代からそれを認識していた私には、義父がそれに気づくのが遅すぎるとも思う。
いちいち嘆いていることをちょいと腹立たしく感じてしまう。

私自身も、ここで知り合った知人友人たちが次々に変化していっている。
とても親しくしていても、引越しがきっかけで次第に疎遠になるなどは、本当に頻繁にある。
いつかは疎遠になるから友だちなどいないほうがいい、という義父の論理は過激すぎだぞ。
いや、彼は淋しいのだろう。
一緒に楽しくやっていた仲間たちとの交流がなくなってしまうことに寂しさを感じるのは当然だ。義父の気持ちはわかるが、それでも私に「友人を作るな」という風な発言は間違っていると思う。

「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」

こうした精神的な態度は西洋には難しいのだろうか。そんなことはないだろう。
だが、義父にそんなことを諭そうと思ってもムダだ。もう、ヨメの意見など、全く聞く態度を持っていない。
男尊女卑か人種差別とも受取れるぞ。絶対彼は否定するだろうが。
高齢になって、心の大らかさを失うのは、身体が衰えていくことより怖いと思う。

義父自身だって、若い頃、高齢者を見てそう思ったかもしれない。
将来の私が義父のようになるかもしれないぞ。

ああ、ガタガタ脳裏で考えていても無駄だっ
今のこの瞬間を大事にしよう。義父よ、来週、またあの二人が来るが、いいかい?

レタスを撮影したついでにトマトも見てほしくなった。
この品種のトマトは非常においしい。義母はいただきものから種を摂り、それを二年ほど前から栽培している。

他に数種のトマトが植わっている。

採取したその場で食べるのが一番おいしい。だが、次々に実ってくるからそういうわけにもいかず、食糧小部屋でこうして食べられる順番を待たせている。

暖房燃料を積み上げる作業を手伝ったときにずっと脳内を流れていた歌・・・

2019年08月25日 | 庭仕事
薪が届いた。

地面に降ろされたこれらを、義両親と三人で薪小屋に積み上げる作業をした。
義両親たちは何十年もこういった重労働をしているせいなのか、あるいは欧州人のもともとの頑丈さなのか、私より数倍の速さで仕事を片付けていく。
もう、負けを認めているこの人生。
ああ、いいさ、負けで・・・

作業中、ずっとこの歌が脳内に流れていた。

いい歌詞だ。
ティーンエイジャーか、せいぜい20歳代くらいの人生を歌っているのだろうが、その年代を超えた人々にもウケがいいのではなかろうか。
「地図すらも近眼で」ってところは「地図すらも老眼で」って変えたくなる。
そうだ、長いと思っていた夏休みも終わりに近いぞっ
本当に誇れない人生だな、どんどん人生が終わりに近づいていくぞ、こうして薪を積み上げているうちに!
ああ、本当に私、脳みそ空っぽだなっ
見下すあいつら、ってどんな人々なのだろう、自分より上手く行っている人たちのことか。
「掃き溜めの鶴」うう、いい表現だっ! 掃き溜めのりす、ではちょいとかっこうよさに欠けるな。

きれいに積み上がった薪。これで今年の冬も暖かく過ごせるぞ・・・

灯油暖房もあるのに、こうして別の暖かさを求める贅沢のために、かなり激しい肉体労働と金をかけなくてはならない。なんだかなぁ・・・・

もう一曲。

ここ半年ほど親しくしているドイツ人女性L子さんが好きなドイツのロックバンド。
先週だったか、彼氏と一緒にコンサートへ行ってきたようだ。過激な演出が有名、とネットで紹介されているが、生で見ると面白いだろうな。
さすがにドイツ語だと、脳内に流すのは難しい。いつか、この空っぽの脳みそに叩き込んでやろう。






保温調理器を初めて使ってみたが、炊飯に関してはここでは圧力鍋が一番いいかも

2019年08月24日 | 頑張って食べる
知人宅で日本の保温調理鍋を使わせてもらった。
  
これを所有する彼女は台湾人だ。
台湾人は日本人が考えている以上に日本が大好きで、日本の製品を普通に所有していることが多い。
ここ、ドイツ住まいの台湾人でさえ、何気に日本メーカーの品々を持っていて驚かされる。
彼女の息子さんは小さい頃からポケットモンスターが大好きで、日本語など一言もわからないのに日本直輸入のゲームソフトで遊んで育った。それらを買い与えている彼女は「日本の経済は当分大丈夫よ」って言っている。相当買ってやっているんだなぁ・・・・

この家はガスコンロなので、この保温調理器はガス代節約には非常に役に立つだろう。
ところが、炊飯に関してはちょいと事情が違うと思う。

解説を読んだら、沸騰後に火を弱めて8分加熱、その後保温鍋に入れる、とあった。
もう、この時点で炊飯についてはまったく節約にならないことを認識。普通の鍋でもそれ位の加熱時間ではないか?では、少しはおいしくなるのか、とも期待したがそうでもなかった。
機会があれば、煮物を作らせてもらおうと思う。この彼女、料理が嫌いで、この鍋をほとんど使っていないんだ!

電気コンロだと、スイッチを切ってもかなり長くコンロが熱い状態が続く。
この余熱を使って調理する技術を身につけてしまったので、保温調理器はウチには不要だ。
炊飯は圧力鍋で8分過熱、その後はスイッチを切り、15分ほど放っておけば出来上がり。
単純な比較では、炊飯鍋よりおいしく出来上がる。
煮物も、こんな調子で余熱を活用できる。ガス調理とは違ういい面かもしれない。使い慣れるまで大変だったけれど・・・スイッチが入っているときの音がしないので、しばしばつけっぱなしにしてしまうこともある、危険だっ

日本在住時には確かにこの保温調理器が欲しかったものだ。
ドイツ移住のときはそれを持っていきたいとも考えた。
保温調理器の代わりに、火からおろした鍋をバスタオルや毛布でくるんだこともあったな。

子供の頃から何気に見ていた物事が脳内に深く染み付いている

2019年08月24日 | 日本
街中の旅行会社の看板。
通り過ぎるときに「ああ、日本がテーマなのね」と思った次の瞬間、なんだか違和感。
え?どうして、違和感を感じるのかな、と一瞬わからなかった。

モデルが日本人でないアジア人だったから?いや、日本人だっていろいろな顔立ちがあるものだ。
化粧?髪型?
立ち止まって、数秒自分の感覚について気をつけてみた。

あ。
そうか、はっきりわからないけれど、前あわせが違う・・・たまたま柄がそのように見えるだけかもしれないけれど、日本人だったらこんな風に撮れてしまったら、違う画像を選ぶだろう。

着物など、ほとんど興味が無い私だ。
それなのに、ぱっと見て、違和感を感じるほど「正しい前あわせ」が脳内に画像のように残っていることに驚いた。
外国暮らしが長くなるにつれ、日本独自の物事や習慣を忘れていく部分もあるが、脳裏から離れない物事も多いものだ、と感心した。
食べ物に関してそれは顕著だ。きちんとした日本食など、めったに食べられない環境の今だ。
それでもどうにかなっているのだから、ニンゲンってどこでも生きれるものねぇ、もしかして日本食も忘れられるかな、って思っていたくらいだ。
それは表の意識の部分だけで、脳の奥深くにはちゃーんと日本人としての記憶が残っていることを忘れてはならないとしみじみ考えさせられた旅行会社看板。


日本旅行に行くドイツ人、本当にたくさんいる今日この頃。
正しい着物の前あわせと、逆にした場合の意味を教えたところで、彼らは大して気にしないだろうと予想もできる。
そうさ、気にならないこのテキトーな環境になじむとやめられない。






ムヒが欲しいのだけれど、手に入りにくいので代用品を探した

2019年08月23日 | 節約
夏に必須の常備薬、これ。ムヒ。
期限は2016年10月まで、ほとんど使い尽くしている。困った。

現地の医薬品だって構わない、と思い、通販で買ったこれ。
ムシのイラストがわかりやすいぞっ。
ところが・・・・ここでこう書いたらいけないのだろうけれど、効かないんだ。
ムヒのようなクリーム状ではなく、滴るようなジェルなので、扱いも慣れるまで少々難しい。
ムヒの、塗ったときの清涼感が治癒気分を高めるので、それがないこの薬は物足りない。

義母に手に入れた薬があまり私に合わないことを伝えた。
すると、彼女はこれを出してきた。

普通のドラッグストアの医薬品でない商品だ。
原材料のひとつがキンセンカで、義母によると皮膚の乾燥時の痒みに効くのだそう。

でもねぇ、ムシ刺されにはいくらなんでも無理なのではないか・・・・とは思いながらも、毒ではないだろうから(義母はハンドクリームのようによく使っている)試してみた。
お!
なんと、痒みがなくなっていった・・・しばらくすると、またぶり返すのだが、何度か繰り返すうちに痒みを忘れてしまった。
うっほー。
250グラム入りで約150円だぞっ。
ムヒよりかなり安い。
ムヒの国際郵送は、医薬品ということでかなり難しいので送ってもらうわけにもいかなかった。

すべての痒みに効くとは思えないけれど、当面の代用品としてバンバン使えるぞ。
そのうち、ムヒが手に入るといいな、とは思っている。
やっぱ、蚊に刺されたら、ムヒだよなぁ。あのスウッとする感じがいいんだよなぁ・・・・
ああ、日本の物資と完全に縁を切るのは本当に難しい。


撮影する気にもなれなかった大量のケーキ

2019年08月22日 | お菓子
先日の義父の誕生日のために焼いたケーキは合計4台。

もう、すべてを撮影する気にもなれなかった。そんなに焼いて、余るのは確実なのに。
誕生日のように特別な日のケーキは見せるためのものでもあるのだろうから、余計に焼くのを否定できない。

義母の義妹がやってきて、切り分けるのを手伝っていた。
パン屋に勤務していた彼女はケーキを薄く切るのが上手なんだ。

R子おばさん、また大きくなったな・・・
中年太りという年齢はとうに過ぎている。老年太り・・・そんな言葉があるのだろう、ドイツ。
「母の小さくなった背中」
という類の言葉があるが、ここでは大きくなることも多い。
三人の息子・娘、二人の孫息子がいる。小さくなってはいられない。敷地内同居している息子夫婦の子供たちの面倒を見ている。

「太って着られなくなった」
と、回ってくる衣類がときどきある。いずれも成人女性のものだ。
義母も私もかなり小柄なので、平均的なドイツ人女性の服が合うことはまれだ。
いったい、あの歳でどうしてまだ太るのだろう、ってよく思う。義母は若い頃から服のサイズの変化はない。
私もその傾向にある。
10年前の服、いや、もっと前の服も大丈夫だ。
太って着られなくなると、持っていた衣類がムダになるな、って思う。
節約のためにもひどく体型が変わるのはよくないだろう。

さて、誕生日のケーキ。
親族や義父の知人友人が午後じゅう、ぱらぱらとやってきた。
だが、やはり、ケーキは半分も消費できなかった。

さっそく、翌朝から義母の食え食え攻撃だ。
私の機嫌が悪くなるのを許して欲しい。




日本のタトゥー普及のためには人々の意識の変化が必要なんだろうな、ドイツはすでに済みさっ

2019年08月21日 | 歴史
アフガニスタン人Sさん(男性30歳代)、ドイツ人M子さん(女性60歳代)と三人で雑談していた。
話題がタトゥーになった。
ドイツではもう誰でもしていると思われるタトゥーだ。M子さんによると、彼女が若い頃はタブーのひとつだったらしい。
これは私には結構な驚きだった。義父は腕のかなり目立つところにタトゥーがある。
西洋ではタトゥーは気にならない普通のことなんだ、と義父と初めて会ったときに判断した。
普通の人々には縁がない時代もあったことをM子さんとの会話で初めて知った。
ある種の職業(義父がそうだったように、船員など)や裏社会の人々が好んでタトゥーを入れていたのだそう。
一緒にいたSさんも、アフガニスタンの裏社会の人々で好まれていると言った。
そうか、世界各国、タトゥーはそういう傾向があったのね。

Sさんの在独アフガニスタン人仲間の一人が、顔に大きなあざがあるのだそう。その人はわざとそこにタトゥーを入れたのだとか。
それを聴いたM子さんは言った。
「ああ、それじゃあ、ある特定の仕事には採用されにくくなりますよ」
この発言も驚いた。そうか、そうなんだ、ここでもそうなのね。
衣類などで目立たない場所なら構わないが、顔のような部分となると、採用を拒む業界も多いらしい。

話し合っている隣のカフェのお兄さんは腕全体がタトゥーで埋まっている。
彼はそこの経営者らしいので全く差しさわりがないだろう。また、彼と接する人々は数秒で彼の穏やかな気質に好感を持つだろう。

人々の多くはタトゥーを趣味趣向の一種として受け入れているが、そうではない部分もまだあることを知っておかなくてはならない。
「日本では、タトゥーを入れた外国人旅行客に温泉やプール入場を許すか許さないか討論があります」
と言ったら、今度は二人がが驚いていた。

人々の物事の感じ方、考え方の変化が早いのはこちらのほうだと感じる。日本は物資の変化は早く受け入れられるが精神面では少々時間がかかるという印象をタトゥーで思う。

そんな会話を楽しんだ後、M子さんの足首を見て笑ってしまった。

そっか、あなたもやっていたのね。日本旅行の時には長い衣類で行ったほうがいいのかな?
いや、これくらいだったら受け入れてくれるだろう。
プールもお風呂もOKね?

写真に入り込んでしまった女児は8歳。
ずっと独身のM子さんだが、子供の扱いは上手だった。


みんな大好き、魚棒Fischstäbchenと白ソーセージWeißwurst

2019年08月20日 | 節約
週末の食卓。
鍋の数が多いのは夫がいるからだ。
ジャ芋は義両親たち、スパゲティは夫の主食。
真ん中の鍋は缶詰野菜をソースに仕立てたもの。一番下は自家製野菜のサラダ。

もう一品は魚棒。冷凍加工食品だ。
この子供向けとも思われる食品、大真面目に大人が食べていいみたいだ。他の家庭でこれが出てきたことは無いが、テレビドラマなどで、焼いているシーンは結構見た。子供に食べさせるのか、って予想したのだが、自分で食べていた。

肉食(豚、牛、鳥など)を避けている夫には貴重な蛋白源だ。特別に魚料理が好きなわけではないようだが、栄養不足にならないように無理やり好きなフリをしているのが感じられる。

上は私の皿。四角く黒いのは私の米飯。一食分保存容器に入れておいたものだ。
缶詰野菜のソースは、なんだか気持ち悪くて食べる気がしなかった。右に見える黒いソースは醤油だ・・・・
うそっ、酢ね。
魚棒をどっぷり浸して食べるんだ。魚棒の魚の部分は全く味がない。衣部分は結構おいしいんだ。それに酢をたっぷりしみこませて口に入れるのが好きな私だ。
夫はこのバルサミコ酢の香りが嫌いなので、一緒に食べるときは神経を遣う。

この魚棒製造現場。冒頭の画像は素手で材料を扱っていることにちょいと仰天。

手袋をしていてもマスクはしていない。何もしゃべらないのだろうな・・・いや、しゃべるだろう。
ごくまれに、しゃべっている途中唾が飛んで製品にくっつくのだろうな。
だが、気候の違いで、ここではそんな細かい衛生観念は必要ないのだろう。年中比較的低温低湿度ドイツのいいところの一つだっ
食品工場でマスク不要!マスク代がかからない分、製品の値段が抑えられるぞ。
他にもいろいろ衛生面で日本の食品工場より節約できるのだろうなぁ~

一夜明けて、夫がいない昼食にはちゃんと肉類の献立。

珍しく、名物白ソーセージ。
ウチでは年に一度程度しか食べない。
一本を食べ終えると、義母が2本目を勧めた。ちょいと苦しいかな、と思ったが食べてみた。
ダメだった。2本目は半分ほどで残してしまった。
米飯1食分容器に入れて、冷蔵庫に入れた。義母は冷蔵庫に入れたのが不満だったのか「冷たいのを食べるのか」と言った。電子レンジで温める、って発想が義母にはないのだろうな。
何かと私にちょっかいを出すのが義母の癖だ。
黙っていてはいけない。こういうコミュニケーションを楽しんでいるのだから。日本以外の国々ではどうでもいいことに討論が必要なことが多い。黙っていてもわかるだろう、と思うのは間違いだ。わからないわけではなく、受け答えが大事なんだ。
だが、むっとしてしまった私、答えられなかった。
まだまだ修行が足りないと感じた年に一度の白ソーセージ昼食・・・・・


ケーキ攻め、恐怖の8月下旬の開始。

2019年08月19日 | 節約
嵐の前の静けさ。
義母は明日のパーティのためにケーキを四種焼いている。
下は、先週の残りのケーキ。

不味くはない。おいしい。だが、ふたきれは無理だった。

義母はまったく悪気がなく、食え食え攻撃をかける。
自分が食べ終わっても食卓に残って私たち夫婦を観察している。「もっと食え食え」と鍋を指差したり、サラダの器を押しやったりする。
義父も知っている、私たちは義母のせいでカロリー過剰摂取だと。
「食べすぎは病気の原因です」
私の発言に同意してくれるのは義父だ。義母は『何を馬鹿なことを言っているの、あなたたちは痩せすぎよっ」と言う。
たまに義母が旅行などでいないと、義父はその心中を明かしてくれる。
「ママ(義父は妻のことをママ、と言う)のために無理して食べているんだ。普段はもっともっと質素で量を少なく食べたい」
我々は身体を張って義母の機嫌を損ねないようにしているんだ。義父も協力者と知り、心強く思ったものだ。

日本経済はとりあえず存在することが確認できるスーパーの広告。

いや、これらの企業も「日本発祥」ってことで、日本企業って言えないのか?

先日、テレビで寿司職人の仕事の様子を放送していた。
ドイツの寿司屋だ。登場していたのは東洋人だったけれど、日本人じゃあないのではないか、という顔立ちと話し方だった。
道具も雰囲気も日本風だったけれど、物資の置き方が日本人とはちょいと違っていた。
作って見せていた寿司も日本の伝統とはかなり違うものだった。
わずかな違いも発見して「日本と違う」と違和感を言う私。
それじゃあいけない、世界進出してしまうものはその実態をさまざまに変化させていくんだ。仕方がない。

そのうち、ヤマハもドイツの会社だったかな、とか思うようになるかもしれない。

ドラッグストアで凄いものを見つけてしまった。
中国語解説の商品案内。高級ブランド店の広告ならわかるが、ドラッグストアだぞ?

他の言語版はなく、中国語だけ。

大挙してドイツ旅行に来ているのがあきらかだ。

東洋人は日本人を含め、買い物が好き。ヨーロッパ物大好き。

商魂に欠けていると思われるドイツ人も、機会を逃さない気迫を感じるこの広告。

中国語表記のクレジットカードを受け付ける、という案内も方々で見かける。

日本の商品(どこで生産しているかは別)を地元住民に売り、中国人旅行客に自国製品を売る。
人類みんなで協力し合って生きているのね・・・・って思うことにしよう。