怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

鍋のふたに付く水滴に対する工夫

2019年07月31日 | ドイツ在住難民・移民
以前から気になっていたこの鍋フタカバー。
アフガニスタン人でイラン育ちの難民A子さん愛用の品だ。
ついに、その正体を知った。

フタにつく水滴対策カバーだそうだ。

汁が多い料理なら水滴が鍋に落ちても構わないだろう。
炊飯器を使わずに調理する人々の工夫だろうな。
アフガニスタンに普通にあるらしい。市販品を買ったり、自分で作ることもあるそうだ。

ツナ缶を混ぜたバスマティライス料理。
ツナは特別においしいと思わなかったが、各種スパイスと塩と油加減が絶妙で非常においしかった。西南アジアのスパイス使いは簡単にマスターできそうもないような気がするがどうだろう。
器用な日本人はさっさと真似できちゃうかもしれない。

さて、この料理を少し分けてくれた。A子さんは食器棚からちょいと深さのある皿を取り出し、盛り付けた。
彼女がアルミフォイルでそれを包んでいるときに、私はかばんから大きめのハンカチを取り出した。
それをテーブルの上に置いて、しばらくA子さんとの会話に集中している間に、彼女は皿を私のハンカチで、手馴れた様子で風呂敷包みにしてくれた。
驚く私に彼女は言った。
「これって、日本でもある習慣でしょう?アフガニスタンでもあるんですよ。イランも伝統的にはあるのだけれど、だんだん使わなくなってきているようです。フィリピンにもあるらしいですよ」
考えてみれば、四角い布の四隅を縛って包むという単純な作業は誰でも思いつきそうだ。日本だけのものではないのは当然だろうな。
そういえば、日本とは縁が全くなかった義母は、折り紙をしていたそうだから驚きだ。過去記事を見つけた。「子守の週末」2009年2月24日


日本独自のもの、と得意がっていることが実は違うかも、ってちょいと警戒しながら過ごさなければならない。
まあ、ほとんどの場合、大丈夫だけれどね。
日本柄の風呂敷をドイツ人見せて「昔の人はこうした布かばんを使うのが普通でした」と解説しても一向に差し支えない。





食事は基本ウチにて。

2019年07月30日 | 節約
天気が良すぎるドイツ。
たまにはビアガーデンでくつろぐのもいい。
いや、これは某集まりがここで行われたので、必然的にここでちょいと飲食する羽目になったんだ。

料理が嫌いなW子さんはこれを注文していた。旦那さんと二人で分けて食べていた。台湾人のW子さんには一人分としては多すぎるのだろう。

私たち夫婦はフライドポテトと大きなブレッツェ。
ウチでは食べない軽食。撮影するのを忘れた。

このビアガーデン、なかなか良かった。このパンフレットも表紙のリスが気に入った。

このビアガーデンは飲み食いだけでなく、年間を通していろいろな催し物を開催しているようだ。

田舎に住んでいると、食事もお茶も自宅で済ませがちになる。
いちいち外に出て行くのが面倒になってくるんだ。

郊外に住む人たちは例外ないほど車を所有しているだろうから(郊外暮らしの難民住居住まいの人たちもいる、彼らは自動車所有など無理)料理が面倒なときはさっと出かけるのだろうな。
ウチは例外。
何が何でも家で食べるのが基本。



不味いと評価された料理、食べてみたかったぞ。

2019年07月29日 | 節約
シングルマザーでウクライナ人G子さんは、9歳の息子さんと難民住居に住んでいる。
その難民住居はドイツにはありえないと思えるほど過酷らしく、例えば各部屋には調理設備がないどころかそこでの調理さえ禁止されている。食事は食堂で一斉に摂るのだそうだ。
子供のことだ、食事時間に眠っていたり具合や機嫌が悪かったりすると食べる機会を失ってしまう。また量も充分でなかったりする様子だ。
そういうわけで、G子さんは、街のあちこちに存在する無料の食糧配布や食事などを調べつくしている。
私が彼女に誘われたのはこれ。この画像を私に送ってきたんだ。

公民館のような場所で開催される「シリア料理を食べる夕べ」。
シリア人難民との交流の機会として計画されたものだろうか。
興味はあったが、他の予定が入っていたので行くことができなかった。

数日後、G子さんとばったり出くわした。
「あのシリア料理、不味かった・・・」
と、嘆いていた。ま、無料で提供されたものだろうから仕方がないんじゃあないか、ってこっそり思ってしまった。
私は食べ慣れたものとかけ離れていると、おいしく感じないという経験を何度もしてきた。
例えば、パラグアイのチパ
これを初めて食べたとき「何でこんな食い物が存在するんだ」と理解ができなかった。
だが、数ヵ月後には旨いと感じるようになってしまったのだ。あの頃は若かったからすぐに新しい料理に馴染めたんだろうな、とも思う。

そういうわけで、今回もG子さんの感想を聞いて「その不味さ、体験してみたかったな」って考えている自分に笑ってしまった。

ところで、この画像にある開催場所の表示が間違っていたんだ。
G子さんから連絡が来て「この場所はどこだ」と散々尋ねられて(このG子さん、普通の会話をするのは困難で、何度も繰り返し言ってもまた同じことを尋ねる。決して認知症じゃあないっ)困った。
結局、場所が当日急遽変更されて、徒歩数分の別の公民館のような場所になったようだ。
変更前の場所に案内の表示などしておけばいいものを、ここの人たち(ドイツ人、在住外国人たち)はそういう発想をしない傾向にある。
なんだかなぁ・・・・テキトーさっていいところもあるけれど、不便極まりないよな。

日本の日本人以外との会話の仕方はかなり違うこともあると感じる

2019年07月28日 | 家屋
街中の建築物の窓からの風景。
隣近所がとっても近い。実家の生活がこんな感じだった。
隣の住民がお風呂に入っている音、テレビや掃除機の音などが聴こえてきていたが、不快に感じなかったものだ。
窓の近くで着替えたりするのははばかれた。レースのカーテン越しでも通行人から見えるのではないかという不安があったものだ。
ここに住んでからは近所の生活音が聞こえなくてとても淋しく感じた時期があった。
夜に電気を煌々と照らし(めったにやらないが)、カーテンなしで着替えても、見られない安心感はいいものだけれど。
人はどんな環境に住んでも適応するんじゃあないか、と思う。
私の今後の人生も、また街中の狭い環境になるかもしれない。喜んで変化を受け入れることにしよう。

義母は週末の3日間、妹と一緒に彼女の所属する地域の農家夫人のための旅行へ出かけている。
出発前日の私との会話。
「スポンジ台が冷凍されていますから、りすはそれでケーキを作りなさい」
ええっ!!
真ん中にクリームを挟むケーキはちょいと技術が必要だ。私は一人でそれをやったことは一切ない。
週末の義母ケーキがないことにうきうきしていた。
義母の命令に私はこう答えた。
「8月はケーキ三昧月です。今週末くらい、ケーキ断食しましょうよ」
8月は義両親の誕生日が続く。それが週末に当たればいつもと同じ頻度でケーキを食べるが、今年も二人とも平日誕生日だ。
毎年、8月は恐怖月間だ。
義母はそんな私の気持ちも知らず、言った。
「今年はそんなに人が来ないから大丈夫よ」
人が多く来ようがそうでなかろうが、ケーキを焼くのは同じじゃあないか。
どうして、そういう会話に発展するのかさっぱりわからない。これが最初ではなく、寄生し始めてすぐからこうだった。
最初のうちは、私のドイツ語力の問題だと思っていたんだ。会話が変な方向に進んでいるのは私の聞き取り力、話す能力不足だと。
だが、今でも義母の話すことは大きく飛躍したりするので、私との会話だからというわけではないらしい。

一度だけ、夫が嘆いたことがある。
「母は何でもモンクします」
そう、義母の息子は子供の頃から同じ体験をしているんだ。何を言っても聞き入れてくれないどころか、あらぬ方向へ会話が向けられてしまう。
私が提案しても「ナイーン」で発言を否定されてしまうんだからたまらない。
これは彼女の会話の仕方の癖なんだ。
また、話しているうちに私の意見が通ることも多いので、まずはじめに否定しておく、というのが義母のやり方。

これを彼女の交流関係にやったらよくない、と本人は自覚しているらしく、親族や近隣住民、知人たちにはやらない。
配偶者と息子とそのヨメだけにやるんだ!
娘にはやらないのを観察済みだ。おそらく、子育て中、いろいろあったのだろうと想像する。娘の話は黙って聴いていることが多い義母。

「なんでいつも米飯ばかり食べるのですか」
という質問も、決して米飯食を全否定しているわけではなく、定期的に言いたくなる恒例行事のようなものなんだ。
言われるたびに相手をしなくてはならない私はたまったものではないが、日本と違い、ここでは相手を思いやって云々などということが少ない。
言われるたびに何か返答しなければならないのがここのやり方、と私は早いうちに気づいている。
だが、日本生まれの日本育ちの私、ここのそうした傾向に疲れるのも確かさっ











各自勝手に解釈して行動するのか?不思議だ・・・・

2019年07月27日 | 交友関係
演劇入門コース、と訳していいような講座に通った。
集まったメンバーは10人程いたが、次第に出席者が少なくなっていったようだ。
そこで私に「やってみないか」と勧められたんだ。
練習場所や時間にかなり難があったので、初めのうちは断っていたのだが、しつこく言われるので面倒になっていくことにしたんだ。
20時過ぎに帰宅すると義母がうるさいんだ、と断っても果敢に何度も誘うこちらの人々。
「お義母さんの言うことに従うのがあなたの人生ですか」とも言われる。
今の時代、義母がヨメを支配するなど、誰しも信じられないだろう!
例外はいつでもあるんだぞー。

さて、最後の仕上げの発表会の服装指定があった。
下は黒で、上は単色・無地の服、と、私は確かに聴いた。
なのに・・・
当日のみんなの服装は、ほとんど、それから外れているものばかりだった・・・

下半身の衣類が長いものかどうかまでは言われなかった。
でも「下は黒、上は色物」と言われ、かなり動きの激しいことをする作品だったからある程度長いものがいいって、思わないかな・・・思わないんだろうな。
っていうか、すでに黒じゃない人々ばかりだ。オレンジ色を黒と聞いた人もいるようだ・・・
私からいわせれば、たった二人しか指示された服装に忠実な人がいないぞ。
そのうち一人は私だ。
ドイツ、大丈夫か?
いや、言われたとおりに正確に実行するのは日本の日本人だけ?

ドイツ語上達の方法のひとつを諦めた瞬間

2019年07月26日 | 節約
本屋の漫画コーナーで見つけた書籍。

「君の名は」ビジュアルガイドブック。
あ、欲しい、と思って手に取った。
もちろん中身はドイツ語のみ。必死に読むだろうからドイツ語上達にいいな。

裏表紙の価格を見た。
30ユーロ。
諦めて、また、戻した・・・・


古い物を大事にするドイツ

2019年07月25日 | 節約
布袋をもらった。
これをくれたL子さんのお父さんの勤務先で配布されている品だそう。L子さんがいつも持ち歩いていて、そのちょいと変わったデザインのプリントが目に入っていて、実のところ欲しいと思っていた矢先だった。

日本では、エコバッグと呼ばれてこれを使用することは偉い事、とされているような印象だ。
ここじゃあ、よれよれ、くたくたなこうした布袋を爺さんたちが持ち歩いているとかなりげんなりする。
若者もくたびれた布袋で颯爽と歩いていたりする。日本とかなり感覚が違うと思う。

布袋コレクションがものすごいことになっている・・・
さまざまなプリントの品を集めるのが面白くて、もらえるチャンスがあると積極的に受取ってきた。気づいたら数十枚所有している。全然環境によくないんじゃあないか?

つり銭で受取った小銭がぴかぴかだった。

キャッシュレス化の意欲はないのか、と思ってしまった。ここより進んでいる日本でも数年後に紙幣デザインの変更があるから、現金が消滅してしまうわけではないだろう。
スーパーで観察していると、ほとんどの人々がデビットカードと思われるカード決済をしているので、ここでも徐々に広まっていることは確実だ。

数十年前の品と思われる某有名メーカー紅茶の入れ物。右の陶器は7,80年位前に豚の油を入れて保存していたものだそうだ。

少し前まで、食糧棚にあったのが、こうして普段目に付くところに飾られるようになった。

日本だったら確実に廃棄だろうな・・・・
今の品々にないデザインの美しさや古びた郷愁を感じさせるところがいいのだろうけど。
アフガニスタン人Sさんが「ドイツ人はものすごく古いものをとっても大事にするから付いていけない」と嘆いていたのを思い出す。
ああ、私もSさんとかなりに通った感覚を持っている。
一般的にアジア人は新しい物好きだ。アフガニスタンのような西南アジアもまだその傾向にあるのだろうな。
お互い、ここに住んでいる限り、多少ここの人々に共感してやらなければならない。
がんばろうぜ、Sさん!




親に寄生夫婦のわずかな楽しみ

2019年07月24日 | 貧困
街のお祭りに行った。珍しく、夫と一緒。
貧乏ヒマなし(私は時間はあるがカネがない)という言葉のとおりの人生をともに歩んで10数年。休暇旅行など一度もしたことがない。
こうして数時間、街のお祭りを楽しむくらいが関の山。

タダで聴ける音楽。
カラオケなどは日本人一般の方が上手だけれど、ちょいと上手い人たちは日本人のちょいと上手い人たちよりずっと上手だ。
器楽などもそうで、日本の子供一般の方が器用に西洋楽器を操るけれど、こちらのちょいと上手い子は日本の上手い子よりいい演奏をする気がする。
話はパラグアイハープに飛ぶが、日本の演奏者も多く、日本でコンクールまである。
出演者の多くはきれいに正確に演奏するので、パラグアイ人プロ演奏者より技術的に上なのでは、って思うのだけれど、何か足りないんだ。テキトーさが・・・・
きちんと調弦されないハープじゃあなきゃダメなんだ。あの微妙に音程が狂っているようなところがいいんだ。
その土地で生まれ育たないと身につかない音楽のセンスって、あるかもしれない、と時々思う。もちろん、例外も凄まじく多く、西洋器楽の国際コンクール上位入賞者が、アジア人であることが普通な半世紀を思うと、私の意見など間違っているだろうな。

人気のカフェのアイスクリーム。夫は二種のアイスを注文した。私は遠慮してひとすくいだけ。1ユーロ50セント。
右に移りこんでいる店員は、素手でコーンを扱っている。もちろん、洗うことなく現金の受け渡しをする。いまだにこういうことに敏感な私。パン屋は随分改善されて、店員が素手でパンをつかむことを見なくなった。

去年ここに開店した激安衣類店。

安くて品質最悪なのだけれど、一度着用して捨てるにはもってこいの店だ。環境先進国とか言われているらしいドイツでも、カネの動きを止めるわけにはいかない。・・・義母は盛大に批判している。
ここのいいところは、かなり小さいサイズをそろえているんだ。
夫もドイツ人としては小柄なので、衣類購入が難しい。ここで簡単に彼のサイズのジーンズが見つかった。
この三点で50ユーロ!
寄生夫婦にはぴったりの価格ではないかっ
・・・って思うのだけれど、義母がやはりいろいろ言った。
「こんな細いデザイン、どうして買ったんです」
だってねぇ、これが今の流行なんだから仕方がないでしょう・・・
なんて答えても全く通じないぞっ、言葉の壁じゃあないことは明らかだっ。
私たち夫婦のわずかな楽しみをじゃましないでおくれ~、って叫びたい。言ったら絶対言い返される。
あーあ。






多民族国家化はトイレにも影響してくる

2019年07月23日 | ドイツ在住難民・移民
住宅密集地にある日本の公民館のような建物内のトイレ。

小さなじょうろが置かれているところではっとした。

周囲の知人・友人たちを訪問していると、ときどきじょうろがトイレ内に置かれてあるんだ。
彼らの多くは西南アジア出身。
手動洗浄便器、ってところだな。
紙で拭くだけでは気持ち悪いのだろう。それは今の多くの日本人も知っているはずだ。
ただ、手を使うというところで、時代遅れの習慣と感じさせてしまうのではなかろうか。

近所のアフガニスタン人4歳児は、幼稚園のトイレでそれをやるらしく、衣類をびしょびしょにしてしまうこともあるのだとか。
たぶん、幼稚園にはじょうろを置いていないだろうから、どうやって彼女は水を調達したのか考えると怖い・・・

彼らの母国に洗浄トイレは大うけすると思うのだが、どうだろう?
頭のいい人が揃っている大企業の人たちはすでに試しているのだろう。水質や電気事情、一般の人々の消費力なども影響するのだろうな。

日本も、多民族化が進むと、何気にトイレにジョウロを発見するかもしれない。あ、もう、ある?
それより、日本では洗浄便器の普及が進んでいるから、じょうろ洗浄習慣のある人たちに喜ばれているかもしれない。



二度と作ったり食べたりしたくないこのアホな料理、だが、義父が生きている間は家賃と思って食わなきゃならんっ

2019年07月22日 | お菓子
去年は作らなかったさくらんぼギョウザ
もう、今後作らないのか、とほっとしていたところに、張り切った義父が「明日、ウチにいるか」と尋ねられた。
生地作りは私の方が上手いということを認識しているらしく、私に手伝わせようという魂胆だった。
手伝うのはいい。義父の異様なはりきり具合が私と義母をしらけさせる。
義父の子供の頃からの好物のようなので、そりゃあ、手伝うのは構わないけれど、その高テンションの彼と一緒に作業するのは少々辛いものがある。
また、今回知ってたまげた。

義父は固い皮が好きなんだ。
わたしが「どうしてこんなに固いのだろう」と皮が固いことを嘆いたのだが、それに対して義父が「この方がおいしい」と言ったんだ。
義母は「りすは丈夫な歯をしているのに・・・」と私の発言に答えた。えっ、歯の強さの問題じゃあなかろう!!

はっきり言って、このさくらんぼギョウザはやっぱり私の口に合わない。不味い。不味い。不味い。
甘い餃子は許せる。だが、皮をガチガチに茹でる(義父の作業)のは止めて欲しい。いや、彼の好みなのだから仕方がない。せめて、食事としてではなく、おやつとして食べるのならまだいいのにね・・・
今後のここでの人生も、年に数度程度なら家賃と思って我慢して食べてやる。

そういえば、昨日も言われた。
飯を炊いて、冷凍保存用にラップフィルムに小分け作業をしていた。
義母が「どうしてご飯ばかり食べるんです?」と尋ねてきた。
もう、何度も説明したはずなのに、周期的に言いたくなるようだ。わたしは答え方を工夫しなければならない。
最近知り合ったフィリピン人女性の発言を言ってみた。
「20歳くらいでドイツ人男性の嫁になったフィリピン人は、毎日ご飯を食べないとやっていけないそうですよ。しかも、その米はアジア食材店で買わなければならないから、私より面倒な入手方法ですよ」
私の米は、その辺のスーパーで買っているものだ。つまり、特別な食品を食べているわけではないんだ。
そう強調してみたものの、また、言われるだろうな・・・・
義母の息子が、じゃがいもを主食とせず、いつもパスタを好むので、彼にだけ特別ゆでているのは気にならない様子だ。
パスタも米もイタリア産なのにねぇ。

庭のブルーベリー。

こうしたベリー類は義母が採取して、ほとんどが冷凍保存される。
目を盗んで、私は庭で口に入れてしまっているけれどね。
日頃、かなり口に合わないものを食べているのだからこれくらい許してくれ~




ゴミの日を忘れる悲劇

2019年07月21日 | 家屋
二週間に一度のゴミの日を忘れてしまった。
ゴミ出しは義母や私に任されていて、どちらかが気づいて毎回やっている。
ウチ周辺のゴミ出しは、下の写真のような各家庭のゴミ容器を、ゴミ回収車が通る公道まで持っていく方法だ。
敷地内を数十センチしか出ないので、パジャマ姿でも可能だ。(散歩している人々に目撃されるか)

容器は八割がたいっぱいになっている。
この状態で、あと二週間分のゴミを詰め込むことはほぼ不可能だ。いったい、どうやって生活すればいいのか・・・
こういうときに、ゴミ収集の大切さを思い知らされるぞっ
以前は下の画像のゴミ回収日お知らせアプリをわたしが使っていた。ここ数ヶ月、そのアプリの調子が悪くて削除してしまったんだ。

日本の夏場に二週間に一度のゴミ回収は難しいだろう。生ゴミは別にしても(実際ここではそうだ)昆虫や悪習の発生は免れられないだろう。
気候の差、住宅密集度の差によるゴミ回収頻度かな。ここでも人口密度が高い地域は週一度のゴミ回収があるようだ。

ゴミ忘れでちょいとがっかりしているときに、頂き物。

大事に食べようと思っていたのに、一気食いしてしまった。
子供の頃は食べ切るのに数日かかったのに、今じゃあ一瞬。数個を一度に口に入れるのはやめようと思う。


合理的な一人分お茶の飲み方

2019年07月20日 | 節約
こちらに来て2,3年の頃に知り合った近所の中国人から学んだお茶の淹れ方。

カップに直接茶葉を入れてお湯を注ぐんだ。
これを知った当時は、茶葉が口に入ること、なんだか非常に怠惰な印象で嫌だったものだ。

その後、いろいろとお茶を飲む方法を試した。
ティーバッグより、茶葉を買うほうが安いしおいしい。
日本から持って来た急須、こちらでも売られているお茶パック、さまざまな形状の茶漉し。

急須や茶漉しは、使ったあとに洗わなければならない。それらは使っているうちに茶渋で汚れてくるので、ときどき気合を入れてそれを落とさなければならない。もちろん、飲んだカップも洗わなければならない。
・・・ということは、倍ほどの洗物になるわけだ。
カップに直接茶葉、がいちばん合理的ということに私の脳内で決定された。

さすがにこれで自分以外の人にお茶を提供しようとは思わない。
急須を使い、カップには受け皿、などちょいと手の込んだことをするのが他人とお茶を楽しむ方法だろう。
一人の時には怠惰でよろしい。多少茶葉が口に入っても気にならなくなった。
っていうか、どういうわけか口に入らなくなってきている。この方法はやっているうちに、上手に飲むコツを身につけるものだな。

日本で生活していると、こうした方法は誰も見ていなくても批難されそうでできないと思う。
「一人のときもお洒落に暮す」
って、好きな言葉だったな。よく雑誌記事になっていたぞ。
一人の食卓でも、箸休めを使う生活・・・・
こうしたこだわりが日本の生活のいいところなのだろうけれど、日本以外生活が長くなるとどうでもいい項目になってくる。恐ろしい。





動物のほとんどは夜行性なのか

2019年07月19日 | 動物
23時ごろ、自転車で農道を走っていた。
夏場に羊を放している空き地を通りかかったら、妙に活気づいていることに驚いた。
「んめぇ~、んめぇ~」
と声を張り上げている羊.

昼間に通りかかると、けだるそうに横たわっていることが多い。
へぇ、羊も夜行性なのね、と感心したわたし。
ヒトを含め、動物はほとんど夜行性、と説いていた人もいた。夫もその傾向がある。

元気な様子の羊をカメラに収めたら怖くなった。
まるで心霊写真。時刻も時刻なので、その可能性もあるよなー
しばし、呆然と立っていると、足元にうごめくものが・・・ぎゃっ
「んにゃぁ~」
丸々太った白猫が、私のふくらはぎ辺りをスリスリしていた。
おお~♪
「おい、にゃんにゃん、おまえ、どこのにゃんにゃんだ?おウチに帰らなくて大丈夫かい」
と、私の猫に対する定番挨拶をしながら撫でてやった。
抱き上げると、まるまるした印象とは違い、軽かった。まだ若いデブ猫か?
何しろ暗いので、色が白としかわからない。街灯などない農道なんだ。いや、農道じゃあなくても街灯が少ないドイツ。高速道路は真っ暗な中を突っ走るんだぞー。

しばらく猫を撫でていたら、私の足を枕にしてゴロゴロ言い始めた。
おいっ。もう、帰らなくちゃいけないんだぞ。ただでさえ20時過ぎの帰宅にガタガタ言う義母のことが気になって仕方がない。

そうっと、猫の頭から足を引っ張り出して、再び自転車をこいだ。
真っ暗な道を。
「んめぇ~」
と羊は叫んでいたが、猫は黙っていたようだ。振り返らずに、一目散にあと2キロの道のりを急いだ。



いちいち気にしていたらやってられない

2019年07月18日 | 物品
南米ではなかったこの日本車の名前。

検索すれば、スペイン語圏ではどのような意味なのかすぐ出てくるので調べて欲しい。
ドイツで堂々この名前で走っているのだから、ここではスペイン語母語者などにはまったく配慮しないのだろうな。
また、スペイン語が母語の人たちからも「この名前はおかしい」などと言われたこともない。(それほど頻繁に走っているわけではないしね)

愛称で、本当の名前を短く呼ぶことはここでもたくさんある。
ドイツの女子用名前にWalburgaという少々長いものがある。これはバリ(ヴァリ)となる。
有名なものではビクトリアだろうか。ビッキー(ヴィッキー)になる。
これらは日本人の我々にも受け入れ易い。
ウルシュラ、はウシ、となるとちょいと考える。実際の発音では「ウ」にアクセントがあるので、それほど気にならないのだけれど、ちょいとそのウルシュラさんに言ってみたくなっちゃうんだ。日本語での意味を。

ダニエラ、はもうこれを読んでいるあなたにお分かりだろう。
虫だっ、ダニちゃん!
これも「ダ」にアクセントがあるので大丈夫。
でも、先日、ダニさんに、言いたくてたまらなくて言ってしまった。
彼女が気を悪くした様子は一向になかった。

いちいち細かいことを気にしていても仕方がない日本以外での生活かな。
ただし、やはり、物品の販売などとなると、社員を抱えての経営問題になるだろうから、名付けに気をつける気持ちもよくわかる。
そういえば、南米滞在時に一人の日本人女子が言っていたものだ。
「将来私に女の子が生まれたら、終わりの母音が『お』にならないようにしたい」
欧米、とその文化圏(中南米など)では、女性の名前の終わりの母音が「お」になることは少ない。
「あ」や「い」が多いんだ。
「子」で終わる名前が女性的とされていた時代が長かった日本生まれで、彼女もその名前でしばしば男性に間違えられたらしい。
男女の区別などどうでもいい時代に突入しているから、彼女が現在そうしているかどうか不明だ。

いずれにせよ、名前はやっぱりちょいと気になる、ってところで結論としておこう。





広告の品のジュース製造器を手に入れるために少々奔走した義母。

2019年07月17日 | 庭仕事
義母が狙いの広告の品を買いに出かけた。
「りすも一緒に行きますか」と誘ってくれたので、そうすることにした。
義母の買い物はこれだ。ジュース製造器。ちなみに左に写りこんでいるのは炊飯器。ここでも炊飯器の普及があるんだ。ただし、日本人には不向きだ。簡単すぎる仕組みで、ただでさえ味の劣るこちらの米を上手に炊いてくれない。
値段は魅力的だ。2000円弱で買えちゃうんだ。

最寄のそのスーパーに行くと、すでにジュース製造器は売り切れていた。日本だったらもっと多くの在庫を用意するだろうが、ここはセール品は数に限りがある。広告の品が手に入るかどうかは運なんだ。

そばにいた義母世代の女性のカートにはそのジュース製造器があった。
義母に耳打ちすると、義母は女性に近づいた。
「運がよかったですね、私は買うことができませんでした」
すると女性は「ここじゃあなくて、もっと街中の支店に行けばあるかもしれませんよ」
と答えた。
この周辺は大きな庭を持つ家庭が多いので、自宅栽培の果実を使ったジュース作りのために買う人が多い。
街中に近いと、アパート暮らしの人が大半なので、あまり売れないから、というのが彼女の論理だった。
義母はその意見に感動し、早速車に乗り込んで別の支店に向かった。

果たして・・・・
あった!
残り2個のところを私が走って獲得したっ
義母も嬉しそうだった。後部座席に鎮座させて、ウチに帰った。

早速開けて、洗っていた義母。
かなり頻繁に使う道具だ。今まで使っていた品はホウロウだった。これはステンレス。

果実を蒸してジュースを作るという方法は、ここで初めて知った。
ジュースと言えば、圧搾、の観念しかなかった私。
過去記事にこの器具を使ったジュース作り方法があると思う。ただいま、見つからない。
動画を検索したら、あったのでこれを見て欲しい。言葉がわからなくてもだいたいわかるだろう。
モダンなコンロがすてきだなーっ。
Videoanleitung Entsafter Loop von Schulte Uferより

これで作ったジュースを主に飲むのは義両親ふたりだけ。
丹念な庭の手入れ、収穫作業などジュースを作るためにかかっている手間を考えると、ほとんど手伝わない私は彼らに申し訳なく、とてもじゃあないが飲めない。
寄生者には非常に高価な手作りジュース、私には飲む権利などない決めている。