怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

難民住居は難民が警備に当たる、それって、ここの歴史で似たような物事があったなあ、とちょいとぞっとした。

2018年10月31日 | 奉仕活動
多くの難民住居では入り口に警備員がいる。

警備員自身も難民であることを知った。
アフガニスタン人Sさんがその仕事をやっていたのだそうだ。
警備員として働くために講習を受けている彼だ。
「りすさんは人を見る目がまったくない」と彼に言われた。
「ここに入ってきて、視線がきょろきょろ動く人物は要注意だ!大抵のドイツ人はまっすぐ歩いて、視線もまっすぐ向いている。彼らはなにか悪巧みをしている可能性は非常に低い。だが、きょろきょろと視線が動く難民たちは隙あらば何か持ち去ろうとするんだ、よく観察してね」
なるほど。
ボディーガードたちがサングラスをかけているのは、視線をしょっちゅう動かしていて人々の動きや視線、表情を観察しているからなのだそう。
難民住居警備ではサングラスをしないが、催し物会場などではSさんもサングラスをかけるらしい。
大柄でいつも鍛えているSさんがスーツにサングラスをしているのを見たことはないが、きっと迫力に満ちているだろう。

夜中に難民住居にやってきて強制送還のために難民たちをバスに乗せて空港に向かわせる荒行はすでに公になっている。
その現場にいることも多いSさん。
「わめく人たちは着の身着のまま、おとなしく従う人たちは準備をさせるんだ」
うわ・・・っ
警備の彼も難民だ、まだ正式な長期滞在許可を持っていない。Sさん自身が目の前で惨状が起こっている当人になる可能性は高い。毎日が緊張の連続だろう。それでも明るく振舞っているSさんだ。

「まともな難民は送還され、問題のある奴らがここに残ってしまう妙なシステムさ」
ともぼやいていた。

新たに知り合ったウクライナ人G子さんは8歳の男児を連れていた。
二人で難民住居に住んでいるらしい。
「国は戦争でね」と解説していた。
「昔、ウクライナ人男性と日本人女性の間にできた子と知り合いだったの」
ウソか本当かわからないが、私に気に入ってもらおうと一生懸命なのが伝わってくる。
その日本人についての詳細を尋ねても「昔のことなので忘れてしまったわ」だし。
「日本人は皆、ほっそりしてていいわね。私のこのおなか、どうにかしたい」
と、セーターの上から自分の肉をつまんで見せたりした。
「あなたは親切だわ。ドイツ人たちはみな私に冷たいの」
そりゃあ、そうだろう。
先日の選挙結果で難民に否定的なこの地域が明確になった。彼女は在独2年の新人難民だ。これ以上そんな新人いらないってドイツ人でなくても思ってしまう。
「ここに馴染むには時間がかかります」
と、わたしは冷静に言った。
「そうね、仕方がないわね」
と納得。
「次はいつここにいますか?」としつこく私に尋ねるのが困った。

さて、彼女が去ったあと、私たちを観察していたSさんが言った。
「あの女、気をつけたほうがいいよ」
警備員として鍛えた眼が感じた感覚だ。私は全くわからなかった。
外に出てみると、G子さんは同じウクライナ人難民仲間数人と数十メートル先で何やら話しこんでいた。
その彼らの醸しだす雰囲気が、ちょいと怪しかった。

世界的に貧しい地域から金のあるところへの移住が盛んになっているようだ。
大昔は、貧しい欧州からせっせと世界各地を訪れてその土地の産物や人間を漁っていたのだから、歴史が繰り返しているだけなのかもしれない。












パンは捨ててはいけない。昔からの再利用料理パンスープ。

2018年10月30日 | 節約
この茶色い粥状の、スープと名の付く献立。

固くなったり余ったりしたパンを使ったものだ。
今回は義母が買い込んだ半額パンと、私がフードシェアリングでもらってきたパンが冷凍保存しきれないほどになり、スープにして一気に消費することになったようだ。
茶色い色をしているのは、白いパンではなく、ライ麦が多く含まれているパンを使っているためだ。
見た目は悪いけれど、結構おいしい。
サラミを細かく切ったもの、玉ねぎのみじん切りも入っている。
いつものように塩辛い味付けだ。
私はこれに米飯を投入して食べた。パンとメシを混ぜて食べるという、考えてみると恐ろしい食べ方だな、って一人でニヤニヤしてしまった。
義両親たちはいつものようにゆでたじゃがいもを添えていた。

昼食はこれだけ、スープだけ。
日本の夕食に相当する食事がスープだけだ!
しかも、パンが主材料で、細切れのサラミしか動物性たんぱく質が入っていない。ウチの食卓は、いまのドイツではもしかしたら貧しげなほうかもしれない。
いや、食生活は質素なほうがいいんだぞ、と最近はよく思う。

奢った生活も時には楽しいけれど、丁寧に質素に生きるのもなんだか面白みがあるのを発見中。
パンは捨ててはいけない。日本人の、米を捨てるのと同様な感覚なのだろう。パンもご飯も平気で捨てられているのは、もうどうしようもなく仕方がないのだろうけれど。
飢えている国や地域に手元の余った米飯やパンを送ることは不可能だもの。ここの物乞いたちは私よりずっといい体格をしていて飢えている様子はほとんどない。現金を集めるのが彼らの仕事だ。(それでも手持ちのパンを分けると喜んでいる様子を見せるのが不思議。本当は腹減ってる?)








ちゃんと記述しろ。クロワッサンを食べに行ったのに。

2018年10月29日 | ドイツ生活の外国
5,6年前にドイツ語コースで一緒のクラスだったチュニジア人女性S子さんとばったり会った。
「レストランをやるので来てください」
数年前は携帯電話の修理店をやっていたが、上手く行かなかったのか。
三人の子供のお母さんでもあるS子さん、旦那さんとその仲間とレストランをやるそうだがやはり大変だろうな。
もらったチラシはこちら。
下のほうに「9時から朝食、手作りクロワッサン」と印刷されている。

これを目当てに仲間と一緒に午前10時に行ってみた。

ところが、入り口にはまだ鍵がかかっていて中は薄暗かった。
「ええ~、9時からって書いてあるのにぃ~」

少し様子を伺っていたら中に人がいるのを発見、ドアを叩いて呼んだ。
私に気づいたS子さんは快く私たちを店に入れてくれた。

「クロワッサンはありますか?」
と尋ねると、
「まだ朝食までできる余裕がないんです」
と答えていた。だったら、オープニングの広告に載せるなよっ、って思うのは日本人だけかもしれない。

一緒のふたりはポーランド人。彼女らは「お茶だけいいかしら?パンはそこのパン屋で買ってきてここで食べていいかしら?」と堂々尋ねた。
S子さんは快くそれを許可した。
凄いよなぁ、事実と違う広告、それにめげずドアを叩いて開けさせ、クロワッサンがないと知り、持ち込みで食おうと言う根性。
お互い何を要求し受け入れられるか否か話し合う態度を日本以外の生活では身につけたほうがよいと、こういう経験をするとつくづく思う。

すでに成人している息子娘を持つこの二人はドイツ在住30年以上だ。
私のために彼女ら二人で話すときもポーランド語を避けてドイツ語にしてくれる。
日本人にはなかなかできない気遣いかもしれない。(っていうか、日本人同士で外国語で話すのってかなり抵抗がある)
手前のJ子さんは先月長女が医学部に入学した。なんだかんだ言っても、自分の子供が医師になるのは嬉しいだろうな。J子さんは決してそういうことを他人に得意げに話す人ではない。

11時半ごろ、本格的な商売時間が始まる頃に私たちは席を立った。S子さんの旦那さんが席にやってきて料金を請求した。(大抵のレストランは店員が客の席で代金を受取るドイツ、または欧州)
一人250円ほどのわずかな収入だ、ごめんよ~。クロワッサンがなかったからだ!
その代わり、私たちはその虚偽の広告をたくさんもらっておいた。知人友人に宣伝してあげるためだ。

効果はたちまち出た。
新しい私の知人、台湾人のX子さん(在独8年、ドイツで大学を卒業、そのままこの街の大企業A社に就職)にこのチラシを渡したら、早速行ってみたようだ。

X子さんから送られてきた画像だ。
「まだ献立表がないそうです」
だそうだ。メニューはこのクスクスのみ。

軌道に乗るまでもう数ヶ月かかるのだろうか。
はやく手作りクロワッサンを食べてみたいものだ。



断熱材

2018年10月28日 | 家屋
いつものようにバス代節約、健康増進のため片道4キロを歩いていたらこんな光景を見つけた。

ピンク色がきれいなので、近寄ってよく見ようとしたんだ。

ピンク色は包装で、白いのは発泡スチロールのようなものだった。
建築中の家に置かれているということは断熱材だろうな。
こういう物体を家の壁に取り付けるって、日本では不可能なような気がする。
一般家屋について全く建築の知識はないので想像だけだ。こちらで暮して、降水量や体感湿度が全く違うことで素人結論としてそう書いてみた。
日本の家屋は夏を基準に考えて造らないと腐ってしまうのではないか。
まるで蒸し器の中にいるような関東以西の日本だ。断熱材など入れたらとろけちゃうぅ~

いつもの10月よりは天気の良い暖かい日々が続いた。
外は暖かいけれど、家にいると寒いと感じる時期だ。春と秋にひと月ほどこんな現象がある。
関東周辺では、真冬でもそんなことがあるので不思議には感じなかった。
だが、辛い。寒くて。
本格的な暖房は入れてくれないし(義両親たちの主義)、私自身の感覚でもまだ暖房は早い、と思ってしまう。
りす部屋で着膨れてごろごろしている。
ポリエステル綿が詰まった外出用コート、コーデュロイパンツの下にはレギンス。
長袖Tシャツは二枚重ね、その上にセーター。
それでも寒いので私の身体がおかしいのかと、何度もネットで検索したものだ。
結論は、寒がりはどこにでもどんな体格の人でもあるようで、今の私の状態は病気で寒いのではない、ということだ。

早く、もっと寒くなって本格的に暖房を入れるようにして欲しい!



材料費は非常に低い我家の食生活

2018年10月28日 | 節約
私がフードシェアリングでもらってきた丸パンを材料に使ったパン団子が週末の昼食だった。

ソースは150グラム位のとり胸肉を小さく切ったカレー味。サラダは白菜5枚とパプリカ少々。
鶏肉一人当たり40gって、ドイツの平均肉摂取量を考えるとスズメの涙量。

材料費は非常に低く抑えられている我家。
衣食住のうち、衣類と食に関して住居ほど関心を持たないとされているドイツ人。我家の食卓でそれを感じることができるだろう。
日本の食卓は毎日がお祭り、と現在70歳位の女性が私に言っていたことを思いだす。
義母の献立は、おそらく昔と変わらないのかもしれない。

さて、貧しい時代には庶民には縁のなかったケーキの習慣。

毎回同じような画像で申し訳ない。

スポンジにヨーグルトゼリーを挟んだこれはウチのみんなのお気に入り。
手間がかかっているものね。材料費は日本のそれと比較すると数分の一以下だろう。まず、乳製品の値段が桁違い。
小麦粉も、日本は1キロ200円位するだろう。ここでは約四分の一。生クリームなど、日本では買えなかったわたし。

材料費は低い、と書いた。
だが、料理をするためにはそれなりの設備が必要だ。本当に貧しい人々は満足な調理用具さえ持たないものだ。
フードシェアリングにやってきた女性が「ウチは台所がないので、野菜は持って帰れない」と言っていた。
水周り、コンロ、天火、鍋。ケーキ作りには電動泡だて器は必須だ。なかった頃のケーキ作りの重労働を想像するとため息が出そうだ。

何年か前、親しくしていた近所のドイツ人E子さんはケーキを作る道具を持っていなかった。
旦那さんと子供がいるにもかかわらず、ケーキを家で焼けない環境は凄まじい。
ケーキを買って食べていた様子だった。上の写真のようなケーキは一切れ300円以上する。(パン屋のケーキ)
一切れで満足できるドイツ人だったらいいけれど、ウチなどふたきれ以上を平気で平らげるのが義務だ。
ケーキ作り用具を買えないのではなく、焼く気がなかったのだろうなぁ。そんなドイツ人もいる。







忙しい金曜日の昼食とケーキ。忙しすぎて義母が切ったリンゴはぶ厚くて、焼いてもショリショリしていた。

2018年10月27日 | ケーキ(Kuchen Torte)
金曜日は掃除の日。
良い天気が続いたせいで庭からの収穫物が例年より多いこと、私がフードシェアリングでパンをもらってくることなどで冷凍保存する食材が増えてしまった。
義母はすでに冷凍した今年収穫のベリー類でジュースを作ることにした。そうすれば、冷凍庫の隙間ができてパンの冷凍保存が可能になるからだ。
「ああ、今日は忙しい」義母が嘆いた。

昼食はこれまた豊作だったズッキーニ。ケーキにしたり私が乾物にしたりして消費した結果、あと二本を残すのみとなった。
それを使ったズッキーニ炒め。

ズッキーニを小さく切り、玉ねぎのみじん切り、サラミソーセージ、と一緒に炒め、溶き卵を混ぜて出来上がり。
スープもサラダもなく、これだけ。義両親たちは米飯でなくパンと一緒に食べていた。

食事が終わると義母はケーキを作り始めた。

なんだか荒っぽい切り方のりんごだな。庭のリンゴは虫食いなどで廃棄する部分が多い。

あまりにもぶ厚いので、いつものような色にならず、白いままに焼きあがった。

リンゴをつまんで食べてみると、まだショリショリしていた。
リンゴの下に見えるのはプラム。これが冷凍保存されていたんだ。

最近こうしたケーキを多く焼くのは、収穫物消費のためだ。
生食での消費量では追いつかない。冷凍庫の大きさも限度がある。焼いたりジャムやジュースにするのは非常に手間がかかるので一気にできない。材料を冷凍しておいて少しずつ秋から冬、春にかけてまで作っていく。



ゴミをもらってきた義父

2018年10月27日 | 貧困
義父が親しくしている人からテレビをもらってきた。

もらってきたのは左側だ。まったく映らなくなってしまったので処分してしまおうとしていたところを義父が引き取ったようだ。右側のはウチにもともとあるテレビ。まだ現役で使っている。

右側のは義父と義母のテレビ番組の観たいものが違うときに使うんだ。
サッカーの試合など、義母は全く興味が無いので、サッカーシーズンには義母はこの古いタイプのテレビでドラマを観ている。
さて。
もらいうけてきて約2週間。
まだ直らないようだ。っていうか、この新しいタイプのテレビ、素人が修理って無理じゃあないの?
って口に出して言ってはいけない。
義父には直ろうが直るまいが構わないのだろうと思う。もちろん、使えるようになればラッキーだけれど、作業しているその瞬間が喜びなのだろう。
長くなってきた退職後の生活だ。こうして何か壊れたものを直す挑戦くらいにしか喜びを感じないのだろう。
料理や庭仕事にはあまり興味が無く、ほとんど義務感でやっている。
果実の種取作業などのときは手を動かしながらいつも私に言うんだ。「この仕事はクーリーのものだな」
そんなに辛い作業か?同じことの繰り返しは男性の脳にはきついらしい。それは身体が年をとっても変わらないようだ。
ところが、何かを直すとなると生き生きとするんだ。
なるべく彼を生き生きさせるためには、修繕しなくてはならない課題を次々に与えていくべきだよな、といつも思うのだが、まさかわざと家財道具を破壊するわけにも行かない。

他人の壊れたものを拾ってきてまで直すという可能性があることを知り「これだ!」と思った。
これを読んでくださっているあなた、処分の予定のある故障した物資はウチに届けて欲しい。










靴下も裏返しに使って一向に差し障りないことをどうしていままで受け入れられなかったのだろうか。

2018年10月26日 | 衣類の工夫
乾いた洗濯物を取り込んで、義母はそれらをたたみ、私はアイロンをかけるのが常だ。
私の靴下は裏返して洗濯をしている。表側が変色したり傷んだりするのを防ぐためにそうしている。
また、いつも表側洗濯していると、裏面内部に入り込んでいる埃や皮膚などが永遠に落ちないのではないか、という考えもある。
義母はそのやり方に不満そうだったが、最近は何も言わなくなった。
下は綿100パーセントのウォーキング用ソックスだ。かなりぶ厚く作られている。日本市場に出回っているぶ厚い靴下はそんなことないのだろうが、ここのそれは特に洗濯直後は生地の伸びが悪く、裏返されたものを表にするのが一苦労だ。

私が必死にワイシャツにアイロンをかけている間に義母はわたしの靴下は裏側のまま揃えるだけで仕事を終えていた。

今朝、それを穿こうと思って表に返そうと思ったら、もう、手が痛くなるほど固いので面倒になってそのまま着用してみた。
なんだ。いいじゃないか。全く差し障りない。指先の縫い目が肌に当たらないのが快適かもしれない。
これまでの人生、靴下を裏返しのまま穿くという発想ができなかったのが悔しい。
日本の生活では、かなり難しいのはよくわかる。人前で靴を脱ぐことが多いからだ。
こちらの生活でも、他家を訪問したときに靴を脱がなくてはならないことは普通にある。だが、足元まで気にするような環境にないような印象だ。
先週、某ロックコンサートに行った。会場が開くのを待っている間、数メートル離れて立っていた男性の足元にちょいと和んだ。右と左の靴の色が違うんだ。
形は同じなので、明らかに意識した靴の履き方だろう。あんな感じで靴下裏返しもオッケーってならないかな。無理かな。

これからは堂々、靴下裏返しで使っていこうと思う。表側にするのが面倒なとき、ね。

気遣いが裏目に出たスープ作り

2018年10月26日 | 頑張って食べる
ドイツのスープは塩辛い。外食時のものはもちろん、家庭のスープも大抵塩加減が日本の感覚より多い。
私がスープを一人で作るときのコツはこうだ。
自分でおいしい、と感じた塩加減に、もう少し塩を足す、と。この方法でこの日まで上手く行っていた。

「これでとってもおいしいのに」と自分で思う感覚ではまだ塩は足りないんだ。
こちらに来て数年は、自分の塩加減、で作ったスープに、義母はガンガンと塩を足していたものだ。

家庭によって違うのだろうけれど、一般的にここでは食卓で塩を使うのはタブーのように感じる。
作った人の料理の腕を否定する行為に当たるのだろう。
塩加減などはかなり好みの個人差があると思うので、薄味で作ってそれぞれ食卓で塩を足すのは合理的な方法だと思うのだが。
私がケチャップや酢、醤油などを食卓で使うと義父が非常に嫌がる。最近は嫌がってもガンガン使っているけれどね。
冷凍食品の魚など、すでに味付けされていて他の三人はそのまま食べているが、私は何かもっと足して食べたいんだ。食品業者の味付けを否定するのはよくないって?そこまで他人に気を遣う文化ではないだろう!

さて、写真のスープ。
いつものように、私がおいしいと思う塩加減にし、もったいないけれど、小さじ一杯の塩を足した。
昼食の食卓で、義父は言った。
「なんか、しょっぱくないかい?」
義母がすぐさま否定したのが余計に私を不安にさせた。あれれ?いつものようにやったのになぁ。
あとからもう一度義母が私に「おいしかった」と言ったので、本気で考えた。
次回は試しに薄めに仕上げて、テーブルに塩を置こう、と。

午前中に義母が焼いていたズッキーニケーキ。

今年発見したレシピだ。ズッキーニが豊作で消費するために探していた。
焼きっぱなしで簡単、ズッキーニの水分で焼き上がりがしっとりしていて、他の焼きっぱなしケーキのようにホイップクリームを添える必要もない。
なんてったって、ズッキーニと言う野菜を使っているところが非常に健康的なイメージだ。

いよいよ本格的な多民族国家を目指すのを感じた赤十字。

2018年10月25日 | 歴史
バスの中から見かけた光景がブログ記事に相応しいと思って、次の機会に徒歩でそこまで行った。
バイエルン州赤十字。

その上方にはためく旗がこれ。

たぶん、反対側から見るのが正解、これは裏側。逆光になってしまうのでこのように撮影。

新たに作ったのだろう。
赤十字の赤い十字にキリスト教との深い意味があると認識しているのだろうか。
そうだとしても、すでにこの地で1500年以上影響力のある宗教だ。気を遣って別種宗教も受け入れます、などという強調はしなくてもいいのではないか、と単純に思ってしまう。
このようになった詳しいいきさつをきちんと知らないので、機会があったら聞いてみたいと思う。

一番下の四角はどの宗教のシンボルなのだろうか?ちょいと検索してみたけれど見当たらない。
キリスト教とイスラム教以外のその他の宗教まとめて、って意味かも・・・・
赤十字の目的は「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ってことだから、赤十字だけで他の宗教も包括しているって考え方には・・・無理だろうなぁ、・・・ならないだろうなぁ・・・
多民族国家の苦しいところ、さあ、ドイツの皆さん、頑張ってくれ。
日本も移民が非常に多くなってきていると読んでいる。
日本赤十字社、ドイツの真似をするかな?日本は欧州のまねが好きだから。

金庫番はつらいよ

2018年10月24日 | 奉仕活動
本をたくさん所有していた男性が逝去し、彼の蔵書の処分を頼まれたP夫人(金持ち)が主催した奉仕活動を手伝った。

土曜日朝九時から開催された。
約3000冊の古本が並べられ、一冊ユーロで売った。
紙の書籍なんて、もう売れないだろう、誰も来ないだろうと思ったら大勢の人々で賑わった。

私が担当したのはレジだ。
レジ機ではなく、簡易金庫管理だった。一緒にいたドイツ人A子さんには「ちゃんと見張っているのよ、去年のイベントでは目をはなした隙に、金庫ごと持って行かれてしまったのよ」
それを聴いた私は、緊張してしまい、たった4時間で非常に疲れてしまった。

ドイツ語書籍の販売だから、ドイツ人、またはここで生まれ育った外国籍の人々しか来ないだろう、と客たちを観察した。
東洋人が想像する典型的な欧州人タイプの容貌をしている人は少ない。つまり、長身、金髪、青い目。若いときはそれに近くても、年齢を重ねると髪の色が変わってくることも多いようだ。
付き合いのある20歳代のドイツ人数名も黒い瞳と黒い髪だ。

そんなことを考えながら、手は金庫に置いてぼうっと人々を眺めていたら、知った顔がやってきた。
アフガニスタン人Nだ!
麻薬常習(医療用ではない不法に入手したもの)、ドイツ刑務所暮らし経験、結核罹患、年上に対する無礼な態度などでみんなから警戒されている彼だ。
おもわず、金庫に置かれている手に力が入った。
「やあ、りすさん!元気かい?」
まったく、ここに不釣合いな容貌だ。無難に挨拶を交わし、彼が仲間のSさんを探していることを知った。Sさん(まともなアフガニスタン人)もここを手伝っているんだ。
「まだ、見ていないけれど、そのうち来ると思います」
と、言ったらすぐにNは立ち去った。

6時間の開催だが、緊張で疲れ果て、4時間で帰宅することをA子さんに提案したら快く了解してくれた。
彼女、本当は一人でこのレジを仕切りたかったのだろうな。

帰り際に主催者のP夫人からコーヒーをごちそうになった。
交通費まで自前で支払って手伝ったこの催し物だ。まあ、仕方がない。こうした経験の積み重ねが将来のいいことに繋がると信じておくことにしよう。




広告効果を感じる

2018年10月23日 | 奉仕活動
マクドナルドの広告。
いつもは何気に見るだけなのだけれど、今回は・・・

上方にあるこれに目が留まってね。なんだか食べたくなってきた。

特別にリスが好きなわけではなく、夫が私のちょこちょこ動くさまを「リスのようだ」と表現したところから「りす」を名のるようになった。
それでも、その名を10年使っていると動物でもイラストでもリスが気になるようになるものだ。不思議だ。
マクドナルドのさまざまなキャンペーンは国ごとによって違うのだろう。メニューは似通っているものが多いようだ。
日本ではこのリス、使われているのか?
日本人が好む子供っぽい可愛らしさとはかけ離れているので、使われないかな。
小生意気な表情のこのリス。欲しいな。マクドナルド、行ってみようか。

料理配達サービス業者の宣伝。テレビでも盛んに広告している。
食事は家庭で手作り(時には食材も手作りさ!)で、という主義の義両親には信じられない業務だろうな。

焼きそばだ。
日本在住時にはアメリカ映画でよく見た中華料理テイクアウトの容器だ。

ここに来てからは、街の規模が小さいせいもあり、あまり見なかった。ドイツでも昔からあったのだろうか?
焼きそばも長いこと口にしていない。
欧州日清がインスタント焼きそばを製造販売していて普通のスーパーで手に入るのに、それさえ手に入れる意欲がなくなってしまっている現在だ。
もう、義母の作るものを食べるのに精一杯な食生活。

この広告を見て、再び焼きそばの存在を思い出した。
そうだな、食べようかな。買っておこう、日清焼きそば。




リスのえさを地下室で干している最中だ。

2018年10月22日 | 奉仕活動
洗濯物干し場の片隅に置かれているこの食材。

くるみだ!こうやってしばらく乾燥させたあと、割って中身を取り出す作業が待っている。

クルミと言えばリスだな!
秋の広告にはリスのイラストが多用されるドイツだ。
リスなどの動物だけでなく、ニンゲンにもこうやって食べられているクルミ。これらは近所の人にもらったらしい。以前、ウチにもこの木があったのだけれど、義両親たちは切り倒してしまった。
「切ったり植えたり、両親のやることはわかりません」
と夫が嘆いていた。彼はまったく庭仕事に関心がないのにそうした作業にこんな感想を持つのが不思議だ。

切ったり植えたりすること自体に楽しみを見出しているのだろう。
いいじゃあないか、自由にやってもらえれば。

長期外国生活で変わってくるさまざまな感覚

2018年10月22日 | ひとびと
興味深いコメントをもらった。

行きつけの医院で撮影した男性用小便器を添付した記事についてだ。
これを読んで、はっとした。
私の物事に対する感覚が非常にドイツ化していることだ。
この記事を作成中に、私は便器写真を掲載することについてまったく閲覧に差しさわりがあるという発想がなかったのだ。
全くないのだから、困ったものだ。このようにしてコメントでももらわないと知らずにどんどんトイレ写真を掲載し続けていた。
・・・っていうか、過去にはかなりたくさんのトイレ写真をブログ記事にしているので、このコメントをくださった方は、比較的新しいこのブログ読者とも想像できる。
いらっしゃいませ、りすわ~るどへ!
りすわ~るどには、他のブログにないドイツを紹介しているので(義両親同居ってのがその最大)容赦がないことをときに覚悟してもらおうとお願い申し上げる。

それに対し、こうした意見もあるので、人によって感じ方はさまざまである、と結論できる。

汚いものに関してはドイツ生活、または日本以外の外国生活では慣れが必要だ。
ここに来た当初、あらゆる場所が汚く感じたものだ。神経質なほどに衛生を重視する日本の環境にいると、比較的汚いもの平気だった私にもドイツ生活の初心者時には不衛生極まりなく感じるものばかりだった。

今は状況が変わってきているが、数年前までは大抵のパン屋では店員が手づかみでパンを取って客に渡していた。
もちろん、いちいちその手を消毒している暇などない。現金受け渡しも同じ手で行われていた。
肉屋でもそうだったらしい。それは想像するだけでも凄い光景だぞ。私は肉屋に行かないのでその実際を見たことがない。

ドイツが汚いのは移民・難民が多いからだろう、と思われている方々もいるだろう。
難民を一気に受け入れたのは確か2014年前後だ。それ以前からここに住んでいる私だ。また、夫は5年間の日本生活で、日本の一番気に入っている部分が「衛生的である」という発言をしていることから、日本のきれいぶりは世界一と断言してもいいだろう。

そんな日本からきた私が、今ではすっかり汚いものが平気になり、それを平気で撮影して公開してしまうようになった、と理解していただきたい。
これからはなるべく気をつけて写真掲載に励みたい。

では、さっそく。閲覧注意。
今度は汚いものではない。

公序良俗に反する、とか意見をもらいそうな画像だ。
いや、著作権侵害?
仕事先で何気に置かれていた何枚かの絵葉書の一枚だ。

全裸の男女の後姿なのだが、男性は人によっては性器の一部がはっきり見えているんだ。

不思議なことに、こちらのテレビ放送23時ごろまでは女性の乳房が丸見えの映画やドラマは少ないのだが、男性器丸出しは結構あるんだ。
ベッドシーンでなく、着替えやシャワーのシーンであることが多い。
初めのうちはいちいちびっくりしていた。ここに移住して数年間は夫と一緒にサウナへよく行っていた。混浴なので、ごく普通に、男性器を見てしまうことを鍛えられた。

こんな環境にいると、下の絵葉書など、ほとんど普通にやり取りできるレベルの裸像だ。


右端の子供が、この全体の様子を和ませてくれる。うん、かっこいいねぇ。

前衛的という風にも感じない。
「ちょいとこんな風にしてみよう」って周囲のスタッフに尋ねたら同意を得て、早速脱いで、撮ってみた、という印象さえある。
右上には「ベルリン大改革」という意味のタイトルが書かれたあるぞ。
うふふ、効果的かもしれない。





アジア地域より娯楽の少ないここは何でもイベントになりうる。

2018年10月22日 | 歴史
地元バス会社の名称変更、鉄道網との連携などの事業拡大で市長の挨拶を交えた式典が街中の広場で開かれていた。

日本でも全くないわけではないだろうが、ここでは「そんなことぐらいで」と思うようなテーマに華々しく人々が集まったりする。
4,5年前、近所の中国人音楽家夫婦が自分の生徒たちの発表会を開いたときに私が手伝いに行った。
彼らは私に「ここって、娯楽が少ないから発表会も一族郎党でやってくるんだ」と私に解説したのが印象的だった。

街中を行く通りがかりの人々も立ち止まってしばらく式典を眺めていた。さすがに一族郎党でやってくる、なんて催し物ではなく、関係者とたまたま通りがかった人々によって盛り上がりを演じていた。

私は何か飲料とか小物とかの品を配らないのかな、ってしばらくその場で佇んでいた。
このバス会社はときどき無料布袋を配るんだ。
だが、何もなかった・・・
私も次の約束があるので、途中で切り上げてその場を去った。
もしかしたら、私がいなくなってから何か配られたかな、ってしばらく思考をぐるぐるめぐらせていたせこい私。