怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

東京の風景を「君の名は。」で懐かしむ

2019年02月28日 | 日本
具合の悪かった午後、眠ってしまうと夜に苦しい思いをするので三度目のこれを観ることにした。

ドイツ販売用製品、約20ユーロで購入。
特典映像とかごちゃごちゃした宣伝の紙などが入っていないシンプルなこちらの製品。
1度目は帰省時の機内で、2度目は夫とドイツ語音声で、今回は一人なので遠慮なく日本語音声。

人気のある作品であるだけに、何度見ても飽きない。
私に一番感動させるのは東京のさまざまな光景だ。新宿周辺が一番よくわかる。
西武新宿線新宿駅のあの辺りで友だちを待った思い出とか、南口の正面が長いこと広々としていたのにこの作品では随分建物があることに感心したり。
ここにはない日本の都会独特の雰囲気がよく出ている。街の清潔感も伝わってくるぞ。ここはぁ・・・・汚いと感じることが多いからねぇ。
何と言っても、すでに私の東京に簡単に行けない環境がこの作品で重く認識させられてしまう。そうした自分の状況に泣けてくる。
東京は住むところではないけれど、街歩きには魅力的な飽きない場所だ。世界一楽しい都会、と私はここでドイツ人や在住外国人によく話す。

ネットにはこの作品の「聖地巡礼」記事が山のようにあって、笑ってしまった。
ああ、私も行きたいぞ。「立花瀧」がバイトしていたすてきなカフェは外国人ファンがゾロゾロやって来ているらしいではないか。
数年前の帰省時、用事があって新宿を歩いたとき、観光客らしい外国人がたくさんいたので妙に思ったものだ。
そうか、この作品も日本観光に貢献しているのだな。歌舞伎町まで観光地らしいではないか。昔、真昼間にそこを歩いていたら、スーツ姿の普通のおじさんが酔っ払っていて私に声をかけたという、妙な経験がある。一見、昼間は普通の繁華街なのだけれど、この体験で「やっぱ、ちょいと警戒」と思ったものだ。外国人観光客がたくさんいる今も、こんな変なおじさんが出没するのだろうか。ああ、行ってみたい~



疲労困憊

2019年02月27日 | 健康
バス停の脇にあるゴミ箱。いつものように覗き込んでみた。

あれ?底が明るい?

明るいんじゃあなくて、底蓋が外れていたんだ。

下のほうには気づかずに入れられたと思われるゴミが少々散乱していた。
清掃の人たちが、誤ってきちんと閉めなかったのだろうな。どのような仕組みになっているのか、下から覗き込んで撮影してみたかったが、ま、人目を少々気にする私なので、止めておいた・・・

こうした公共ゴミ箱にはビニール袋が設置されていて、それを交換する仕組みのものもあるが、これはビニール袋抜きゴミ箱だ。
清掃業者の人たちも大変だろうな。

昔、シンガポールを旅行したとき、そこのゴミ箱の形状がここと同じだったことを記憶している。
あの国は欧州の真似をしている部分があるのだな、と思ったものだ。
年中暖かいあの国、ゴミ箱を頻繁に掃除しないと、いろいろなものが沸いてくるだろうな。この形状のゴミ箱だと清掃しにくいのではなかろうか。

昨日、19時の約束で知人宅を訪問した。
そこで二時間ほど過ごした。
バスに乗ろうとしたら、すでに深夜バスの運行時間になっていて、あと二時間待たないとこない・・・まったく、田舎街は公共交通機関も田舎仕様で本当に不便だ。
仕方がないので、ウチまで行くバスがあるバスターミナルまで歩くことにした。
その距離、約5,6キロだったと思う。
日頃、バス代節約や健康増進のため、週に数度往復8キロを徒歩で歩くようにしている私だ。
最近ではだいぶ長距離歩行に慣れていたので、その夜の大行進はまったく差し障りなくできた。
・・・・と思っていたら、一夜明けた今日、どうも調子が悪い。

最近集中的に練習している射撃ゲームの結果がおとといよりひどく悪いんだ。朝っぱらから射撃ゲームしている、私も私だが、あまりのへたくそさ加減を克服するため、朝に30分、夜に30分の練習をすることに決めているんだ。
おっかしいな、おとといはあれだけ上達を感じたのに。
数時間すると、なんだかひどくだるいことに気づいた。
お。もしかして、昨日の夜のよく知らない土地での歩行が原因か、と気づいた。
義母には夜中にそんなところを歩いた、とがみがみ言われてしまった。夜中って・・・義母に21時は夜中なのかい・・・・

今日は外出の予定はないので、りす部屋にこもることにする。
義母の料理の手伝いも、地下室に干された洗濯物の取り込み、アイロン掛けも無視だなっ
だるさ爆発、たまにはゆっくりさせてくれ~















息子を思うあまりなのか、数十ミリリットルの違いに反応する義母っ

2019年02月26日 | 風景
夫は毎日深夜に帰宅する。遅い食事は胃に負担がかかるので、彼はいつもカスタードクリームのようなものを食べる。
午後5時を過ぎると、義母はそわそわして「りすが作りますか?」と尋ねてくる。
家にいるときは私が作るようにしている。だが。

牛乳500ミリリットルを目分量で鍋に入れて煮立てるとき、その量を間違えると、このようにどんぶりにいっぱいにならない。
義母はこれが気に入らない。
おい。
おそらく、数十mlの違いでしかないだろう。そのわずかな違いにいちいち言われるのがいやで、この仕上がったどんぶりに牛乳を入れてかき混ぜようか、と思った。
いや、それでは夫が不味いものを食べることになるのでそれは避けよう。
早いところフタをして、義母の目に入らないようにしなくては。冷めてからフタをしないと、夫が開ける頃には水滴だらけになって不味くなるな・・・
しばらくしてから台所に戻ろう、と思ってりす部屋に逃げた。

ちなみにこのどんぶりは近所のモンゴル人にもらったチンギスハーンイラスト入りだ。
なんだか強くなれそうなどんぶりじゃあないか。

りす部屋に逃げてから、だいぶ時間が過ぎてしまい、おそらく義母はこの少し量の足りないどんぶりを見てしまっただろう。
今、階下に行くと、また言われてしまうだろうと予想し、そのままりす部屋に引きこもっておくことにした。

ああ、同居、悲しい・・・

ここの人生、悪いことばかりではない。
街中の公園でリスを見かけた。ウチ周辺ではリスたちは警戒心が強く、なかなか撮影するまでに至らない。街中にはリスの天敵が少ないらしく、ヒトを見たくらいでは動じない様子だ。
すぐに携帯電話を取り出し、連続して撮影したものの一つがとても気に入ったので公開。

リス、ジャーンプッ!!

木の上から私を観察するリス。
このリスは全身真っ黒だ。夏場にもよくこの黒リスを見かける。
そういえば夫に「黒い服が似合う」と言われたな。あ、私のことだ。
そうか、黒リスが好きなのね、と妙に納得。






義母クッキーレシピ

2019年02月25日 | 頑張って食べる
レシピ公開しろ、とメッセージやコメントをいただいてからすでに数ヶ月が経過しただろうか。
一言で言えば、面倒なので伸ばし伸ばしにしてしまった。
義母に尋ねたら古い彼女の料理本を何冊か広げて私に見せた。Albertkeks、という名前だそう。
日本語のレシピサイトがないものか、とカタカナで入力してみたけれど見つからない。
では、ドイツ語のサイトを紹介しておこう。
CHEFKOCH
Kochbar
さまざまなやり方、材料があるが、基本は粉と砂糖と油脂の組み合わせだ。はっきり言って、日本で普通に得られるクッキーレシピとあまり変わりがないのではないかとも思う。
ただ、材料の質が違うとは思う。
ここの普段使いの小麦粉は、日本の普段使いにされている薄力粉よりグルテン含有量が多いと聞いている。
中力粉に近いものらしい。確かに、ピザ生地などもクッキーやケーキを作る粉で焼いても全く差し障りない。
また、製粉の質が違うようで、粉を触っていると、こちらのは顆粒状に近い感触がする。帰省時に日本の小麦粉を触ると、まったく粉、である。
こうした違いで、ドイツの味を出そうと思っても違ってくるのは当然かもしれない。

また、食べる場所でも味は変わってくるのは経験している。
マレーシア・シンガポールなどの料理を、日本やドイツで食べても全くおいしく感じないんだ。
この経験から、現地食は現地で食べるしかない、とも思っている。
・・・・とはいえ、クッキーなど世界的に普通に食べられているお菓子だものね。
日本のクッキーレシピも普通においしいと思うのだけれど。

さて、以下は義母が使っている材料分量だ。
バター、またはマーガリン(バターのほうが絶対おいしい)125~150グラム
砂糖 250グラム(義母は半分に抑えているらしい)
卵 4個
生クリーム 大さじ2(義母は使っていないと思う)
小麦粉 600~700グラム (このテキトーなレシピ、いったい、何?)
ベーキングパウダー 大さじ2

日本のレシピはその量の少なさに泣けてくる。
こちらはいっぺんにドーンと作る。まあ、胃袋の大きさが違うから仕方がない。
ドイツ人が日本に住むと、あまりの食費の高さに困るのではないかと思うくらいだ。

上の材料を適当に混ぜて(これもそれぞれのやり方があるだろう)しばらく寝かせて型を取って焼く。

こんな感じでいいだろうか。
ちゃんと書こうと思うとさらに先に伸びてしまい、結局書かないだろう。

過酷な人生、今日も始まった。まずは夫の朝食作りから。

下に敷いた紙が汚いのは、ウチでは繰り返し使うためだ。
初めの頃は驚いたけれど、数年もすると、一度使って捨てる人を非難したくなるから不思議なものだ。
クッキーを焼くときも、一度に数回使うのならその紙をそのまま使ってみて欲しい。
ウチのように、数週間も同じ紙を使うのは、いくらなんでも日本の生活では無理だろうな。簡単に昆虫集めができてしまう。





バスに犬がそのまま乗ることが可能なのは人々の衛生観念がかなりテキトーだからということを知ってほしい。

2019年02月24日 | 動物
バスの中でよく見る光景。
犬連れ。

ヒト用Tシャツを着せられ、太いベルトで止めている。なんだかお洒落じゃあないところがドイツっぽいかも。
この犬、バスに乗るのが慣れていないのか、嫌いなのかおどおどしていてしっぽもおもいっきり下がったままだった。
ドアに近づくと、何度も飼い主の顔を見上げて「まだなの?まだなの?」って表情で見つめていた。

おっと、私はちゃんと膝をつけて座るべきだったな。ついつい撮影に夢中になってしまっていた。隣には誰も座っていなかったし、不自然なほど大股開きでもなかっただろうから許してくれ。
動物好きの日本人には、公共交通機関に普通に犬連れで乗ることができるのはうらやましいだろう。
わたしも動物は嫌いではないので、ほぼ好感を持って見つめている。
だが、飼い主によっては座席に座らせたりすることがある。衛生観念はドイツ並みに下降した私にもそれは耐えられない。
土足で座席に座り、パンツも穿いていないそのお尻はさっきトイレしたのかもしれないんだぞ。
毛は多少なりとも抜けて、座席にくっつくだろう。
その犬が座ったあとに、積極的に座りたいとは思わない私。
飼い主にはまったく清潔な自分の犬も、他人にはそうじゃあないことはわからないだろう。

衛生観念の違いは犬のバス乗車許可に影響する。神経質な日本では籠などに入れるなどをしないと絶対に許されることはないだろう。

ドイツではやたらに仮装の機会がある印象だ。

もうすぐやってくる謝肉祭。
そのための仮装服が売られている。興味はあるので毎年その売り場で手にとってみるのだけれど、質は非常に悪くて一度着て終わりを前提としているのだろう。
有名な各地のカーニバルパレードは伝統を感じさせる本格的な仮装を鑑賞できるようだが、私にはそれをテレビで観るしかない。
地元のカーニバルはしょぼい。しょぼくても、みな、乗っているけれどねぇ。普段娯楽の少ないドイツには貴重な機会なのだろう。

さて、この謝肉祭は大抵2月中になるのだが今年は3月だ。
このことを義母にちらりというと「そんなことありません、いつもと同じ時期です」と答えた。
はあぁ、また、いつもの否定から入る会話かよっ、とがっかりした。
時期がずれるといっても数週間の違いだ。それはほぼ「同時期」と思っているのかもしれない。ま、それもアリだろう。
先日ネット記事で若者の意見を否定するようになったらジジババの仲間入り、という内容のものを読んだ。
書いた人物は格闘技家でまだ30歳代半ばだけれど、そういう体力が重要な世界では高齢者カテゴリーになるのだろう。
自分より年下の人々が意見することを否定するという経験は、誰しもあると思う。
世の中の流れはすでにその年下の人々が言うことに流れているのに、だ。私は20歳代の頃からそれに気づいていたので、自分がそうならないように充分気をつけている。
自分が気をつけていても、周囲は全然気をつけないのは当然だ。
それが、同居の家族ってなると、もう、凄まじい。
いちいち反論していたら、毎日口バトルっ。
はいはい、おっしゃるとおりです、と引き下がる技術が若者、あるいは会話相手より年下のものたちには必要である。
















寿司はすでに普及しきった模様

2019年02月23日 | 奉仕活動
ジャンキードイツ人B子さんの愛猫パバーニちゃんは、私が持参していた布袋に執着していた。
何か怪しい香りでもするのだろうか。他のかばんを持っているときも、熱心に匂いを嗅ぐ。
ニンゲンにはわからない猫たちの行動。ま、それがかわいいのだろうけど。

なんだかんだここでB子さんのちょいと面倒な部分を書いているけれど、それ以外の彼女の魅力と彼女の住まいが街中で訪問し易い場所にあることで、交流は続いている。
夫や義母はB子さんと直接逢ったことはないが、すでにもう彼らの要注意人物リストに入れられているのは確かだ。
まあ、仕方がない。医療目的の摂取とはいえ、ジャンキーカテゴリーに入ってしまうB子さんだもの。

スーパーのアジア食材特売広告に、巻き寿司の作り方が印刷されていた。

以前は乞われていろいろな家庭で巻き寿司講習をしたものだ。最近はまったく声がかからないので、すでに興味のある人々には普及しきった、と考えられる。
広告にこうして写真入り解説が載ることが普通になったり、かなり怪しい日本食特集雑誌が出たりしている。ラーメンと称してどう見てもそうめんが使われている写真が掲載されているらしい。
ここ数年、日本ブームは顕著で、日本産日本人の私としてはもちろんうれしいが、いったいどういうことか、というちょいとした疑問があるのも確かだ。

義母に喧嘩を仕掛ける私

2019年02月22日 | 義母
18年ほど前に実家近所で夫(当時は婚姻関係はなかったが)に買ってもらった車輪付きかばん。

ここでもみっともないくらい古臭いデザインだけれど、愛用していた。
ついに、ファスナーの部分が壊れてしまい、ある日、気づかずに閉まっていない部分から中身が落ちてしまっていた。
20年近く使っているのだから、充分元を取っている。このまま思い切って処分しよう。
と、思っていたのに、なぜか義母にこの壊れたファスナー部分について話してしまった。

もちろん、何でも捨てない主義の義母は大反対。
「ファスナー修理は何十ユーロもかかるから無理ね」と、一度は納得していたものの、あれこれ細部を調べているうちに二つあるファスナーのスライダーの片方がまだエレメントをかみ合わせることを発見した。
「りす、こちらのスライダーを使えばいいではないですか」
お。来たぞ。
私は戦闘態勢に入った。
「うちでそうやってゆっくり作業するには差し障りありません。外で急いでいるときに、ひとつだけで大きく開け閉めするのは面倒です」
実際、これはウソではない。二つのスライダーは便利である。
開けたい部分を途中に作り、そこに長いものを刺すようにして入れて持ち歩くこともできる。一つだけだと、スライダーをかばんの下のほうまで動かさなくてはならないのは非常に面倒だ。

義母はもちろん応戦する。
「そんなことわかっていますが、でも、ちゃんと使えます」
りす「では、お義母さんが使ってくださいよ」
義母「私は必要ありません」

こうして、果てしないバトルが続くので、私は途中でトイレへ退散した。

義母に黙って捨てればいいものを、私はなぜか義母に報告することがおかしい。
私の潜在意識には義母と口論したいという欲求があるのだろうか、と考えに至ったとき苦笑した。

義父と義母はほとんど毎回昼食時に小さなバトルをする。
義母「この残り、食べなさい」
義父「後で食べるから」
義母「あとじゃあダメです」
同じ会話がほとんど毎日繰り広げられるのだぞ。頭おかしいのではないか、とも思える。

このファスナーバトルで気づいた。
これは日常の儀式のひとつなんだ。こうやって家族としての絆が深まるのではないか、と。
本気の憎しみ口論とは違う日常のちょいとした争いは、普通の会話の延長なのだろう。会話のない人間関係を続けるのは難しい。
ちょいとけんか腰の会話でも、交流することにヒトとしての成長があるのではないかと思える。

写真のかばん、椅子の上に置かれているのが気になる。
義母がそのように置いたんだ。
日本の日本人だったら、まずやらないだろう。車輪がついていて、外を散々転がしてきたものだ。
帰宅するたびに車輪を拭いたり消毒したりしない。(以前、私はそうしていたが、ここでの生活が長くなるにつれどうでもよくなった)
外を歩いた靴のような状態のかばんを日常的に座る椅子に置くなんて・・・
まだまだドイツ人と日本人の同居は難しい、とこのかばんで数秒腕を組んだ私。



















同居する家族はそういうもの、という理解と諦め

2019年02月21日 | 家族
義父のここ数ヶ月の変化で、ちょいと気になることがある。
食事をすするように食べるようになったんだ。日本で麺類を食べるような音がするんだ。
以前はまったくそのようなことがなかったので、老化でそのような食べ方になっていっているのだろう。

欧州人との生活で楽な部分のひとつは、同席する人々の食べ方が不快でないことだ。
身体を前のめりにしなくてもいい高さに置かれた皿から、ナイフ・フォーク・スプーンで料理を口に運ぶ方法は比較的見た目を美しく保てる方法だと思う。
日本の食卓マナーはかなり意識をしないと、あまり様にならない。
ここでも中国人たちと食事をすると、あっと驚くやり方で食べてくれるので、どきどきしてしまう。
夫の箸の使い方がちょいと危なっかしいけれど、成人してから身につけた箸使いだ。仕方がない。

義父が次第に衰えていっているのは、我々家族が静かに見守らなければならない。
「お義父さん、その吸い込むような音をさせないでください」
などと言ってはいけない。
だけど、気になって仕方がない私。いや、義母だって、夫だって気になっているだろう。
でも、だれもそれを義父に指摘しないのは、みな、老齢による仕方がないものだと認めているからだろう。

義父がこの状態で家族以外と食事を共にすれば、多少周囲を不快にさせるかもしれない。
ただ、家族以外もやはり高齢であることを気遣って、気づかないフリをしてくれる人がほとんどだろうと予想する。
若者がすするように食べたら、すぐに親やきょうだいに言われちゃうだろうな。

食事の仕方に老化を発見したのは、ちょいと私も驚きだ。
いろいろなところに衰えが出るものだな。義父が衰えないのはそのおしゃべり振りで、私も夫も彼に捕まって長々と説教されないように気をつけている。
食べ方が少々変化しただけで、生活能力のほとんどは彼の同世代より長けていることを喜ばなくてはならない。


紅茶のスパイスを買いに行ったトルコスーパーでもらった日めくりカレンダー。
もしかしたら、先月辺りまでは販売されていたのかもしれない。
トルコ語で書かれているし、紙質も製本の質もひどく悪いのでトルコ国内市場向けと思った。
よく見ると、ドイツ各地の都市の名前が印刷されている。あれ?ドイツ国内に住むトルコ人向けの品だ。
場所によって日の出、日没の時間が違うから、それによってかわってくる祈祷の時間が細かく印刷されていると理解した。
ドイツに住むトルコ人の多さを実感できるカレンダーだ。
ドイツ語がほとんど書かれていないので、日付くらいしか判別できない。二月は「SUBAT」なのだろうか。

街を歩けば、周囲の人々が交わす会話は体感90パーセントがドイツ語以外の言語だ。
トルコ語のドイツお祈り時間入りカレンダーの存在くらい、普通のことだろうなぁ。
















義両親たちはケーキを持って病気見舞いに出かけた。

2019年02月20日 | ケーキ(Kuchen Torte)
日中は非常に天気のいいウチ周辺だ。気温も日中は高い。地球が暖まっているという説は正しいのだろう、と私でさえ思ってしまうこの頃だ。

とはいえ、池の水はずっと凍りっぱなしだ。北国の冬を侮ってはいけない。

義母はまた、ケーキを焼いていた。いや、一日おきに焼いているので「また」とか書く必要はないかもしれない。

自家製さくらんぼがたくさん冷凍されているので、どんどん使わなくてはいけない。

焼きあがった裏面。

表に返して粉砂糖を降って出来上がり。

ふたきれ分空いているのは、義両親たちがこれから病気見舞いに持って行くためだ。
彼らの友人が脳溢血で倒れてすでにひと月を過ぎた。病状はよくなく、義両親たちも彼女の話題になると暗くなる。
食事の制限が無いのだろう、いつも手作りケーキを持って行っている。ドイツ人には欠かせない午後のケーキだ。
ある病室に「ケーキとコーヒー、たったの5ユーロ」と広告が貼られていたのを思い出す。

「りすも来るか?」
と義父に誘われた。私が部屋で閉じこもっているので、外出の機会を与えようという気遣いなのだろう。
私自身は部屋でさまざまな細かい用事を片付けていて忙しいのを彼は知らない。
丁重に断って、彼らが玄関のドアを閉めたのを確認し、下の動画を大音量で流した。

CDを持っていないので、タブレットで聞いているこの曲。
盛大にロマンチックなこの作品、ティーンエイジャーの頃から繰り返し聞いていたものだ。



営業時間は曜日によってさまざま

2019年02月19日 | いろいろ
これはウチの集落の図書館の開館時間案内。

月曜日から金曜日まで、というだけでも日本の人たちには驚きだろう。
週末は休める公務員。
曜日によって午前中だったり午後しか開いていない。
ここの図書館だけでなく、私の知る限り役所や銀行も曜日によって開館時間が違う。
ドイツ生活の始まりから数年はこのやり方に非常に腹がたったものだ。いちいち曜日を確認して、行きたい時間に開いているか調べなくてはならないことにだ。
いまじゃあ、すっかり慣れてしまい、開いていなければそれで仕方がないと思えるようになってしまった。

なにしろ、命にかかわることでなければ、どうにでもなるという気分になって来るドイツ生活。
ただし、例えば図書館の書籍等の返却が一日遅れると延滞料金が発生したりするので、その点は気をつけないといけない。これでさえ、命にはかかわる問題ではなく、余計な金を取られるだけの話だ、と許せるようになるのが恐ろしい。

今朝、夫の朝食を作っていると、義母がやって来て言った。
「まあ、遠方への出張の直後なのに、またこんなに早く出かけるの?」
と、私に尋ねた。
仕事ってのはそういうものじゃあないか、と言ってみたかった。
「わたしは全くわかりません」とだけ答えておいた。
義母の発言は単なる挨拶程度の気軽な問いかけだろうが、多少なりともイラつかせる。
彼女だって、子供のたちの手が離れて、彼らの教育費にお金がかかるようになってから会社員として勤務した経験がある。その時の記憶はすっかり彼方に行ってしまったのだろうか。
いや、これは私の問題だ。
義母の話題を上手に交わしてお互いいい気分にしなければならない。
ドイツ語力の前の問題だな。
ハードル高いが、日々精進を決意している私には重要な課題だ。






暖かい週末にはウチでDVD鑑賞

2019年02月18日 | 気候
今朝8時ごろの外気温。

雪はまだ残っている。

だが、天気がいいので日光が当たっている場所は暖かい。

その証拠は近所の買い猫たちがわらわらと散歩していることだ。

「おーい、にゃんにゃーん!」
と日本語で話しかけると、やってくる姿がかわいい。

夫と観るために買ったDVD。

夫は、あるいはドイツの一般成人はあまりこうしたアニメーション作品に興味を持たない傾向にある。
お隣、フランスは好まれているらしいのに、どうしてだろう。
もっとも、ドイツでもティーンエイジャーを中心とする若い人たちにはこの作品は非常に人気があるようだ。
2,3年ほど前の帰省時に新宿で、韓国か中国からの若い女性たちが映画館の前でアニメ作品の看板を背に楽しそうに記念撮影をしていた光景を見た。新宿に観光客がたくさんいるが不思議に思えたものだ。

ここの映画館一般では、外国映画はほとんどすべてドイツ語に吹き替えて公開されている。
ドイツ語は一つ一つの単語が長く、文法的にも英語より多くの語を使って表現されるので、字幕にすると上手く画面に収まらないからかもしれない。
または、ここは読み書きができないドイツ生まれのドイツ人やその他外国人の子弟が多いらしい。
日本が特別に、文字表現が好きな国であることはここでの観察でもわかる。

だが、日本のアニメ好きの若者に尋ねると「原語で聞いて、字幕を読みます」という答えが返ってくる。
多くの日本の洋画ファンが、俳優たちの声や彼らの原語を楽しむと同様、ここの若者たちも日本語の響きを鑑賞しているらしい。
そうやって、日本語が世界中に普及していくのだろうな。

夫はこのパッケージの絵をちらりと見て、あまり興味を持ってくれていない様子。
ああ、やっぱり、ムダだったか。
ま、いいか、私が一人で何度も見ようっと。ドイツ語吹き替えだったらドイツ語の勉強にもなるだろうし。









金持ちとハイチ人は魅力的。

2019年02月17日 | ドイツ在住難民・移民
数ヶ月前からの付き合いがあるハイチ人B雄さん。
ここでネグロイドの人々と多く知り合った。一番多いのはエチオピア人だ。美女が多いというエチオピア人は、地理・歴史的な関係上、アラブ人との混血でその見た目の美しさが形成されたそうな。
背丈はそんなに高くなく、日本人の我々と一緒にいても圧迫感がないのが更に好印象だ。
ハイチ人と知り合ったのは人生で初めてだ。

左がそのB雄さん。右はこの撮影場所の建築物持ち主の金持ちP夫人。
Pさんはドイツの金持ちによくあるとされている、いつも笑顔で上機嫌な人だ。
私たちは彼女に雇われているわけではないが、彼女が来ると自然に敬意を表現したくなるのだから不思議でもある。
B雄さんはドイツ滞在暦4年の学生だ。
この日は学校での成績が良かったことなどをP夫人と嬉しそうに語り合っていた。
流暢なドイツ語、私には手ごわいウクライナ人難民G子との会話も上手に交わすB雄さんだ。
この写真では伝わらないが、彼は非常にお洒落だ。ただ、香水使いすぎで、近づくと頭がくらくらしそうになるのが難点だ。
そういう人物(特に男性)に限って、抱擁挨拶を好むのだからたまらない。いや、それがやりたいがために、香水をまとう工夫をしているのかな。
見た目だけでなく、人柄でも好感度抜群の彼だ。もしかしたらハイチ人はみなB雄さんのような傾向なのだろうか。
例の日本国籍ネグロイド女子テニス選手のお母さんが、このB雄さんのような魅力を醸すハイチ人(ハイチ出身)男性に魅せられたのもよく理解できる。

外に出ると、さまざまな難問・不調をかかえた人物たちと渡りあわなくてはならない昨今の私だ。
いや、そうではなくて、この二人のような一緒にいるだけでほっとする人々のほうが多いのが事実なのだろう。
どうしても、心地よくない人物や物事の方が印象に残ってしまうものだ。
何かあれば、この二人のような人物を思い出し、外出して人と接することを億劫に思わないようにしなくてはならない。

義両親たちのいいところだって、たくさん理解しているさ!
ケーキ作りが大好き、という趣味は最高ではないか。
だが、その彼女、自分で焼いたケーキの食べすぎで体調不良だ。昼食さえまともに食べられずに苦しんでいた、あはははは。
ちょいとざまあみろ、と思ってしまった悪いヨメ。
ケーキは週に1度で充分さ、お義母さん・・・・

















引きこもりたくてもできない環境で生きる

2019年02月16日 | 奉仕活動
ウチの裏側に広がる野原。
道路造成工事がいよいよ始まった。

閉めきっている冬場なので、エンジンや作業の雑音は聞こえないと予想していた。
甘かった。うるさい・・・

静寂を好む近隣ドイツ人たちにはしばらく苦難の日々が続くだろう。
いや、この田舎もドイツ人率は次第に低くなっている。たいして気にしない人々が増えているかもしれないぞ。

医師をしている実家近所の友人は、毎日ものすごく忙しく働いている。
彼女がドイツの勤務医がどのような条件で働いているか知りたいとのことで、いつも顔を合わせている外科医のS子さんに話を聞くことにした。
普段は、仕事の話などS子さんに尋ねるのは無礼なことだと遠慮していた。今回は古くからの友人のたっての願いという理由がついたので、堂々と聞くことにした。
驚いたことに、S子さんは嬉しそうに自分の仕事について話してくれた。
そうか。
誰しも自分に興味を持ってくれるのは嬉しいものだ。ヒトが他の地球上の生き物と違うのは、他者との関係が非常に重要であることだ。
その原則を忘れかけていた今回のできごとだった。
しかし、何せ、S子さん、早口で話すので、私の聞き取り集中力がなくなり困った。ま、いいか。
わかったところまで、実家近所の友達に報告することにしよう。

ちなみに、S子さんの場合、パートタイム勤務なので他のフルタイム医師より時間がある。
だから、私と出会って会話をする余裕があるのだ。
二人のティーンエイジャー男児の母親でもある。近所に彼女のお母さんが住んでいるが、彼女の家事などの援助は一切なくやっているらしい。
地元大企業に勤務する(医師ではない)旦那さんが主な稼ぎ手なので、パートタイム勤務でいいのかもしれない。
女性の外科医は数が少ないのではないか、と予想していて尋ねた。確かにそうらしい。

あれこれ雑談していたら、在独3年のウクライナからの難民G子さんがやってきた。
最近は慣れたが、やってくると彼女の押しの強いものの言い方に毎回辟易させられる。
「どこかに仕事、ないかしら!?」
難民にもいろいろな立場があるらしく、彼女は職業安定所に登録ができない身分らしい。狭い住居と食事は手供されるが、月間50ユーロほどしか支給されないとか。
9歳の息子を抱える身としては、いくらなんでもここでの将来はない。
そばにいた医師のS子さんにも迫っていた。
「介護士とか、食堂の手伝いとか、掃除とか、そういうのなんでもいいからないかしら?」
おいおい、医師に尋ねたってそんなことわからないぞ・・・と思っていたら、S子さんは自分の知る範囲で彼女に答えようと努力していた。
ネットで自分の勤務先とここの総合病院のサイトを開き、そこでのスタッフ募集状況をG子に説明していた。

G子さんとバス乗り場に向かう道中、彼女はずっと私に嘆いていた。
「どうしたらいいのかしら、応募は郵送か持って行けばいいのか」
普通、ネットで応募するだろ、とむっとしながら思った。
あまりの彼女の高圧的でしつこいものの言い方に「私に尋ねたって、わからないものはわからないのよ!」
と、いつものとおり、ここで身につけた語気荒げた物言いで返してしまった。
すると彼女は「単に聴いてもらっただけよ・・・」と言ったのではっとした。
そうさ、女の会話はときに解決方法を見出すためでなく、単に聞いてもらいたいだけのことも多いんだった!
ああ、ゴメンよ、日本で生まれ育つと、あなたのようなものの言い方の人々になかなか冷静でいられないんだ・・・
と心中で謝った。(実際に声に出して謝るべきだったかも)

G子親子と別れたあと、台湾人W子宅に向かった。
ドイツ人K子さんに預かったW子さんの毛筆を返すためだ。K子さんよ、私と彼女は近所に住んでいるわけでも頻繁に行き来があるわけでもないのに、どうして私に頼むんだ・・・と思いながら。
W子さん一家がドイツ風の簡単な夕食を摂っているところだったので、私もパンにチーズを載せたものをごちそうになりながら会話した。
「去年手術したI子さんは来月もう一度手術になるそうです」
まだ30歳のI子さんは、余命4,5年と宣告されているらしい。
これを聞かされて、参った・・・・
特にI子さんと親しくしているわけではないが、こうした悲報は気分を落ち込ませる。

他人と接すると、気分がいいことばかりではないということを改めて認識させられた午後だった。
嫌な思いをしたくないのなら、家にこもっていたほうがいい。
同居の私には完全に他人とのかかわりを断つことはできない。むしろ、ウチでストレスが高まるので外出をしなくてはならない。
今日も、義父があれこれ言うので前から言ってみたかったこの一言を言った。
「この食事は、私の食文化にはないものですから」
ソーセージを焼いたときに出る油に、パンを浸して食べている義両親。私が真似すると、きっと消化不良で苦しむだろうから遠慮している。
それが気に入らない義父だ。

外でも、ウチでも、他人との接触は自分の成長の材料だと認識しながらの毎日だ。
ああ、でも時にはつらいことがあるさ。
G子さんよ、早く仕事に就けるように!I子さん、少しでも希望の見える日々になるように!
義父よ、ヨメが何を食べてもあまり言わないでくれ・・・






































ゴミ箱の中を撮影するのはちょいと勇気が要るので、これは貴重な画像だぞぉ

2019年02月15日 | 頑張って食べる
今までも、無造作に捨てられているまだ食べられそうな画像を公開してきた。
バスを待っている間に覗くゴミ箱。換金できるペットボトルやまだ食べられそうなパンが入っていることが多いんだ。
今回も、半分残したものとまるまるそのまま捨てられているパンを発見。
義両親たちには信じられない光景だろうな。私も彼らに影響されて、こうしたパンが気になって仕方がないんだ。
拾い上げて、小さくちぎってその辺に撒いておけば、野鳥のためになる、とも考えてしまう。もっとも、去年の夏以来、私はひどいドバト嫌いになってしまったので、鳥援助活動は遠慮するようになってしまったものだが。
仕方がない。食べ物をすべてヒトの胃の中に納めるのは非常に難しい。廃棄されるもののあることを認めるほうが気が楽だ。

夫は数日の出張旅行中。
飛行機で行く予定だったのに、ストライキでダメになった。久々の長距離運転、大丈夫かと心配だった。
無事、到着して送られて来た写真だ。
一度出したのだが、残念ながら、彼からの画像掲載禁止命令がでたので、削除させてもらった。
その代わりにこちらの画像。

義両親たちはパンをまとめ買いしてそれを切ったときにでるパンくずを集めてこのように置いておく。
もちろん、食べるために。わずかな残りも無駄にしないこの精神。

夫がいないことで、夜中に話しかけられるための浅い睡眠、朝食作りなどから数日解放される。
本当は義両親たちが数週間旅行してもらったほうが、もっとくつろげるのだけれどねぇ。
もう、今後の人生、それも望めない様子。





狂人を相手にしなくてはならないこともあるドイツ生活?

2019年02月14日 | 健康
「来週火曜日は私の誕生日よ」
こう言われて、彼女に何もお祝いしないのは心苦しい。
多くの成人ドイツ人、在住外国人も自分自身の誕生日会をするのが好きだ。
B子さんも予定するのかな、とちらりとうっとしくなってしまった。B子さんは身体の痛みを止めるために医師から処方された麻薬を常用している。
その麻薬のせいなのか、もともとそういう性格なのか、一緒にいて難しく感じることが多い。
嫌な気分になることはまれなのだが、だんだん落ち込んでくるんだ。
また、かなり強気で物を頼む。これは薬のせいではなく健康なドイツ人もそうだな。
二週間ほど前には、薬が切れたとかで、ウチの近所の医者に処方箋を取りに行けと電話が来た。その医院はあと30分しか開いていない、自分の住まいから遠いので、是非行ってくれ、としつこく頼まれた。
以前、彼女のためにその医者まで処方箋(単なる紙切れ)を取りに行くとき、難儀したのを思い出した。
義母が「近所の人に見られたらどうするんですか」などという突拍子もないことを言い出したんだ。
私が麻薬中毒者と思われることを恐れたらしい・・・おいおい・・・私が持ち帰る処方箋の内容がまたたくまに近所中に広まるって、それは100年くらいまではありうるかもしれないが、今じゃあ私の存在さえこの集落で知られていないのだぞ?
そのように再び説得するのが面倒なので、私はB子さんにきちんと断った。
「今、昼食の準備を手伝っているので無理です」
B子さんとしては、私と私の義両親の昼食のために自分の痛み止め薬が犠牲になるのは不思議でならなかっただろう。
「じゃ、いいわっ」
と、怒ったように急に電話が切れた。
日本だったら、これ以降の人間関係は難しくなるだろうが、ここでは案じなくてよろしい。
私は数日後に彼女を訪問して、この件に関してまったく触れずに親しく語り合うことができたんだ。

その時の訪問では薬物離脱療法の入院先でのできごとを事細かに話して聞かせてくれた。
話の内容の半分はわからなかったのに、ひどく落ち込んでしまった。
同室の20歳代の女性が以下にひどい状態だったかを長々と聞いているうちに、耐えられなくなってきた。
その様子を察したB子さんは言った。
「もう、この話止めたほうがいい?」
B子さんは自分のことばかり考えて、他人の様子を観察していないと思っていた。意外な気遣いにほっとした。
もちろん、すぐに止めてもらった。

彼女に贈った手作りぞうり。

ひどく喜んでくれた。
日本の知人からの頂き物で、私にはサイズが大きすぎた。
無事に利用してもらってなによりだ。

あと数年で還暦のB子さん。
ふとした表情で、以前の若くて健康な頃の美しさを想像できる容貌だ。
適度な運動や手入れで、まだまだどうにでもきれいになれる素地があるのに、病気のせいか、その治療薬のせいなのか、どうにもこうにもだらしがない・・・・

だらしがないといえば、彼女の言い出す私との約束など、ほぼ100パーセント達成されていないな。
去年の今頃は「一緒にロンドンへ行こう」という話だった。「私が交通費を負担します、あちらでは知人宅に宿泊なのでお金はかかりません」という上手い話しだったので、実現しないと思っていたら、やっぱりそうだった。
「りすさんが街に来るときは、逢いましょう」と何度も書いてきているが、一度も達成されたことはない。
理由は「急に具合が悪くなりました」と、本当のことを書いてくれる。
そうさ、彼女の具合の悪さは一生続くだろう。
適当に、B子さんと付き合っていこう。
なぜか本気で彼女が嫌いになれないのはどういうわけだろう、って自分で自分のことが不思議でならない。