怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ツィゴイネルワイゼンとフラメンコ

2016年09月30日 | カテゴリー分けするのに飽き
バスが停まると、何人かの乗客が乗り込んできた。
そのなかに、いつものように元物乞いの女性がいた。この曲がぴったりの彼女だ。


まとめた髪、浅黒い肌。フラメンコの衣装も似合いそうだ。
どういうわけか、その日は娘を連れていなくて一人だった。
私が座っている横を通りかかろうとしたとき、私は一秒の数分の一の間考えて、彼女のために席を空けた。
彼女は何のためらいもなく、私の隣に座って「ダンケ」と言った。
私は数秒考えた。話しかけるか否か。
ロマの人々とはかかわらないほうがいい、というネット日本人友人たちのアドバイスを思い出したりしていた。
彼らは日本人留学生とのかかわりも面倒なことになりがちなので、気をつけなくてはならないと報告していた。
私も留学生数人世話をしたことがあり、助言が当たっていることも外れていることもあったのを考えた。
では、この隣の女も当たりかはずれかの双方の可能性があると、試してみることにした。
「こんにちは。今日はお一人ですか?」
私は、彼女の娘のことは既知であることを前提に初めての会話を始めた。
さて、ドイツ語できるのか・・・
「ええ、今、彼女を送ってきたところです。あそこにある授産施設に行っているのです」
と、すらすらと話し始め、驚いたことにその話が途切れることなく続いたのだ。
容貌から察していただけのときは、きっとものの言い方のきついとっつきにくい人だろうと思っていた。
柔らかい語り方は不似合いなほどだった。
娘は22歳。身体の発達具合と顔の表情の不釣合いさからちょいと感じていたとおり、知的障害があるのだそう。
二人で物乞いをしていたときは、どんな風に暮していたのだろう。そんなことを尋ねるわけにはいかないので、彼女が話すままにしておいた。
娘は施設で毎日三時間いる。排泄のコントロールができないので、迎えに行くときはいつも着替えを持参しているとか、一ヶ月に及ぶ入院、障害者認定されたこと、など。
おそらく、日頃会話を交わす人もいないのだろう。初対面の私に個人的な話を一気にまくし立てていた。

さらに驚いたのは・・・
彼女、日に数時間掃除の仕事をしているらしい。
ふむ。私より稼いでいるってことだな。

完全に物乞いを脱して善良な一般市民に昇格したわけだ。
「国の援助だけで生きているんだな」
と思っていたのはちょいと外れていた。
なにより、障害を持つ娘を抱えての人生は、仕事があろうと援助があっても大変だろう。
未知の人物にその大変さを語るのだから、日頃のストレスは凄まじいだろう。

街中をしばらく彼女と一緒に歩いた。
目立つ人だから、街の人たちはいつもは娘といるのに変な東洋人と一緒にいることに驚いただろうな。
これ以上の関係は難しいだろうから、今後は出会ったときに挨拶を交わす程度にしておこう。
彼女に知人友人ができて、カフェにいるところなどを見かけることになったら、次の段階だろう。



九月も終わりだというのに、気温の高い日々が続いている。

庭の作物を見ていると、夏はすでに終わったことを知ることができるんだ。

小バエがやたら繁殖しているのは、気温が高いせいだろうか。

屋根裏部屋のハエを私はここのところ毎日掃除機で吸い込んでいる。

義母お手製のこの小ハエ取りもちゃんと機能している。


新居には台所が全くない

2016年09月29日 | カテゴリー分けするのに飽き
外食が発達している国では、アパートの部屋に台所がないと読んだことがある。
そういった国に住めば、それが快適で不自由を感じないものだろう。
ここドイツでは、集合住宅に入居時にはそこに何もないことが基本と読んでいた。
外食が発達しているわけではないのに、台所ももちろんない。
私は実際にそういった現場に遭遇したことがなかったが、ついに見た。
ドイツ在住数ヶ月、この街に引っ越してきて二週間のJ子さん宅だ。
訪問すると、J子さんは出来合いの欧風ラビオリ(欧風餃子とも言える)のスープをご馳走してくれた。

凝ったものはできないけれど、野菜を入れた温かいものを摂取しているということで安心した。
J子さんの許可を得て、彼女のサバイバル台所を撮影、公開。

調理台はダンボール箱、調理器は旦那さんの実家からのもの、冷蔵庫は昨日搬入されたもの・・・。
水は浴室まで取りに行かなくてはならない。食器洗い作業はバスタブで。
これはきつい!

ここは家具を購入すると、実際の搬入まで数週間以上かかると言われている。
店頭で決めても、その品が来るわけではない。注文受けて工場で製造するのかい、とも叫びたくなるのんびり加減。

現在、この街では次々と住宅が建築されているのを見る。(他の街でもそうらしい)
近郊からその新しい住宅に引っ越してくる人たちは、引っ越す前にあらかじめ台所を注文して、届いた頃に引っ越して来ればいいのだろう。
いろいろな条件が重なってしまってそれができず、台所無し生活をもう少ししなければならない彼女だ。
あとから思い出せば、いい思い出になるだろうと頑張っている様子。
私の永遠にも続くと思われる共有台所生活よりいいではないか、と励ましてみたい。


郵便事情

2016年09月29日 | カテゴリー分けするのに飽き
9月5日に関東某所から発送した航空便の小包みが28日に届いた。
送ってくれた日本人W子さんは、一度こういう失敗をしたことがあった。
宛先に国名を書かなかったんだ!
受けた日本のその郵便局は困ったことだろう。
発送人に送り返せばいいものの、書かれた住所がドイツのものとわかったようだ。
日本の郵便局、凄すぎる。
W子さん、今回は何を書かなかったのかしら、とちょいと楽しみにしていた。
宛名欄はきちんとすべての情報で埋まっていた。
うーん、外国からの郵便物が遅れ気味なのは、どういうわけかしら。

さて、遅れたとしても届いた品々、嬉しい。

書籍は大歓迎。私がこのシリーズの2まで読んだのをW子さんは知っていたのか!
シールや付箋も大好き。
 
この動物付箋、後ろも完璧。リスの大きなしっぽがとてもよろしい。

他の人たちからもいろいろ頂き物があった。

私は特にリスが好きなわけではないが、こうしてハンドルネームをりすと名乗り長くなってしまった。
その影響だろう。
リスクッキー型は二個目だ。
今年のクリスマスにはリスクッキーをたくさん焼かなくてはならない。

帰省しやすいドイツ生活

2016年09月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
初めてここから日本に帰省したとき、何人かの知人友人たちに尋ねられた。
「ひと月も住まいを離れて大丈夫ですか」
そういえば、日本の生活では一ヶ月近く家を完全に留守にすることはあまりない。
休暇を連続した数週間取得できる西欧州の生活では、ひと月の実家戻りはほとんど興味を引くものではないだろう。

今月の数週間を母国中国で過ごしている近所の友人からときどき写真が送られてきている。

こういう写真を見ると、中国はとてつもなく広いことを思い知らされる。

だいぶ奥地を旅行した様子だ。

この街並みなど、私も行ってみたいと思ってしまう。
もともと欧州にはあまり興味がなく、日本周辺の国々を旅するのが好きだった。

    

日本にいる外国人たちは、帰省することができるのだろうか。
韓国あたりだと近いから一週間程度でも充分だろうけれど、東南アジアくらいになると2週間は欲しいかな。
西南アジアや、もっと先、欧州の出身者たちは時差ボケの分も含め3週間必要だろう。
日本の休暇制度では帰省が難しいように思える。
また、専業主婦だったとしても、仕事を離れられないダンナを置いて一ヶ月も帰省したら批難されちゃうかもしれない。
日本人のダンナの両親などと同居していたら、もう、帰省自体ができないかも・・・と、だんだん憂鬱な気分になってきた。

日本で付き合いのあった外国人たちの帰省の話をあまり覚えていない。
携帯電話で気軽に旅先から写真を送るような環境でもなかったし。
やはり、休暇が短いとかお金がかかるとか(アジア地域の人々はお土産を数十万円分持っていかなくてはならないという話題になったことがある。また、ここの中国人からもそんな話を聞かされた)で実家には帰りにくいのだろうな。

この写真を送ってくれた彼女は、ドイツで働く旦那さんの休暇制度と所得の関係でこんな風に帰省を楽しむことができるラッキーな人なのだろう。



飯の炊き方を説明する

2016年09月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
在独三十数年のフィリピン人R子さんに大豆肉そぼろ入りおにぎりの作り方を尋ねられた。
集まりに作って持っていったら、ひどく気に入られてしまったんだ。
彼女宛のメールを書こうとPCを目の前にして、気付いた。
おにぎりの作りかたさえ、彼らの持つ米に対する感覚の違いで、説明を変えなければならないと。
フィリピン人の常食する米はどんな品種なのだろう。
暖かい地域はインディカ米を粘りを少なく炊き上げるものが好まれるので、おそらくフィリピンもそうだろうと勝手に想像。
では、米選びから説明しなくてはならない。
炊き方も、湯取り法でやっていたとすると、それはジャポニカ米には相応しくないと知らさなければ。
ああ!面倒だ!
ドイツ語で「Onigiri」と検索すると、たくさんの素晴らしいレシピが出てくるので、その中からいくつか選んで添付した。

さて、大豆肉そぼろだ。
「テキトーに、砂糖・塩・醤油・しょうが粉を入れて水分が飛ぶまで加熱するのよ」
と、日本人には説明できる。
R子さんの食文化背景も考慮し、また、彼女自身の料理能力も想像しなくてはならない。
性格も関係してくるかも。「テキトーに」が通じる人じゃあないような気がする・・・
    
どうにもこうにも面倒なので、いや、もっと真面目に言うと、かなり忙しい日々が続いていて、疲れているので、写真を撮って、これをメールに添付した。
解説文、一切なし!ドイツ語作文は元気なときにやらせてよー。

大豆肉のパッケージには、戻しかたの説明があるから大丈夫。その製品がどこに売られているか、という質問にはすでに答えてあるし。
これで納得してくれるかな。質問があれば、返事が来るだろう。


ゴミ箱を漁る

2016年09月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
バスターミナルや人が大勢行き交う場所では、さまざまなニンゲン観察ができる。
田舎街のここはつまらないと思っていたのだけれど、だんだん面白さを発見できるようになった。

よく見かけるのはゴミ箱をあさっている人々。
これはデポジットつきのペットボトルや瓶を探しているんだ。
一本25セントも現金が返ってくるのだら馬鹿にできない。私でさえ、空きペットボトルが何気にベンチに置かれてあると、スーパーに持っていって換金したくなるもの。
 
そういうわけで、ゴミ箱をあさっている人たちは必ずしもとても貧しいというわけではないと期待している。
ときどき新聞には生活苦でこうしている人々のことを写真入りで載せている。

同じ場所でたばこの吸殻を拾って吸っている若者を見かけたことがあり、これはかなりショックだった。
様子を観察していると、どことなく通常の精神状態ではないような印象だったので、そういう人だから、と自分を納得させたものだ。

先週、派手な服装の女性が文具寄贈場所に入っていくのを見た。
文具無料配布は就学している子供がいる生活保護世帯対象だ。役所からの証明書類を持参して提示しなければならない。
見せている様子だったので、本当に生活保護を受けているのだと驚愕した。
私よりずっと高価そうな衣類やかばんを身につけていた印象だ。
また、こちらの人たちの体格・姿勢の良さ、態度のでかさは貧しさを感じさせるのが難しいんだ。

ゴミ箱をあさる人々は、文具受け取りに来る人たちより少々わびしげな様子がするのは、やはり、なんとなく気まずいからなのかしら。
どうせやるなら、堂々と!何も悪いことではないと思うのだけれど!
先週末も、ウチに訪問物乞いがやってきた。ドイツ語が不自由なのか、耳が不自由なフリをしているのか、物乞いの理由を書いた(不思議なことにコピーされたもの。いくつも同じものを作って分けて持っているのか?)紙片を見せた。
私がしばらく呆然としていると、夫がやってきて、
「帰ってください」
と語気荒く追い返した。
惨めな気持ちになるのはお互いさまだ。
効率の悪そうな訪問物乞いより、空きペットボトル集めの方が精神衛生にもよさそうな印象だ。

数年前まで母親と思われる女と一緒に物乞いをしていた少女をよく見かける。
いったい、どこへ行くのか、いつもバスを待っているんだ。
いろいろな場所で見かけるので、やることもないからバス定期を買って街をバス旅行する日々を過ごしているのだろうか。

物乞い家業から足を洗い、落ち着いた生活をしている様子がよく出ている。
このときは、やおら弁当箱をかばんから取り出した。
その中にはきちんと紙に包まれた、丁寧に作られたと遠目にもわかるサンドイッチが入っていたんだ。
びっくりした。
物乞いしていても、日々の生活はきちんとしていたのかと、想像してしまう弁当だった。
寄ってくるハトにパンをちぎって与えていた。
以前は逆の立場だったものねぇ、などと思った私。
彼女の今後の幸せを祈りたいところだけれど、いったい、学校に行ったことがあるのかしら、などと突き詰めて考えると将来のドイツ自体が心配になるので止めておいた。





近所の牛屋

2016年09月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
徒歩数分のところに牛屋がある。
見に行くことはまれだけれど、飼料なのか排泄物なのか、何やら香しい香りがウチまで漂ってくることはしばしばなので、その存在を嫌でも意識せざるを得ない。
 
夏の間は窓を開け放してあって、また、小さい子供もそこから牛を観察できるように台が置かれている。
私が覗き込むと、まず、無数のすずめが飛び去っていった。ウチに来るスズメの数の数倍だ!
とってもおいしいものが牛舎にはたくさんあるのだろうな。

一番窓側の牛は私のような来客に慣れているらしく、愛想を振りまいていた。


隣の家も牛屋だった。近所なのに、今まで知らなかったぞ。
時々散歩して、近所の様子を観察しなければならないと思った。

好奇心いっぱいの牛がこちらを覗いている。
「かわいい」と書きたいところだが、残念ながらこの種類の牛は見た目があまりかわいいとはいえない。
よだれだらだら垂れていて、ときどきそれが不快なのか、頭を振って振り払っているのを見るとぎょっとする。

これは業務でなくて、なかば愛玩で飼っていると思われる庭先の鶏たち。

私を見て、何かもらえると寄ってくるのだけれど、すぐに見ているだけと知ると知らん振りになる。
では次回はおにぎりでも持ってきてみようか。
ご飯を食べたことがないかもね、この鶏。



自転車の荷台に乗せてもらった

2016年09月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
大きな荷台が前方についている特殊な自転車に乗せてもらった。
そう、前の荷台に乗ったんだ。


日没後の街中を疾走した。
乗り心地は動画がよく表している・・・あまり快適ではなかった。
面白い経験ではあった。
これが最初で最後かな。



ついていけない授業

2016年09月25日 | カテゴリー分けするのに飽き
秋祭りのパレードがあった。
準備中の彼らを撮影させてもらった。
 
それぞれビールを目の前に置いて演奏なんて、こちららしくてとてもよろしい。


一曲終わるたびにビールを手にしていた。
本当は、この数十分後に始まるパレードを見たかった。
私は作文コースに行かなくてはならなかったので泣く泣く諦めた。
街中の建物の中から外を見た風景は、ウチのとは全然違う。晴れた日はきれいだが、冬場のどんよりとした暗い日々は憂鬱になるぞ。
 

私以外の出席者はみな、在独期間が数十年と長い外国人だ。お祭りのパレードなど、見飽きているのだろう。
宿題があった。

私は書いたものを持参してきた。
始まってしばらくして驚愕した。
皆、指導者にあらかじめメールで課題を送っていたのだ。
送らなかったことにショックだったのではなく、送るように指示が出ていたことを聞き取っていなかった自分にがっかりしてしまったんだ。
そんな簡単な指示のドイツ語をなぜ聞き取れなかったのか不思議でならない。
ドイツ語コースではないので、指導者は指示を何度も繰り返して説明したりしない。
さらっと、一度言って終わってしまったのだろう。
私以外がみな、指示通りにしていたことで、疎外感を感じたのはいうまでもない。
やっぱり、私にはこの講座は無理だな。強引な誘いに付き合いで出席しただけなのだから、丁重にお断りして次回はもう無し、だな・・・とぐるぐる思考していた。

指導者は、みんなから送られてきた短文を印刷した紙を配った。
読み上げて、それぞれ、感想を言ったりして討論した。
彼らの書いたものは綴りと文法の間違いが多いのだが、私よりドイツ語語彙力は非常に高く、とても追いつけない。
また、外国語で書いてみようという気概のある女の集まりだから、もともと母語でも読み書きするのが好きなのだろう。
与えられたテーマは単純なのに、妙に哲学的な文章が集まっていた。

さて。
一人、課題を提出していなかった私。
手元に印刷した文章を持っていることに気付いた指導者は読み上げるように指示した。
他の人のと比べると、短くて単純なものだ。かなり躊躇したけれど、仕方がない。

最後の一文を読み終わると、どっと笑いが起こり、拍手喝采となった。
私が予想しない意外な顛末に私自身がびっくりした。
台所の思い出がテーマで、私は最後に義母のエピソードを挿入したんだ。
なるほど、嫁姑関係は世界中共感を呼ぶ話題だものね。

一番ウケがよかったのは私の書いたもの、ということで少々気分を持ち直した。
だけどね・・・
次の課題のテーマがこれだ。
①失望・幻滅・落胆
②正義・公正・公平
もう、日本語でもこんなテーマで書けない。
次回には病気になって欠席だな、とまたぐるぐる悩み始めた私だ。
どなたか、私に代わって書いてくれぇぇ~




帰省みやげ

2016年09月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
夏休みに家族で帰省したマレー系マレーシア人宅に、お土産を受け取りに行った。
あまりごちそうになりたくなかったのだけれど、彼女の文化的背景からなのか、何時に行っても食事に招かれてしまう。
 
彼女のお得意のこのケーキはとてもおいしい。
でも、料理はね・・・

非常にあっさりとしたソースだった。健康的でよろしい・・・よろしすぎる・・・
油分も塩分も、健康を意識しているのだろう、抑えすぎで凄かった。
義母もスパゲティをぶかぶかに茹でるが、彼女はもっと柔らかく茹でるんだ。うどんを超えている。
アルデンテという言葉は日本人のためにあるのかもしれない、と思う。

いただいたバティック。四つ折にして撮影。
「日本のイメージの柄を選んできました」と言っていた。
私の手持ちの品より高級だ。奮発してくれたのかな、ありがたい。
布は軽くないぞ。私だったらお土産にしない・・・

ペンケースの柄に雰囲気があって気に入った。

マレーシアの揚げ菓子。おいしいけれど、適当な量で止めることができる。

これはマレーシアの品ではなく、近所のアジア食材店の品。
黒米の話題になったんだ。

去年、スーパーでフランス産のをまとめ買いしたのだけれど、手持ちのものがなくなってしまった。
アジア食材店のは高い、と言ったら、彼女は台所から備蓄品を出してきて見せてくれた。
1キロ4ユーロ。安いじゃあないか!
「これから買いに行きます」と言ったら
「あら、どうぞ、持っていってください」
という流れになったんだ。えへへ。
実を言うと、この黒米をいただいたのが一番嬉しかったりして!

なかなか頭巾の女性たちとは親しくできないのだが、このマレー系マレーシア人とはすでに6年くらい付き合いがある。
帰省時に他人の買い物などしたくないものなのだが、こんな風に好意を見せてくれることに感謝しなくてはならない。

掃除機でハエを吸い取る

2016年09月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
屋根裏部屋の窓にハエがたかっていた。
どういうわけか、開け放ってもいないのに入ってくる様子だ。
その数、ざっと見ただけで100匹を超えている。家のどこかで沸いているのではないかと心配になるくらいだ。

窓を開けて追い出してしまおう、と思った。
ここで殺してしまうより、外に出したほうが食物連鎖に貢献できるからだ。
そう思って窓を開けた。何度も経験しているはずなのに、ハエは開けたほうの窓に近寄らず、閉まっているほうをうろうろしているのを見てイライラした。
そのうち、外からスズメバチが入ろうとしてきたので慌てて窓を閉めた。

仕方がない。
いままでやってみたいことの一つだった、掃除機駆除に挑戦してみることにした。

日本の賢いハエは手づかみで捕獲したり掃除機で吸い取るなどは無理だ。
こちらのハエはいささかのんびりしているらしく、義母はよく手で掴み取る。
私も何度か真似してみたけれど、ダメだった。
ハエがバカなのではなく、私の能力が足りないだけなのかもしれない。
掃除機だったら、もっとうまく行くと思ったんだ。

今年二月に買ったばかりの掃除機だ。
ハエで汚したくないけれど、このハエたちはウンチにたかったこともないだろうから安心だ。
床用の吸い口を取り外し、筒のまま窓ガラスをうろうろ飛んでいるハエに向けたら、取れるは取れるは~!
こんなに簡単に吸い取れるとは予想していなかった。
ハエがホースの中をぶつかりながら吸い込まれている手ごたえが楽しくて仕方がなかった。
何日も飲まず食わずで窓にたかっていたハエたちだ。かなり弱っていることは確かだろう。
すでに窓枠で永眠しているハエも吸い込んだ。

掃除機の紙パックの中には100匹のハエたちが飛びまわっているのだろうか。
スイッチを切って、耳を近づけてみたが、何も聴こえない。
何年か前に、掃除機で吸い込んだゴキブリは吸われたショックで死んでしまうと読んだことがあった。
ゴキブリが死ぬくらいだから、ハエも死んじゃうのかな。
開けて、紙パックの中を覗いてみたかった。
でも、万一、生きていたら大変なことになる。その様子を想像しただけで怖い。

生きているとすると、このまま掃除機を置いておくと、ホースの中から出てくるのではないか?
筒の先を止めておいたほうがいいのだろうか?
うーん。
結局、そのまま屋根裏部屋の道具置き場に掃除機を片付けた。
明日の朝、この部屋がハエだらけだたら面白いだろうな、くくくくっ

次の朝。
そうっと、その小部屋の戸を開けてみたけれど・・・
ハエは一匹もいなかった。
そっか、紙パックに100匹のハエが詰まっているのね。
来週、交換することにしよう。
ううっ、怖いような、楽しみなような!!

ウチにハエとリ紙があるのを発見した!
全然使われていないのはなぜだろう?屋根裏部屋の100匹が気にならなかったのかい?



ふむ。
もしかして、美観の問題なのかもしれない。
たとえ屋根裏部屋であっても、これを吊り下げることで雰囲気を壊すからねぇ・・・

日本の歌

2016年09月22日 | カテゴリー分けするのに飽き
先日ドイツ人Mさんの手巻きたばこの動画を掲載したら、本人がえらく機嫌よくしていた。
「顔出しで撮影してもいいですよ」
と提案してくれたので、せっかくの機会、そうさせてもらった。


日本滞在時に覚えた歌なのだそう。
夫がこうしたことを全然覚えずに日本で暮していたことと比較すると、雲泥の差だ。
学生として滞在するのと、仕事しているのは違うのだろうな。
表情たっぷりに歌っている様子は、そのまま「ドイツ人のうたのおにいさん」として活躍できそうな勢いを感じる。
「りすちゃん!いや、りすせんぱい、って呼ぶべきですか?」
ああ、いかにも学生同士での交流で覚えた日本語だな。
「普通は、さん、を付けて呼びます」
楽しく暮したのだろうな。
夫は先輩という言葉を知らないだろう。
生真面目でおとなしい夫は学生として日本にいたとしても、童謡のようなこの歌を覚えて披露するようなことはしなかったかもしれない。

「何か他の歌を覚えたいです」
と、せがむMさんに、これを教えた。


同じような数え歌だな。
在独日本人を捕まえては、こうした日本の歌を歌って聴かせるMさんの姿を想像して笑ってしまった。
ま、日本ファンが増えるのはいいことだ!


かわいい、好きな私は日本人

2016年09月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
広告の表紙に珍しく「いいな、欲しいな」と思わせる服が載っていた。
左のチュニックだ。柄も面白い。

次のページをみて、愕然とした。子供服だった!

実際のところ、サイズの問題でここでは子供服売り場を見ることが多い私だ。
身長が170センチで少々細身の中国人知人も子供服売り場で衣類を探すと言っているので、私だけが特別に小さいわけではない。

子供服を見ることが多くなったので、子供用にデザインされた衣類に目が留まるようになってしまったのかもしれない。
帰省時に衣類をあれこれ見ていると「これは子供服か?」と思う成人用の服が結構ある。
大きさが小さいせいもあるけれど、デザインが、なんとなく子供向けのようなものが多い印象だ。
「かわいい」
という言葉が重要なテーマの日本だ。
しっかり私もそれに洗脳され、いまもそれに支配されていることをときどき自覚させられる。

手巻きたばことニッカーボッカーズ

2016年09月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツ人Mさんは推定年齢20歳代後半とみた。
松山の大学にいたことがある、と言っていた。
最近は日本の大学も英語で授業を行うところがあるようで、数名の知人ドイツ人が日本で修士、博士課程に在籍している。

「ニッカーボッカーズを持っています」
と、Mさんは得意げに言った。
日本在住時に、作業着店で買ったそうだ。スポーツ店のでなく、とび職人が愛用するあの品だ。
「とてもクールだ!」
と感動している。
Mさんはやおら袋を取り出すと、何やら作業を始めた。
え!たばこを巻くの!!ちょっと待って!私には珍しい光景なんだ、撮影させて!


凄まじく慣れた手つきでくるくると巻き、舌で紙を湿らせて止めていた。
うーん、これをニッカーボッカーズを穿いてやったら、絵になるぞ。

ちらりと読んだ記憶では、ここはたばこがとても高価なので、安価なこうした方法でタバコを吸う人が多いのだとか。
そういえば、バスターミナルでMさん位の年齢の男性が、地面に落ちているたばこを拾って歩いているのを見たことがある。
まだ吸えそうな長さのあるものに火をつけ、吸っていた。
難民風でも、ホームレス風でもない印象だった。いったい、どういうことなのだろうか、とどきどきしながら観察したものだ。
在住している体感によると、ドイツ人、あるいはヨーロッパ人は日本人よりたばこが好きな印象だ。
あちらこちらで遠慮なく吸っている。
禁煙の場所も多くなってきているらしいが、吸わない人にはまだまだ煙くて苦しいドイツだ。

Mさんが私に頼んだ。
「りすさん、あなたの次回の帰省時に、ニッカーボッカーズを買ってきてください」
基本的に、里帰り中の買い物は頼まれたくない私だ。
でも、作業着店で買い物をしたことがないので、ちょいとワクワクした。
あれこれニッカーボッカーズを選んでみたいものだ。
「あ、いいいですよ」と答えてしまった。ううっ!
どうしよう、本格的に頼まれちゃおうか?

建築物のテキトー修繕

2016年09月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
ほんの一年ほど前まで廃墟だったと記憶していた建物に、人が出入りしているのを見かけた。
 
歴史的な建築物なのだろう。すべてをなぎ倒して造りかえることをしないのはここではよくある様子。
外観はほとんど変わらない。数年前までは、窓ガラスは割れていて、中を覗くと何もなくてホコリとがらくたが散らばっていたものだ。
内部はきれいに、今風になっているのだろう。入り口にある郵便受けを観察すると、どうも事務所として使われているようだ。
中に入るのは不可能なので、周りを一周してみた。
あれれ・・・なんだか雑な修繕だな。

まあ、距離を置いて全体を眺めると美しいと感じるので、それでいいのだろう。

靴の泥を落とす道具がひん曲がっている。
いっそのこと、撤去してしまったらいいと思うのだが、それさえも面倒だったのだろうか。

新しいレンガの部分は、以前は入り口だったと思われる。

昔の姿とは違うけれど、大方は変わっていない、ということで街並みをひどく乱さない工夫をしたのだろうな。

義母が言うには、インゴルシュタット旧市街は、現代風になってしまって景観を壊しているらしい。
確かに、近隣の大きな街の様子と比較すると、義母の言うことは当たっているような印象だ。
ニュルンベルクとレーゲンスブルクの旧市街は魅力的だ。

このテキトー修復された建物は、旧市街から外れたところにある。
でも、残されてよかっただろう。義母も満足するかな。ここまで来ないかな。