のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

忍びの旅

2020年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 オリンピック開会式は雨天順延になりました。開催されるときには開催されることでしょうから気長に待ちましょう。

 苗場の別荘地に薪の配達があったので、軽トラに薪を積んで持っていきましたが、標高1000m、11時少し前で気温が18度。涼しい通り越して寒いくらいでした。

 せっかくですから越後の下界を見てこようと峠を下りて湯沢の街に行くと、温泉街には結構観光客が出て歩いてました。せっかくだから信濃川の様子も見ておこうと、峠を越えて十日町に入りましたが、雨がポツポツ降ってきました。川の水量は特に増えている気配でもありません。

 せっかくだから松之山温泉に行って風呂に入っていこうと、また峠を登って松之山に行きました。

 お昼の時間帯でしたので、毎度おなじみの柳屋さんで手打ちラーメン。

 最近のお決まりパターンです。

 香川ナンバーのクルマが停まって、客が入ってきました。今頃香川県は近畿の都市からウドン食べに来る人でごった返していると思いますが、その前に脱出したようです。ウドン県なので、さすがによそに行ってもウドンを食べないか。

 長野県を通過するとうるさそうだから北陸周りで越後に入国したそうですが、そもそも讃岐がどこにあるのかなんてこの界隈の人ならわからないかもしれない。

 和歌山県の友人はこの連休に長野県に山歩きに行きたかったらしいのですが、奈良や和歌山からは入国規制がかかっているとのこと。

 まぁ、確かにお諏訪さまと平城京を追われた物部守屋の関わりを考えると奈良は入れたくないわな。なぜ和歌山も?徳川吉宗となんぞあったか?そういう意味じゃ上杉の拠点に武田方なんぞもってのほか!と思いきや、温泉の駐車場には長野や松本ナンバーのクルマが堂々と置かれてました。信玄はこういうことも考慮して娘の菊姫を上杉景勝に嫁にやったということか!

 なるほど!戦略が読めてきた。

 温泉センターの入り口に貼られた張り紙。後北条方の間者を警戒しているな。上杉謙信の後継者をめぐって御館の乱で景勝とやりあった景虎は北条方からの養子だった。で、蝦夷は?こんなところまで五稜郭から攻めてこないと思うけど。

 山梨ナンバーのワゴンRが停まり、おばちゃんが二人出てきて温泉センターに入っていきました。武田方のスッパと呼ばれるくのいちですな。あんまり素っ裸を想像したくないおばちゃんたちでしたが、この温泉あたりはノキザルと言う上杉方忍者の地域でしょうから、信玄、なかなか大胆な手を打ってきましたな。

 そういえば、私は真田方の末裔になるから霧隠才蔵ってとこですかね?美形だし。

 様々な思惑が立ち込める温泉で、風呂につかりながら地元のおじさんと米の出来具合について話しました。

 冷夏と言うほどではないけれど、確かに気温は上がらない。私の住むあたりと違って標高が低いから、田んぼの稲に塔が立ち始めてます。稲が開花するときのわずかな時間だけ日が照ってくれれば、そこそこ結実して米はできるのですが、この1-2週間が勝負ですね。

 この冬は異様に雪が少なくて田んぼの水不足が懸念されていましたが、幸か不幸か?この梅雨の長雨で田んぼは持ちこたえられそうだと言ってました。

 風呂から出て、山の上の集落に行って棚田を眺めながら帰ろうと、軽トラだからできる気楽な旅。

 あちこちに自生したねむの木の花が咲いていました。夜になると葉っぱを閉じて眠るからねむの木らしいのですが、花の時期に来たことがなかったので見事なものでした。

 芭蕉の 象潟や雨に西施がねむの花 で、山形にもねむの木があることはわかっていましたが、元々は暖かい土地の木なので、どの辺が限界だろう?秋田で、たぶんねむの木と思われる葉っぱを通りすがりに見たことがあるので、たぶんアカシアではなくねむの木だっただろうと思いますが、葉っぱが似ています。アカシアは黄色い花ですが。

 ちなみに世間一般で言われているアカシアはニセアカシアで、白い天ぷらで食べられる花が咲きます。

 似たような葉っぱにはミモザなんてのもありますが、あれって、触ると葉っぱが縮こまるオジギソウのことですね。これは寒さに弱いので私の住むあたりでは育たない。

 ねむの木の花。なかなかいいもんだなぁとしみじみ眺めました。

 で、なんだかわかんねぇけど山道下って、街道に出ちゃ芸もなかろうと農道をさまようこと1時間少々。なぜか海に出てしまいました。

 海があるってことは、私の推測が正しければおそらくここは群馬ではないと思います。上杉め、幻術を使いおったな。

 例年なら夏休みに入って海水浴客でごった返していることでしょうが、海水浴場に人なんかいない。柏崎の港に行ってみたら長野ナンバーの車が停まっていて、釣りをしてました。鮎は釣れないと思うけど。

 海水浴。最後に来たのが昭和49年だからしばらく海の水に入っていませんが、ここまで来たら寺泊や弥彦神社などにも行ってみたいものの、雨は激しくなるし日も暮れてきた。

 長岡は混むから、小千谷か堀の内で国道に合流しようと、また裏街道を帰路に就き、本日二杯目のラーメン(今度は背油たっぷり)を食べて帰りました。

 各国諸事情を探訪できた忍びの旅でした。

コメント (9)
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