のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

地域おこしなを遠し

2017年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 クネちゃんついに逮捕ですね。毎度のことなので、あの国の留置所にはVIP専用の部屋でもあるのだろうか?

 4-5年ごとに起こる行事を見ていると、金ちゃん型恐怖政治の意味が分かるような気がします。金ちゃん型のやり方でなければあの民族は統治できない気がしてきた。

 インドに行って見る前まではカースト制度って「悪いこと」だと思っていました。ところが実際にインドに行って見るとあの制度がなければこの人種のるつぼは収まらないと思いました。一種のワークシェアリングだったんですね。もちろん、階級をかさに非人道的な行為は容認すべきではないと思いますが、悪法も法なりで旅行者の踏み込む問題ではなかろうと思いました。平等な選挙制度になれば下級カーストの方が数が多いので世の中逆転する、これはまた混乱を呼び込みます。

 そんなカーストより当たり障りのないトーストの方が好き!

 日本の教科書からは江戸時代の「士農工商」が消えるみたいですが、だいたいあれはいつ誰が盛り込んだ歴史なんだろうか?元禄文化なんて庶民の文化そのもので、歌舞伎や文芸などもこの時期に一気に花開いています。

 明治35年に国費留学生として来日した魯迅は「日本には素晴らしい制度がある。それは封建制だ。」と語ったと言われますが、封建制=悪と思わされて育ってきた私には何とも不可解な言葉だと思いました。それぞれの職業で誇りがあったからなんでしょうね。日本で創業150年の老舗などいくらでもありますが中国では1件だけだそうです。

 上に駆け上ることで富も名誉も手に入れられるけれど、やがてはそれが仇となって郎党皆殺し。それでもまたその地位につくものが現れて同じことを繰り返す。賽の河原で石を拾うようなものでも、継続しているのだから彼らには文化なんでしょう。

 継続困難で姿を消しつつある養蚕業ですが、かつての外貨獲得の代表も産業の変化でいつの間にか風前の灯火になってしまいました。考えてみればこれもまた不可解なことで日本の着物が中国産の絹で作られているってことに疑問を感じます。昨年、京都や鎌倉で和装姿の中国人ばかり目につきましたが、その絹が中国から来ていたら日本は単なる加工所でしかない。

 地元の絹糸を使って何とか製品まで作れないものか?と勉強していますが、何しろ着物に関して興味もなかったので知識もない。だいたいこの体格で和服なんぞ着ようものなら「どこの部屋の親方ですか?」と言われかねない。旅館に泊まる時も備え付けの浴衣では丈も横幅も足りずバカボンのようになるので和の装いなどしたことがない。

 とりあえず図書館で本を借りてきていろいろ調べてみているのですが、以前、藍染めをやっている知人の工房で色落ちした作務衣の染め直しをしたことがありました。染め物の材料にする藍を栽培するのもとんでもない労力です。

 その時、白いTシャツも絞り染めをやってみました。ほとんど偶然の産物のようながらになるので良いのか悪いのかわかりません。

 これなら失敗しても大した損害ではないけれど、絹織物となるとおいそれと手は出せない。色柄にしてもアニメキャラしか浮かばない。クールジャパンどころかコールドジャパンになりそうなお寒い状態です。

 「科捜研の女」で調べた限りでは、あの京都でさえ染め物、絵付け、染み抜きなどそれぞれスペシャリストがいて殺人事件にも関与している。なるほど、着物とは複合的アートだったのか。

 京都では祇園の都をどりが始まったみたいですね。脱がせてみたい舞妓の着物。

コメント (2)
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