のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

仕事さえあればね

2017年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 サウジアラビアの大名旅行は私の村にお買い物に来ないで帰っちゃったんですね。来られてもまだ山菜も出ていないこの季節は売るもんはなかったけど。

 サウジアラビアはオイルマネーも先行き知れているから働かなくてはならないと考えているようですが、王様一行があんな贅沢していて国民に「働きましょう!」と呼び掛けてもアラーの思し召しは来ないと思う。インド独立のマハトマ・ガンジーが糸車で綿をつむいでいたのも、自ら働くことで呼びかけていたわけです。

 日本の場合はやおろずの神様がそれぞれ職業持っていますからね。でも、ギリシアの神様だって手に職持っているのにあのざまですから、働く意思の問題もあるけど、イメージ戦略って難しいですね。

 猫の手も借りたいと言うけど、クロネコヤマトなんかアマゾンのおかげで忙しすぎて、文字通り猫の手も借りたい状況みたいです。すでに、企業イメージで猫の手を借りているので、こういう経済はネコノミックと言うのだろうか?猫だってもともと仏典をネズミから守るために日本に入ってきたのだから、就労目的の移民と言ってしまえばそれまでだけど、一応働く役目を担っています。

 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」山本五十六は申しておりましたが、村のじい様ばあ様はそんなことくらいでは動きません。雪解け水が押し寄せる前に沢の倒木の撤去作業。監督5人、作業員1人の状態でひと仕事してきました。一通り危なそうな倒木は撤去しましたが、これで大丈夫かな?と首をかしげると「そのうち何とかなるだろう!」。さすがスーダラ節をリアルタイムで生きてきた人たちは前向きだ!猫がアマゾンならこっちは楽天ってとこかな?

 宅急便を出しに行ったら、知り合いと会いました。大学生4年生になる息子さんへ食材などの荷物を送りに来たのだとか。今年の大学生の就職率は90%を超えたようで、一昔前の就職氷河期が嘘のような世の流れになっていますが、娑婆に出たら奨学金の返済と言う重荷が待っているので、それほど悠長には構えていられないそうです。

 返済を必要とする奨学金。これって奨学金ではなく借用と言うべきだと思うのですが、中曽根内閣の頃に提案された留学生の大量導入。この人たちの奨学金は返済義務はない。十数年もさかのぼれば留学目的で来た主にニーハオ系学生がドロンする事件が続出していました。これって少しおかしいんじゃないだろうか?どちらが日本の国益のためになるのだろう?

 教授の肩書欲しさにわけのわからない天下り大学増発した結果、中国人学生の方が多い大学なんてのも存在していました。

 「平等」の在り方が間違えているような気もするけれど、一生懸命勉強してよそに行ってしまうのなら、いっそ、地元に帰ってきたら返済しなくてよい奨学金でも作った方がよほど地方のためになる。そのためにも地方に産業を。なんたら学園問題よりよほど重要な教育の問題ではなかろうか?

コメント (2)
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