のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

教育の直後に教育勅語

2017年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 一家仁、一國興仁、一家讓、一國興讓、一人貪戻、一國作亂。其機如此。
 一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(じょう)なれば一国譲に興(おこ)り、一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を作(な)す。その機かくのごとし。

 孔子の「大学」の一節で、小学生の時に二宮金次郎像の前で暗唱させられたので、セリフは憶えていますが、意味がわかるようになって「いいこと言っているなぁ。確かなそうだな。」と理解できたのは50近くになってからでした。たぶん、どういう意味の教えなのか?当時にも説明は受けていたんでしょうが、何となく気持のどこかに引っかかっている程度で、実体験が伴って初めて意味をなしてきたのでしょう。

 逆に見れば体験の伴わない学問・教育は危ういですね。

 何も中国から2500年も前の教えを借りてこなくても、70年ちょっと遡れば日本にも立派な教育の概念があったんですね。

 私たちの親の世代なら「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」で始まる教育に関する勅語の暗唱などできて当然だったのでしょうが、私の孔子同様意味などわかっちゃいなかったんでしょう。

 すっかり忘れ去られていた教育勅語ですが、ブーメラン民族が騒いでくれたおかげで再び世に問われるようになり、私的にはDHCビールと共にマイブームになっています。

 まじまじ読んでみるといいこと言ってるよなぁ。これって今でも日本人の行動や思考の基本となっていないだろうか?と感心するとともに、このどこがいけないのだろう?と疑問を感じてしまいます。

 「我が臣民は忠と孝を守り、万人が心を一つにしてこれまでその美をなしてきましたが、これこそ我が国の最も優れたところであり、教育の根本も実にこの点にあります。
あなたたち臣民は父母に孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は協力し合い、友人は信じ合い、人には恭しく、自分は慎ましくして、広く人々を愛し、学問を修め、仕事を習い、知能を伸ばし、徳行・能力を磨き、進んで公共の利益に奉仕し、世の中のために尽くし、常に憲法を重んじ、法律を守り、もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。
このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。」

 父母の無能を言い訳にし、兄弟はわずかばかりの遺産相続でいがみ合い、夫婦別姓尻は軽く、友人は裏切り裏切られ、人には優しいふりをしつつ自分中心で、つつましさは持たず被害者意識、学問は自分のレベルに落としてもらわないとわからない、できれば仕事はしたくない、知能が低いのは親のせい、他人の徳業・能力を自分のおかげと称し、進んで公共の前に出て無知をさらし、世の中のために尽くすことはせず自分に対する要求ばかり叫び、常に憲法を重んじ、法律は守らず、国家の危機に瀕すれば強そうな国に肩入れして身を守る。 と逆読みすればシールズ勅語ですね。民進党のマニフェストにしてもいいんじゃないですか?

 アンチテーゼを叫ぶことで立ち位置を確保していたマスメディアなどがテーゼになったら、そのアンチテーゼとして教育勅語が再注目されるようになったのかもしれません。また寝た子を起こしてしまいましたね。

 鳥も鳴かずば撃たれまい。

コメント (2)
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