塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自分たちのサッカー、美しいサッカー

2014-07-02 17:53:48 | 日記
 「美しく勝利せよ」

 クライフは美しいサッカーを追い求める発言を行う事で有名です。

 でも、この美しいと言う表現、他の競技では耳にしません。

 マイケル・ジョーダン、モハメド・アリ、アイルトン・セナなど、クライフ以上の名声と優勝回数を誇る、その競技の第一人者たちは、試合終了後の会見に置いて、「勝って嬉しい」と発言したことはあるでしょうが

 「美しく勝てて嬉しい」

 と発言した記憶は、僕の中には無いんですね。

 できるだけ資料を読み込んできましたが、なかなかそのような発言に巡り合ったことは無いのです。

 シカゴ・ブルズのトライアングル・オフェンスは、その機能美が話題になりましたが、ジョーダンそのものの技術が、NBAの誰よりも際立っていたことが、試合全体の美しさや同僚との意思疎通を無効化したのかもしれませんが。

 ブラジルでも1970年ワールドカップを引き合いに

 「ボゴ・ジョニート」
 「フットボウ・アルチ」

 という言葉が用いられます。

 端的に言いますと、美しいサッカー、息を飲む芸術的サッカーの事になりますが、どうしてサッカーだけは美しく勝利しなkればならないのか、僕にはよくわかりません。

 ブラジル大会の惨敗により、

 「自分たちのサッカーとは何を指したのか?」

 という論点が、代表選手達に向けられています。

 でも、この美しいサッカーも、美しいという範疇が広すぎて非常に抽象的だと感じるのは僕だけでしょうか?

 例えばオランダのように

 「3-4-3や4-3-3を用いて、両翼を再度に貼らせて外から攻撃するサッカー」

 ドイツでは一昔前ならば、リベロが全体を牛耳り、攻守両面でにらみを効かせていた、というような、連想が簡単な展開もあります。

 でも「美しい」という形容詞の中には、個人が描くそれぞれの展開、攻撃と守備がありますし、自分たちのサッカーと同じように、具体的な説明が必要ではないでしょうか。
 
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