塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

V・ファーレン、アンブロと新契約を結ぶ

2019-11-30 00:43:50 | 日記
 レノファ山口がフィンタ
 水戸ホーリーホックがガビック

 との契約を来季も続行する一方で、Ⅴ・ファーレン長崎はヒュンメルからアンブロを契約変更することを、今月28日に発表しました。

 高田明氏からお嬢さんへ取締役が変更になるそうですから、ここまでお世話になったヒュンメルに心から感謝し、

 アンブロと新しい道を切り開く
 将来のJ1昇格を目指す戦いへの道のり

 への強い意思を感じます。

 ヒュンメルは人道支援に精通していますから、Ⅴ・ファーレンと共に、原爆投下という過ちが2度と起きないように、追悼の意味合いを込めて、毎年8月に特別デザインのジャージを企画していました。

 これはブランドがアンブロに変更しても、ファンの皆さんは継続してお願いしたい事柄ではないでしょうか。

 僕は高校時代の修学旅行先が長崎でしたが、クラスに友達がひとりもいなかったので、実に苦労した思い出があります。

 集団行動から外れてしまい、土産を探している最中に立ち寄った洋服屋さんで、おばあさんと話をしながらベージュの綿パンを購入し、裾直しをしていただきました。

 それな綿パンというよりも

 「ベージュの作業着風」

 の形で、ディッキーズのような洒落た形でなかったのですが、それなりに履いていたものです。

 僕は「仕方なく」所属した班で行動し、昼食のために立ち寄った食堂で

 僕はカレーを注文し、同伴の4名は名物の長崎ちゃんぽんを注文
 円形テーブルに、明らかに1対4の形で座る

 というひどい有様で、ウエイトレスの方も不思議な集団だと思ったでしょうね。

 当時はテレホンカードしかないので、毎日両親に向けて電話をし、ひとりでいるつまらなさを紛らわしていたことも、遠い過去の話なのですがJリーグに馴染めない外国籍の選手たち。

 彼らもまた、故郷を恋しく思っているのでしょうか。
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敗北から目を逸らさない事

2019-11-30 00:26:48 | 日記
 ベルギーと聞いて、皆さんはどのような印象を持つでしょうか。

 1・チョコレートの名門「ゴディバ」を生んだ国
 2・欧州連合の本部があるブリュッセル
 3・ジュピラー・リーグでプレイする日本人選手の増加

 というように、サッカーと食に関して言いますそ、案外身近に感じると思うのですね。

 僕は当然ベルギーに出かけたことはありませんし、ベルギーの方と話したこともありません。

 もし将来、彼らと話す機会があれば、是非彼らに握手をしてこう伝えたいと思います。

 「ロシア。ワールドカップであなた方に16強で敗れてから、日本代表の方針が明確となった」
 「日本代表が8強をより意識するのは、あの敗戦があったためなのだ」

 欲を言いますと、再度ワールドカップ本戦でベルギーと戦い、勝利してこそ敗北の払しょくは賄えると思いますが、覚え続けなければいけません。

 クラブのリーグ戦
 毎年行われるチャンピオンズ・リーグ

 では外国籍の補強もできますし、毎年行われているわけですから、前年至らなかった事を翌年に向けてすぐに準備ができます。

 例えばレッズが大槻監督を来季も続投させることで、政権の安定と再度、アジアで戦う準備に着手するという方針を打ち出していますよね。

 実は僕も山梨学院大学在籍時、仕事探しのために立ち寄った説明会の一角で

 「君は本当に何がしたいんだ!!」

 と叱責してくださる方がいて、目を覚ましたことがあります。

 おかげ様で浪人せず長野市で就職することができたのですが、結局半年で退職するという情けなさを露呈してしまいましたが、

 「目を逸らさない事」
 「その事実に向き合うこと」

 は簡単にはいきません。

 ですから、日本代表がワールドカップで上位進出を目指すには、事あるごとに

 2002年大会のトルコ戦
 2006年のオーストラリア戦
 2014年のコート・ジボワール戦

 などを、選手もファンも資料を見返すくらいの意気込みでいたいと思うのですね。
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僕が考える超大国の意義

2019-11-30 00:03:08 | 日記
 近代における覇権国家は「超大国」と呼ばれてきました。

 戦前は英国であり、戦後は米国が相当し、少なくとも特権階級を無視した、つまりどの国にもリーダーシップを採用しない締結のある欧州連合よりも、彼らの動きが今でも注目される。

 その理由は経済力、軍事力、そして人の痛みを知る「であろう」点にあります。

 サッカーの超大国なブラジル
 卓球の超大国は中国
 バスケットの超大国は米国
 ラグビーの超大国はニュージーランド

 スポーツにも超大国は存在しますが、僕が思うに超大国の存在意義は国際大会での優勝回数、スターの排出、育成の出来栄えなどは全く関係ないと思うのです。

 僕が思う彼らの意義は

 「一つの敗戦における、途方もない苦渋とその重み」
 「その敗戦から、いかにして前を向くかを知っている」

 ことにあると思います。

 ラグビー・ワールドカップは南アフリカが優勝し、本国に帰国した選手たちが大喝采を受けました。

 しかし、2015年の彼らは日本代表に敗戦し、同国のファンを失望のどんぞこに突き落とします。

 南アフリカのラグビー史の中で

 ワールドカップ3度の優勝
 ブライトンにおける日本代表との屈辱にまみれた一戦

 は選手たちの意思に関係なく、今後も必ず「対」となって表現されるのでしょう。

 ですから、彼らはこの記憶を忘れようとしても無駄であり、だからこそ2019年大会優勝の力に変換できたに違いありません。

 セレソンが1974年、あの「時計仕掛けのオレンジ」と謳われたオランダに0-2で敗戦を喫し、その後遺症をぬぐうまでは1994年までまたなくてはいけませんでした。

 米国大会では2-3と打ち合いの果てに勝利し、セレソンは優勝という歓喜に浸りますが、フランス大会は1-1の後にPK戦での勝利でしたから、どっちに転んでもおかしくはなかったですよね。

 この試合の終了後、マリオ・ザガロは涙を流します。

 彼はそれまで1974年の呪縛から解放されず、24年の月日を経てようやく解放されたのでしょう。

 それくらい超大国にとって一つの敗戦は、人生そのものを失いかねない物と言えます。
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スターがスターの看板を降ろすとき

2019-11-29 00:42:58 | 日記
 僕は前回、スター選手の存在が新しいスター選手を生む下地になるとお話しました。

 一方で自身がスターであ血続ける責任をおろし、スターのために動くことを目的にした選手もいます。

 バスケットの話で恐縮ですが、1990年代にラリー・ジョンソンと言う選手がいました。

 コンバースから発売された名品「エアロ・ジャム」は彼専用のバッシュであり、近年復刻されるなど今でも人気の品です。

 彼はシャーロット・ホーネッツから全体1巡目の1位で指名され、1991-92シーズンの新人王、1993年のオールスターゲームへ出場と、素晴らしい活躍を見せます。
 
 また1994年にはトロントで開催の世界選手権でも優勝し、金メダルを持ち帰ります。

 しかし以後は腰痛をはじめとする体調の変化に悩まされ、1996年にニューヨーク・ニックスに移籍します。

 彼はニューヨークに移籍する際

 「僕はもうスター選手ではない」
 「スター選手を支える縁の下の力持ちでありたいんだ」
 「そして一分でも長く、NBAに在籍したい」

 と語り、ニックスの顔であるパトリック・ユーイングをサポートする事に努めたのでs。

 なかなか、こんな事言えませんよね。

 サッカーも同様で、過去の名手がベンチに降格しても、率先して明るく振る舞い、そして声をかけてまわることがあります。

 2010年ワールドカップ日本代表に、GKの川口能活が選出されて際は大きな驚きがありました。

 岡田さんは彼の存在と場数が必ず代表の武器になるという信念の下で、招集対象とみなしたわけです。

 1993年のアジア予選では、初戦のサウジアラビア戦をドローで終え、2戦目のイラン戦を0-1で敗北という暗い空気を払拭するために、都並がカラオケマイクをもって奮戦した。

 という逸話もあります。

 このような、地味な働きを「正当」に評価できる上司のいる職場は、絶対に強い職場だと思いますよね。
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スターがスターを作る、という背景

2019-11-29 00:28:27 | 日記
 サッカーにも映画にも「スター」が常に求められます。

 25日発売のザ・レイク、表紙はマルチェロ・マストロヤンニですが、彼の身のこなし、風貌はイタリアだけでなく日本でも参考にする男性が多い事で知られています。

 日本ならば僕の祖母はやはり

 「美空ひばり」

 の大ファンで、戦後、傷つき悲しむ多くの方々の心情を、彼女の歌声が癒し、前を向いて生きていこうと思わせたに違いありません。

 スターというのは当然のことながら、観客動員が見込めますし多くの企業が起用したいと思わせる存在です。

 しかし、一番大事なのは

 スターにあこがれてスターが生まれる
 スターはファンの心を明るくする

 という2点ではないでしょうか。

 かつて「ワールド・サッカーマガジン」が、「スター・メイクス・スター」という、スターが輝けば新しいスターが誕生するというコラムを掲載していたものです。

 ジダンとフランチェスコリ
 ベッカムとブライアン・ロブソン

 偉大なる先達がいたからこそ、ジダンとベッカムはそのプレイをつぶさに観察し、真似し、必死になってボールを追いかけました。

 だからこそクラブと代表で良い時も悪い時も過ごしながら、サッカーを純粋に愛し続けたわけですよね。

 でも、日本にも偉大なるスターがいます。

 それはまだ日本リーグというアマチュアの時代で、ワールドカップ出場はおろか、アジアカップや五輪出場もままならない、サッカーが不遇の時代でした。

 その国から、まさか世界中を虜にする

 「ツバサ・オオゾラ」

 という空前絶後の存在が生まれたことは、本当に奇跡なのかもしれません。

 ポドルスキ、トッティにデル・ピエロ。

 各国代表が愛した作品が今でも読まれ続けていることを、改めて感謝したいと思います。
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