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「社誌に載らなかった社史 (続編)」
眞田 倬至(KYB(株)OB)
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平成18年版・役員OB文集に“社誌に載らなかった社史”を紹介し、その時の恩人に何時か再会したい思いを述べました。
去る6月15日、永年の夢が実現したのが上掲の写真です。背景の建物は彼らの地元近くにある、16世紀に造られた
古城です。41年ぶりの再会にはPettersson氏(私の右・手前)、奥様、二人の子供の夫婦と孫たち8人が、Strangunus
(Swedenの首都、Stockholmから西に100km)で温かく私を迎えてくれました。 私の良き遊び相手だった坊や(写真
右から2番目)も今や45歳です。彼も父親の血筋を継ぎ、Sweden MX125㏄のチャンピオンになったそうです。
1972年、得意先から酷評を受けていたカヤバの2輪車用緩衝器に対し「世界一の商品を見つけ出せ!」と、上司から
重い責任と種々の試作品を背負いながら世界を80数日間放浪。まだ粗削りのDe Carbon式ガスダンパーのポテンシャル
を見出してくれたのが唯一、Pettersson氏(K社契約・元MX世界チャンピオン)だった。 これが契機となって2輪車用ガス
ダンパーの開発が始まった。この後、数年の歳月と一切の妥協を許さない上司の指導、それに優秀で忍耐強い同僚たちに
よって手が加えられ、先に商品化されていた4輪車用ガスダンパーとは似ても似つかぬ製品に仕上がった。究極の性能を
要求されるレースマシンから始まり、高性能な2輪車にはガスダンパーが装着され今日に至っている。彼の一言がなければ
2輪車用緩衝器事業の社史は別の運命を辿っていたと私は思う。
今回、出掛ける前にKYB秘書室に私の計画を伝え、会社のロゴが入ったお土産と最近の会社概況冊子を携えPettersson
氏にお渡しした。
ご本人からは「プロライダーを引退してから初めて会う2輪車関係の珍客。このように自分を評価して頂き幸せだ」との言葉
を頂いた。帰途、Stockholmから搭乗したAir Franceがなんと彼らの地元上空を通過、機長の粋な計らいに感謝しカメラに収
めたのが下掲の写真である。
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私が会社に在職中、通算して19年間お世話になった海外の恩人や友人には、一昨年北米へ、昨年はインドネシア、今回
は欧州へと自分なりのお礼行脚をし、ほっとした心境です。
一方、前述の新製品開発の秘話に興味をもってくれたKYB・AC事業部・技術幹部の皆さんの依頼を受け、この8月初旬、
私が関わった他の出来事も含め話をする機会がもてたことは幸いでした。話を聞いて頂いた方には「私の経験談は“社誌に
載らなかった社史”だが、あなた方には是非“社誌に残る社史”を創りあげて欲しい」と言うことを結びの言葉としました。