蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

寒っ・・・!!!

2009-12-18 | 読む人々には興味ない話
http://www.flixxy.com/bear-animal-nature-film.htm
↑↑この動画、なかなかイケてます。

このおハナシは、出来過ぎだが、人間も見習わなければならない。
どうも人間は、ネグレクトに近い放任か、過干渉・過保護。距離の取り方が下手。
体だけは大人のようだが、精神は未発達、自己中心的な親が多いようだ。
結婚しても子供を産みたくない、という人が増加しているのは、
なんだか「個人の自由」の、はき違えのような気がする。
自分以外の人のために、尽くす、愛を注ぐ、というのも、経験したほうが、絶対にイイ。
恋愛もそうだが、子育ては、恋愛よりもさらに、人間の幅を広め、感性を磨く。
そういった経験は、映画や、芸術、旅、あれこれ、人生の後半になると、感慨もひとしお、深くする。


悩みの相談サイトを、ちょっとだけ覗くと、そこは、病院の待合室のようなかんじ。
心の病の人が、ひしめきあっている。
ほんの少しでも近付きかけると、引きずられそうになる異様な負のパワーを感じる一角もある。
プラス思考の私としては、自分の元の場所に戻ると、ほっとする。
心身ともに健康、健全な場所に身を置けることに感謝。


今朝は雪も舞い、急に寒くなってきた。
心も体も温かくして、この師走を乗り切りたい。
ちなみに、紫色のダウンコート、気になるものがあり、お取り置きしてもらった。
だが、今、悩みの渦の中。
モノをひとつ手に入れると、ひとつ、捨てろ、と、賢人のアドバイス。
「素敵なモノに囲まれた暮らし」を提唱している人の著書に、載っていた。
あのダウンコートの代わりに、ひとつ、捨てるものはあるのか?

今日も、もう一度、お取り置きしている店に、チェックしに行ってきた。
さらに、お取り置き期間を延長してもらったが、悩みは、益々深くなるばかり。

今年は、ひょっとして紫が流行なのだろうか???
だとすると、益々、紫は避けたい。
気に入ってしまったところに、問題がある。
結婚できない人を、好きになってしまったようなものだ。
見なければよかった・・・、出会わなければよかった・・・・、あの店に行かなければよかった・・・。

私の悩みは、実に浅い・・・、他に悩むことはないのか・・・?? 単なる、優柔不断??
が、真剣だ。
今週いっぱい、悩みは続く。


話が、ばらばら、流れが、むちゃくちゃになってしまった。
まとまりのない、展開で、ごめんなさい。
吹雪も吹くが、煩悩の嵐も吹く、ってことで・・・だめでしょうか。


カールじいさんの空飛ぶ家

2009-12-16 | 映画
ディズニーピクサーの映画「カールじいさんの空飛ぶ家」を観た。
予告編を観たときから、絶対に見に行こうと思っていた。
予告リーフレットを読んだだけで、涙が出た。

愛する人を失って、思い出にどっぷり浸かる日々。
そんな、過去ばかりに生きるのではなく、前を向いて歩き始める、カールじいさんの決断、勇気、行動力。
じいさんというものは、とかく、ばあさんを失うと偏屈になりがちだが、
そういう苦境を乗り越える展開、ストーリー。
「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド主演)も、同じく、独居じいさんと、少年、(プラス、犬)の組み合わせ。
偏屈ながら、時代遅れと言われようが、
最後の最後まで自分らしい行き方を貫き通した、クリント・イーストウッド扮する、じいさん。
表現方法や味付け、ティスト、スタンスや、ストーリー展開は、「グラン・トリノ」とは全く180度違うが、
それぞれには、それぞれの良さがある。

3Dアニメ? CG? よくわからないが、
ハリウッドがこれで盛り返すか?!と、自信を持っている「3D映像」とかで、
とても精巧にできている。
(劇場で3Dメガネは貸し出されなかったので、画面から飛び出さなかったが)
表情は、俳優よりグンと上手く、心理がはっきりわかるように演技できている。
音楽と映像のテンポが、実に絶妙。
あり得ない展開だけれど、ハラハラドキドキ、迫力満点、とても楽しい。

いくつになっても、旅に出るには理由はいらない・・・・。

泣けてくる。
実は、美しい思い出の詰まった追憶シーンだけで、もう充分だった。
が、その後を生きていかなければならない。

追憶シーンをもっと長く充実させたほうが良かったのでは、という映画感想もあったようだが、
私は、あの、・・・あの短さが、よかった。
「よくわからんかったわ」という感想を発している若い女性もいた。
解釈の仕様、受け止め方は、ひとそれぞれ。
こと細かく、内容を説明はしていなかったが、
あえて、それは、観る側に、イマジネーションをふくらまさせる効果があると感じる。

感じない人には、感じないだろう。
メッセージを受け止めない人もいるだろう。
作り手の訴えたいことと全然違う、受け取り方をする人もいるだろう。
観る人の年齢や、経験による違いもあるだろう。
私は、私の受け止め方をした。
ナイーブで、力強くて、希望があって・・・素晴らしいパワーを感じた。

失ったものを追憶するばかりではなく、その思い出を糧にして、
毎日、1秒1秒、確実に時を刻む現実にも目を向け、前向きに生きるということ。
自分が変わるためには、最初の一歩が必要だということ。
旅に出ることは、人生の旅を切り拓くための、第一歩かも知れないということ。
私はこの映画から、そういうメッセージを受け取った。

心に、じんわり沁み込むものをいただいて、映画館を後にした。





驚愕のとき

2009-12-15 | 
夫が、先日、いつものごとく仕事前に、朝刊を読んでいると・・・。
ん?? え??? なにぃ~???
と、なった。

その日の夜、帰ってくるなり、私に、
「この新聞、読んでみて!!!」と、息急き切って畳み掛ける。
えぇ~、面倒くさいなあ・・・やりかけている途中の用事の手を止められ、渋々、記事に目をやる。

なにやら、難しい、産業先端、社会状勢、制度改正後の実情、云々かんぬん・・・
あとにしたい気持ちをぐっと押さえて、我慢強く読み進めていると・・・

ん?? え??? なにぃ~???
と、なった。


この名前、見たことある。
この年齢、知ってる。
この写真、見た覚えがある人物。
息子、やんか~。
取材を受けて、語っている。

知らなかった・・・・こういうことしてたのか・・・
こういう方向に行きたかったのか・・・
親が聞いても何も言わない、我が家ではトップシークレット級のことを、
紙上でぺらぺら話している。
本人の口からではなく、紙面を通して、息子の考え、意向を知った。
なんだか、へんだが、おもしろい。

しかし、犯罪被害者でもなく、加害者でもなく、事故遭遇者でもなく、
川柳投稿者でもなく、ご意見投稿者でもなく、ノーベル賞受賞者でもなく(当たり前)
こういうところに、突然、載るというのは、実にユニークな、驚愕の瞬間だった。

なるほど、夫の、早く読ませようという気持ちが、よくわかった。
娘にも知らせようと、ちらと見ると、
彼女は、その記事の上に自分の飲むコーヒーを、ソーサーなしで直に乗せていた。
「あ~っ、その上に、コーヒーなんか置いたら、汚れるやんっ!」

「この新聞、読んでみて!!!」と勧めたら、私の時と全く同じ反応。
最初は、実に面倒くさそうな、嫌そうな態度。
だが、次の瞬間は、親である私とは違う反応を見せた。
「へぇ~」
たった、それだけ。愛想なし。

[写真も見て!」と私が勧めても、気乗りしない様子。
「どれか、わからへん」と、全くやる気なし。
母親と兄妹では、こうも違うものだろうか。

嬉しさあまって、夫が息子にメールを入れたが、予想通り、なしのつぶて。
相変わらず、個人情報は公開しない主義のようだ。

折しもその掲載日は、たまたま私たちの結婚記念日。
息子からの、奇襲サプライズ・プレゼントとなった。







忘年会~自治会編

2009-12-13 | ご近所さん
今年最後の自治会の班長会議。
その後は、ご町内の欧風レストランへ。ランチ忘年会だ。
前々から、参加か否かを申し込んでいた。
男性は3人しかいつも会議には来られないが、そのうちの1人は不参加。
あと、女性は全員参加かなあ・・・と、顔ぶれをチェック。


レストランの壁面には、素敵なアート刺繍の力作の数々が飾られていた。
オーナー女性が趣味で作られたそうだが、その腕前は、教室を開かれてもいいぐらいだ。
得意分野は、料理だけには留まらないようだ。
室内もトイレも、大きなお生花が活けてあり、全体に優しい、女性好みの雰囲気。
テラスから見えるガーデンも、可愛らしく爽やか効果。
彩り美しい、食べ応えのあるフレッシュサラダ、かぼちゃのポタージュスープ、バジルとクルミのブレッド、
ボリュームたっぷりのお肉がゴロンと入ったビーフシチュー、
紅茶のシフォンケーキに生クリームを添えて、
そして自治会からの特別クリスマスケーキ。最後に、コーヒー。

おしゃべりは、はずむ。
私は、少し遅れて行ったので、席を選ぶ自由はなかったが、同席したのは、
健康増進・実践家の博識男性(63~4歳ぐらい?)と、
これからの街の住民同志の連帯を考え、サークルを立ち上げた活動家の女性(60歳ぐらい?)。
自治会役員という括りなので、共通点は、居住地、生活圏が同じ、ということ。
健康維持に関するノウハウ伝授や、痴呆老人の介護、社会参加のススメ、身近なゴミ問題、
グルメ談義など、朗らかに会話は進んだ。

次に移ったテーブルでは、M女史(50才)の、ひとり独演劇場。
周りは、聞く一方。
彼女の趣味のビーズ・アクセサリーの作り方、材料の仕入れ方、使い方、ストックの仕方、
偶然、彼女の作品を見て、作って売ってくれという人が現われた経緯、
どうやってその人にオリジナル手作り品を作り、配達したか、仕入れ値、売値、
…云々カンヌン、微に入り細に入り、延々と続く。

そのテーブルには、40代中ば?の派手派手女性Sさんという人もいたが、
Sさん、M女史ともに、こんなご近所店なのに、細身のロングブーツ。御苦労さま。
他には、自治会長さん(65~70才?の女性)と、独身らしい55歳ぐらいの男性。
この男性は、小柄で色白、影の薄い、ほとんどしゃべらない大人しい人。
独身と聞いて、なるほど・・・と納得してしまうタイプ。
派手派手女性と、M女史が延々と話していたけれど、他の同席の人のことを考えると、
もっと共通の話はないの???と思ってしまった。

一瞬、私が席に入った時、自治会長さんに、「スローさん、ご趣味は?」と聞かれ、
「社交ダンスです」と答えると
M女史は即座に、「社交ダンスぅ~? あれって、男性とくっついて、キモチ悪いよね~」
私「そう? キモチ悪いとかではなくて、上手か下手かで、違ってくるけれど。
私の先生、20代!」
M女史「ダンスが上手な人と言えば、私の知ってる○○さんは、嵐や、NEWSや、・・・
(ジャニーズ系をずらずら列挙する)に振付を教えていて・・・」
またまたM女史の世界へと引っ張っていく。
あんな内容は、50代の男性も、70手前の自治会長さんも、全く知らないだろうと思うけれど、おかまいなし。
ガールズトークはそこそこに切り上げ、もうちょっと、周りの人の年齢、性別を考慮すればいいのに。

だが・・・
この50代独身男性は、このケバいM女史の話や身振り手振り、「ケバさ」がお好きなよう。
以前も、凝ったターコイズ・ブルーのストーンやヒカリモノを盛り込んだネイルを見せながら、
延々とウンチクを話す、M女史のネイルアートの話を、井戸端会議で、大人しく、聞いていたから。
全く接点はないけれど、彼にしてみると、楽しいのかも?
長い沈黙を破って、最後にひとこと、口を開いた彼の言葉は、こうだ。
派手派手Sさんに、「その財布、ブランド?」

私は、コケそうになった。
この人のアタマ、どういうナカミなんだろう、と、・・・・思いあぐねた。
話を合わせているのか、(それにしても、唐突・・・)
はたまた、自分は地味の極みだが、実は派手好きで、ケバフェチなのか。
キャバクラにでも居るノリなのかなぁ~。
案外、ああいった男性が、結婚詐欺に引っ掛かるのかもしれない・・・などと(失礼ながら)思ってしまった。

M女史が、車で、送って行ってあげようかと、私に言ってくれたが、
「いいわ、いいわ、近いから」と(本当に近いし)断って、他の3人の人と歩いて帰った。
しばらくすると、その背後から、プァップァッと、クラクションの音。
振りむくと、ジミジミ男性を含め、何人かを乗せ、
M女史の運転する真っ赤なベンツが、颯爽と風を切って走り去った。




忘年会シーズン、真っただ中

2009-12-12 | 仕事
昨夜は、仕事がらみの忘年会「Part2」。
我々は接待する側なのだが、お客様は、仕事を発注してくれる会社の担当者、O氏。
「30分遅れる」というO氏からの連絡を受けたまま、
待っても待っても彼は現れない。
ようやく1時間10分後に、O氏は姿を見せた。

店は、予約を取らない主義の寿司屋。
なので、開店直後から、カウンター席の陣取り合戦。
1時間近くも待っていると、そこそこ酔いも回るし、お腹も膨らんでくる。
そのO氏の遅い出現から、なんと5時間もその店に居た。
待ち時間を入れると、6時間を超えた。
その間、ビール、焼酎、日本酒、一品料理のあれこれ。
お寿司屋さんなのに、御飯がなくなって、お寿司はオシマイ。
ネタ切れならぬ、シャリ切れ。

O氏は、お客さんであり、あくまでも接待の一貫なので、
最初はあまり気分が乗っていないO氏を盛り上げるまでは、
あれこれ話題を振ってウォーミング・アップ。
次第にお酒も回りはじめ、O氏の趣味のF-1レースや電車の話などで、盛り上がり
だんだん、お酒の潤滑油効果が表れ始めた。

O氏の亡くなったお父さんの話に、もらい泣きしたり、
今度の仕事の構想やプロジェクトの話を聞いたり、
マーケティングや開発、会社の実情、
次の受注につながる仕事の前約束をしたり。
時間が経つのは、実に速い。

彼のお酒は、悪いお酒ではない、陽気な飲み方だ。
ただ、やたら強くて、太刀打ちできない。
そこからは、接待のプロ中のプロ、新地のママに、バトンタッチ。
私以外の人たちは、タクシーで新地のスナックに向かったが、
私は、日付変更線が変わる前のシンデレラのごとく、後は、徹夜組にお任せして失礼した。
彼らは、翌朝の電車の始発時間まで、飲みに飲む。
飲んで、歌って、食べて、しゃべって、・・・
それにしても、よくまあ、飲むものだ。

電車には、忘年会の帰りと思われる人たちが、わんさか。
大声で酔っ払い口調で、延々と一方的にしゃべっている女性がいた。
ホームでべらべら、女性の、ろれつの回らない声が続く。
みっともない、うるさい、耳障り・・・いつまで続くのか。
ああいうのには、なりたくない。
駅から自宅に向かうタクシーは、長蛇の列。
タクシー乗り場から見える、屋台のラーメン屋には、そこそこ人の出入りがある。
近くで、ストリート・ミュージシャンたちが声をはりあげて、歌っている。
頑張り、熱意、声のデカさは認めるが、歌、うまくないんだけど・・・

年末のハナ金、忘年会のシーズン、真っただ中、
あちこち酔っ払いが大騒ぎしているわけでもない、
街はちょっぴり静かに、色で言えば、ダークなチャコールグレー。
そんな印象がした。

お悩み相談~続編

2009-12-10 | わたし
あれから、続々と回答が寄せられる。
最初の1つだけ、お返事をアップしたが、それも卑怯かと思い、
ひとつひとつに、お礼のコメントをアップした。
すると、結構一生懸命、綴ったりしていたら、段々疲れてきて、余計、疲労がたまった。
これ、本末転倒、デス。

私のお悩み相談投稿が、またまた長い長い、超長文だったので、読むのは大変だっただろう。
御苦労さまでした。
真剣に回答してくれる人もあるのかも知れないが、
関連付けて自分のことをぶつけたりして、ストレス解消している人もいる。
中でも、あからさまに不快感を示すのは、男性。
それも、若い男性と、中年男性。
なんで、ですかねー。
私は、私自身のありのままを書いているだけなのに、自分のことを非難されていると感じるのだろうか。
ヘンに被害者意識が高い人だと感じる。
非難どころか、言及もしていないのに、自分の弱点に触れられ、さらけ出されたような気がしてか、
先に、向こうから攻撃してくる。
そうなってしまうには、そうなるに至る、今までのプロセスや、苦い経験があるのだろう。
ある意味、可哀想だ。

次に感じるのは、文章の理解力と、表現力が、人それぞれ、違うということ。
文章を通して、思考する作業をし慣れている人と、そうでない人がいる。
なかには、私の書いていることを文字どおりに解釈していなかったり、
まるで関係ない、的外れなことをおっしゃる、ちんぷんかんぷん?の人もいて、
回答を寄せてくださるのは、ありがたい、と言えばありがたいのだが・・・。
寄せられた文章に、育成歴、人生経験、教育背景や、教養の有無が、にじみ出る。
表現はともかく、内容が大事なので、上げ足を取るつもりは全くない。
こんなものは、オアソビの一種みたいなものなので。

ぴたっと、自分と重なる人が、何人かいた。
不思議だ。
おそらく、同じような経験をしたか、同じような暮らし方をしてきた人だろうと、想像する。

以前に、ある先生が、
「人に自由に文章を書いてもらうと、たとえ、短いものでも、
その人となりが、即座にわかる」と、おっしゃっていた。
確かに、的を得ている。
私も全く同感だ。

疲れたことは、疲れたが、ちょっと面白い経験になった。





疲れました

2009-12-09 | わたし
やっぱり、自分のブログは、落ち着ける。
(当たり前?)
悩みの相談みたいなサイトに、投稿したら、なにやら非難めいた発言が続き、どっと疲れた。
相談内容は、特定されないために、一部を変更しているものの、ほぼ、事実通り。
心のなかは、全く、そのまんま、あからさまに。
なので、突然、鋭利な切り口で、胸に切り込まれると、キリリと突き刺さる。
回答に対するお礼も、最初のひとつだけアップしたが、あとは、回答を見る勇気がない。
有名人が、マスコミに、あること、ないこと、あれこれ書かれるのは、こんな気分?

自分の心の悩みなので、自分のことは自分が一番知っている。
そして、悩み自体は、肝心のところは、ぼやかしているので、
回答するにも、正確なところは、つかめないだろう。
そして、自虐的な辛口表現も、ついつい入れてしまう傾向がある。
なので、余計に、非難傾向の回答が集まる。
あと味が悪いので、もう、見に行くのをやめようと思っている。
でも、怖いモノ見たさに、また覗くかも?

あんなものに、首を突っ込むのは、よくない。
世の中、いろんな人がいるので、いろんな感想、意見を持つ。
私のことをよく知らない人に、誤解を与えるような書き方をした私も悪い。
かといって、自分を美化するつもりもないし。それなら、相談にならない。
客観的事実だけを載せたらよかったのだが、私の心情も入れたのが良くなかった。

牙をむくバケモノの潜む、不特定多数の人が行き来する場所は、避けよう。
目をそむけたくなるような嫌な面も、人間の本質のひとつなのかも知れないが。

ブルーな気分になった。
まったく、失敗の巻・・・だ。


昨日の仕事がらみの忘年会「Part1」も、同じく、疲れた。
取引先のお客さんが、酔った勢いで、持論を大声で力説する。
しかも、全く私には理解できない、賛同できない、正反対の意見、考え。
何度も同じことを大きな声で繰り返す。
押しつけがましい、偏見に充ち溢れたその持論は、聞くに堪えない。
こういう、まるで違った考え、違った棲息地の人と、席を同じくするのは、実に苦痛だ。
ちょっと、お酒がひいて来たのか、お開きごろは、その人も、おとなしくなったが。
お酒の勢いで、コンプレックスのかたまり、卑屈な面、ゆがみ、歪みを、どっと噴出されると、本当に疲れる。
まあ、いろいろ抱えて生きて来られたのだろうけれど。
別にお友達でもなんでもないので、包みこんであげられないのが、哀しいが。。。
吐き捨てたい感情の、ダスト・ボックスではないので・・・


やはり、自分の居心地のいい場所が、いい。
自分には、自分に適した温度や、湿度、色がある。
そこが、好き。私は、やさしい、ふうんわりした空気が好きだ。



浪花極道のおんなたち

2009-12-08 | 人々の風景
しーーーんとした、車内。
誰一人、おしゃべりをする人もない、その静寂を破るのは、女性。特徴、チンピラ風。

チンピラという人種は、今まで男性の専売特許のようなものだと思っていたが、
いえいえ、昨今は、女性もその分野に進出しているようだ。

二人連れの若い女性。
座席に、お互い向き合うように、ででーんと場所を取り、斜交いに座っている。
片方の女性が、「聞いてえな」と、一方的にぺらぺら話す。
28歳という、その女性。
だんだん自分の話に酔ってきてるかんじ。話をさえぎらせない。

なんといっても、まず、話の内容が、ガラが悪い。
さて、どんなオハナシかと言うと・・・

パチンコで、お金を全部使ってしまった。突然、煙草が無性に吸いたくなったが、お金がない。
煙草を吸おうとして、そこで出会った男性と、お金をめぐるトラブル発生。
想像するに、寸借詐欺??
男性が女性から、だまし取られたお金を返せ、訴えるなどのひと悶着。
彼をとりまく家庭の事情、そして、家族の関与。
女性と母親との、パチンコ代のおカネの貸し借りの様子、やりとり。
別の日、パチンコ代稼ぎのため、女性紹介を装って、18歳の男の子相手に、金品詐欺未遂。
彼とのやりとり、その様子、一部始終。

こうやって書くと、客観的で理路整然としていて、なんてことないのだが、
ガラ悪キーワードは、人物を示す単語。
話の登場人物である、「おかん」「おっさん」「ガキ」。
あと、その道(悪道)の専門用語。
ストーリー展開は、犯罪一歩手前、あるいは、犯罪の内容、手口。
女性紹介(売春斡旋)、詐欺、脅迫。

「ガキが、チャリで来やがってよー。
ガキ、カネもってないくせに、オンナ紹介しろって言いやがって」
「騙されるほうが悪いんやで。
おっさん、てめえがボンクラのせいで、騙されてやがって、なにほざいとるんや」
「どついたろか」「シバけや」
「カネ、オカンからむしり取って、5分でスってもてよー」

うまく、再現できない。
少しは方言もあるのかも知れないが、
私の知っている単語に置き換え、同時通訳するような感覚で聞いていた。
いつもは、行きの車内は、私にとっては、リビング空間で、居眠りタイムなのだが、
昨日は、最初から私が降りるまでの、20分間、ずっと聞いてしまった。
「極道ひとり漫談」みたいなかんじ??
まあ、それはそれは、軽快なテンポで話は進む。
あの短い時間内に、よくあれだけ凝縮した内容の、臨場感あふれる話が、出来たものだ。
ある意味、彼女はトークの才能がある。
単語やフレーズによっては、早すぎたり、声が小さくなったりして、
聞きとりにくいところもあるので、緊張感をもって必死で聞いてないと、聞き逃す。
そこまでして、なにも聞く必要もないのだが、個人的には、ああいった人種にお会いすることも、
袖振り合うこともないので、衝撃もあったが、興味もあった。

それにしても、ガラが悪いにもほどがある。
感心するほど、笑っちゃうほど、だ。
極道路線キャラを目指す、吉本の芸人研修生だったりして・・・??
そう言えば、聞き役の人、若手お笑いコンビの「アジアン」に、似てるかも?
彼女に、まんまとノセられた?

大阪には、そこかしこ、文化がわんさか詰まっている。
いい意味でも、悪い意味でも。

ご近所・社交界

2009-12-06 | ご近所さん
日曜、朝9時から始まる、公園掃除に適する服選びに、苦戦した。
時間切れにつき、最後に選んだ、オワッているコートに、家族の一言、
「やる気の無さっぷりが、うまく表れている、ちょうどいいコートやね」
に背中を押され、たったった、と、走るものの、ちょっと遅刻。

「ハーイ!」
アメリカ映画に出てくるような、キャンパスで、クラスメートと挨拶するノリ。
実際は、「おはようございます」。
自治会の面々が、公園で一斉に枯れ葉ををかき集めている。
一家総出で参加しているファミリーもあり、子供でも、結構役に立つ。
「僕は、ちょっと旅に出てくる」と、小学生のお兄ちゃんの声。
気に入っているのか、何度もこのフレーズを使う。
そう言って、あっちこっちを、うろちょろ。じっとしていない。
弟「枯れ葉を袋に詰めたら、一袋につき1000円くれる?」
お兄ちゃん「1万円なんか、すぐ、貯まるな~。じゃあ、旅に出てくるわ」
第二、第三の平田オリザ君は、好奇心旺盛だ。

ご近所さん同志、近況報告が、あちこちで行われている。
老若何女、わいわい、「公園掃除」という名の、「課外パーティ」。
グラスを持つ代わりに、ホーキ片手に、
あっちの知り合い、こっちの知り合いのところに渡り歩いて、おしゃべりの花。

掃除が終わった後、参加者にはペットボトル入りのお茶が配られた。
その後、自治会館で本日開催の、うちの自治会の中高年サークルが主催する「バザー」を覗く。
そこでも、ご近所のお知り合いと、顔を合わせる。
「いいモノ、ありました?」
「シーツ買いましたよ。クリーニングするより安いから」

帰りに、隣接するスーパーの前で、別のお知り合いと出会う。
「バザー、行かれました?」
「いいえ、今回は、忙しくて」
笑顔で挨拶。何年ぶりだろう、あの人と会うのは。

ごきげんよう、ごきげんよう。
自分が、マリ―・アントワネットになって、宮中の人々に挨拶するよう?
王女役のオードリー・ヘップバーンにもなる私は、背筋を張って、明るく会釈する。
今朝は、いいお天気で、およろしいことね。→実際は、ベタな大阪弁。
脳内劇場は、勝手に進む。
別に私が偉そばっていて、先方がへりくだっているわけでもなんでもない。
日曜日、午前、爽やかモーニングの心象風景を例えれば、こういうシーンになるかなあ・・・と。

本来なら、憂鬱な自治会がらみの公園掃除も、映画仕立ての脚色をすると、とても楽しくなる。
さらに、帰ってから、NHK番組「のど自慢」を何十年振りかで、見た。
生放送なんだ、この、番組。
自分が年をとったせいで、番組を見る目や感覚も変わっていることに驚いた。
45分の間に、涙あり、笑いあり。
どこかに、素晴らしい公演を見に行ったような錯覚を覚えた。(→ノリすぎ)
自宅で、こんなに身近なネタで、こんなに楽しめるなんて。
(今、この瞬間だけの気分かも知れないけれど。次なる脳内上映予告編は、まだ未定)
夜は、帰りにスーパーで買った野菜で、家鍋だ。
安上がりにも程がある。

私、ひょっとしたら、お金があまりなくても、人とあまりお付き合いがなくても、
楽しいことが特別なくても、立派な人に囲まれなくても、
毎日、楽しく、一人になっても、
平凡な幸せを噛みしめて、生きていけるかも・・と、思った。

   






映画「クリスマス・キャロル」

2009-12-05 | 映画
映画館内は、ガラガラ。
ぽつん、ぽつんとしか、お客さんがいない。3組~4組??
ディズニーによる映画ということで、
クリスマス前の、賑やかな映画だろうと期待して観に行ったのだが。

『クリスマス・キャロル』 (原題:A Christmas Carol) は、
1843年のクリスマス前に出版された、英国の文豪ディケンズの中編小説。
その原作通りの内容だったが、実写とアニメを融合させた、新しい映像だった。
ジム・キャリーの、どの部分が、どういう風に現われていて、
どこからどこまでが、実写で、どれが、アニメなのか、よくわからなかったが、
3D映像とかで、スピード感はあった。
19世紀の冬のロンドンの街並みや人々の暮らしが、精緻に巧みに描かれていて、
「あ、こういう時代、街、好きかも」と、ドキンとした。
クイーンズ・イングリッシュなのだろうか。
とてもわかりやすい、クリアーな発音の主人公(クルージー)。
彼は、「Good afternoon!」と何度も言って、寄付を募りに訪れた人を追い払った。
こういう使い方をするんだ・・・
「うるさい!」とか、「もう、いい!」「だまれ!」「関係ないだろ!」「早く帰れ!」
みたいなニュアンスに使われていた。
私は、クイーンズ・イングリッシュのような(正確にははっきりわからないが)、
あの発音、好きだなぁ・・・

肝心のストーリーについてだが、
私は、キリスト教徒ではないし、一般的仏教徒(無信仰に近い消極的信者)には、
街のイルミネーションや、ツリー、ジングルベル、プレゼントなどに踊らされることはあっても、
クリスマスを心から祝うという、宗教的背景が形成されていないので、心底わかったとは言えない。
外国の文化を遠巻きに見る、そんなかんじだ。
決して、お金持ちではなくても、夢と希望を忘れず、感謝と慈悲の気持ちを持って、
努力をして、前向きに生きよう、ということらしい。

『クリスマス・キャロル』が出版された時代は、
マルクスが、「資本論」を出し、社会が大きく変わろうとしていた頃。
イギリスのあの時代は、まさに活気ある時代。
私は、よく知りもしないのに、理屈抜きで憧れてしまう。
文明開化の影響を受けるには、私の年齢は、あまりにも、時代的に合っていない。
戦後の豊かなアメリカ文化の影響も、生活の中では大きく受けているかも知れないが、
当り前のようになっていて、自覚がない。
社会全体に、アメリカ至上主義みたいなムードは、あったかも知れない。
しかし、今や、お手本とする憧れのアメリカの姿はなく、独自の目標を模索しているように思える。

私はなぜか、あの重厚なイギリス・・・・が、好きなのだ。
遠い昔、生まれて初めて海外を訪れた地も、イギリスだった。
映画で、イキイキと描写されていた街や人々の風情にすっかり魅せられた私は、
あの街に、行きたくなった。