蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せは、どこにある?

2017-08-04 | 人生
育児休暇中の娘がラインで、あれこれ送ってくる。
わたしの母校の同輩たちの活躍ぶりが、ニュースの特集としてシリーズ化されている。
すごいなあ、みんな、頑張ってるなあ。

それに比べて、、わたしは、、、
と、別に卑下するわけでも、悲観するわけでもない。
わたしは、子供たちや、孫たちの成長だけが楽しみの、普通のおばあちゃんになった。
それはそれで、とても幸せだと思っている。
充実感を噛み締めている。

あれだけ、社会に出て仕事をする女性に憧れ、非力ながらも挑戦し、あがいてみたが、わたしの最も心地よい居場所は、家庭の中だった。
チルチル・ミチルの「青い鳥」と同じだ。
童話には真理が隠されている、と実感する。
(だが、誰しも、躍起になって探している最中には、気づかないものだ)

しかし、それは臨終の最期の場で言うセリフ。
まだあと健康寿命は20年、不健康寿命は、さらにうん十年続く見込み。
わたしに幸せをもたらしてくれる子供たちや孫たちに、疎まれながら、カウントダウンを過ぎても、一向にこの世を去らない、わたし。
わたしに幸せをくれた恩返しに、わたしは恩を仇で返すかの如く。

童話には素晴らしい逸話が多いが、シンデレラストーリーにしても、王子様と結婚して、そこでハッピーエンド。
そこからが実際の人生が始まるのに、いきなり物語は幕を閉じる。
各自の想像に任せるという、余韻を残す手法。

わたしの、まだまだ可愛い盛りの孫たちに囲またハッピーエンドは、まさに、シンデレラストーリーのエンドと同じ。
そうは簡単、単純にいかないところに、人間の複雑さ、深さがある。
孫たちは成長し、見向きもされなくなり、おばあちゃんのわたしは、手助けが出来るうちが華だったピークを過ぎ、坂を下るのが大変。
若い人々に楽しませてもらった分、できるだけ皆に負担を掛けないように、下山していく準備をする。
孤独な下山であろうけれど、今の幸せをしっかり噛み締めて、下山の糧にしよう。
辛いことや大変なこと、いろんな実社会に必要なことをすっかり忘れてしまう、神様からのプレゼント(老化による脳の緩和)があると思うので、予定に組み込もう。
これからが、本当の山場である。

が、まだ、とりあえずは、すぐさま下山しなくても、10年は高原でピクニックできそう。
しかし、下界から用事あれこれのお呼びがかかり、ゆっくりもしていられない。
わたしは労務要請、請け負い人であるが、こういう役割もないと、下山の際の思い出も乏しくなる。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村