蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

我慢できなくても我慢する

2017-08-07 | 日々のこと
わたしは、自立していない依存型の人間である。
自立しても良いのだが、自分の足で立つと、あまりにもヨロヨロで、貧相。
それでも自分が良ければ、良いのだが、周りに使えそうな杖や、頃合いの良い乗り物があると、使ってしまう、乗ってしまう。
何もない時代であっても、原始時代でも、木の枝で杖ぐらいは作れる。
原始時代に生きていたら、わたしは、いの一番に(死語を堂々と使う)、マンモスに踏み潰されているかも知れない。
どんな立派な人や、精悍な人でも、動物や自然界のダメージが大きいかも知れない。
火を使える人間は生き延びたわけだが。

火を使えるようになったDNAを受け継ぎ、知恵を使い、弱い立場を切り抜けて来た。
なので、自分では何もできなくて自立してないと言っても、自立しているのだ。

そう思うと、ヨタヨタ足の自分であっても、自己肯定の流れになった。
人を使うのは、火を使うのと同じ。
自分が出来ないことを出来る人にやってもらったり、サポートしてもらったり、代替え品でクリアしたりするのであれば、嘆くことはない。

自分一人では何も出来ない、と、思い込んでいるが、そう深刻になる必要はないように思う。


例えば、夫。
(じつは、ここからが本題)
この人物がいないと、わたしは生きていけない。(不便で)
なので、仮にいなくなることを想定して、(いなくなると困るので)、彼のとても嫌なことがあっても、わたしは無理やり我慢する。
相当、我慢できないが、自然の摂理に逆らってまで我慢している。
しかし、いなくてもどうにかなる(多少、不便でも)、と開き直れば、屈折し、鬱積した思いを抱え込まなくてもよい。
「不便」にさえ耐えたら。
(しかし、そもそも、便利だから夫婦なのか?)
問題の根源は、依存体質にあるのではないだろうか。
改善すべきポイントは、自分の内側にあると言えよう。

妻は夫を残してあの世に行きたくない人が多いらしい。
わたしは、どうか?
先でもいいし、後でもいい。
どっちも、オッケー。
理由は、あれこれあるが、今日は、タイムスケジュール、時間切れにより、書かないことにする。

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