狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

義人とか

2011-01-12 11:54:25 | Weblog
「油断一瞬、怪我一生」というという標語がある。
漢字は(oil,grease)(cut)(one)(instant)
(strange,weird,doubt)(I,me,self)(one)(life)みたいな。
日本語だとoil cutでcareless、weird selfでinjuryになり、
事故のリスクの大きさを警告する文になるのだが
中国人が読むと別の意味になるらしい。

義人の条件を考えてみる。
1. なにかを持ってくる
2. なんらかのそれっぽい話を残す
3. その後の状況がその人で決まっている

イエス氏は義人っぽい。
イサク氏もそうだろう。
サムエル氏もそんな匂いがする。
で東洋で義人探しをすると、天子という単語が出てきた。
だとすると中国の扱いが悪すぎるのも納得がいく。
常時喧嘩売ってる状態なんだから良くしようと努力しても
助力を得るのは難しい、ということになってくる。
じゃあどうするか、なんだが
・彼の日を祝日とする
・彼のお墓に国の維持者たちで参拝し保全する
・国家規模の見直しキャンペーンをする

こんなところだろうか。
地上の人たちに対して良くすることもやって当然なのだが
上と和解できればそこらへんは指導してもらえるはず。
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滓とか

2011-01-10 16:21:42 | Weblog
本の最後に見る具体的目標の一つはソロモン王の統治を
世界規模で再現することにあるようにも見れる。
計画の起点はもっと前だろうけど。
ギリシャポリスやローマの流れはそれに沿っている。
なのだが現在の日本はそうなっていない。
そのことから「強い王」を求める人たちを私は
周回遅れと見なしていたり。
計画の気に入らない点がここであり、不和の一つ。

日本人が強い王を求めないのなら小泉氏はなんだったのか
と問われるかもしれない。
彼の写真があちこちにある。
そこには周囲を喜ばせる彼の姿があり、
日本人のうち彼の側の人たちはそのことを喜び
そして誇っている。

運悪く彼と敵対してしまった人たち、
彼に旧時代の滓とされた人たちから手紙が来た。
私はそれを良しとした。

左派に怒ると怒られると書いた。
その後怒るのを辞める、としたらまた怒られた。
どうやら方向性の間違いではなかったらしい。

足し算の順番でバツにする教科書業者は消滅しろ。
彼らが教えているのは上意下達だ。
それを疑問に思わないのが彼ら。

ちょっと社会科学っぽい方向に戻ってみたりする。
インフレを傾きと見る。
過去と未来のバランスで、未来の側が高いのをインフレ、
過去が高いのがデフレであると。
傾斜であるので一番良いバランスとする点は
人によって異なるが、未来が高いと物事が新しくなっていき、
過去が高いと現在にどんどん滓が溜まっていくと。

経済成長はGDP成長率なんかで量られている。
GDPが増えるということは金額ベースで消費が増えていると。
金額が増える内訳を人口増、インフレ、そして
一人当たりの購入増としてみる。 正しいかどうかは知らない。
人口増加が1%、インフレ率が1%、GDP成長率が3%なら
一人当たりの購入増は 1.03 / 1.01 / 1.01 で
1%くらいとなるのだろうと。

消費者の購入活動を説明するのに経済学者は効用
といった単語を使ったりする。
消費によって身の回りの物が増える。 有形だったり無形だったり。
だから購入増を良しとするわけだ。
生産効率はあるが、経済を平均すると一人の人が
一人分の働きを雇う形になっている。
一人が百枚の絵を描くなら百絵で一人分の労働、
一枚の絵が百万人にコピーされるなら百万人分の効用。
一人一人が受け取る物が増えることを良しとする方向がある。
その一方で、金額の大きさを良しとする方向もある。
ダイヤはガラスよりも尊い。 ガラスのほうが綺麗だとしても。
この差は何か。
支配だろう。

少し前に人の豊かさとは人と人のつながりにあると書いた。
満足感に限度があるとすると購入増とは欲求が満たされる方法が
金銭外満足から金銭満足へとシフトしただけなのかもしれない。
まあ自由が増えたのだから良しとすることもできるが。

身体障害者。
彼らは生産社会においては良く言って無能、
悪く言うと邪魔でしかない。
つまり彼らに出来ることは周囲を喜ばすことだけだ。
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サンタクロースとか

2011-01-09 17:17:42 | Weblog
伺うように笑う子がいたら喜べ。
彼は周りを良くするだろう。
逆に、伺うように泣く子がいたら嘆け。
そして彼に知恵が与えられるよう祈れ。

先日、何故今まで、と書いた。
仮にそれが昔からあったのだとすると、
人が要らないと言ったからだろうか。

サンタクロースに善を見る。
プレゼントによって感謝されるのはサンタクロースだから。

子供たちが争うようならクリスマスを待たずにプレゼントを開けるのも
また良しと見る。

起点が春分か秋分かで一方に良いものが、もう一方に悪いものが
与えられたかのように読めた人も居たかも知れないが、
元々は一長一短だったのではと見る。
ある人は良いものを取り入れ、ある人は補うものを捨てた。

孟母の話は良くないと思う。
あれは人に鞭を持たせる。

例えば部屋が十あったとする。
すべての部屋にエアコンがあるが、その内の五つが故障していると。
エアコンを修理するか買い換えるかすればよいのだが、
壁を無くせと主張する人たちも居るだろう。
彼らの言うとおりにするとそのうち、誰もエアコンを直さなくなる。

さて門は開いている。
誰でも入れるが、誰もが入るわけではない。
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宗教は戦争の原因か

2011-01-08 21:09:19 | Weblog
ビートルズ狂信者たちが言ったとする。
ビートルズ以外は音楽ではない、と。
その結果、争いが起きたとする。
ならばビートルズは争いの原因か。
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善行とか

2011-01-08 20:18:44 | Weblog
家庭の違いがあるのはおかしい、平等であるべきだ
などと言う人たちが居る。
維持する人が居てそれが差という形に表れているという
状況を無視することから出てきているのだろう。
人の豊かさとは人と人とのつながりにある。
だから実際には苦労する人のほうが豊かなのだ。

他人の中に悪を見たがる人たちが居る。
権力者が悪なら、維持するものが悪なら、自分以外が悪なら、
相対的に自分は善ということになる。
俺は悪くない、もっと悪いヤツが居るぞと。
この欲に答えることを善と称する人たちも居る。

腹をすかせている人たちが居たとする。
その人たちに飯を分ける。
これは多くの場合、善行とされるだろう。
とりあえずこの行為のみが善行であるとして話を進める。
では腹をすかせている人たちが居なかったらどうか。
善行が不要な状態が善行についての良い状態だと言える。
良い状態において善行が必要だとする人たちはどうなるだろうか。
彼らは腹をすかせた人たちを求めるようになる。
人の豊かさとは人と人とのつながりにある。
彼らの豊かさはどうやって維持されるのだろうか。
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悪意の固定化

2011-01-07 12:24:23 | Weblog
出欧州を出エジプトと並べて見るとおもしろい。
実際体験した人たちにとってそれをおもしろいと言われることは
腹立たしい事かもしれないがなに、私が書く素となっている
いろいろな経験も読む人たちにとってはおもしろい事で当然と。
出エジプトを順番に並べてみる。
1. イスラエルの民、カナンに向かうことが決まる
2. エジプト王、悪にされる
3. エジプトの民、打たれる
4. エジプトの民、イスラエルの民に良くする
5. エジプト王、殺される
6. イスラエルの民、選別される
7. カナンを前にモーセ氏が死ぬ

こうしてみると今いるネオナチというのは
憎まれ役が必要だと認識された結果なんだろう。

さて悪意の固定化の例として、喫煙を取り上げてみる。
悪とされることを不満に思う人も多いと思うが、
まあそれはそれ。
当たり前だが生まれたときから吸っている人はいない。
その後、吸う人と吸わない人がいることを見、
吸う側に回ることにした人たちが喫煙者。
そして吸う側であることが当たり前となる、これが固定化。

何でいまさら悪と悪意を分けるのかと
疑問に思われるかもしれない。
何で今迄そう書かれていなかったのかと。
それについてはそれまで漠然と感じられていた差を明文化するために
私という実験室が用いられたのではないかと見る次第。
こう書いている私も左派や白人への敵意が固定化していたことの害を
昨日まではっきりとは認識できていなかったり。
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怒気とか

2011-01-06 17:25:24 | Weblog
私の書いていることを妄想的だと見る人もいるだろうと思う。
妄想なら誰も困らない。
よって私が気にすることではない。

一月くらい前だったか、夢の中で三回怒った。
怒ってソファーをひっくり返した。
一回目は感情の爆発。
音に驚いた両親が出てきた。
二回目は怒りながら前の行動をなぞっていた。
両親がびくびくしていた。
三回目は怒りのままに両親の行動を期待していた。
そうなるだろうという予想があり、それを望んだ。

感情を爆発させるとその人と交友のある人たちがなぜ怒ったのかを考え、
人間関係が正常化されることがある。
ここに周囲の善意を見る。
だがこれの再現、更なる譲歩を要求し続けるようになる人もいる。
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悪意とか

2011-01-06 16:43:40 | Weblog
半年くらい前の私はジャングルに高速道路を通している
つもりだった。
その後、他の人もやりたいのだろうと譲ったつもりだったのだが
ぜんぜん進んでいるように見えなくて怒ったり。

最近左翼に怒ろうとすると怒られる。
何故かは不明。

人の本質は善だ、と書いたらご冗談でしょうと笑われるか、
あるいはふざけるなとの罵声を浴びるかだろう。
でも冗談で言っているわけではない。
親が子を育てる。 腹をすかせた人に飯を分ける。
こうした現象が、後天的な社会性とは無関係に自然と起きる、
ことがある。
これらは善意の行動と見るべきものであり、
自然とおきるのだから本質だ。
だから善。

善意が無く、悪意だけがある場合がある。
よくある。
経験の反芻にその原因を見るわけだが。

悪意が固定化し、その状態を自己肯定するようになったのが
いわゆる悪人。
害意と言い換えてもいい。
悪と悪意は別物で、悪の行動が悪人のものなのではなく
悪意の行動が悪人のもの。
殺人の防止がほぼ完全に行われるような社会になっても
人間同士の関係がある限り不健康や財産損失への誘導、
言葉でもって精神を破壊しようとする行動などは
容易に行えるだろう。
人間関係に益があり、その構築と破壊が繰り返される。
小規模な破壊は行き違いや不一致などと呼ばれ、
大きなそれは絶交など。
社会のルールの上に自由なそれがあるのだから
悪意の合法的な行使は常に可能。

人間の問題は悪意である。
Willing of badness.
悪ではない。
社会インフラがいかに整備されようと個と個のつながりに
悪意を持ち込むことは常に可能。
では人間社会の理想とは何か。
皆聖人社会だろう。
だがこれは悪意が常識化した人、他人の内に悪意を見出すことによって
悪意の自分を肯定しようとする人たちにとって最悪の社会でもある。
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ウサギとカメ

2011-01-05 16:12:07 | Weblog
夏になぜ書くのを止めなければならないのかと疑問に思ったところ、
「天使の分け前」と出た。
分け前はどうなったのかと問うたところ、
「天使の無能」と出た。
計画は中止だろう。

拾ったカメは相変わらず元気。
岩の上にいたり水の中に潜ったりしている。

ヨブ氏の身に降りかかったことを地上の現象として解釈すると
事故や事件による事業の失敗、災害時の欠陥住宅倒壊、
社会ストレスによる免疫機能低下から出た疾病、と見れる。
今日の銀行家や証券マンがヨブ氏の事業をみたら笑っただろう、
リスク管理ができていない事業主は一時的に上手く行っても
やがてその多くを失うことになるだろう、と。
ここに友人を名乗る三人の、ヨブ氏に対する不実を見る。
三人はそれを予見しながら改めさせようとした形跡が見られない。
それが彼らの第一声、自分の身に降りかかると耐えられない、
になっているわけだ。
これに対する反論が荒野のロバで、これがヨブ氏が多くを失ってなお
モラルを保っているという潔白証明になっている。
三人は踏みとどまっている者を悪だと詰り続けたわけだ。
そしてそれこそが最悪の災厄だった。

ヨブ氏の価値観は面白い。
良いものを受け取ったのだから悪いものも受け取ろうと言っている。
これを以下の文と対比する。
・健康な時もあるのだから病気の時もある
・おもちゃを貰う事もあるのだからおもちゃが壊れることもある
対比の文章は人が日常で使ってもおかしくないものだ。
面白いのはヨブ氏がそれを人生を注いだ事業や子供たち、
社会的地位や名誉を失ったことに対して使っている点。
ヨブ氏は地上の価値のほぼすべてを、低いものとしている。
子供がおもちゃに対して持つ感覚のように。
これは異常だ。
ヨブ氏は人と異質なのではと見る。 霊的に。
義人ヨブ。
義人が義人のまま取られると世界は義人の価値観で量られることになる。

日本の年度は春、だいたい春分のころを基点とする。
対して西洋は秋、秋分を基点とする。
日本の農家は年の初めを種まき、休みの終わりと農作業の開始をそれとし、
西洋の農家は年の初めを収穫と、それに続く冬の休みとする。
歴史的にそうであり思想や文化もそれに基づくものと仮定すると
日本人にとっての「良い次」とは理想の新しい生産を意味し、
西洋人にとっての「良い次」とは、大きな収穫とそれによってもたらされる
長い休み労働の無い状態を意味することとなる。
前者の結果をコミケに見、後者をウォール街に見る。
祭りの後に日本の作家たちは、次に何を書くかを考える。
対してニューヨーカーの理想はビッグマネーとアーリーリタイア。

イスラム教徒に豚肉を食べないという戒律が与えられた理由を中国に見る。
精神的なセパレーターだったわけだ。
それももう意味を為していない。

イエス氏は「要らない子」だったわけだ。 聖書で読む分には。
その観点で行くと選ばれたのはマリア氏ではなくヨセフ氏。
「最良の義父」に対するイエス氏の結論は、神殿が父の家と。
だから教会は「要らない子」だったものが去る時に「要る子」になる場所。
右派が感謝される理由は「要らない子」にやさしくしたことよりも
「要らない子」であるにもかかわらず食わせ育てたこと。
国や金持ちがやるべきだと言いながら、愛国心は要らない、悪いのは金持ちだ
と言う人たちとの対比。

白人をネフィリムとすると二十世紀の歴史が興味深い。
植民地時代の白人と黒人の関係がそのまま「再現」になっているわけだ。
日本人によるホワイトパージを白人たちは悪と断じて封じ込めようとした。
サタン氏を悪人に対する哀れみ、悪人のままで居ようとする人の肯定とすると、
ルシファー氏はネフィリムの傲慢か。
ここに「明けの明星を与える」の意味を見るわけだが。
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