狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

貧乏とは

2011-01-13 13:40:15 | Weblog
貧困と貧乏。
エリートが机上の議論をするときに使う単語が貧困、
一方庶民が感覚的に使うのが貧乏という単語。
それぞれ問題とされるが、似て非なる問題であるとする。
極論すると為政者は貧困問題について考える必要は無く、
ひたすら貧乏問題だけを追えば良い。

貧困とは収入が必要に満たないことである。
他方貧乏とは、収支に余裕が無いことを言う。
昨今の日本の新聞は貧乏問題を貧困問題と言い換えようとして
必要水準を引き上げるというトリックをかましているが
私はこれを愚行として記しておく。

当人が余裕が無いと感じれば貧乏。
全員が金銭的に余裕があると感じていれば貧乏は無い。
相対的に一番貧乏という言い方は残るが。

貧困ではあるが貧乏ではない。
これは財産処分の自由が無い状況だろう。
遭難しサバイバル生活中の大富豪がこれに相当しまた、
そこまで極端ではなくとも何らかの形で他者の庇護下にあって
家賃と食費がかからない場合などは統計上貧困でも余剰はある
という人はそれなりの数居るだろう。

貧困ではないが貧乏だ。
旦那が酒や賭博にはまっている、奥さんが派手好きで
昼間旦那が会社で貧乏しているなど。
最近の日本の若者が結婚出来ない理由としてこれを挙げる。
貧乏したくないこの一点。

同性複数で財産共有した場合無駄が減って各人余剰が増える
ことが見込めるはずなのだが、謎である。
男女交際とは見栄が膨れ上がる糞システムということか。
投資の大きさが関係を惜しむ感情を生むのだろうか。

こうしてみると貧乏問題には必ず何かしら別の社会問題が付随し、
貧困問題は統計の取り方によって大きく変動し、そこに問題の
無い例がそれなりに含まれることになる。
実際に外部からなんらかの手助けを必要としている人たちは
貧困かつ貧乏である。
サバイバル中の大富豪に必要なのはレスキュー隊であって
政治家ではなく、使いすぎゆえに周囲に貧乏を作っている者に
支出を減らせと一喝するのも維持者の役目だ。
支出を減らす。 商業メディアが一番嫌うことなのだろう。

貧乏ではない状態というのはなにか。
固定的(と当人が扱っている)支出を減らして余裕、
任意に変動させることが出来るほうにまわす。
フローの扱いか。
任意に処分できる財産がある。
ストックを減らす。

ある集団に貧乏が無い状態。
集団の全員が一定割合任意の支出を持つか
持つために処分できる財産があると認識している常態。
どうするとそれが実現するか。
職の数を増やす、のは短期間なら容易だが恒久的となると
いろいろと問題が伴う。
では支出を減らす。
美味くて健康で安い飯。
安さが取り得の死なない家。
教育費が低くてすむ。
安い移動費。
これを実現するには集合住宅と工場などの職場集中地帯
との間で公共交通機関を運行し大量輸送を実現、
食のニーズを集中させることでロスを減らす、
教育は詰め込みを基本とする、など。
人の集中、住居の固定、大量輸送、大量生産。
画一的で自由が減っているように思えるかもしれないが
結果として各人の余裕が増え、趣味志向の選択が広がると。

貧困問題を考える必要は、だがこう書くと判りやすいかもしれない。
「貧困」と言う人にはうそが多いと。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする