狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

怨霊ヨセフ

2018-01-14 16:51:32 | Weblog
キリスト教系のネタで「メシア(イエス氏)は何故ユダ族でなければならなかったのか」といったものがある。 霊的資質が子孫に~とか契約だから~とか約束のもたらす作用の方が目的~みたいなのがあるが、一番簡単な答えは、もともとが身内ネタだったから、と。

さてヨセフ氏、表題から「怨霊ヨセフ」とする、はレア、シメオン、レビの母子三名を許したのか。 雑感として、否である。 世界は相変わらずこう、ユダヤ教徒とキリスト教徒、スンニ派とシーア派、だし、私もイラつく。 「世界がこうだからの許さないポーズ」なのか「世界が怨念に左右されている」なのかは見解が分かれる所だが、例のくそガキもまた。

視点を変えてみよう。 「実は許さなくても良いのだ」と。
「許さない」場合にどういった場面で問題が発生するのか。
1. 「許さない」(と決めた)相手が近くに居る
2. 「許さない」相手なので嫌がらせをする
3. 加害の応酬から被害が拡大する

あれ?つまり「許す」とか「許さない」とか気にせず互いに離れて暮らせば問題にはならないって事?みたいな。
この観点だと問題は癒着状態の方にある。 「加害性を通じた相互癒着」だな。 「許す」「許さない」といった決め方自体が癒着状態を前提としたもので、過去の癒着状態から「俺は被害者だ」といった発想が生まれていると。 無関係状態で気にせずいられるならばそのうち「気にしないでいる」方が当たり前になる。

外国人YouTuber、今度は日本の女児を連れ去り炎上! 海外の反応。
http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51960320.html
https://www.youtube.com/watch?v=1-ZlvXiQzTU

あちこちで問題視された模様の動画で、「自由とモラルの線引きはこう」といったネタで使おうと思っていたものだが、この動画に見られるものが癒着性なんだな。

加害性の相互癒着が「許す」「許さない」とかといった発想。 ここから離れる人は離れた時点で心の平安を得る。 離れられる人同士でも互いを尊重する関係を築ける。 問題は残される側である。 離れられる人が皆離れていくと、残された人間たちの場所は「加害性の相互癒着」の者たちだけの社会になる。 「地獄と刑務所はどう違うのか」「悪人だらけが集められた場所を地獄にしない方法は」みたいな話。 だから所謂、のあれがああなんだね。
コメント
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