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アラフは扇動者、教育を知らない

馬鹿でも出来る介護について

2010-03-11 20:20:46 | Weblog
暴れても
大目に見られ
正されず
去られる人の
最期は何処に

老人介護問題というものがあるらしい。
曰く、介護は馬鹿でも出来ると。
曰く、介護は馬鹿には出来ないと。
この構造について考えてみる。

まず馬鹿には出来ない介護について。
介護対象とのふれあいが大事なのだそうだ。
人とふれあいたければ老人ホームにでも行けばいいのでは?
税金を使って家に人を呼んでお話がしたいってなんなのだろう?
よくわからない。
税金運営の社会負担の低い老人ホームが無いのだろうか。
それならそれが必要なのだろう。
話し相手は同格の老人ではなく命令出来る介護士が良いという話であるのなら
それは奴隷を求めているに等しいと見るが。

次は馬鹿でも出来る介護について。
こちらは判りやすい。 生命維持である。
在宅介護ならホームヘルパーが老人の家に行き、
食事や清潔さの維持、室内の環境管理などを行い帰っていく。
決められたことをする。 踏み込んだ判断はしない。
こちらで問題にされるのはもっぱらヘルパーの労働環境。

どうやら何をやるか、何をやらないかが不明確なまま
一方に奴隷を求める老人がいてもう一方に待遇改善を求める労働者がいて
その上に税金を受け取る利権団体があるという構図になっているらしい。

さて、人一人の重さはだいたい60kgであるとする。
40kgの人もいれば100kgを越える人もいる。 後者はアメリカに多い。
人一人を持ち上げるとなると重労働ということになる。
持ち上げられる人が暴れるとなるとなおさらだ。
問題老人にあたるとヘルパーが辞めていくらしい。
そりゃそうだろう。
ではどうあるべきか、なのだが。

さて問題だ。
暴力を振るう人間を収容する懲罰施設をなんと呼ぶか。
そこに収容される人間は何故そのような扱いを受けるのか。
コメント
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