どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

夏の記憶―横浜(6) 気になるあれやこれや

2014年08月16日 | 日記
再びジャックの方へ戻る途中で ん? と思うものを見かけた

円柱やメダリオンこそあるけれど ホテルや結婚式場 地方のパチンコ屋などでよく見るれっきとした新建築

街の景観を考えたというよりも その建物に入っている団体の意図を表していると思われた

近代建築が持つ性格に便乗しようというのだろうが それこそが近代建築の魅力の証明である

この本物があふれる中にあって こうしたまがい物がありきたりのビル以上に安っぽく軽薄に見えてしまうとは思わなかったのだろうか などと思いながらジャックまで戻ってきた

開館しているし無料でもある

中に入って見た







ボランティアの方が建築の説明をしてくださる

震災後に補強のために天井をアーチ型に変更したことなど なかなか興味深い話がきける


朝 気になった建物は「三井住友銀行横浜支店」(旧三井銀行横浜支店)だった

三井本館をミニチュアにしたような見事な形式美と この背の低いところがなんともほっとする

写真では見にくいが正面に4本 横に2本のイオニア式オーダーが印象深い建物






「横浜銀行協会」は 残念ながら外壁工事だかなんだかで見ることが出来たのはほんの入り口だけ

入口の扉の絵柄


あっ またなんか面白いもの発見

ビル自体は新しいのだが 明らかに古いビルの一部を利用している雰囲気なのだ

富士ソフトという会社の建物玄関部分を撮ってきた

私の想像が当たっているかどうかはわからないのだがこんな感じも悪くない 

そうであって欲しいと願う



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夏の記憶―横浜(5) 別嬪さん

2014年08月15日 | 日記
山下公園沿いを ホテルニューグランドまで歩く

途中で「戸田平和記念館」(旧英国七番館)を見つけた



もとはバターフィールド&スワイヤ商会の建物だそうだが 私は通りを隔てた場所から見ただけで近寄って見ることはしなかった


その先に 見えたぞ!



チャップリンやマッカーサーも宿泊したという渡辺仁(服部時計店=銀座の和光や原美術館などが有名)設計によるクラシック・ホテルだ

記憶する限り3度目になる

何度見ても飽きることがない

まずは外側から見る癖のついている私 横道に入ったとこころで耐震工事中だということがわかった

中に入っても良いのだろうかと躊躇していたら 工事の警備なのか作業服を着た人が「中も見てください 入れますから」と声をかけてくれた

中庭は前と少しも変わらず とても綺麗だった



そこからホテルの中に入り 前と同じような写真を前と同じようなアングルで何枚か撮った

沢山の貴重な資料も展示してあり この時代の日本はさぞかしエキゾチックで魅力ある東洋の国であっただろうと想像した


この近くにあるはずのビルをとうとう見つけることができずに神奈川芸術劇場まで出てしまった

地図を片手にうろうろしている人間を見て 飲食店の店員が何かお探しでしょうかと声をかけてくれた

きいてしまってはつまらない

発見するのもまた楽しなのだ

お礼だけ述べてその場を去った


この角にも面白いものがある

「旧横浜居留地48番館」の 跡?



中に入ることはできなかったが 手前にある煉瓦はフランス積みであることの説明


この先で私を待っていたのは またまた別嬪さんだ

以前 これが見るも無残な姿だったのを写真で見たことがある

こんなにも変身するなんて まさに化粧は恐ろしい ということじゃなくて・・・

お気に入りは綺麗に撮りたい

しかし ここは交差点の角にあり 車も人も止まっているか動いているか なかなか切れることが無く 次第に疲れてきた

これが正面

旧露亜銀行横浜支であった建物に「ラ・バンク・ド・ロア」と名付けたところがなんともまた良いではないか

下から見上げたところ


美人は 斜めから見ても横から見ても美しい

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夏の記憶―横浜(4) 横浜港

2014年08月15日 | 日記
開港資料館の近くからクイーンの塔のてっぺんが見える



前に来た時 このクイーンの塔の緑青色のドームと半円アーチ型の正面玄関 そして その通りに並ぶヤシの木というエキゾチックな風景に魅かれた

税関という固い響きに反したエレガントなたたずまいにも驚かされたものだ

けれども 今はまだ見ない


資料館から海の方に向かって大さん橋が伸びている

その付近に古いビルが幾つか残っており 横浜港が日本と他国を結ぶ玄関口であることをにおわせている



すぐそばにある象の鼻パークと呼ばれるそこは 昔は東波止場と呼ばれたものだが関東大震災で焼失

平成21年 開港150周年を記念して復元された公園となっている

木蔭で本を読む人 走る人 みなとみらいのビル群から大観覧車 煉瓦倉庫も見渡せる 暑くなければいっときぼ~っと眺めていたくなる場所である



巨大な船が停泊していた

まるでビル 海を走るビルだ

DIAMOND PRINCESS その下に LONDON とある

これが噂にきく豪華客船というものなのか


右端に見える船がそれ


大さん橋へと向かって歩いてみる

おそらく小さな住居か店舗であっただろう古い建物を利用した店があった

なかなかオシャレで可愛らしい




向かいの空き地に面白いものを見つけた

101年間旧大さん橋を支えた「螺旋杭」が さりげなく目立つことなく 置かれていたのだ



大桟橋と漢字で書かないのは 2002年に完成した現在のものは構造的には桟橋ではなく岸壁だからだそうだ

横浜が港でなかったら この地に築港しなかったならば 横浜の歴史はまるで違ったものになったであろう

歴史に もし は無い

この地で良かったと 私は思う

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夏の記憶―横浜(3) 潮風と横浜の顔

2014年08月15日 | 日記
横浜情報文化センターは「旧横浜商工奨励館」として昭和4(1929)年に竣工された






玄関入口 上の飾り(下の写真で最下部に少し見える丸いものの真ん中)





人や車を避けて写真を撮るのが次第に大変になってくる


隣にあるのは「旧横浜市外電話局」(現 横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館)

外観はそう私の好みではなかった

それにしても何でこうもこの建物は人の出入りが多いのかと思ったら なんとそこが地下鉄の入り口になっていたのだった

通りを渡り 人と車の無い一瞬を待って撮った一枚 




キングの塔とは 神奈川県庁舎のことである

昭和3(1928)年竣工



このほかにクィーンの塔もあるのだが 実にうまいネーミングだと思う

しかつめらしい顔立ち どっしりとした重量感 けれども 私の好みでは無い

いかにも昭和初期を感じさせる帝冠様式の建物は 他にも名古屋市役所 九段会館などにみられるが 私にとっては頬ずりしたくなる存在では無いのは確か


旧英国総領事館だった「横浜開港資料館旧館」は県庁の向かいにある






新館に続く中庭が見える
中央にあるのは「たまくすの木」 曰くのある木だと説明でわかった


開国の入り口となった港町の歴史は 首都東京(江戸)とはまた別の顔があるのだと感じ始めていた

潮風を受け 潮の香りをかぎながらかつての街並みを想像し 今を見る

消えたものと残ったもの

まだまだ徘徊は続く 

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夏の記憶―横浜(2) 旧三井物産横浜支店倉庫

2014年08月15日 | 日記
旧三井物産横浜支店は 今はKN日本大通ビルという名称に変わっている(変更は昨年のことだと後で知った)

明治44(1911)年竣工の 日本最初の全鉄筋コンクリート造の建物とプレートに説明がある

4階建ての実に綺麗な建物で 100年以上経た建物とは思えないほどだ

全景写真を撮らなかったのはなぜか 

う~ん 出勤時間とあって人が多かったせいか あるいは道を渡るのがめんどうだったからかもしれない



中に入って見たかったが関係者以外はだめのようで 向かいにある旧横浜地方裁判所やら 横浜情報文化センターやらにも心を奪われながらもとりあえずこの綺麗なビルの横顔も見ることにした

3階建ての倉庫らしき建物が付属している

もはや使用されていないと思われるにおいがする

こういうところに 面白いものが隠されている こともある

見えない部分に真実があるのは なんでも同じ




ビルとビルの間 わずかな隣のビルとの隙間を覗いてみて 私はにんまりした

煉瓦だ!!


(わずかな隙間にレンズを向けて撮った写真)


この日記を書くにあたって検索したところ やはり取り壊しが予定されているようだ

壁は私が見たように煉瓦造 柱と屋根が鉄筋コンクリート 床が木材と素材が多様である点で非常にユニークであること

なんとあの煉瓦倉庫よりも古く 関東大震災の時 ここに保管されていた生糸が震災を免れ 国家財政を助けたともいわれる建物だったことを知った

文化財の指定を受けることは 確かに開発を阻むものである

所有者が望まない限り どんなに歴史があり学術的価値があろうとも ビルや私邸を残すことには非常に難しいものがある

ノスタルジーだけではやっていけない

すでに建築学会等からも保存の要請は出ているようで 解体反対の運動も起きているようだ

所有者である(株)ケン・コーポレーションにも要望書は提出されているらしい

内部を調査した大学教授の調査書も内部写真と一緒に見ることができた

倉庫であるから外観はそう目を引くものでもないのは確かであるが ビアホールかレストランにでもして何とか残せないものかと思う

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