立民党、そして夫婦別姓
立民党が夫婦別姓を公約に掲げた。夫婦別姓に関しては既に述べたので意見は略す。ただなんでわざわざとは思う。別段今まで特にそれで障碍があったと言うわけでもあるまい、国家形成のための最強の基礎単位である家族を破壊しようとはねえ。
以下は立民党への忠告・助言である。立民党成り立ちの経緯はややこしいが、30年前に遡れば当時の社会党に由来する。社会党の最後の切り札である土井隆子氏でも党勢が衰退し、村山富市氏の時「自社さ連合」を組み並行して党名も社会民主党(社民党)に変えた。党名変更は当時のドイツ社民党に習ったものだ。ドイツ社民党はそのころの社会主義政党では優等生だった。ドイツの同僚に習って日本の社民党がマルクス主義の看板を下ろしたか否かに関しては知らない。
問題は日本の社民党の以後の経過だ。社民党の大部分は脱党した。彼らは非常に複雑な軌跡を経て、民主党を経験し、小池百合子氏の詐術にかかって現在の立憲民主党に至っている。30年前の社会党は労働者の利害の代表だった。それはそれで良い。存在意義は充分にある。しかし現在「社会の社の字」を持った政党は社民党のみである。この政党は端的に言って福島瑞穂氏に代表されるフェミニストの政党である。しかも議員総数数名で国家から援助を受ける資格すら危ぶまれている微小政党である。これが我が国におけるフェミニスト政党の現実であり末路である。立民党はそこのところを勘考しているのか?労働者の代表だから1/3近くの勢力を維持できた。フェミニスト化したとたんに党勢は壊滅した。この点に関しては社民党のある議員(又一氏?)が福島氏に対して「貴女が過去の先輩の財産を食いつぶしたのだ」と述べた事は記憶に新しい。立民党の枝野氏も党勢が延びないので焦って「夫婦別姓」などに飛びついたのだろう。過去の経緯からすればこの行為は自殺行為だ。それよりもっと現実的に考えられないものか?参考までに言っておこう。旧社会党の運命の岐路は昭和40年前後に当時の社会党書記長江田三郎氏が提案した構造改革にある。国内で(あるいは外国勢力と結んで)革命を企てるのではなく、資本制生産を認めその中で社会福祉路線を追求しようというのが、江田氏の提案だった。この提案は簡単に葬り去られた。(念のために言えば結局自民党がこの役割を担った)そして44年末の選挙で社会党は勢力を二ケタに減らした。以後社交民などの連合を形成し、結局自民党と組み、党綱領に反する政策を強いられ、さらにフェミニズム勢力に屈し、衰退の一路をたどった。
立民党は夫婦別姓とか言えば党勢が回復するかとも思っているのかもしれないが現実をなめるなよ。「夫婦別姓」とか「同性婚」とか騒いでいるのはごく一部の跳ね上がり分子だけだ。例えば辻元清美氏とか連坊氏とかだけだ。立民党党首枝野氏の声は聞こえてこない。聞こえるのはこの二匹(人)の噛みつき犬だけなのだ。2020-2-28
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行
立民党が夫婦別姓を公約に掲げた。夫婦別姓に関しては既に述べたので意見は略す。ただなんでわざわざとは思う。別段今まで特にそれで障碍があったと言うわけでもあるまい、国家形成のための最強の基礎単位である家族を破壊しようとはねえ。
以下は立民党への忠告・助言である。立民党成り立ちの経緯はややこしいが、30年前に遡れば当時の社会党に由来する。社会党の最後の切り札である土井隆子氏でも党勢が衰退し、村山富市氏の時「自社さ連合」を組み並行して党名も社会民主党(社民党)に変えた。党名変更は当時のドイツ社民党に習ったものだ。ドイツ社民党はそのころの社会主義政党では優等生だった。ドイツの同僚に習って日本の社民党がマルクス主義の看板を下ろしたか否かに関しては知らない。
問題は日本の社民党の以後の経過だ。社民党の大部分は脱党した。彼らは非常に複雑な軌跡を経て、民主党を経験し、小池百合子氏の詐術にかかって現在の立憲民主党に至っている。30年前の社会党は労働者の利害の代表だった。それはそれで良い。存在意義は充分にある。しかし現在「社会の社の字」を持った政党は社民党のみである。この政党は端的に言って福島瑞穂氏に代表されるフェミニストの政党である。しかも議員総数数名で国家から援助を受ける資格すら危ぶまれている微小政党である。これが我が国におけるフェミニスト政党の現実であり末路である。立民党はそこのところを勘考しているのか?労働者の代表だから1/3近くの勢力を維持できた。フェミニスト化したとたんに党勢は壊滅した。この点に関しては社民党のある議員(又一氏?)が福島氏に対して「貴女が過去の先輩の財産を食いつぶしたのだ」と述べた事は記憶に新しい。立民党の枝野氏も党勢が延びないので焦って「夫婦別姓」などに飛びついたのだろう。過去の経緯からすればこの行為は自殺行為だ。それよりもっと現実的に考えられないものか?参考までに言っておこう。旧社会党の運命の岐路は昭和40年前後に当時の社会党書記長江田三郎氏が提案した構造改革にある。国内で(あるいは外国勢力と結んで)革命を企てるのではなく、資本制生産を認めその中で社会福祉路線を追求しようというのが、江田氏の提案だった。この提案は簡単に葬り去られた。(念のために言えば結局自民党がこの役割を担った)そして44年末の選挙で社会党は勢力を二ケタに減らした。以後社交民などの連合を形成し、結局自民党と組み、党綱領に反する政策を強いられ、さらにフェミニズム勢力に屈し、衰退の一路をたどった。
立民党は夫婦別姓とか言えば党勢が回復するかとも思っているのかもしれないが現実をなめるなよ。「夫婦別姓」とか「同性婚」とか騒いでいるのはごく一部の跳ね上がり分子だけだ。例えば辻元清美氏とか連坊氏とかだけだ。立民党党首枝野氏の声は聞こえてこない。聞こえるのはこの二匹(人)の噛みつき犬だけなのだ。2020-2-28
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行