刷り込まれかた
現在中韓両国による反日キャンペ-ンが行われている。ありもしない「慰安婦」の強制連行だの南京事件における30万人虐殺だのと。中韓両国が嘘を言っているのは明らかだが、日本の側にもそう思わされやすい状況がある。言ってみれば刷り込まれやすい心理的背景とでもいうべきものがある。刷り込まれやすさの由縁は意外と深くて古い。そのことについて今回は考えてみよう。
有史以来我々日本人は島国に住む単一民族であり、外国と外交交渉をした経験はあまりない。もちろん征服した、されたの経験もない。だから外国に対して慣れていない、いわば初心(うぶ)なのだ。だから素直に外国文化を取り入れる習性を持っている。
幕末維新の動乱を経て開国した。これを文明開化と称した。この時点で、わが国にはまともな文明はなかったと言ったことになる。もちろんそうではないが。他国外国の文化を取り入れるのに熱心なあまり、自国にはろくなものがなかったと自ら誤解してしまった。政治、経済、産業、科学技術、教育、医療などなどすべて先進国たる欧米に追いつけで彼らを模範とした。武家政治から憲法制定、議会開設そして議院内閣制などデモクラシ-と
リベラリズムの体制を僅々30年で仕上げてしまった。立派なものだ。ただ欧米を模範とし自らを未開後進とする習性は残った。念のために言えば、維新当時において欧米もそうたいしたものではなかったのだ。初等教育整備は日本がトップランナ-だろう。工学部を総合大学の中において工学の権威を認めたのも日本が最初だ。科学と技術の融合政策では日本は欧米に遅れをとってはいない。標準日本語という国民語をつくりそれをもって教育用語とした。欧米の教育ではまだラテンギリシャ語を優先させていた。
こうして第一次産業革命を成し遂げて日清戦争に勝ち、日本は列強の一角に食い込む。この時点で黄禍論が欧米で唱えだされはじめた。一番熱心に黄禍を唱えたのがドイツ皇帝ウィルヘルム2世だ。純潔の白人種、ゲルマンア-リアン民族意識の強いドイツ人ならではのことだ。黄禍論は、白人種にとって代りかねない黄色人種への蔑視と恐怖に裏打ちされている。標的の最たるものは台頭してきた日本人だ。ウィルヘルム2世は日清戦争で清国が割譲した遼東半島の変換をロシアやフランスとともに求めてきた。三国干渉だ。黄色人種が植民地を持つなどもってのほかということらしい。
そして日露戦争。大方の予想を覆して日本は勝ってしまった。白人国家ロシアは負けた。ロシアにはそれ以上戦う余力はなかった。数百万と号する兵士の大部分は征服した各地に貼り付けておかねば危なかったのだ。日露戦争当時日本は英国と同盟を結んでいた。しかし戦争の帰趨をきめた日本海海戦で日本海軍の大勝利がロンドンに届いた日、ロンドン人の眼は憂いに沈んでいたという。白人にとってはあってはならない事、してはいけない事を日本がしたということだ。反対に欧米ロシアにいいようにされていたトルコやエジプトなど中近東の諸国では大歓声が上がった。こうして日本は欧米にとって潜在的犯罪国家になってしまった。日露戦争以後米国は手の裏を返したように日本に敵意をむきだしにしてくる。日本からの移民を締め出し、日英同盟の破棄を画し成功する。
第一次世界大戦でロシアに革命が起こり、共産主義国家ソ連が出現する。ソ連は自国防衛のために革命を世界に輸出しようとする。周辺の国家を共産主義化すればソ連は安泰だ。ソ連の立場に立てばこのポリシ-は解る。標的は日本にも向けられる。しかし天皇を抱く日本に共産化の可能性はほとんどない。そこで日本が進出し大きな利害関係を有するシナ大陸に政策の焦点を定める。孫文を炊きつけ蒋介石を煽り、そして毛沢東たちを動かしてシナ国内及び満州に混乱を撒き散らす。
画期は1921年の五四運動だ。焚きつけられそれでなくとも燃え上がりやすい学生を示唆してデモを繰り広げる。標的は対華二十四か条なるものだ。それが日本のシナ侵略の歴然たる証であるとして日貨排斥などの反日運動が起こる。いくつか留意すべき点を言う。この二十四か条の内容は従来の欧米列強の要求と同じものであり日本が特に強欲であったということはない。主たる内容は大陸における日本の利権の保証、現代風に言えば進出した企業が安全に商売できる状況の確保の要求だ。次にこの要求は1916年に為されている。それが5年後の1921年になって突如として問題になるということは、背後で画策するものがいたからだ。歴史的経緯からしてソ連とコミンテルンとしか言えまい。労働者階級がストなどをして騒いだというが当時のシナにどれほどの工場労働者がいたのだろうか。騒いだのは学生だ。学生は理屈好きで血気盛んだから焚き付けられやすいことこの上ない。後年になるがシナでの国共内戦時国民党は、共産党に指導された学生運動に翻弄され悪役のレッテルを貼られてしまった。学生若者を示唆して騒動を起こし世論を操作する点では文化大革命の紅衛兵と同じだ。共産党がよくとる手口だ。こうして騒動が起こされ続け、戦火は容易に勃発し、コミンテルンのスパイに影響された蒋介石はいやいやながら日本との戦争に引きずりこまれてゆく。日本も同様だ。ただし日中11年戦争というが、本格的戦闘は1年続いただけで後は蒋介石、汪兆銘、毛沢東三者のにらみ合い鼎立だ。背後にはそれぞれ英米、日本そしてソ連がついていた。
ソ連、コミンテルンの思想信条は言うまでもなくマルキシズムだ。マルキシズムはまず経営する者は必ず労働者を搾取すると説く。搾取の定義と内容ははなはだややこしいのだが、そんなことにはお構いなしに、一方的に搾取は当然かつ必然と言う。搾取は一方的に進行し、だから労働者の反逆つまり革命は必然的だという。必ずしも必然的とは思えないが、この間隙をつくろうために、唯物史観を援用する。すべては経済的下部構造つまり物質の運動により自動的に決定されている。だから革命は必発とされる。さらにこうして悪しき資本主義が崩壊したら、みな仲良く平和に、遊んでいても暮らせる王国が出現するという。科学の名を借りた神話だ。一見もっともらしく理想幻想を撒き散らすのでインテリぶる人間や学生という理屈に弱い層はひっかかりやすい。このように洗脳された学生達がシナ中を引っ掻き回す。
第二次大戦、太平洋戦争。日本は負けたが、意図してか意図せずしてか東南アジアやインドは独立してしまった。欧米の植民地から解放されたわけだ。日本軍が植民地の母国を追い払い叩き潰したのだから日本により植民地は解放されたとは言える。余勢をかって日本とは関係ないアラブやアフリカの地域も独立する。欧米の母国にとって日本は許されない事をしでかしたのだ。
報復は東京裁判を中心とする戦争裁判で行なわれる。戦争とは殺し合いなのだから、どうしても残虐なことが行なわれる。それは相互に同じことなのだが、米英蘭はすべて日本が日本軍が悪いとして一方的に裁いた。ひとつだけ例を挙げる。戦争初期ボルネオのメナドに降下してオランダ軍を降した降下部隊の隊長堀内豊秋海軍大佐は、オランダ軍を破ったというだけの理由で処刑された。この降下部隊は空の神兵と言われ現地の民衆の歓迎を受けた。一時期日本は文化も、産業も、歴史も持ってはいけないとされた。民主主義なるものは、少なくとも衆議を政治に反映させる制度は、戦前はおろか維新前から日本にはあったが、米国が教え与えたもののように言われた。頭の悪い息子ブッシュがイラク侵攻の時そんなことを言っていた。
さて中国の反日運動に注目しよう。これは1920年代から30年代にかけて行なわれた抗日運動と全く同工異曲だ。こちらは何もしないのに向こうが騒いでこちらは一方的に悪役になる。こうして日本は悪役に仕立て挙げられた。日本がシナに侵略し、多くの物財を盗み、民衆を虐殺し、戦闘行為では残虐きわまりなかったとされた。近年の中国の反日行為を参考にして、刷り込まれた過去を一つ一つ払拭し訂正してゆこう。中韓の反日行為はいい機会だ。中国には是々非々で臨もう。決して変な妥協はしないことだ。言うべきことは言い国家の利益をまず優先させよう。引きずり込まれないことだ。韓国には?彼らはろくに歴史も主権も持ったことがない民族だ。仕掛けてきたらその分反撃し後は相手にしないことだ。まともに相手にするに値しない。
現在中韓両国による反日キャンペ-ンが行われている。ありもしない「慰安婦」の強制連行だの南京事件における30万人虐殺だのと。中韓両国が嘘を言っているのは明らかだが、日本の側にもそう思わされやすい状況がある。言ってみれば刷り込まれやすい心理的背景とでもいうべきものがある。刷り込まれやすさの由縁は意外と深くて古い。そのことについて今回は考えてみよう。
有史以来我々日本人は島国に住む単一民族であり、外国と外交交渉をした経験はあまりない。もちろん征服した、されたの経験もない。だから外国に対して慣れていない、いわば初心(うぶ)なのだ。だから素直に外国文化を取り入れる習性を持っている。
幕末維新の動乱を経て開国した。これを文明開化と称した。この時点で、わが国にはまともな文明はなかったと言ったことになる。もちろんそうではないが。他国外国の文化を取り入れるのに熱心なあまり、自国にはろくなものがなかったと自ら誤解してしまった。政治、経済、産業、科学技術、教育、医療などなどすべて先進国たる欧米に追いつけで彼らを模範とした。武家政治から憲法制定、議会開設そして議院内閣制などデモクラシ-と
リベラリズムの体制を僅々30年で仕上げてしまった。立派なものだ。ただ欧米を模範とし自らを未開後進とする習性は残った。念のために言えば、維新当時において欧米もそうたいしたものではなかったのだ。初等教育整備は日本がトップランナ-だろう。工学部を総合大学の中において工学の権威を認めたのも日本が最初だ。科学と技術の融合政策では日本は欧米に遅れをとってはいない。標準日本語という国民語をつくりそれをもって教育用語とした。欧米の教育ではまだラテンギリシャ語を優先させていた。
こうして第一次産業革命を成し遂げて日清戦争に勝ち、日本は列強の一角に食い込む。この時点で黄禍論が欧米で唱えだされはじめた。一番熱心に黄禍を唱えたのがドイツ皇帝ウィルヘルム2世だ。純潔の白人種、ゲルマンア-リアン民族意識の強いドイツ人ならではのことだ。黄禍論は、白人種にとって代りかねない黄色人種への蔑視と恐怖に裏打ちされている。標的の最たるものは台頭してきた日本人だ。ウィルヘルム2世は日清戦争で清国が割譲した遼東半島の変換をロシアやフランスとともに求めてきた。三国干渉だ。黄色人種が植民地を持つなどもってのほかということらしい。
そして日露戦争。大方の予想を覆して日本は勝ってしまった。白人国家ロシアは負けた。ロシアにはそれ以上戦う余力はなかった。数百万と号する兵士の大部分は征服した各地に貼り付けておかねば危なかったのだ。日露戦争当時日本は英国と同盟を結んでいた。しかし戦争の帰趨をきめた日本海海戦で日本海軍の大勝利がロンドンに届いた日、ロンドン人の眼は憂いに沈んでいたという。白人にとってはあってはならない事、してはいけない事を日本がしたということだ。反対に欧米ロシアにいいようにされていたトルコやエジプトなど中近東の諸国では大歓声が上がった。こうして日本は欧米にとって潜在的犯罪国家になってしまった。日露戦争以後米国は手の裏を返したように日本に敵意をむきだしにしてくる。日本からの移民を締め出し、日英同盟の破棄を画し成功する。
第一次世界大戦でロシアに革命が起こり、共産主義国家ソ連が出現する。ソ連は自国防衛のために革命を世界に輸出しようとする。周辺の国家を共産主義化すればソ連は安泰だ。ソ連の立場に立てばこのポリシ-は解る。標的は日本にも向けられる。しかし天皇を抱く日本に共産化の可能性はほとんどない。そこで日本が進出し大きな利害関係を有するシナ大陸に政策の焦点を定める。孫文を炊きつけ蒋介石を煽り、そして毛沢東たちを動かしてシナ国内及び満州に混乱を撒き散らす。
画期は1921年の五四運動だ。焚きつけられそれでなくとも燃え上がりやすい学生を示唆してデモを繰り広げる。標的は対華二十四か条なるものだ。それが日本のシナ侵略の歴然たる証であるとして日貨排斥などの反日運動が起こる。いくつか留意すべき点を言う。この二十四か条の内容は従来の欧米列強の要求と同じものであり日本が特に強欲であったということはない。主たる内容は大陸における日本の利権の保証、現代風に言えば進出した企業が安全に商売できる状況の確保の要求だ。次にこの要求は1916年に為されている。それが5年後の1921年になって突如として問題になるということは、背後で画策するものがいたからだ。歴史的経緯からしてソ連とコミンテルンとしか言えまい。労働者階級がストなどをして騒いだというが当時のシナにどれほどの工場労働者がいたのだろうか。騒いだのは学生だ。学生は理屈好きで血気盛んだから焚き付けられやすいことこの上ない。後年になるがシナでの国共内戦時国民党は、共産党に指導された学生運動に翻弄され悪役のレッテルを貼られてしまった。学生若者を示唆して騒動を起こし世論を操作する点では文化大革命の紅衛兵と同じだ。共産党がよくとる手口だ。こうして騒動が起こされ続け、戦火は容易に勃発し、コミンテルンのスパイに影響された蒋介石はいやいやながら日本との戦争に引きずりこまれてゆく。日本も同様だ。ただし日中11年戦争というが、本格的戦闘は1年続いただけで後は蒋介石、汪兆銘、毛沢東三者のにらみ合い鼎立だ。背後にはそれぞれ英米、日本そしてソ連がついていた。
ソ連、コミンテルンの思想信条は言うまでもなくマルキシズムだ。マルキシズムはまず経営する者は必ず労働者を搾取すると説く。搾取の定義と内容ははなはだややこしいのだが、そんなことにはお構いなしに、一方的に搾取は当然かつ必然と言う。搾取は一方的に進行し、だから労働者の反逆つまり革命は必然的だという。必ずしも必然的とは思えないが、この間隙をつくろうために、唯物史観を援用する。すべては経済的下部構造つまり物質の運動により自動的に決定されている。だから革命は必発とされる。さらにこうして悪しき資本主義が崩壊したら、みな仲良く平和に、遊んでいても暮らせる王国が出現するという。科学の名を借りた神話だ。一見もっともらしく理想幻想を撒き散らすのでインテリぶる人間や学生という理屈に弱い層はひっかかりやすい。このように洗脳された学生達がシナ中を引っ掻き回す。
第二次大戦、太平洋戦争。日本は負けたが、意図してか意図せずしてか東南アジアやインドは独立してしまった。欧米の植民地から解放されたわけだ。日本軍が植民地の母国を追い払い叩き潰したのだから日本により植民地は解放されたとは言える。余勢をかって日本とは関係ないアラブやアフリカの地域も独立する。欧米の母国にとって日本は許されない事をしでかしたのだ。
報復は東京裁判を中心とする戦争裁判で行なわれる。戦争とは殺し合いなのだから、どうしても残虐なことが行なわれる。それは相互に同じことなのだが、米英蘭はすべて日本が日本軍が悪いとして一方的に裁いた。ひとつだけ例を挙げる。戦争初期ボルネオのメナドに降下してオランダ軍を降した降下部隊の隊長堀内豊秋海軍大佐は、オランダ軍を破ったというだけの理由で処刑された。この降下部隊は空の神兵と言われ現地の民衆の歓迎を受けた。一時期日本は文化も、産業も、歴史も持ってはいけないとされた。民主主義なるものは、少なくとも衆議を政治に反映させる制度は、戦前はおろか維新前から日本にはあったが、米国が教え与えたもののように言われた。頭の悪い息子ブッシュがイラク侵攻の時そんなことを言っていた。
さて中国の反日運動に注目しよう。これは1920年代から30年代にかけて行なわれた抗日運動と全く同工異曲だ。こちらは何もしないのに向こうが騒いでこちらは一方的に悪役になる。こうして日本は悪役に仕立て挙げられた。日本がシナに侵略し、多くの物財を盗み、民衆を虐殺し、戦闘行為では残虐きわまりなかったとされた。近年の中国の反日行為を参考にして、刷り込まれた過去を一つ一つ払拭し訂正してゆこう。中韓の反日行為はいい機会だ。中国には是々非々で臨もう。決して変な妥協はしないことだ。言うべきことは言い国家の利益をまず優先させよう。引きずり込まれないことだ。韓国には?彼らはろくに歴史も主権も持ったことがない民族だ。仕掛けてきたらその分反撃し後は相手にしないことだ。まともに相手にするに値しない。