経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

五摂家に復活を提案する

2012-12-29 13:27:38 | Weblog
   五摂家の復活を提案する

 現在皇室に男児の方が非常に少なく、女性宮家を作る云々の話しが進行中です。日本は万世一系で男子の天皇が代々皇統を継がれるという伝統ですから、女性の天皇の出現は歓迎できません。例外的中継ぎの天皇としてなら、状況により仕方がないかも知れませんが。旧宮家復活も賛成です。ところで皆さんが忘れておられることがあります。華族制度です。華族は皇室の藩屏になっていました。戦後のマッカ-サ-による改革(?)でこの華族制度はなくなりました。皇室、それも直系の皇族方だけが取り残されました。天皇とは君主です。君主には君主のための特別なご教育が必要です。君主の教育を一般民衆のそれと同じ次元で考える方がおかしいのです。婚姻に関しても同様です。天皇制が存続するためには、かっての華族のような藩屏(取り巻き)が必要です。旧華族全部を復活させることはできないでしょうが、せめて堂上華族の一部は復活させるべきではないでしょうか。どこまで復活させるかという問題ですが、まず堂上華族の筆頭である五つの摂家、近衛、九条、二条、一条,鷹司の五家の復活は天皇制安定のために不可欠の条件になります。
 五摂家とは摂政関白になりうる家柄です。紀元1000年前後、御堂関白藤原道長の時代、摂関家としてこの家系ができました。以後この家系は原則として天皇の正妃つまり皇后を出す家柄として特別の存在とみなされ、この家系は準皇族とみなされました。道長から6代後の忠通の時、平安末から鎌倉初期の時代、彼の子孫が分裂して五摂家ができ今日に至っています。武家の時代になっても摂家の権威は不動のもので、天皇の代替わりの時、その時に生じる皇位不在の短期間、時の関白が一時天皇代行をするほどの存在でした。
 別に私は古いから、伝統があるから五摂家を復活させよといっているわけではありません。日本の天皇制は五摂家の先祖である摂関政治と深く結びついているのです。ここであまり詳しいことを述べる余地はありませんが、若干二三の結論のみを言います。まず日本の政治の原点は律令制に遡りますが、この律令制は皇室と藤原氏の共同により形成されました。特に律令制形成と不可分の関係にある、仏教の保護育成に皇室と藤原氏の果した役割は重大です。そして仏教が日本の政治と文化に果した役割もまた重大です。仏教の定着をもって日本人の衆議(意見の形成と伝達が)極めて円満かつ効率よくなされるようになりました。さらに藤原氏は摂関政治を確立することにおいて、自己を天皇(みかど)より一格下の共同統治者の地位に置くことに成功しました。この制度つまり摂関制度の意義はいくら評価してもしすぎということはありません。政権がこのような柔軟な二重構造をとることにより、政権交代は極めて円滑なものになりました。権威と権力の分割といってもよろしい。ともかく以後摂関政治が院政に変わり、さらに武家政治の時代になっても、この権力の二重構造は生きており、武家政治の主催者である各将軍も一格下の共同統治者という立場を形の上だけでもとり続けました。幕末ペリ-来航で統治能力を失った、徳川幕府があっというまに倒れて、そしてスム-スに政権交代ができたのも、天皇制という存在があったからです。私に言わせると日本人あるいは日本史学者には摂関政治の意味が解っていないようです。少なくとも1500年以上にわたって続く万世一系の天皇制とは世界中のどこの歴史にもありません。その天皇制に不可欠の補完装置が摂関制であったのです。天皇制を護持するためにも五摂家の復活は必要です。復活とは五摂家の特殊な地位を認めて、国家でもってその血統の存続を保証することです。繰り返しますが私は旧宮家の復活と同時に五摂家の復活を提案します。天皇制の意義についてはまた別の機会に申し述べます。
 
(付)堂上華族とは維新前に存在した公卿の家柄で明治時代に華族に指定された家柄です。江戸時代末期に約150家ありました。摂家、清華、大臣、羽林、名家、その他と約6つの階層に分かれていました。そのトップが摂家です。堂上華族の八割は藤原氏、残りの大分は村上源氏です。
(付)ヨーロッパの王室と日本の皇室を比べるとその伝統の古さと安定度において、正直比較になりません。月とすっぽんです。仏独露の三国は革命で君主制を排しました。その後のこれらの国の不安定ぶりは周知の通りです。欧州で一番安定しているといわれる英国王室にしても現在のウィンザ-朝の先祖は300年遡ればドイツ人です。オランダやベルギ-の王室そのものの歴史はたかだか200年です。日本の皇室が万世一系と言われて尊重される由縁は、簡単に言えば日本の歴史が平和であったからでもあります。日本の天皇の存在は平和の象徴なのです。戦後からではありませんよ。日本民族発生の時からです。
(付)天皇制に関してはまた詳説するつもりですが、ここでその主たる意味内容を断想風に書いておきます。
 ・権力の正統性の唯一の根拠は血統
 ・君主制は伝統、歴史、文化、そして美、護り育てるもの
 ・親族関係という生物学的次元を政治制度に結びつける存在
 ・君主には特権が必要、一夫多妻という特権が必要
 ・衆議と権力の接点に君主の存在がある、そして衆議と権力の相乗性
・君主制と宗教の相互補完性、ここから人格なるものが析出される
 ・君主は分配の支点
 ・君主制によってのみ性別分業は保証される
 ・君主制は家族道徳の原点
 ・君主制は血(血統)の保証、この保証下に経済という名の闘争過程は安定する
 ・自分に自分が暗示を与えてこそ権威(カリスマ性)は付与できる、この自己暗示を保証する装置が宗教、その内容は特権、一夫多妻、総じて
近親相姦の一部容認

日本の歴史における民主主義の原像

2012-12-26 02:44:46 | Weblog
日本の歴史における民主主義の原像
 
(先に発表した、石原発言の朝日新聞よる非難への反論、の延長上にこのブログが書かれています。)
まず最初に断っておかねばならないことは、私が民主主義なる政治制度を究極の理想としているわけではありあません。民主主義は欠点の多い制度だが今まであった制度のすべてよりはましだ、と言ったW・チャ-チルの皮肉な言明に私も従います。また「原点」とおおげさなタイトルになりましたが、これは日本の歴史における民主主義を明確に表す制度、というようにとってください。日本の歴史において民主主義を事実上表示する制度は、私が知るかぎり二つあります。貞永式目・評定衆と村方騒動・群中議定です。おいおい説明いたします。
貞永式目は1232年鎌倉幕府の執権北条泰時により制定されました。約10年前承久の乱が起こり、旧体制である朝廷院政の側は敗れ、武家政権としての幕府の基礎が固まります。新しい政治制度を執行運営する基軸観念として貞永式目はできました。正式には関東御成敗式目といいます。できた時の年号から貞永式目と通称されます。その内容は、幕府に忠誠を誓った武士である御家人の所領の安堵(保証)と、その種の土地の所有と管理における争いを裁く基準です。幕府が与える御恩と見返りに為す奉公、を軸とする幕府御家人の関係のあり方を決める掟が、貞永式目です。繰り返しますが、この式目の内容は、御家人武士の土地所有の保証です。
貞永式目ができる5-6年前に泰時は評定衆という、幕府の政治を最終的に決定する合議機関を作っています。承久の乱の勝者である幕府の最高首脳、北条政子(尼将軍)と北条義時の死後、統治体制を安定させるために、父義時の嫡男として幕府を統べる泰時は、評定衆という制度を作りました。評定衆は、北条一族、有力御家人(千葉・三浦・足利氏など)そして京下りの法曹官僚(大江・三善氏)など約10数名のメンバ-により構成されます。そしてこの評定衆の下に訴訟判決を実務執行する機関として、引付衆という制度が制定されました。引付衆は3-5の部局からなり、一局は数名の規模を持ちます。この引付衆も時として、評定衆に混じって評定をします。ですから幕府の合議は実質30-40名の人数により為されることになります。この訴訟判決の対象となる御家人の家の意志決定も同様のものです。
貞永式目は武家法の原点になり、後の室町・徳川幕府の法律に大きな影響を与えています。建武式目や武家諸法度などです。また評定衆という制度は、徳川幕府でも実質的に継承されます。老中・若年寄、大目付・三奉行、目付・勘定吟味役などで構成される、やはり30-40名の会議です。室町幕府もほぼ同様の衆議体制を持っていました。
ここで貞永式目・評定衆をイギリスの民主主義の原点とされる、マグナカルタと議会制度と比べてみましょう。マグナカルタは1215年、ジョン王の失政に対して抗議する貴族・領主階級のプロテストから生まれました。100名以上の領主がこのプロテストに参加しましたが、実際に法案を作成し、王と交渉したのは、40名弱の高級貴族です。そして法案の内容の主たるものは、土地所有の保証、勝手な課税の禁止、課税の際の貴族たちの同意権の承認などです。マグナカルタを王に制定させた貴族・領主の集団はやがて1295年に模範議会を開き、以後の議会制度の基礎を作ります。下級領主は徐々に分派し、こうして上院と下院ができます。
地球の表裏にある、なんの交渉もない、日本とイギリスの両国において、制定され形成された、貞永式目・評定衆とマグナカルタ・議会制度、は非常に良く似ています。
江戸時代の後半、18世紀中ごろから村方争議が頻繁に起こります。商業経済の発展、それに伴う農村での商品作物栽培の展開により、農村では自立した小規模経営の農民、小前百姓が増加し、農村の主力になります。増税や飢饉に際して彼らは、自己の経営を護るために、領主(幕府・大名)そして農村指導部(庄屋・名主)と交渉し、同時に彼らの自治組織を形成してゆきます。彼ら小前百姓といわれる農民達は、まず指導部層を突き上げます。指導部層が指導部層の利益中心に走らないように、指導部層が領主と密着したり、妥協したりしないように、村の制度を変えてゆきます。要求が通らないと時として一揆が起ります。それまで代々継承され、単なる年貢貢納の保証役であった庄屋・名主の役割を変えてゆきます。指導部層は能力のある、そして領主と交渉し農民一般の利益のために役立つ人物が選出されるようになります。さらに庄屋・名主の下に農民による監視機関として百姓代や組頭が置かれます。指導部層が領主と交渉するとき、この農民代表が立会い、交渉は文書で確認され保管されます。重要な項目は、農民の大衆会議で決定されます。
このような村政改革の動きを村方騒動といいます。この種の動きは一村を超えて広がり、数村から10数村の規模で連帯して組合村を形成します。組合村には各村から代表が出され、代表は主要案件を議決します。この議決とその結果を議定といいます。組合村はさらに大きな規模になり一郡単位の議定が行われます。この議定を郡中議定といいます。議定は領主の支配地域を越えて広がります。
ここで重要なことは、各村の村政、自治制度が形成されたことです。農民は単に領主に抗議し反対するだけでなく、村の指導部層をして、農村内部の生活案件、例えば農民間の利害調整、水利施設などのインフラ整備、貧窮農民の救済つまり社会福祉、などの案件も積極的にさせるようになります。そのための予算、村専用の予算(入用)も作られ、帳簿は公開されます。こうして旧来の庄屋・名主という指導部層は、単なる年貢請負役から、村政という自治制度の執行者の役に変貌します。こうなると村役人も大変な仕事になります。記録は保管され、さらに村役人は日記をつけて、自己の行動を首尾一貫せしめ、併せて将来村役人になる者のための参考とします。この動きから地誌や土地の歴史を作成する動きが出てきます。農民一般が村役人の行動を監視し、すべての文書は公開され保管されるのですから、農民は字が読めなければなりません。それも相当に難しい文章を読まなければなりません。もちろん計算も必要です。
従来は、民は寄らしむべし知らすべからず、が江戸時代の農村農民に関する通念でした。しかし歴史資料の発掘と検討は新たな農村像を描きだしつつあります。江戸時代後半には日本の農村は、ほぼ完全な自治組織を作り上げていたといえましょう。領主(幕府・大名)は民政の基盤を農民の自治と衆議に委ねたことになります。この指導部層、つまり庄屋・名主、一般的に言えば豪農層出身の経済人の代表が、日本の資本主義の基礎を作ったといわれる渋沢栄一であり、三井物産の馬越恭平であり、鐘紡の武藤山治であり、出光石油の出光佐三であり、ミズノの水野利八です。
 領主階層自身の統治機構も同様です。基本的決定は領主を中心として、家老及び上層家臣が形成する10数名の合議により決定されます。その下部には奉行層を中軸とする実務層があります。家老層と奉行層は意見交換及び人事交流の点では相互移行の関係にあります。より下部の微小身分の武士達も、藩財政の改革が緊急用事となると、上部に進出してきます。幕臣川路トシアキラや薩摩藩士西郷隆盛はその典型です。
日本が明治維新という世界史上稀有な改革に成功した背景には、以上のように農民の自治組織がすでにあり、それに対応するように統治階級にも衆議制が存在したからです。維新は天から降ってきた偶発現象ではありません。明治維新の改革は江戸時代にすでに存在した、このような衆議と自治の延長上にあったといえましょう。
私は問題を単純化するために、貞永式目・評定衆と村方騒動・郡中議定に叙述をまとめました。この二つの歴史事象は、名主(みょうしゅ)という開発領主であり、武力の培養器であり、富裕農民である、武士という中産階級の発展過程の一部をなす者です。
ついでに当時の西欧の事象も勘案しておきましょう。イギリスでは治安判事制に基づく農村の自治制度があり、そこからジェントリ-やヨーマンという地主・富裕農民が出現してきます。18世紀後半にける農業革命をへて、イギリスの農政は地主(ジェントリ-)中心の体制に移行します。フランスでは中世以来王権と密着した法曹官僚により官職領主制が展開され、その矛盾がフランス革命で爆発し、一応自作農が出現します。
民主主義が必然かどうかは解りません。が、それに相応する制度と歴史は、日本において既に存在していた、ということを私は強調しておきます。

安部総理に望む、東北地方の復興を最優先に

2012-12-23 02:39:02 | Weblog
  安倍総理に望む、東北地方の復興を最優先に

 自民党が予想通り大勝し、安倍新政権が誕生しました。経済、外交ならびに軍事などなど課題は沢山ありますが、やはり第一に為すべきことは経済、デフレ不況からの脱却です。金融緩和、公共事業の前倒しなどが、提唱されています。金融緩和も大切な事項ですが、公共投資を伴わなければ意味がありません。まず何から手をつけるべきかと、考えますと、絶対に東北地方の震災復興を優先するべきです。金融緩和などの措置に伴う、政府が握る予算の多くを優先して震災復興につぎ込んでください。
 東北復興は単なる震災からの回復を意味するのみではありません。これは一種の実験です。震災地区に限らず東北地方全体をある種の特区にして、震災復興、耐震設備、道路網増強などなどを集中的に行うべきです。東北地方を一大経済単位にし、復興と耐震設備を尖兵にして、新しい市街、工場、道路、などを集中的に、未来を先取りする形で、設計するべきです。日本全体に平等に資本をばらまくのではなく、東北地方に集中的に投資するほうが効果的です。それから資本投下を全国に及ぼせばよろしい。したがってこの場合東北地方は、特区であると同時にモデルにもなります。
 公共工事は必要です。が、考慮すべきは、この投資がイノヴェ-ションに結びつくか否かです。イノヴェ-ションに結びつかなければ、投資は需要に喚起しません。投資をイノヴェ-ションに結びつけるためには、総合的ですりあわせ型の製造業を促進しなければなりません。すりあわせ型製造業の代表が、耐震型都市設計であり、新幹線であり、原発であり、海底資源の開発、人工衛星であり、そして将来予想される自動運転装置の道路などなどです。逆にTVや自動車のような単品生産は技術の開発可能性、需要喚起などの点では限界があります。というより既に限界にきています。トヨタもソニ-・パナソニックも自社の主力製品をすりあわせ型製造業に切り替える必要があります。彼らは彼らの創業者の昔に帰って、自己の会社の方向の選択を行えばいいのです。
 すりあわせ型産業の確立のためには、東北地方の復興は絶好のチャンスです。壊れたのが幸いになります。それを復元するだけでなく、道路、橋梁、都市、港湾、交通、通信、そして医療教育福祉などなどを総合して地方全体を建設する、都市工学、都市建設工学のような考え方でのぞむべきです。東北地方に集中投資することで、資本投下成功の可能性は著しく増します。私は東北地方の震災復興を機として、この地方全体を作り変えるべく、新しい都市モデル、新しい産業モデルの創出を望みます。
 前政権は震災復興に何をしたのか、判然としません。前政権が東北復興に敢然として取り組んでいれば、総選挙での敗北はなかったのです。ですから新政権は、前政権の不備を点検し、総合的かつ大規模に一気に東北復興に踏み込んで下さい。
 そのためには規模となによりもスピ-ドが肝心です。集中して一気に、東北復興に取り組む、そしてそれを全国に及ぼす、が原則です。拙速で構いません。無駄や不正がいささかはあるのはやむをえません。経済の拡大路線は、中途半端であってはいけません。中途半端なら、いっそ正反対の緊縮型均衡経済にするほうがましです。安倍総理の唱えられる拡大成長経済の施行に際して、まず東北復興を最優先にして、集中的に投資することを提案します。仙台で臨時議会を開いたらどうでしょうか。天皇陛下にも御動座いただいて。このくらの決意は持つべきです。
 つい最近東北地方で震度7.2の地震がありました。ここまで地震という災いが襲ってくるのなら、こちらも天災を受けて立とうではないか、と考えてみましょう。死者の数だってたかだか数万です。覚悟して取り組みましょう。人が死んだら産めばいい、物が壊れりゃ作ればいい、金がなければ刷ればいいのです。当然耐震建設になりますが、この設備を全国に及ぼすと大変な事業になります。公共投資の対象、それが含む経済的・技術的意義は計り知れません。震災は日本にとって災いどころではなく、むしろ僥倖になります。決断とやり方しだいです。
 そもそも福島の原発の問題を事故という言い方がおかしい。事故ではなくあれは災害です。外国が事故事故というから、日本でも事故になりました。言い方しだいでは、日本の技術力の信用と気分の問題に関わります。信用は薄れ、気分は暗くなります。経済的にも精神的にも文字通り、Depression(抑鬱状態、不況)になります。福島はスリ-マイル島やチェルノブイリとは異なるものです。
 とにかくスピ-ドが第一、アベノミクスとか世間が騒いで、株価が上がっているうちが花、チャンスです。世間は期待しているのです。経済で一番大切なのは気分です。ケインズという人は、この気分を強調しました。気分はスピ-ドです。我々も習いましょう。だから経済担当の財務大臣には積極的で明るい人を任命することです。
 阿部総理は山口県が選挙区です。山口県、長州です。維新回天の時薩長はかなりな程度、東北地方を痛めつけました。会津、庄内、二本松、南部、仙台、米沢などの地方では、現在でもしこりはあります。別に罪滅ぼしをせよとは、言いませんが、荒廃した東北地方に援助の手をさしのべるのは武士の情けではないですか。ついでに言いますと薩長が維新回天を成し遂げえたのは、大阪の経済力があったからです。鳥羽伏見で幕軍が破れ、大阪から徳川慶喜が退去し、西日本の圧倒的経済力が薩長の手に帰したと判断した外国が、薩長政権を支持したのが決め手でした。安倍総理の外系7代の祖先は佐藤寛作という人物です。この人は村田清風の幕僚の一人でした。村田清風は、長州藩主毛利敬親に仕え天保から幕末にかけて、長州藩の事実上の総理を務め、財政を再建し、維新回天の経済的基礎を作った人です。安倍総理、ご自分の血統をお忘れないように。
 選挙の投票率が前回より10%下まわったとのことですが、成熟した民主主義の国家では59%くらいが適当です。かってのソ連では選挙の投票率は99%でした。考え方を変えれば、ミ-ハ-の浮動票が選挙を避けてくれて、本当に政治に関心のある人達が投票したともいえます。多くの新聞によれば大半の人が、自民党復権でなにやら安堵感を抱いているようです。皇室を尊重し、私有財産を認め、そして適度な国家介入を許す(時として派閥争いや汚職も起こるが)云々、この世俗性が一番安心できます。
 もう一度申し述べます。経済の回復は東北地方の復興から行きましょう。

「石原発言」に対する朝日新聞の記事への反論

2012-12-20 02:33:11 | Weblog
  「石原発言」に対する朝日新聞の記事への反論

 2012年12月14日の朝日新聞朝刊に、石原前東京都知事の「アジアで近代化を成し遂げたのは日本のみ」という発言に対して、アジア諸国に対して失礼だという、記事が掲載されていました。この記事は石原発言を否定するものです。石原発言「アジアで近代化を成し遂げたのは日本のみ」は事実です。事実であり真実です。以下所論を展開します。
近代化とは、政治における議会制度と、経済における資本主義をその主たる内容とします。前者は議院内閣制を根幹とし、後者は機械工業の発展を当然の事として含みます。加えて教育制度の確立は必須です。
 明治政府は維新後の10年の間に、廃藩置県、秩禄処分、地租改正という、近代化の基礎になる法制度を整えました。廃藩置県は中央集権制、秩禄処分は封建的特権の廃棄、地租改正は所有権の保護確立を意味します。このような大事業を明治政府はほぼ無血のうちに成し遂げました。このように速やかに根本的制度の確立が行われたことは世界史上他には皆無です。(注1)薩長を中心とする藩閥政府(寡頭制政府)は、併行して出現した自由民権運動と拮抗しつつ、国制を整備します。この政治情勢は明治20年代初頭における、明治憲法の制定と選挙制による議会の出現で一つの到達点に達します。明治30年代初頭には議会に存在根拠を置く大隈内閣が出現します。政党が作られ、それは政友会と憲政党の二党に集約され、やがて大正7年の原敬内閣が出現します。選挙法も改正され昭和3年には普通選挙が行われます。大正7年から昭和11年までは、二大政党による政権交代、政党による議院内閣制の時代でした。戦争により政党政治は中断されますが、戦後すぐ復活し、幾多の変遷をへて現在に及びます。現在の政治は自由な選挙制度による民主主義の政治です。(注2)
 経済においては前記した維新後の三大改革を出発点として、大隈重信の拡張経済による近代化のための資本投下、その行き過ぎを是正する松方正義の緊縮財政をへて、銀本位制と日銀(中央銀行)の設立が為され、そして明治31年に金本位制が確立されます。この間、資本集約が進み、明治20年代後半、紡績業を中心とする第一次産業革命が行われます。日清日露の戦争を経て、重化学工業の発展が志向され、それは昭和10年ごろに第二次産業革命として結実します。戦争後の日本経済の発展は周知の通りです。
 明治10年前後に設立された重要な企業は、三菱汽船(郵船の前身)と大阪合同紡績(東洋紡の前身)です。三菱汽船は岩崎弥太郎の剛腕をもって、外国の海運会社を駆逐し、日本の海運会社が発展する基盤を作りました。大阪合同紡績は始めて日本で設立された大規模に機械化された紡績会社です。はじめこの企てを指導した英人技師は日本人には、この工場の操業は無理だ、と言います。発奮した総指揮者である渋沢栄一はイギリスに留学した山辺丈夫を技師長に任じ、この試みを成功させます(注3)。この頃設立され今日に及ぶ主な会社は、三井銀行、同物産、明治・安田生命、などがあります。やがてこの隊列に、日本製鉄、川造船、三菱造船などが加わります。
 大正初年、日本は紡績業において当時世界一だった英国を、質量ともにぬきます。ダンピングの疑いをもった、イギリスの使節が大阪の工場を観察にきて、その効率のいい製造法に兜を脱いだと伝えられます。日露戦争における日本海海戦では、日本の戦艦はすべて外国製でした。10年後には川・三菱造船所で、3万トン級の戦艦が造られます。造船技術において、日本は英国などの先進国と肩を並べます。建艦技術の成果は、大和・武蔵という6万トン級の戦艦の出現において如実に示されます。大正末期から昭和初頭にかけて理研、日産、日窒などの新興財閥が化学工業を立ち上げてゆきます。トヨタ・日産等の自動車工業はやや遅れて出発し、陸軍の後援をえて、太平洋戦争当時には戦闘に役立つ車両を生産できるようになります。
 1925年(昭和元年)の時点で日本の鉄は出超になります。製鉄技術でも欧米にキャッチアップします。昭和40年代、日本の鉄生産量世界一になります。高度成長が続く中、1975年に工作機械が出超になります。日本はこの分野にIT技術を導入し、一気に欧米を抜き去ります。2000年に入り、技術貿易は出超になります。技術大国日本はこのようにして発展します。明治維新以後、日本は政治と経済の両面において、離陸し、発展し続けます。1853年、アメリカのペリ-大佐が黒船を率いて日本沿岸に押し入り、当時の日本人を驚愕させます。6年後咸臨丸は日本人のみの操船でサンフランシスコに到着し、アメリカ人を驚かせ、この民族はやがてアメリカの脅威になると、言わせます。以後の日本はこの予言どおりの発展の道をたどります。
 1941年(昭和16年)太平洋戦争が勃発します。この時点での日本の工業力は決して従来から言われるほど弱小なものではありません。総合的工業力では、米国が横綱、ドイツが大関、英国・日本・ソ連が関脇というところでしょう。それだけの実力があったから米国と4年にもわたり総力戦を遂行できたのです。米国が現在日本を同盟国として重要視するのもそのゆえです。
 教育において明治政府が行った特記すべきことは、明治6年の小学校令です。政府はまず初等教育の育成に尽力しました。初等教育に関しては日本が欧米に先行します。少なくとも遅れてはいません。英米独仏など列強の初等教育施行はほぼ1870-1980年代に行われています。もう一つ明治政府が教育制度としてなした画期的なことは、工学部を帝国大学の一部門として正式に認めたことです。旧幕府の諸機関を受けつぎ、さらに伊藤博文の提唱により創設された工部大学校を加えて明治17年に、帝国大学(現東京大学)が創立されます。法・医・工の三部門から帝大は成り立ちます。これは欧米の諸国に比べると極めて画期的なことです。欧米では、工学関係の教育は、職人の技術伝承として低く見られていました。正式の総合大学(university)に工学はいれてもらえませんでした。明治政府は帝大の正式学術機関として工学部を包摂することにより、殖産工業の技術を学問として容認したことになります。欧米ではなお古典であるギリシャ・ラテン語の習得が重視され、近代言語(例えばフランス人にとっての英語・ドイツ語)の習得は、等閑視されてきました。この事はこれら諸国の産業政策にかなりという以上のハンディを与えます。    明治政府はこうして初等教育と最高学府をまず造り、それから中間に位する中学・高校を作ってゆきます。一橋、慶応、大阪市大、立教、京都府立医大などなどの学校は帝大(現在の東大)の創設と相前後してその前身が造られています。そして明治33年、第二帝大として現在京大とよばれる大学が京都に創設されます。やはり法・工・医の三学部からなります。最初から総合大学として創立された大学は京都帝大が嚆矢です。
 アジアの諸国でここまで発展した国家はあるでしょうか?ありません。中国には正式の民意形成機関としての国会はありません。韓国では大統領が交代するごとに、汚職・逮捕・死刑判決、自殺などが起こります。定期的に易姓革命をしているようなものです。思想の自由は制限され、反日を国是としなければ政治的安定を保てません。韓国や台湾では一部の製造業は盛んですが、総合的な発展をしているわけではありません。台湾では20年前まで戒厳令がしかれていました。それにこの両国の近代化の基礎投資は、戦前の日本が行ってきたものです。台湾人はこの事実を認めて日本に感謝し、韓国人は日本を嫉妬して日本を憎みます。他の諸国は押して知るべし、極端に言えば部族国家でしかありません。
 朝日新聞は石原氏の「近代化を達成したのはアジアでは日本だけ」という事実を否定しました。根拠なき反論であり、無知の結果です。どうして朝日新聞はここまで日本を貶めるのでしょうか?過去最低限二つ、このメディアが行った不愉快極まりないことがあります。昭和50年前後、当時の朝日新聞記者である本田勝一氏は中国紀行なる記事を書き、その中で、日本軍が中国民衆を殺害して埋めた穴、千人孔・万人孔、なるものが幾百もあると書いていました。この記事を当時読んだ私の計算では日本軍は1000万人以上の殺害を行ったことになります。あとで識者が本田氏にその根拠を尋ねると、ただ中国の農民から聞いただけとのこと、全く根拠なしでした。記事の処置は曖昧になり、朝日新聞は一切責任をとっていません。さらに20年前、従軍慰安婦なる記事をでっちあげたのも、朝日です。この記事に狼狽した当時の宮沢内閣の河野官房長官の談話は、記事の内容を肯定しかねない、談話で、現在に至るまでその禍根を残しています。朝日新聞関係者によるこの種の扇動は現在でも続いているようです。中国や韓国のいわれなき、言いがかり(南京事件やいわゆる慰安婦問題など)に際し、国内から変に同調する勢力が蠢動するので困ります。国益を損ないます。(注4)(注5)石原発言への朝日新聞の批判に際し、歴史上の事実を列挙して、反論しました。石原氏がおっしゃる「アジア(非欧米と言うべきでしょう)で近代化を成し遂げたのは、日本のみ」という発言は真実であり事実です。

(注1)幕末維新の動乱で、戦死した総数は西南戦役を含めても千人単位でしかありません。刑死は安政の大獄が有名ですが、諸藩内部での粛清を含めてせいぜい数百名でしょう。明治政府は旧幕府構成員に対して公式の報復は一切していません。対照にフランス革命をとりますと、1789年からの10年間で刑死は少なくとも8000名、戦死はナポレオン戦争を入れると数十万人に上ります。フランス革命以上の成果を維新政府はあげています。
(注2)元アメリカ大統領のブッシュ氏がイラク侵攻時、日本に民主主義を教えてやったように、イラクにそれを教えてやるなど、と言いました。日本には戦前から民主主義の発展はありました。ブッシュという人はあまり賢いとは聞いていませんから、無知からでた発言でしょうが、不愉快でした。
(注3)当時旧藩主亀井氏に随伴して、イギリスに留学し、法学を学んでいた、山辺に渋沢から緊急連絡があり、紡績技術を習得せよ、と言われ、山辺は方針を変更して、イギリスの紡績工場の一工員になり技術を学び(盗みかな)ました。
(注4)数日前の読売新聞で元駐日イギリス大使が、中韓の非難に対して、日本はもっと謙虚に反省するべきだと検討違いのことを言っていました。南京事件といわゆる慰安婦問題は、事実無根のことですから、反省のしようがありません。問題の論点がずれています。百歩譲って、日本の植民地支配が罪過だとするのなら、イギリスによるインド支配、南アにおけるボ-ア戦争、タスマニア人の絶滅をイギリス人はどう反省されるのですか?別に反省しろとは言っておりません。戦争と政治は当事者の利害関係で動くものですから。
(注5)朝日新聞のこの体質は左翼的体質のなせるわざです。左翼は、批判はするが実行はしない、口先だけの傾向を持ちます。批判だけなら誰でもできます。このようなポジションを取ることにより、自身を高み・上(神)座に祭り上げます。知識人になるのは、左翼のポ-ズをとるのが一番です。左翼志向の根源にはマルクス・レ-ニン主義があります。このことに関しては、別項でとりあげます。

民主党の惨敗に思う

2012-12-15 17:57:45 | Weblog
民主党の惨敗に思う

2012年12月16日の総選挙で、民主党は惨敗した。民主党の敗北は既に予想されていたことだった。惨敗が確定した時点で、民主党敗北の原因を考察してみよう。まず民主党が掲げた公約や、為そうとした政策を検討し、このような個々の政策の背後にある、思想と原則に関して考えてみる。この試みは、民主党を非難するためにするのではなく、民主党の再生を願い、真の政策政党となって生まれ変わってほしいからだ。民主主義の政治を行う限り、有能な野党の存在は必須であるのだから。
 既に言われて久しいことではあるが、民主党の政策にはばらまき福祉の傾向が顕著であった。子供手当てや農家への所得保障には大きな疑念を抱かざるをえなかった。説明は不要であろう。人気取りと言われても仕方がない。大事な予算(金)の使い方を知らない、としか言いようがない。
 外交においては眼を覆うばかりだ。沖縄の基地問題に関する、鳩山首相(当時の)迷走、変説、無責任さは、もう一度同じ言葉をあえて使う、眼を覆うばかりだった。前政権で既に大筋が決まっていた、辺野古移転をわざわざ翻し、県外に基地を求める、ということは、全く不可能でしかなかったのに。そんな事は解りきったことだった。これで基地問題はめちゃめちゃになった。地政学的にみて、主要な基地は沖縄しかありえない。それは米軍が担当するにせよ、将来日本の自衛隊がそれを本務とするにせよ、である。鳩山氏は物理か数学でも専攻しておればいいので、全く政治家に向いていなかった。また共産中国との尖閣諸島問題に関しても、領土問題に対する、民主党の消極的姿勢が目立った。中国の漁船が海保の巡視艇に体当たりしてきた時の、映像の隠蔽、責任者の船長の事実上の釈放などなどその場逃れの姿勢が顕著だった。石原東京都知事の主導で尖閣になんらかの構築物を設定する云々の話でも、そのままうやむやになってしまった。外交とは利害計算とそこから生じる対立への、対処の方法である。あくまでリアルでなければならない。こと中国に関する限りは、最後は武力行使も覚悟、という覚悟がいる。民主党政権にはこの覚悟がなかった。
 公約・マニフェストはすべて雲散霧消した。パ-になった。3年前の選挙前、民主党は10兆円単位の埋蔵金なるものが、通常予算にあると言っていた。無駄はある。しかしそれが通常予算の1/4と言われれば、常識を超える。予想に反して出てきた無駄は2兆円足らずであった。埋蔵金でなんとかなるという発想法は素人っぽい発想であるのみならず、緊縮予算に通じる。不景気を促進する政策でもありうるのだ。
官僚制の否定も噴飯ものだった。官僚制度なき政治・国家などありえない。もし官僚制を壊滅させれば、出てくるものは神権的独裁制か無政府状態だ。官僚は注意して使うものだ。敵視する必要はないが、警戒はしなければならない。ただそれだけだ。官僚制否定から出てきたのが、仕分けという行為だ。一種のエキジヴィジョン、権力の自己顕示でしかない。このお祭りは早々になくなる。今年ノ-ベル医学賞を取られた山中京大教授の研究費も危うく削られそうになったと、聞いた。山中氏の研究成果が、生物学研究における画期的な(通常のノ-ベル賞のレベルを超えた、ダ-ウィン・メンデルクラスの)意義を持つのみならず、今後の日本経済の発展にとって重大な意味があるにもかかわらずだ。仕分けは無意味な人民裁判でしかなかった。
経済政策に関して言えば、民主党にははたして、日本を不況から脱出させる意志があったのであろうか、とさえ問える。ひたすら増税を主張し、均衡予算(この場合は緊縮予算)という経済学の平凡な(部分的にのみ通用する)常識を金科玉条視してきた。一体改革なるものを強引に議決したが、福祉を増税で賄うとは、自分が喰ったものを吐き出して、それをまた食うようなものだ。野田首相は、安倍自民党総裁の唱える、建設国債をばらまきと非難したが、これは公共投資の意味を知らない者がいう言葉だ。公共投資と金融緩和を同時に行い、経済行為を拡大することによってのみ、新改革(イノヴェ-ション)も可能になる。イノヴェ-ションを通じての新規・異種産業の開発のみが技術国家日本の、生きる道だ。緊縮予算は、緩慢な経済的自殺だ。
民主党の政治姿勢は、左翼代理であった。たぶん今でもそうなのだろう。左翼とは何か?分配至上主義、無競争、平等、が左翼の基本的信条(心情)だ。生産とか創造とかいう要因は左翼では後回しになる、時として無視される。腹減った、飯よこせ、が左翼の態度の神髄だ。左翼政党(および労働組合)は19世紀後半における、ドイツ社会民主党の創設から始まる。英仏露そして日本のまたアメリカの、社会主義政党は多かれ少なかれ、このドイツ社民党の影響を受けている。ドイツ社民党の創始者である、ベ-ベルとリ-プクネヒトはマルクスそしてエンゲルスの強い影響下にあった。ロシア革命後、どこの国でも社民党から共産党が分離する。社民党と共産党は一党独裁の可否をめぐって袂を分かつが、両者はどこかで気分が通じ合っている。深層において通じ合う。その心底にあるものは、分配至上主義、そして私有財産の否定だ。ここでリベラリズムとソ-シャリズムは分別される。JS・ミルは通常の社会主義者より過激でさえあったが、彼はあくまでブルジョア急進主義者であった。
分配至上主義と私有財産の否定は、努力なくして生存できるという、権利・要求を引き出す。この過程を擬似理論化したのが、マルクスだ。彼あるいは彼の後継者であるレ-ニンは、革命の後には、働かなくても充分に食える社会は必然としてやってくると断言した。こうなると努力・生産・創造は不要になる。のみならず、理想社会(働かなくても食える)の招来を必然として予言できる党派は、絶対に正しいという傲慢な態度が生じる。正しいものに楯突くやからは将来の弊害となるから抹殺せよ、という論旨が出現する。一党独裁と共産党の無謬性である。この理論のあほらしさと残酷さは前世紀の社会主義国家の実験でいやというほどみせつけられた。歴史の経緯からして、すべての社会主義政党には、社民系共産系を問わず、この種の怠惰と傲慢さが共有されている。
日本の民主党も例外ではなかった。3年前に政権をとった時の、民主党のおごりと昂ぶりは、あたかも日本に革命が起こったような印象を与えた。特に前政権である麻生自民党政権に対して浴びせた、悪罵・数々言いがかりは、自己の無謬性への信仰ゆえであった。
自己を無謬と信じる時人は、あるいは人の集団は、理想と現実を取り違え、理想の羅列をもって理想の実現とみなし、他者に対して不寛容になる。のみならず、この種の対応を為すものは、目標実現の方法論を無視する。あるいは彼らには、方法論はない、必要がない。
ここから出てくる態度は、現実に対して腰(度胸、覚悟)の座らない政治への対応だ。鳩山氏の基地問題への対処は例外的とみなす。あまりにも常識をはずしているのだから。しかし尖閣諸島に対する、歴代民主党政府の態度は極めて消極的だ。国民と世論の大勢に押されてやむなくそれなりの態度をとっただけだった。均衡予算に執着し、財務官僚の飼い犬とまで言われた態度も、同様だ。外交や経済において、最後の一線(ultima rtaio)を覚悟しないと、中国への思い切った対応、拡大予算への展望と飛躍は出てこない。理想に酔い、理想に溺れる者に、現実にどう対処すべきかという、方法論も決断もありえない。結局は平凡な常識への回帰あるのみになる。民主党の態度はまさしくそうだった。こういう態度を総じて、ひっくるめてポピュリズム(大衆迎合)という。
では民主党はいかにして、再起再生し、捲土重来を期するのか?端的に言う。選択的夫婦別姓と外国人への選挙権付与、という危険な法案への賛同を撤回せよ。民主党は、時としてどさくさにまぎれて、この二法案を通そうとした。だから一部の人は、これらを闇法案という。外国人への選挙権付与は分配至上主義の一環だ。日本に来て日本人になり(国籍を取得して)日本に忠誠を誓い、日本人として働いてこそ、それ相当の分配に預かれる。分配へのチケットが選挙権だ。以上の前提条件を欠く者に選挙権を与えることは、分配至上主義そして私的所有権の否定に通じる。
選択的夫婦別姓は、私的所有権の問題につながる。夫婦別姓は、結婚あるいは家族の解体を招来する。結婚は単なる性行為でもなく、気のあった者の同棲でもない。社会に開示され、社会から公認されてこそ、結婚である。夫婦一体でもって社会に貢献するという誓いが、婚姻の意義なのだ。夫婦別姓となると、社会による認知、一体化、責任は崩れる。好きな時に結婚し(性交し)好きな時に別れる、子供は家族ではなく社会が育てればいいとなる。子育ての場はあくまで家庭だ。家庭外で(例えば保育園など)育てられたことによる弊害が指摘されて以来久しい。血縁と血統をもってのみ、家庭という枠組みをもってしてのみ、育児は可能である。夫婦別姓はこの血縁の紐帯である家族を破壊し、さらに及んで、社会の結合をも破壊する。血縁血統の否定は、私有財産の否定に通じる。その結末については前記で述べた。
民主党よ、政治的勢力として再起し、権力の遂行に預かりたければ、まずこの二法案、外国人への選挙権の付与と選択的夫婦別姓という政治の根幹に関わる危険な法案への賛同をやめるべく宣言せよ。それなくして民主党の再生はありえない。

安部自民党総裁の提案に賛成、そしていささかの注文(改訂版)

2012-12-13 02:30:57 | Weblog
安倍自民党総裁の提案に賛成、そしていささかの注文(改訂版)

 安倍自民党総裁が提案された総選挙後の政策方針に全面的に賛成します。安倍氏は積極的拡張経済政策を提示しておられます。具体的には建設関係の公共投資のために日銀が国債引き受けをするという提案です。ついに来るべきものが来たかと思います。私はかねてからこのブロッグで日銀引き受けあるいはそれに等しい経済政策、つまり通貨発行量の増大と、政府による需要喚起を提案してきました。一部でそのような意見がありましたが、責任ある地位で最大野党の総裁が明言されたのは始めてです。今まで円高不況が進行するに併せて金融緩和をしてきましたが、金融政策には限界があります。ケインズ流にいえば、緩んだ糸はいくら押してもだめという事です。何よりも需要喚起が必要です。民間にそれができないのなら政府が主導するしかありません。
 需要喚起で重要なことは、新しい産業の創出をはかることです。いくらでもあります。まず東北大地震の復興を急ぐこと、全国的な耐震設計の導入(特に原発の)があります。全国の道路網も整備する必要があります。まだまだ日本には道路網が不十分なようです。日本の現在の道路は高度成長期になされたものが多く、現在は大幅な改修を必要としているはずです。さらに東京と大阪をつなぐ新型新幹線の建設を前倒しして実行する必要があります。そうして東京大阪、さらにはその遠方も含んだ、太平洋ベルト地帯を一種の巨大都市にするような建設計画が必要です。人間が一箇所に集住するだけで、新しい産業が可能になります。将来現在使用しているような自動車はなくなり、小型で近距離用のしかも道路との交信により自動的に運転できる乗り物が主流になるでしょう。そうなれば東京名古屋大阪の公共交通網は再検討を迫られます。そういう都市改造に伴い、医療、教育、福祉のあり方も変ります。そういうことについては今まで何度も発信してきました。あらためて詳細に言う必要はありません。例を挙げますと医療や教育にはもっと資本を投下すべきであるということです。現在の日本の技術なら、福祉医療教育に機械技術を導入することは可能です。福祉は工学と連携できます。また現在の円高は公共投資にとっては追い風になります。安い原材料をどんどん買ってやればいいのです。円高を利用しない手はありません。内需喚起が必要です。内需が増えれば自動的に輸出も増えます。高度成長期がそうでした。
 白川日銀総裁は、日銀引き受けは財政のけじめをなくす危険があるといわれました。以前から多くのエコノミストがそうおっしゃっていました。しかし彼らの言う均衡財政で日本の経済が発展したでしょうか。この円高でデフレの時、何かの教科書に書いてあるような均衡予算を実行すれば、デフレはいよいよ進行し、日本の経済は衰滅します。緩慢な自殺過程に入ります。白川総裁はかって米国か欧州の機関から、ここ数年来の優秀な金融担当者と言われましたが、この言、裏から見たほうがよさそうです。日本が金融のそして財政のけじめを守り、均衡予算を維持し、通貨の発行量を制限することは、他国にとっては利益になることです。日本の円高は日本の犠牲で他国の利益のためにあったといえます。ともかくデフレ不況下において均衡予算を維持して、そこから脱出できた例はありません。白河氏は高橋財政のことを念頭において発言されているのでしょうが、当時と現在では、日本の持つ資本と技術は段違いです。思い切った政策をとる余地は大きいのです。
 安倍氏の外交路線も支持します。私の早読みかも知れませんが、憲法改正、防衛力の拡張そして核武装は賛成です。日本ほどの経済大国で核武装していないのは危険です。当然原子力潜水艦さらには原子力空母をも持つ必要があるでしょう。第九条などさっさと廃棄してしまえばいいのです。
早急に河野談話は破棄して下さい。教科書にいまだ、南京事件やいわゆる慰安婦の件が、事実であるかのように記載されているようですが、早急に書き直すべきです。日本と日本人の品位の問題にかかわってきます。事実でない事は既に実証済みです。この点では経済より外交優先になります。領土問題も同様です。尖閣諸島の問題には断固として対処する、状況によっては一部武力行使もやむをえないと覚悟する必要があります。
 この点に関してユニクロの社長が、中国市場を度外視して日本経済はありえない、だからユニクロは尖閣諸島を中国領土だと容認した、みたいな発言をしたそうです。まさしく亡国の言です。食うためには国を売ってもいいということらしい。リッチに生活できうれば人の妾になっても良い、ということです。ユニクロに関しては、日本国内でも低賃金で苛烈な職場環境だと聞きました。低賃金が売り物の中国ならユニクロにお似合いでしょう。ユニクロはともかくとして日中の経済関係は相互関係なので一気にゼロになることはありえません。一定度以上の収縮は日本のみならず中国にとってもマイナスです。冷静に考えればよろしい。
そもそも中国市場にそれほどの魅力があるのか否かが問題です。簡単な計算をしてみましょう。両国のGDPはほぼ同じ。人口はあちらが日本の10倍以上、多分12倍。なら一人当たりのGDPはあちらは日本の1/10以下、物価指数を考慮すればもう少し数値は変ってくるでしょうが、そんなものです。加えて大事なことは中国の民間消費がGDPの30%くらいということです。ここでは一応あちらの統計を信頼してとしておきます。日本の同民需は60%です。なら中国人の購買力は日本人のそれの1/20になります。格差を視点にいれると数値はさらに低くなります。私の家の水道ガス電気通信の消費はざっと年間100万円です。大きいほうでしょう。これの1/20と言えば5万円。日本国民全体にひきなおすと2万円程度になります。この数値で維持できる家政は、ガス水道なし、エアコンなんかとんでもない、せいぜい裸電球にラジオと電熱、程度になります。昭和25年くらいの日本の生活といったところではないでしょいうか?これで何が買えるのでしょうか?中国の経済は安い労働力と外資でもっています。安い労働力の犠牲の上に利益は外資と一部富裕階級に流れ、それはどんどん外国に逃げています。中国の民需をあてにすることはできません。ユニクロのような安い物なら別ですが、日本の製造業の未来はそんなところにはありません。より大規模な都市あるいは交通の設計を目指す製造、簡単に言えばすりあげ型製造業、未来設計型経済が将来のあるべきすがたです。ですから日本の製造業は当然内需喚起に基づくことになります。そういうことですからユニクロなど中国に行くか潰れても一向に構わないのです。そう中国市場に期待せず、自信をもって冷徹に中国に対処しましょう。
 外交と経済を安倍氏の方向で考えるのは賛成ですが、二つの問題が発生します。要注意問題です。現在アメリカ経済は困難な事態にあります。日本が内部に投資するためには溜め込んだ金融資産を売却することも必要です。250兆円近くになります。ところでこの金融資産の大部分はアメリカ国債のはずです。これを売却したらアメリカ国債は暴落しアメリカ経済は危機に直面します。かって橋本首相がアメリカで冗談に、もし日本が持っている米債を売ったらと発言して、大問題になりかけました。日本の経済の成長は下手をするとアメリカ経済の深層の危機に打撃を与えかねません。
 もう一つが日本の核武装です。核武装したら日本は米国の傘の下から出ることになりますが、同時に米国の潜在的敵になります。そういう時米中連携で対日工作をされると日本は挟み撃ちにあうことになります。第一次大戦後からの四半世紀がそうでした。そうはなりたくはありません。実際怖いのは中国ではなく米国なのです。原子爆弾はだてに落とされたのではありません。
 安倍氏に言っておきます。まさか民事公の連立をされることはないでしょうね?なら選挙民に対する裏切りとみなしますよ。最後に、安倍さん、ともかく2年間は頑張って下さい。その間は体を大切にそして体を張って下さい。5年前貴方は健康上の理由で政権を放棄された。二度とそんなことのないようにお願いします。戦後二度首相を務めた例は多分吉田茂さんだけでしょう。そういう滅多にないチャンスをものにできそうなのです。生死の覚悟はおできになっておられるはずです。国民に命を預けて下さい。
もう一つ、太平洋戦争に関して変な贖罪感は負わないようにお願いします。貴方が総理に就任した最初の国会答弁で、ある野党(当時の)代議士が、貴方の祖父である岸信介元首相が開戦の詔書に商工大臣として副署したのを捉えて、貴方に祖父の行為についてどう思うかと質問した時、貴方は祖父の責任云々と言われたように記憶しています。この種の贖罪感は不要であるばかりでなく有害です。戦争は政治の延長であり、勝敗は兵家の常です。岸信介氏に関しては有能な官僚であり、また優秀な政治家であったと私は思っています。日米安保条約は岸総理の時延長され日本防衛のとりでとして今日に至っています。また日本経済の高度成長は実質的には岸内閣時代から始まっています。
 余談ですが重要なことなので付記します。本年京都大学教授山中氏がノ-ベル医学生理学賞を受賞されました。私も医師なのでこの受賞の意味は解ります。山中氏の業績は20世紀に入って以来ではクレブスサイクルとワトソンクリックの二重螺旋構造の発見にあたるほどのもののように思います。歴史的業績です。ついに日本も米英独仏と並ぶ、研究先進国に入ったのだと実感します。1975年時点で工作機械の出超、2002年度の時点で技術収入が黒字、そして2000年以後自然科学三賞では日本は米国についで受賞が多いはずです。日本は研究、技術そして資本において一番リッチな地位にあります。
 一つに提案があります。一度東北仙台で両陛下御動座の上で、臨時国会を開かれたどう堂でしょうか。
 私が民事公の大連立に反対なのは民主党を排除したいからです。民主党とは旧社会党の影響が今なお強い政党です。彼らに自民党の脱落者やいわゆるチルドレンという機会主義者ないし付和雷同者という素人達が加わってできた政党です。中核は旧社会党の残党といってもいいのです。かって社会党は社会主義国家(ソ連や中国)は決して侵略戦争はしないから、日本の武装は無意味だといっていました。この意見に動かされる人は多かったのです。加えて旧社会党は私有財産を容認しない態度を潜在的に持っていました。民主党のばらまき福祉はその延長上にあります。また彼らはいつ、選択性夫婦別姓や外国人参政権などの、危険な国家の存在を否定しかねない法案を提案してくるかもしれません。公明党との連立はむしろ歓迎します。公明党は共産主義への防疫線であると私は思っています。この政党のお蔭で日本が共産化されるのをかなり防げたようです。
 経団連会長が、安倍総裁の反増税の態度に警告を発しました。もちろん私は経団連会長の発言には反対ですが、一言申し上げておきましょう。経団連といえば、経営者の団体です。私たちは、経営者だから経済のことには詳しいだろう、と想像しますが、実態は違います。彼らは、確かに会社経営のプロです。しかし国家財政とかマクロ経済などになると、全くの素人です。金銭出納帳の数字に詳しいだけの言ってみれば、素町人です。彼らの態度にいかに節操がないかは、3年前民主党が総選挙で大勝した時、今まで支持してきた自民党をあっさり見限り、民主党に媚を売ったことに現れています。政策の可否を検討することもなく、ただ多数であり権力を握ったというだけで、態度を変えました。この節操なき転進、自己の会社の利害しか考えられない狭量さ・愚鈍さ、の代表がユニクロであり、前在中国日本大使の丹羽氏です。彼らが彼らの会社経営を第一とするのは当然です。しかし彼らの会社中心の経済観に従えば、日本の経済が、そして彼らの会社自身が危機に陥ることは目にみえています。さらに企業という存在には警戒しなければなりません。彼らがあくまで日本の企業であればいいのですが、経営危機となると彼らは簡単に国家を捨てて、多国籍化します。そうなると利益を得るのは企業経営者と株主、外国人になります。彼ら企業を日本の企業であらしめるためにも、内需中心の需要喚起は必要不可欠です。
 国債の日銀引き受けに反対する根拠はただ、財政の規律が乱れる、というだけのものです。規律が乱れないようにすればいいのです。乱れるのなら、国債を発行しなくても規律は乱れます。白川日銀総裁は日銀の国債引き受けに猛反対のようですが、日銀・財務相を問わず金融官僚という人種は、均衡予算(現時点では緊縮予算)に対する信仰のようなものをもっています。
 山梨県で自動車道路のトンネル崩落の事故が起きました。日本の土木インフラは老朽化しています。これも日本経済建て直しへのビッグなチャンスなのです。
 公明党が集団安保に反対だとか。公明党もいつまで平和平和といっているのですか?平和がただなら苦労はしません。いかに平和を保つかの智慧が必要です。一応山口代表の、創価学会員用の内部向けゼスチャ-ととっておきます。それと公明党だけが、経済政策を鮮明にしていません。現時点における公党としてはのんきで無責任なのではありませんか?

  附則第18条の存在

 民自公三党により消費税増税と社会補償の一対改革なる法案が国会を通過したことは周知の通りです。増税してそれを福祉にまわすのですから、経済効果はプラマイゼロということになります。ただこの法案には附則があります。特にその第18条は経済成長率が2-3%を超えない時には、消費税のアップを見送るという内容です。マスコミも財務省もこの18条の存在には触れないようにしています。18条は以下の通りです。

 消費税の引き上げに当たっての措置(附則第18条)
消費税の引き上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却および経済の活性化に向けて、平成23年度から平成32年度までの平均において、名目の経済成長率で3%程度かつ実質の経済成長率で2%をめざした、望ましい経済成長のありかたに早期に近づけるための総合的な施策その他の必要な措置を講ずる。
 この法律の公布後、消費税の引き上げに当たっての経済状況の判断を行うととともに、経済財政状況の激変にも柔軟に対応する観点から、第2条及び第3条に規定する消費税率の引き上げに係る改正規定のそれぞれの施行前に、経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、前項の措置を踏まえつつ、経済状況などを総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる。

 歯に物を挟んだような回りくどい言い方ですが、要は経済成長率が2-3%以下なら消費税率の引き上げは中止する、ということです。マスコミはこの事をあまり取り上げません。また安倍自民党総裁が、日銀引き受けと拡大経済政策を強調したことも、あまり取り上げません。知らん顔の半兵衛で通すつもりですな。

東北大地震を日本経済復活のばねにせよ!

2012-12-11 19:09:08 | Weblog
東北大地震を日本経済復活のばねにせよ!(再再度追加版)
  
(以下の文章は2011年3月の東北大地震の1日か2日後ブログに投稿したものです。現在の時点でも有効な内容だと思い、総選挙に臨んで再掲します。)

 2011年3月11日午後、青森・岩手・宮城・福島県の太平洋岸で巨大な地震が起き、当地域は地震と津波で壊滅的な影響を受けた。政府はどう対処するのか。人命救助、食糧医療の確保、交通の復活などあたりまえのことであり、これらのことは政府と名のつくものなら、常套的手法を持っている。私は今回の不幸を、日本経済復活の礎石にするべきだと思う。
 徹底した復興対策を講じるべきだ。倒壊した家屋はすべて再建する。市庁舎、学校、駅などの公共機関、防波堤や河岸、港湾、橋梁なども再建する。海水にしみこんだ田畑の整備、ふさがった河川の浚渫と泥土除去などなど、必要な作業はいくらでもある。その個々のことをここで述べてもしかたがないだろう。肝心な事は、復興を徹底的にし、その出来上がりは充分に贅沢にすることだ。質、数、量すべてにおいて贅沢にしよう。すべての新建造物は高度な耐震設計にする。防波堤なども同様。津波銀座地震銀座といってもいいこの地方において、以後決して大被害が起こらないように充分資本と技術をつぎ込む。被害地を耐震設計のモデルにしよう。以後の日本の建築のモデルにしよう。そのために充分な金をつぎ込むのだ。
 単に被害地の復興だけが目的なのではない。東北地方全体の経済的発展の基礎を固める一環として、今回の事件を考えるべきだ。新しい市や町を創造するつもりで再建する。道路など広くしてつけかえてもいいのだ。耐震設計のモデルを作って、建築物を大量生産できるほうにとりはからう。
 被害地の多くは日本全体の中で比較的貧しい土地が多い。これらの町をリッチにしよう。のみならず東北地方全体の発展を計る政策の一環として、この度の災害に取り組もう。被害地を再建し、さらに開発から取り残されている様相を示しがちな東北地方の産業を賦活し、この地方を豊かにしよう。
 大地震による被害は多大な復興資金を必要とする。逆に考えれば、膨大な需要が発生したという事でもある。被害地の復興に、さらにその向こうに東北地方全体の発展を、さらに日本の経済回復をにらみつつ、雄大で長期的な復興計画を立てよう。
 さて金はどうするのか?現在の財政状況では充分なことは行えない。均衡財政を維持すれば、被害地の復興を放棄するしかないだろう。これは国家にとっても被害地にとってもともに衰弱する道でしかない。ともに発展する方途を追求すべきだ。被害地は貧しかった上にさらに貧しくなっている。被害地のみに復興の責任を持たせることはできない。極論すれば、政府が全部負担する覚悟で臨むべきなのだ。国債を発行せよ。赤字国債にする必要はない。日銀引き受けで政府が自由に使える資金を大量に作れ。それで日本の優秀な技術を被害地の救済と復興にかければいい。被害は逆に見れば需要なのだ。被害地の全地域を政府が再建する覚悟でやるべきだ。
 被害地に発生した膨大な需要を満たそう。それは日本経済の復活に通じる。被害地の再建、これは意味のありすぎる事業であり、意味があり役に立つ作業は、有効需要なのだ。では日本にこの需要を満たす資本はないのか、と問えば、あると答えよう。資本とは即人材と技術だ。それは現在の日本には充分すぎるほどある。需要と資本技術を媒介するもの、つまり貨幣が足らないだけなのだ。印刷すれば済むことだ。資本と技術がある、需要もある、ないのは金だけ。なら印刷すればいい。繰り返すが、資本と技術のあるところでは、紙切れ一枚が金になる。信用があるからだ。
 被害地の復興に大胆な投資をしよう。そして東北地方全体に投資し、それを日本経済復活の起爆剤にしよう。需要と投資がマッチすれば、経済は自動的に良い方に回転する。
 早速一つ提案がある。現在被害地の整理と救出に自衛隊が派遣されている。これは大賛成だ。さらにヴォランティアも募集されるとか?反対はしないが、効果があるのか?むしろ全国の土木建設業者に依頼して、傘下の社員作業員を集団で派遣したらどうだろう。彼らの方がはるかに訓練されている。会社ごとでもいいし、複数の会社を単位にしてもいい。もちろんこれはヴォランティアではない。きっちり給料を払う。現在建設業界は仕事がなくて困っている。雇用を喉から手の出るほど欲しがっている。彼らを使わない、あるいは協力してもらわない手はない。私はそう思う。

(追加)
1 日銀は40兆円の金を市中にばらまいた。それはそれでいい。しかしそこまで貨幣量を増加させるのなら、なぜその種の金を使って政府は復興事業を推進できないのか?金は作れる。政府はそれを思うままに使えるのだ。問題は首相が一国の責任者として、明確な復興計画を打ち出せていないことだ。大災害に臨んで、経済をどういう方向にもって行くのかの宣言がなされていない。それができないのなら首相を辞めよ。明確な方針の宣言は為政者の義務だ。
2 義援金も結構だ。私も幾ばくかの献金をするつもりだ。しかし義援金の額はしれている。義援金はあくまで心情的なあるいは象徴的な援助にすぎない。一つ提案がある。現在各自治体がいろいろな援助をしている。これらのことにはすべて金がかかる。自治体の予算にも限度がある。自治体に手形を振り出させたらどうだろう。例えば都道府県一律に100億円の手形払いを認める。自治体はそれで費用を賄えばいい。そしてこの手形の決済は日銀にしてもらう。自治体の窮屈な予算では限度がある。援助物資が手形払いで買われれば、支払いは寛大になり、業者は潤い、民間に金が流れる。私は一律と言った。沖縄県や鹿児島県などは援助するに、不適当な地にある。そういう府県は大阪府や愛知県に手形支払いの権利を譲渡すればいいのだ。
3 被災地の人を受け入れる場所に関して一言。空いているマンションの部屋を自治体が安く借りて、そこに入ってもらうこともできる。どのくらい安くするかは状況次第だ。ただこういう事をするためにも金は要る。1を参照のこと。
4 原発に関するTV会見を見ていて不思議なことを感じた。東京電力の人達が出てきて、なにか言うが、彼らは会社のどういう立場を代表しているのだろうか?肝心な社長の姿は見えない。東電も震災には責任がある。まず最高責任者である社長が出てきて説明するべきだ。たとえ専門家であっても責任ある地位にいないと責任あることは言えない。専門の技術者達は自分の責任範囲の事しか言えないし言おうとしない。加えて下の者は常に上の者の意見を考慮し、縛られる。社長でなければ会社を代表し、国家全体を視野においた発言はできない。トヨタが米国で事件を起こした時、社長は米国にすっとんで行った。東電の社長は自ら進んで説明すべきだ。政府もそのように東電にきつく要請すべきだ。首相の指示や命令がきけないのなら、しかるべき法的措置をとればいい。
5 心のケア-について。こちらは専門なので具体的に進言する。被災地であるから専門的なことができるわけではない。一番肝心なことは集団の対話だ。専門家やそれに近い人あるいは素人でもいい、10人内外の人数で、指導者を決めて、集団で対話しあうのがいい。1対1より、集団がいい。そうする事で集団への帰属意識を涵養できる。一番怖いことは、自分が独りだと思い込むことだ。対話の内容はさほど高度あるいは専門的な内容である必要はない。まず当面の関心事、次に身近なこと、昔語り、昔話、おとぎ話などなどでいい。リーダ-を中心に自由に話し合うことが大切だ。なお全国の人にお願いする。被災地に適宜手紙を送ろう。宛名は被災地の市町村名でいい。これらの手紙を被災者が入っているところにもってゆき読んでもらうのだ。
6 春の高校野球が開催と決まった。いいことだ。大災害だからといって中止する必要はない。お祭りはお祭り、開催すれば被災地にも全国にも、明るい話題が提供される。
(再度追加)
1どこかの新聞に日銀引受は国債の価格暴落を招くと書いてあった。論者はなにか勘違いしているのではないのか?日銀に引き受けられた国債は市中に出さない。出すから国債の価格は下がる。出さなければ下がらない。極端なことを言えば、日銀内部で国債を焼却してもいいいのだ。昔松方正義はインフレ退治のために償却した紙幣を焼却した。デフレ退治のために国債を焼き捨てても一向に構わないだろう。要は貨幣流通量を増やすことなのだ。3月29日(日曜?)付け産経新聞のオピニオンを参照して頂きたい。
2 自粛自粛とかまびすしい。多くの公演が中止になっている。そんな事をしても被災者の慰めにはならないだろう。むしろ陽気なお祭り騒ぎをする方が慰めになる。芝居の公演はお通夜の代理にもなるのだ。それ以上気になるのは自粛により景気が悪化することだ。景気は強気陽気でないと回復しない。恋愛の数と景気は相関関係にある、とドイツの有名な経済史家が言っていた。代議士連中がやっと制服を脱いだ。それだけでもほっとする。本来彼らが制服を着る必要はない。彼らの任務は他にあるのだ。
3 東電は頑張っているのではないのか。多くのメディアは東電を非難するが、もともと地震は東電の責任ではない。もたもたしているように見えるが、工学とはあんなもの、つまり地道な試行錯誤の連続なのだ。ともかく問題が起これば当事者は必ず非難される。特に海外のメディアに気をつけよう。一段落したらまた日本が叩かれる可能性がある。本来日本はあまり同情されない(同情されるようなものがない)国なのだ。援助は援助、外交は外交なのだ。どの国も自国の利害で動いている。現内閣にその自覚はあるのか?
4 援助で一番役にたったのは米軍の友達作戦だろう。仙台空港への空挺部隊の強行着陸は戦闘なれした米軍でなければできない。自衛隊にも海外出動の機会をもっと与えるべきだろう。インド洋での活動をやめさせた民主党政権は、軍隊の必要性を銘記すべきだ。
5 中国2題。地震の1-2日後、中国国内で買占め騒ぎが起こった。日本製品の品不足への不安と放射能への危惧感だ。日本でも起こっていないのに不思議な現象だ。中国政府も苦労するなあ。日本に不法滞在していた(千葉県?)中国人が放射能をおそれて自首し、本国送還を願ったとか。
6 被災地の復興に関して。津波防止のために、環壕集落風に都市を設計することも可能だ。住民は一定の地域に集住し、それを高い頑丈な塀で取り巻くという方法もある。木曽川の下流の中州では洪水から町を護るためにそのような都市づくりになっている。
7 ロシア機や中国機の日本領土への接近が地震以来増加している。外交は外交、国益優先、援助や同情に安住しないでおこう。
8 国会を一度東北地方(仙台が好適)で開催したらどうか?国会の全部ではなく一部でいい。あるいは東北地方復興のための特別国会を召集し、それを仙台で行う。この際おそれながら天皇陛下に数日のご動座をお願いする。
(再再度追加)
1 このBLOGは半年前に書いた。若干追加する。最近野田首相は、復興増税を言い出している。この政策には大反対だ。デフレで景気が沈滞している時の増税は経済を萎縮させ、結果として減税に繋がる。企業が赤字になり、失業者が増えれば自動的に税収は減る。このくらいのことは経済の常識だ。不況期の均衡財政(増税)のもたらしたすさまじい結果は、戦前の井上(準之助)財政明らかだ。野田首相も、財務相のポチなどと言われたくなければ、増税路線を転換すべきだろう。

附則第18条の存在

2012-12-10 22:44:43 | Weblog
  附則第18条の存在

 民自公三党により消費税増税と社会補償の一対改革なる法案が国会を通過したことは周知の通りです。増税してそれを福祉にまわすのですから、経済効果はプラマイゼロということになります。ただこの法案には附則があります。特にその第18条は経済成長率が2-3%を超えない時には、消費税のアップを見送るという内容です。マスコミも財務省もこの18条の存在には触れないようにしています。18条は以下の通りです。

 消費税の引き上げに当たっての措置(附則第18条)
消費税の引き上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却および経済の活性化に向けて、平成23年度から平成32年度までの平均において、名目の経済成長率で3%程度かつ実質の経済成長率で2%をめざした、望ましい経済成長のありかたに早期に近づけるための総合的な施策その他の必要な措置を講ずる。
 この法律の公布後、消費税の引き上げに当たっての経済状況の判断を行うととともに、経済財政状況の激変にも柔軟に対応する観点から、第2条及び第3条に規定する消費税率の引き上げに係る改正規定のそれぞれの施行前に、経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、前項の措置を踏まえつつ、経済状況などを総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる。

 歯に物を挟んだような回りくどい言い方ですが、要は経済成長率が2-3%以下なら消費税率の引き上げは中止する、ということです。マスコミはこの事をあまり取り上げません。また安倍自民党総裁が、日銀引き受けと拡大経済政策を強調したことも、あまり取り上げません。知らん顔の半兵衛で通すつもりですな。

橋下大阪市長の経済政策への感覚に疑問を覚える

2012-12-09 18:43:08 | Weblog
橋下大阪市長の経済政策への感覚に疑問を覚える

 総選挙まであとわずか一週間になりました。今回の選挙は、日本の経済をどうするか、世界同時不況の中で日本の経済をいかに運営するかが焦点です。橋下氏のこの問題に関する言説には変動が多すぎます。
 橋下氏は最初原発反対そしてTPP促進といっておられました。それがこの二つの事項に関してはト-ンダウンしました。私の立場からすればそれはそれで結構なことです。反原発は一種の宗教です。日本の産業のエネルギ-のことを一切考慮しない、ノ-テンキでカラッポな思想が、反原発です。またTPPなどに積極的に参加すれば、それを文字通り行えば、日本の教育や医療などのソフトインフラは破棄されてしまいます。TPPと反原発で橋下氏の意見が後退したのは歓迎できることです。
 ところが12月7日の読売新聞の報道によると橋下氏は、公共事業は既得権益を増進する、からダメだ、という風な発言をしておられます。安倍自民党総裁の提案への対抗上の発言でしょうが、いささか疑問に思い、正直言えばあきれてしまいます。現在の日本経済を立ち直らせるためには、元気を与えるためには、公共事業と福祉政策をセットとした拡張経済政策は必至です。もちろん同時に大幅な金融緩和もしなければなりません。安倍氏が言われるように、日銀による国債引き受けも必要になります。公共事業には当然既得権益が伴うでしょう。およそ人間のする経済行為で汚れた部分がないはずはありません。そういう部分を全部なくして削り取ってしまえば、経済行為は成り立ちません。既得権益の存在は容認しつつ、それを最小にするべくがんばるしかないのです。橋下氏の意見は、角を矯めて牛を殺すようなものです。
 そもそも橋下が大阪府知事さらに大阪市長になられた動機の一つはこの両公共団体内部での不正(闇給与他)の問題でした。それはそれで結構です。しかし地方行政と国政は違います。橋下氏は公務員を眼の仇にされていますが、公務員の給与を引き下げることには賛同できません。購買力が減少します。加えて公共工事反対となれば、景気はいよいよ悪くなります。民主党は、コンクリ-トから人へ、(さらに埋蔵金とかいう架空のでっちあげ)などという聞こえの良いスロ-ガンで政権をとりました。結果は無為無策のばらまき福祉の試みでした。橋下氏の言説、公共工事反対はこの民主党(これほどまで馬鹿で愚かな政権は日本史上存在しません)の言っていることと同じではないですか?橋下氏は民主党の顰(ひそみ)に習うおつもりですか?
 橋下氏の精神構造がどうなっているか私は知りませんが、橋下氏は大衆の平凡なモラルに迎合しすぎます。反原発しかり、公共投資しかりです。経済を国家的見地から大きく見ようとする態度が見られません。そしてことポリシ-に関してはふらついている、変説が多いのです。TPPなどに関してもただ、自由貿易はいいことだ、という感じで、自由のという言語にごまかされています。経済行為における自由と政治的自由の意味は違います。
 私が5年前橋下氏を支持したのは、伊丹空港廃止(関空重視)、梅田から関空までの交通整備、でした。この二つの事案は公共投資そのものでした。このようなインフラを通して大阪を復権させることも賛成でした。大阪の復権は日本経済の復活につながります。橋下氏は変説されるのですか。
 TPPに関しては、あきらかに輸出企業の介入が感知されます。ソニ-やトヨタはその代表です。ここで二つ三つの疑問があります。メディアはそろってTPPに賛同です。記者諸氏の不勉強もあるのでしょうが、広告のスポンサ-である、輸出企業への迎合のように感じられます。またはたして輸出企業はそんなに経営に苦しんでいるのでしょうか?私が読んだ本では、実際はもうかっているという話しです。内部留保が増大しているのだから、多分そうでしょう。しかし賃金は低下している。反面株主への配当は増加しています。さらに代表的な企業の外国人株主は2-3割に及びます。企業が多国籍化すればするほど、株主優遇になり、さらに利益の外国への逃避が起こります。そして国民は貧乏になる。私がTPPで一番恐れるのはこのことです。
 橋下氏は公共事業反対、賃金カットと言われている。これでは日本国内の設備がなくなってしまいます。サプライが減少します。一度なくなったサプライを復活するのは大変です。やはり12月7日の読売新聞に、英国での景気策と財政再建の両立は不可能となったと、ありました。この景気策の一つが、公立校の新設です。英国ではサッチャ-氏以来の政策で公共投資が削減され、それが教育にも及びました。その結果、英国の少年犯罪は急増し、コカインを吸う少年の数は世界一になりました。公立校新設はこの現象への対策です。しかし財政の事情でそれも怪しくなりました。一度インフラを壊すとこうなります。橋下氏はこれらの点を銘記されるべきです。
 苦言になりましたが、橋下氏の参議院改革には賛成です。私立高校への篤い助成金にも賛成です。また公務員の給与の問題ですが、一般論はさておき、こと大阪市に関しては厳しくて当然です。あまりにもひどい噂が充満しているので。

ウィスキ-考

2012-12-08 02:24:52 | Weblog
   ウィスキ-考

 一昨日の新聞で、日本産のウィスキ-が好評で、年間10億円以上の輸出をあげていると報道されました。特にワインの本場のフランスやウィスキ-の本家イギリスでの販売が伸びています。あのうるさくて口の悪いイギリス人が日本産のウィスキ-を飲むのだから、品質は特上なのでしょう。国際的な品評会からも表彰されています。まあ日本産のウィスキ-は品質世界一ということです。10億円強の輸出額は日本の総輸出額の0.003%にしか過ぎませんが、ウィスキ-の輸出ということは、日本の産業と日本人を考える上で貴重な示唆を与えます。
 日本以外で英国人の国民酒といわれる、それも彼らが誇りとし、また世界が名酒と認めるスコッチを本家以上の品質で造った国があるのでしょうか?(注)TVや自動車あるいは繊維製品ならわかります。必要性は万国共通であり、好みの問題もそう重大ではありません。しかしこと酒となると事情は違います。各国々に各国々が誇りとする酒があります。フランス・イタリア・スペインなど南欧諸国ではではワイン(フランスならブランデ―を付け加えなくてはいけませんね)、イギリスではウィスキ-、ロシアならウオッカ、ドイツならビ-ル、中国なら老酒、日本なら酒(英語に翻訳すればライスワインとか)などなどです。それぞれ好みがあり、この好みがそのままブランドになります。ですから日本人が本格的なウィスキ-を作ろうとしたら、イギリス人の味覚や好み、大きくいえばイギリスの文化全体を取り入れるくらいの覚悟が必要です。そこまでして異国の酒を造る必要があるのでしょうか?あるといえばあるし、ないといえばありません。ウィスキ-が欲しければ輸入すればいいのですから、それで済ませればいっこうに痛痒はないといえます。この無用ともいえる試み、外国人が誇りとするその国民酒の製造にとりかかって成功したのは日本だけではないでしょうか?以下にウィスき-の作り方を簡単に要約しますが、ウィスキ-(多分ブランデ-もそうなのでしょう)の製造は極めて複雑で、好みと伝統というややこしい事情に左右され、そして長期間かかるものです。この試みに挑戦した二人の人物がいます。サントリ-の鳥井信治郎とニッカの竹鶴政孝です。
 鳥井は大阪の銭換商の子として生まれ、生来の商才を生かして、赤玉ポ-トワインを作り大いにあてました。この酒は一応ワインといっていますが、本場のワインから見るとワインといえるほどのものではありません。この鳥井信治郎が営業方針を転換して、本場のウィスキ-を製造しようと思い立ちます。周囲の誰も猛反対でした。成功するとはとても思えませんので。鳥井は英国留学帰りの竹鶴を雇い、彼にウィスキ-の製造を全面的に任せます。鳥井が竹鶴の要求で唯一承諾しなかったことは、工場をスコットランドと似た北海道に造ることだけでした。工場は大阪と京都の境ある山崎の地に造られます。かなり上質のウィスキ-が販売されだしたのは、工場ができてから10年後でした。10年間資本が眠らされます。ウィスキ-造りは金食い虫だと、他の部門の連中からは白眼視されました。しかも当時の酒税法では、蔵に眠っている酒にも税金がかかります。鳥井は大蔵省と掛け合い、製品完成までは無税であることを勝ち取ります。当時の主税局長が池田隼人(後の首相)で大の酒好きでした。ちなみにワインやビ-ルは一年で製造できます。短期間に資本を回収できます。
 竹鶴政孝は広島県出身、大阪高等工業学校(後の阪大工学部)醸造科を出て、摂津酒造に入社、イギリスに2年間留学します。大学で講義など聴いても意味ありません。ひたすらグラスゴ-近辺のウィスキ-製造工場を見てまわりました。当然技術は、その工場の秘密ですし、職人も同様です。なによりも経験と勘が必要です。竹鶴は苦労をします。まあ学び盗み考え云々のくりかえしであったのでしょう。竹鶴の実家は酒造業なので、秘伝の麹を提供することを見返りとして、知識伝授にあずかったこともあります。苦労したせいか、それともイギリスの風土に溶け込みすぎたのか、現地の医師の娘リタと結婚して日本に帰ります。竹鶴の両親も、リタの父母も結婚には反対でした。竹鶴はリタと日本で添い遂げます。その竹鶴が伝授されたウィスキ-造りの方法は以下の通りです。
 まずモルトウィスキ-を造らねばなりません。大麦を発芽させ、それを草炭(ビ-ト)で乾燥させます。これに酵母を加えて発酵させます。こうしてできたものをポットスティルで蒸留します。何回も何回も蒸留をくりかえして、アルコ-ル濃度を70%にします。これを樫などの硬い材質の樽に入れて、5-10年寝か(貯蔵)します。樽の中の酒は、木材を通してゆっくりと酸化されます。同時に酒は少しづつ外に蒸発します。10年寝かせると、量は半分になります。こうして原酒(モルト)ができます。原酒自体はおいしいものではないそうです。
 原酒はアルコ-ルを加えられて味のいいものになります。このアルコ-ルの作り方により味が違ってきます。スコットランドではこのアルコ-ルをグレ-ンウィスキ-と言っていました。大麦、小麦、カラス麦、コ-ンなどを発酵させて、連続蒸留装置で蒸留してこのグレ-ンウィスキ-ができます。グレ-ンウィスキ-を混ぜることにより風味がでます。ウィスキ-造りには、もう一つの難関があります。原酒のブレンド(混合)です。いろいろな原酒をブレンドして、それにグレ-ンウィスキ-を混ぜて、本物のスコッチができます。厳密に言えば本物のスコッチは30%以上の原酒を必要とします。ブレンド如何によりそれぞれのウィスキ-の味と特徴が決まります。ブレンドの能力は経験とそしてなにより才能、嗅覚の才能によります。
 政孝は工場見学と実習を重ねてゆきます。原酒の工場は小規模なので、気安く見学させてくれますが、グレ-ンウィスキ-の方は大工場になり、秘密厳守で実習はなかなかできません。ある工場の老蒸留主任が、政孝のひたむきな態度に感じ入り、蒸留の機微を仔細に教えてくれます。アルコ-ル濃度が何%というのなら機械的に蒸留すればいいのでしょうが、蒸留する温度や速度も風味に関係してくるようです。またある工場では、日本酒の麹(こうじ)に興味を持つ技術者に麹を日本から取り寄せて渡し、交換にウィスキ-製造法を教えてもらいます。こういう縁はすべてグラスゴ-大学のウィリアム教授の紹介によるものです。イギリス人は赤の他人には冷淡で心を開きません。しかし一度紹介されたり昵懇になると非常に親切にしてくれると言われています
 竹鶴は帰国後しばしらく浪人しますが、前記のように鳥井に見出されウィスキ-製造を一任されました。この間どうしても解らない事があり、再度スコットランドに留学しています。山崎でのウィスキ-製造が成功して後、しばらくして竹鶴は鳥井の工場をやめます。鳥井とはウィスキ-の製造に関して意見が違いました。鳥井は基本的には商人です。ほどほどの品質でいいやないか、なにも本場のスコッチそのもののようにする必要はない、というのが基本方針です。対して竹鶴は徹底した職人でした。竹鶴は鳥井のもとを去って北海道の余市に本格的なウィスキ-製造工場を造ります。本業は大日本果汁というりんごジュ-スの製造でした。竹鶴の保護者の株主が死ぬ時、この株主は竹鶴の後見をアサヒビ-ルの山本為三郎に依頼します。戦後鳥井は大衆用のウィスキ-としてトリスウィスキ-を販売します。竹鶴はあくまで本場のスコッチ製造を目指します。苦難20年(この間税務署からも経営方針転換の忠告をうけています)1966年、ブラックニッカという名酒が発売されます。ちなみにサントリ-は赤球ポ-トワインを太陽(サン)に見立てて、それに「鳥井」をつけて造られた商号です。ニッカは日本果汁からとりました。
 竹鶴は根っからの職人気質ですが、鳥井もなかなかのものです。10年多額の資本を投資し寝かせ、それでできたものが必ずしも成功する・日本人の口にあう・売れるとは限らないのですから。鳥井も竹鶴も有能で努力家で独創的です。同時に両者はロマンチックでいささかマンガチックなところもあります。
 鳥井と竹鶴という二人の人物により、英国産ウィスキ-と同等あるいはそれ以上のものができ、現在に及んでいます。最初に申しましたとおり、日本以外でスコッチの名品を造った国があるのでしょうか?必ずしも造る必要のない、芸術品ともいえる異国の醸造酒を、精魂こめて造り、本場の製品を凌駕する、ところに日本人の独自性、物作りの精神を、同時に遊びの精神をも看取します。日本人とはおもしろい民族ではあります。そして日本では製造業に関する限りほぼ何でも造れます。
(注)終戦後占領軍が日本に進駐します。大阪も同様でした。鳥井は進駐軍(ほぼ米軍)の将校を阪急宝塚線ひばりヶ丘の別荘に招待してウィスキ-で歓迎します。将校たちにはこのウィスキ-が大人気で、アメリカにはこんな美味いものはないと、いうことでした。文化的には米英はアングロサクソン同志で似ているのですが、アメリカ人にもスコッチは造れなかったようです。さらに余談があります。将校ばかりウィスキ-を楽しむのはけしからん、ということで米兵がピストルで脅しウィスキ-を要求します。ただちに鳥井は兵卒要の安価なウィスキ-を提供します。