進んで維新を応援する
橋下氏の慰安婦発言を歓迎する。凡庸で偽善的なメディアでは橋下氏は袋叩きにあっているが、わたしは進んで彼の発言を歓迎し応援する。橋下氏の発言は三つに要約される。売春という行為は事実上存在する事、慰安婦の国家による強制連行はなかった事・少なくともそれを裏付ける証拠はない事、そして戦時における兵士の性欲処理には各国ともなんらかの対策を採っている事、の三点に絞り込まれる。橋下氏は当然のことを率直にいったまでだ。
発言に対する反撃はまず外国特に米国からきた。NYタイムズやサキ報道官の発言論説だ。人間の尊厳を侮辱するとか。私にはその意味がさっぱり解らない。多分彼らは慰安婦問題に、強制連行と言う意味を暗黙裡に含ませているのだろう。何度もいう。強制連行は無かった。米国が執拗に日本を非難するなら、これは一種の文化戦、思想戦だ。受けて立とう。
次に国内のメディアの報道ぶり。まるでパニックか集団ヒステリ-に近い騒ぎだ。早々に世論調査なるものをして、適当な数字を引き出して世論の誘導を行い、橋下氏を袋叩きにしている。何か橋下氏が非常に破廉恥で不道徳な行為をしたかのように大騒ぎしている。発言の真の意味も考えずに騒ぎ、一人の人間を生贄にしようとするがごとき動向は、彼らマスコミが妙な贖罪感を持ち、自分達はそうではないと主張する事を示唆する。自分達は売春とか慰安婦などの問題とは関わりありません、そういう発言をする人はそういう欲求を持っているのです、私達は違います、と言いたいようだ。
問題はこの奇妙な贖罪感にある。どういうわけか我我日本人は20年来、慰安婦強制連行説を振りまかれ、刷り込まれ、宣伝されてきた。事実を否定する一部の人達の意見は無視され、あるいはマイノリティに甘んじさせられてきた。少なくとも大手のメディアでは。日本人は言われ無き屈辱を強いられてきたわけだ。今回の橋下発言はこの欺瞞の刷り込みを払拭するに大いに寄与した。知名度の高い政治家が、公然と公式の席で、慰安婦強制連行説を否定したのだから。
問題は一慰安婦問題に留まらない。日本の外交と国防政策の自立とも関係する。暗に米国は慰安婦問題を靖国参拝問題に絡めてきた。慰安婦問題で安易な譲歩をする限り、日本は自立した外交、国防、だから経済政策をとれず、米国の言いなりになり中韓の機嫌をうかがわなければならなくなる。これで国家と言えるのだろうか?逆に言えば今回の橋下発言は、日本が置かれているこの矛盾逆境を吹き飛ばし、以後の外交でより積極的にわが国の利害を主張できるべくその下地を作ったことになる。橋下発言はまことに画期的な発言なのだ。安倍総理は沈黙しているが、総理にとっても河野談話破棄、靖国参拝、国防の自立化、だから憲法改正は当然進めていかなければならない政策のはずだ。この点では橋下発言は総理にとってまことに好都合な発言ではないのか。ともかく橋下発言で乱麻は断たれた。責任ある政治家が、慰安婦の強制連行は無いと言い切ったのだ。以後の討論は、強制連行を否定するにせよ肯定するにせよ、この橋下発言から出発しなければならないのだ。橋下発言はまことに画期的な発言なのだ。まさしく快刀は乱麻を断った。乱麻に捉われている連中のみが大騒ぎしているのだ。逆に言えば橋下氏はあくまでその言を護らなければいけない。百万言費やしても、私が冒頭に挙げた三点は護らなければならない。降伏してはいけない。一切の釈明や謝罪の必要はない。橋下氏が発言の要旨を撤回する事は、降伏を意味する。1945年の降伏と同じことになる。そうなればまた言われ無き贖罪感を押し付けられて、日本人は屈辱に耐え続けなければならないことになる。
橋下発言で慰安婦問題に関して発言しやすくなったことは否定できない。心ある方々はなんらかの手段でどんどん発信してゆこう。そしてメディアの歪曲隠蔽を暴露してゆこう。指しあたって政府に提言がある。河野談話の主役である河野洋平氏を国会に喚問したらどうか。また河野談話の根拠となった朝日新聞の責任者をも国会に喚問したらどうなのか。朝日新聞は問題の記事に関して一切の釈明も解説もしていないのだから。そして橋下氏は反撃に出るべきだ。いっそのこと大阪市長を辞任して参院選と同日に市長選を挙行したらどうだろうか。あるいは橋下氏自身が維新の参議院議員選挙に立候補したらどうだろうか。
慰安婦発言は、女性の尊厳を傷つけるとか言われている。どこの政党か知らないが五人の女性議員が橋下氏の市長辞任を求めた。理由は女性の尊厳云々だ。大阪市議会が橋下問責決議を提案したのも同じ理由だ。慰安婦あるいわ売春婦の存在という事実を言ってなぜ女性の尊厳云々の問題になるのか?むしろそういう人達の方がはるかに女性の尊厳を傷つけている。なぜなら。売春婦慰安婦という言葉を使用しただけで、女性の尊厳が傷つくほど女性の精神構造は弱いといっているようなものだからだ。ハムレットの中の名文「弱き者汝の名は女なり、Frailty ,thy name is woman」と同じ意味なのだから。女性の尊厳云々を言うやからは、女性は厳重に保護しなければ容易に売春に走りかねないと言っているようなものだ。
いずれにせよ女性の尊厳云々は気になる。今回の橋下発言騒ぎの背後には、フェニミスの暗躍を感じる。女権の強調は容易に、男女の性差否定に、しかるが故に同性結婚の容認につながる。この問題は後に取り上げることになると思うが、同性結婚の容認は家族とそれを基盤として成り立つ道徳の崩壊に通じる。現にこの機会と思ったのか、ある女性議員が同性愛を告白しマイノリティの権利を護れとか言い出した。別にわが国の法律は同性愛を禁じてはいない。お好きなようにと言うところだ。しかし同性結婚となれば話は全く違ってくる。同性結婚を通常の結婚と同様の法的対象にすることはできない。
つくづく思うが、女性ってそんなに弱い存在なのだろうか?この問題にはいずれしっかり考察してから発表する。
大阪市議会か府議会か知らないが、水道行政に関しての府市の合同を、維新以外の党派の反対で否決したそうだ。水道に関して詳しいことは知らないが、維新以外の諸党の意見一致とは本当に政策レベルでの一致ではあるまい。橋下発言により維新に吹く風を避けて、維新を叩くためだろう。党利党略であり偽善であり、彼らの知性を疑う。
維新は女性局とかを設けるそうだ。やめておけ。女とはそんなに弱いものなのか、と再び問う。それにこの政策、維新の気風に合わない。
私は橋下氏の政策すべてを良しとするものではない。特にネオリベラリズム的な経済政策には大反対だ。首長の直接選挙制にも頸をかしげる。逆に、参議院議員の知事による指名制、伊丹廃港、大阪府南部と北部の交通直結、そして大阪都構想には大賛成だ。そして今回の、慰安婦の強制連行はない、という発言は大歓迎だ。干天の慈雨、快刀乱麻だ。我々はここから慰安婦問題をも含めた外交国防論を展開してゆこう。
今回の橋下叩きは10数年前に起きた、故横山ノック(山田勇)氏のセクハラ事件なるものを想起させる。当時報道を見ていて、セクハラなる事が起こったのと弁護士が法廷に提訴するのとの時間差は極端に短かく、私はそこに不審を感じた。私は横山氏がなんらかの罠にはまったと見ている。ここでもフェミニストの暴力の臭いがする。
公明党の山口氏はやけに女性の尊厳云々を言っている。公明党とその親会社である創価学会には日本人より韓国人の利害を優先しなければならない事情があるとかどこかで聞いた。それ以上詮索しないのがお互いのためだろう。
橋下バッシングは保守つぶしの陰謀だ。維新や自民党の支持者はそのことも含めて慎重に考え大胆に行動しよう。再び民主党政権のような妖怪の出現を許してもいいのか?
ある人から教わった。グ-グルで「第五補給品」と「モンキ-ハウス」という項目を調べられよ。驚くべきことが載っている。メディアが一切報道しない事項だ。
(追伸)
5月30日の夕刊で、問責決議が可決されれば大阪市長選を行なう意向と維新の幹事長松井氏が述べた。大いに歓迎だ。慰安婦問題の可否を堂々と公開で討論して欲しい。この問題を政策上の私生児として暗闇に隠し続けるのではなく、公開の場で公然と討論して欲しい。
橋下氏の慰安婦発言を歓迎する。凡庸で偽善的なメディアでは橋下氏は袋叩きにあっているが、わたしは進んで彼の発言を歓迎し応援する。橋下氏の発言は三つに要約される。売春という行為は事実上存在する事、慰安婦の国家による強制連行はなかった事・少なくともそれを裏付ける証拠はない事、そして戦時における兵士の性欲処理には各国ともなんらかの対策を採っている事、の三点に絞り込まれる。橋下氏は当然のことを率直にいったまでだ。
発言に対する反撃はまず外国特に米国からきた。NYタイムズやサキ報道官の発言論説だ。人間の尊厳を侮辱するとか。私にはその意味がさっぱり解らない。多分彼らは慰安婦問題に、強制連行と言う意味を暗黙裡に含ませているのだろう。何度もいう。強制連行は無かった。米国が執拗に日本を非難するなら、これは一種の文化戦、思想戦だ。受けて立とう。
次に国内のメディアの報道ぶり。まるでパニックか集団ヒステリ-に近い騒ぎだ。早々に世論調査なるものをして、適当な数字を引き出して世論の誘導を行い、橋下氏を袋叩きにしている。何か橋下氏が非常に破廉恥で不道徳な行為をしたかのように大騒ぎしている。発言の真の意味も考えずに騒ぎ、一人の人間を生贄にしようとするがごとき動向は、彼らマスコミが妙な贖罪感を持ち、自分達はそうではないと主張する事を示唆する。自分達は売春とか慰安婦などの問題とは関わりありません、そういう発言をする人はそういう欲求を持っているのです、私達は違います、と言いたいようだ。
問題はこの奇妙な贖罪感にある。どういうわけか我我日本人は20年来、慰安婦強制連行説を振りまかれ、刷り込まれ、宣伝されてきた。事実を否定する一部の人達の意見は無視され、あるいはマイノリティに甘んじさせられてきた。少なくとも大手のメディアでは。日本人は言われ無き屈辱を強いられてきたわけだ。今回の橋下発言はこの欺瞞の刷り込みを払拭するに大いに寄与した。知名度の高い政治家が、公然と公式の席で、慰安婦強制連行説を否定したのだから。
問題は一慰安婦問題に留まらない。日本の外交と国防政策の自立とも関係する。暗に米国は慰安婦問題を靖国参拝問題に絡めてきた。慰安婦問題で安易な譲歩をする限り、日本は自立した外交、国防、だから経済政策をとれず、米国の言いなりになり中韓の機嫌をうかがわなければならなくなる。これで国家と言えるのだろうか?逆に言えば今回の橋下発言は、日本が置かれているこの矛盾逆境を吹き飛ばし、以後の外交でより積極的にわが国の利害を主張できるべくその下地を作ったことになる。橋下発言はまことに画期的な発言なのだ。安倍総理は沈黙しているが、総理にとっても河野談話破棄、靖国参拝、国防の自立化、だから憲法改正は当然進めていかなければならない政策のはずだ。この点では橋下発言は総理にとってまことに好都合な発言ではないのか。ともかく橋下発言で乱麻は断たれた。責任ある政治家が、慰安婦の強制連行は無いと言い切ったのだ。以後の討論は、強制連行を否定するにせよ肯定するにせよ、この橋下発言から出発しなければならないのだ。橋下発言はまことに画期的な発言なのだ。まさしく快刀は乱麻を断った。乱麻に捉われている連中のみが大騒ぎしているのだ。逆に言えば橋下氏はあくまでその言を護らなければいけない。百万言費やしても、私が冒頭に挙げた三点は護らなければならない。降伏してはいけない。一切の釈明や謝罪の必要はない。橋下氏が発言の要旨を撤回する事は、降伏を意味する。1945年の降伏と同じことになる。そうなればまた言われ無き贖罪感を押し付けられて、日本人は屈辱に耐え続けなければならないことになる。
橋下発言で慰安婦問題に関して発言しやすくなったことは否定できない。心ある方々はなんらかの手段でどんどん発信してゆこう。そしてメディアの歪曲隠蔽を暴露してゆこう。指しあたって政府に提言がある。河野談話の主役である河野洋平氏を国会に喚問したらどうか。また河野談話の根拠となった朝日新聞の責任者をも国会に喚問したらどうなのか。朝日新聞は問題の記事に関して一切の釈明も解説もしていないのだから。そして橋下氏は反撃に出るべきだ。いっそのこと大阪市長を辞任して参院選と同日に市長選を挙行したらどうだろうか。あるいは橋下氏自身が維新の参議院議員選挙に立候補したらどうだろうか。
慰安婦発言は、女性の尊厳を傷つけるとか言われている。どこの政党か知らないが五人の女性議員が橋下氏の市長辞任を求めた。理由は女性の尊厳云々だ。大阪市議会が橋下問責決議を提案したのも同じ理由だ。慰安婦あるいわ売春婦の存在という事実を言ってなぜ女性の尊厳云々の問題になるのか?むしろそういう人達の方がはるかに女性の尊厳を傷つけている。なぜなら。売春婦慰安婦という言葉を使用しただけで、女性の尊厳が傷つくほど女性の精神構造は弱いといっているようなものだからだ。ハムレットの中の名文「弱き者汝の名は女なり、Frailty ,thy name is woman」と同じ意味なのだから。女性の尊厳云々を言うやからは、女性は厳重に保護しなければ容易に売春に走りかねないと言っているようなものだ。
いずれにせよ女性の尊厳云々は気になる。今回の橋下発言騒ぎの背後には、フェニミスの暗躍を感じる。女権の強調は容易に、男女の性差否定に、しかるが故に同性結婚の容認につながる。この問題は後に取り上げることになると思うが、同性結婚の容認は家族とそれを基盤として成り立つ道徳の崩壊に通じる。現にこの機会と思ったのか、ある女性議員が同性愛を告白しマイノリティの権利を護れとか言い出した。別にわが国の法律は同性愛を禁じてはいない。お好きなようにと言うところだ。しかし同性結婚となれば話は全く違ってくる。同性結婚を通常の結婚と同様の法的対象にすることはできない。
つくづく思うが、女性ってそんなに弱い存在なのだろうか?この問題にはいずれしっかり考察してから発表する。
大阪市議会か府議会か知らないが、水道行政に関しての府市の合同を、維新以外の党派の反対で否決したそうだ。水道に関して詳しいことは知らないが、維新以外の諸党の意見一致とは本当に政策レベルでの一致ではあるまい。橋下発言により維新に吹く風を避けて、維新を叩くためだろう。党利党略であり偽善であり、彼らの知性を疑う。
維新は女性局とかを設けるそうだ。やめておけ。女とはそんなに弱いものなのか、と再び問う。それにこの政策、維新の気風に合わない。
私は橋下氏の政策すべてを良しとするものではない。特にネオリベラリズム的な経済政策には大反対だ。首長の直接選挙制にも頸をかしげる。逆に、参議院議員の知事による指名制、伊丹廃港、大阪府南部と北部の交通直結、そして大阪都構想には大賛成だ。そして今回の、慰安婦の強制連行はない、という発言は大歓迎だ。干天の慈雨、快刀乱麻だ。我々はここから慰安婦問題をも含めた外交国防論を展開してゆこう。
今回の橋下叩きは10数年前に起きた、故横山ノック(山田勇)氏のセクハラ事件なるものを想起させる。当時報道を見ていて、セクハラなる事が起こったのと弁護士が法廷に提訴するのとの時間差は極端に短かく、私はそこに不審を感じた。私は横山氏がなんらかの罠にはまったと見ている。ここでもフェミニストの暴力の臭いがする。
公明党の山口氏はやけに女性の尊厳云々を言っている。公明党とその親会社である創価学会には日本人より韓国人の利害を優先しなければならない事情があるとかどこかで聞いた。それ以上詮索しないのがお互いのためだろう。
橋下バッシングは保守つぶしの陰謀だ。維新や自民党の支持者はそのことも含めて慎重に考え大胆に行動しよう。再び民主党政権のような妖怪の出現を許してもいいのか?
ある人から教わった。グ-グルで「第五補給品」と「モンキ-ハウス」という項目を調べられよ。驚くべきことが載っている。メディアが一切報道しない事項だ。
(追伸)
5月30日の夕刊で、問責決議が可決されれば大阪市長選を行なう意向と維新の幹事長松井氏が述べた。大いに歓迎だ。慰安婦問題の可否を堂々と公開で討論して欲しい。この問題を政策上の私生児として暗闇に隠し続けるのではなく、公開の場で公然と討論して欲しい。