人口とGDP、新経済政策の提唱
アメリカ合衆国と日本の人口及びGDPを比較検討すればおもしろい事に気づかされる。20年前の1990年と比し、アメリカの人口は1・5倍になっている。同様にアメリカのGDPも1・5倍に増大している。この間日本の人口もGDPもほぼ横ばいで変らない。従ってアメリカと日本のGDPは20年前の2対1から3対1に変化している。同様に日米の人口比は2対1から3対1に移行している。換言すればアメリカのGDPは日本のGDP総量だけ増大している。また両国の、一人当たりのGDPは共に不変である。以上の事実からでてくる単純な帰結は、成熟国家におけるGDPの増加は人口の増大によるしか無いことになる。アメリカの人口増加はアメリカ国民の繁殖力によるものではない。ヒスパニック系を始めとする、正当また不当な移民によるものである。
ここで中国のデータを加味してみよう。20年前の中国のGDPは現在のそれに比べれば、ほぼ無視できる、ネグリジブル、つまりゼロと見ていい。現在中国のGDPは日本のそれとほぼ同額である。またアメリカのGDP増大額と中国のそれも等しい。アメリカが人口増大策を取って、GDPを外延的に増大させたのに対し、中国は人口増大を極力抑えつつGDPを内包的に増大させたことになる。ここから出てくる結論は、GDPの増大すなはち経済成長は人口増によるか、それとも絶対的貧困の克服によるしかない、ということになる。この結論は日本にとっていささか悲観的である。私は移民の必要性を認識するものである。日本が日本というアイデンティティを保持しつつ強国でありうるためには、人口増の増大は必要である。のみならず世界の貧困を撲滅するためには、貧困国から移民を受容して、共に栄えるしかない、と考えている。
しかしその前に他の方法がないか考えてみよう。日本の国民が欲しているニ-ズ、つまり需要は何かと考えてみよう。かって高度成長経済と言われた時代、生活はどのように豊かになって行ったのかを振り返ってみよう。昭和30年(1955年)くらいから日本人の生活はどんどん向上した。生活の向上は生活への物質的な付与によるものがほとんどだ。三種の神器、電気掃除機、洗濯機、冷蔵庫、TV、ク-ラ-、自動車などなどの新しい用具が生活に付与され、その分生活は豊かになった。戦争直後には、純綿とか純毛とか言われて、貴重品扱いされた、綿布や毛織物は巷に溢れるようになった。食糧にしても同様である。昭和40年前後を転機としてフランスやイアリアのワインや菓子が店頭に並んだ。
なぜこのように生活を豊かにする事ができたのか?答えは簡単である。日本の製造業の技術が発展し、諸種の用具を安価に大量に国内市場に提供できるようになったからである。
その延長上に輸出力つまり国際競争力の増大が伴う。自動車を例に取ってみよう。自動車の素材の主要部分は鉄である。仮に自動車が全部鉄でできているとして、鉄と自動車のトンあたり価格を比較すれば多分10対1を超えるであろう。他の品目においても同様だ。技術とはそのようなものだ。内需が増え、国際競争力が増大すれば輸入量も増える。欧州のワインや菓子を買っても困らなくなる。ちなみに昭和30年代まで百貨店の店頭にあったワインはサントリ-の赤玉ポ-トワインだけだった。技術とは生活を豊かにする打ちでの小槌なのだ。高度成長期といわれる時代はこのように製造業が発展し、その余慶として福祉があった。
現在においては製造業と福祉の順を逆に考えるべきではないか?製造業が技術であり、価値を生み出すように、医療教育介護などの福祉も技術であり、価値を生み出す。かって政府が道路港湾橋梁などに公共投資し需要を生み出したように、現在上記した福祉分野に公共投資し有効需要を生み出せばいいのだ。福祉は単なる対人サ-ヴィスではなくなってきている。福祉分野を充実させるためには、膨大な機械装置を必要とする。50年前の医療と現在のそれは全く異なる。聴診器一つの時代ではない。現在の介護福祉士はかっての女中さんではない。福祉分野の充実はその分製造業を刺激する。自動車の製造と介護ロボットの製造では必要とされる技術水準が全く異なる。福祉分野を体系的に充実させれば製造業の発展が加速される。
政府も野党も均衡財政を優先し、その範囲内で経済政策を考えている。医療機関が取得する点数を削減し、介護でも国民負担を増加させようとしている。一見合理的に見えてナンセンスだ。経済の発展成長とは経済規模の増大なのだ。経済規模の増大には流通貨幣量の増大は必須だ。私のかねてからの以下の主張を繰り返している。個々人の医療費負担をゼロとして、総医療費を大幅に増額する。現在総医療費は35兆円から40兆円の範囲にある。これを100兆円にしてもいい。必要な資金は日銀券発行で賄う。教育や介護においても同様の措置を取ればいい。捲いた金は必ず税収となって帰ってくる。増税の必要などはない。貨幣量を増やせばインフレになる恐れがあると言う。基軸産業の育成を図らず、ただ貨幣をばらまいたらそうなるだろう。しかし医療教育介護などのサーヴィスは国民が渇望する価値だ。それに貨幣の裏づけをしてインフレになるはずはない。もっとも私はある程度のインフレは現在の状況では歓迎するが。
肝心な事は福祉を政府が下賜する余慶としてではなく、基軸的な成長産業であるとしっかり認識することだ。かっては製造業が福祉を牽引した。現在では福祉が製造業を牽引すればいいのだ。福祉の増大はそれに伴う機械器具の需要を介して製造業に結びつく。これが日本の経済を真底から賦活する道だ。そして日本はこの方策をとりうる世界唯一の国かもしれない。
アメリカ合衆国と日本の人口及びGDPを比較検討すればおもしろい事に気づかされる。20年前の1990年と比し、アメリカの人口は1・5倍になっている。同様にアメリカのGDPも1・5倍に増大している。この間日本の人口もGDPもほぼ横ばいで変らない。従ってアメリカと日本のGDPは20年前の2対1から3対1に変化している。同様に日米の人口比は2対1から3対1に移行している。換言すればアメリカのGDPは日本のGDP総量だけ増大している。また両国の、一人当たりのGDPは共に不変である。以上の事実からでてくる単純な帰結は、成熟国家におけるGDPの増加は人口の増大によるしか無いことになる。アメリカの人口増加はアメリカ国民の繁殖力によるものではない。ヒスパニック系を始めとする、正当また不当な移民によるものである。
ここで中国のデータを加味してみよう。20年前の中国のGDPは現在のそれに比べれば、ほぼ無視できる、ネグリジブル、つまりゼロと見ていい。現在中国のGDPは日本のそれとほぼ同額である。またアメリカのGDP増大額と中国のそれも等しい。アメリカが人口増大策を取って、GDPを外延的に増大させたのに対し、中国は人口増大を極力抑えつつGDPを内包的に増大させたことになる。ここから出てくる結論は、GDPの増大すなはち経済成長は人口増によるか、それとも絶対的貧困の克服によるしかない、ということになる。この結論は日本にとっていささか悲観的である。私は移民の必要性を認識するものである。日本が日本というアイデンティティを保持しつつ強国でありうるためには、人口増の増大は必要である。のみならず世界の貧困を撲滅するためには、貧困国から移民を受容して、共に栄えるしかない、と考えている。
しかしその前に他の方法がないか考えてみよう。日本の国民が欲しているニ-ズ、つまり需要は何かと考えてみよう。かって高度成長経済と言われた時代、生活はどのように豊かになって行ったのかを振り返ってみよう。昭和30年(1955年)くらいから日本人の生活はどんどん向上した。生活の向上は生活への物質的な付与によるものがほとんどだ。三種の神器、電気掃除機、洗濯機、冷蔵庫、TV、ク-ラ-、自動車などなどの新しい用具が生活に付与され、その分生活は豊かになった。戦争直後には、純綿とか純毛とか言われて、貴重品扱いされた、綿布や毛織物は巷に溢れるようになった。食糧にしても同様である。昭和40年前後を転機としてフランスやイアリアのワインや菓子が店頭に並んだ。
なぜこのように生活を豊かにする事ができたのか?答えは簡単である。日本の製造業の技術が発展し、諸種の用具を安価に大量に国内市場に提供できるようになったからである。
その延長上に輸出力つまり国際競争力の増大が伴う。自動車を例に取ってみよう。自動車の素材の主要部分は鉄である。仮に自動車が全部鉄でできているとして、鉄と自動車のトンあたり価格を比較すれば多分10対1を超えるであろう。他の品目においても同様だ。技術とはそのようなものだ。内需が増え、国際競争力が増大すれば輸入量も増える。欧州のワインや菓子を買っても困らなくなる。ちなみに昭和30年代まで百貨店の店頭にあったワインはサントリ-の赤玉ポ-トワインだけだった。技術とは生活を豊かにする打ちでの小槌なのだ。高度成長期といわれる時代はこのように製造業が発展し、その余慶として福祉があった。
現在においては製造業と福祉の順を逆に考えるべきではないか?製造業が技術であり、価値を生み出すように、医療教育介護などの福祉も技術であり、価値を生み出す。かって政府が道路港湾橋梁などに公共投資し需要を生み出したように、現在上記した福祉分野に公共投資し有効需要を生み出せばいいのだ。福祉は単なる対人サ-ヴィスではなくなってきている。福祉分野を充実させるためには、膨大な機械装置を必要とする。50年前の医療と現在のそれは全く異なる。聴診器一つの時代ではない。現在の介護福祉士はかっての女中さんではない。福祉分野の充実はその分製造業を刺激する。自動車の製造と介護ロボットの製造では必要とされる技術水準が全く異なる。福祉分野を体系的に充実させれば製造業の発展が加速される。
政府も野党も均衡財政を優先し、その範囲内で経済政策を考えている。医療機関が取得する点数を削減し、介護でも国民負担を増加させようとしている。一見合理的に見えてナンセンスだ。経済の発展成長とは経済規模の増大なのだ。経済規模の増大には流通貨幣量の増大は必須だ。私のかねてからの以下の主張を繰り返している。個々人の医療費負担をゼロとして、総医療費を大幅に増額する。現在総医療費は35兆円から40兆円の範囲にある。これを100兆円にしてもいい。必要な資金は日銀券発行で賄う。教育や介護においても同様の措置を取ればいい。捲いた金は必ず税収となって帰ってくる。増税の必要などはない。貨幣量を増やせばインフレになる恐れがあると言う。基軸産業の育成を図らず、ただ貨幣をばらまいたらそうなるだろう。しかし医療教育介護などのサーヴィスは国民が渇望する価値だ。それに貨幣の裏づけをしてインフレになるはずはない。もっとも私はある程度のインフレは現在の状況では歓迎するが。
肝心な事は福祉を政府が下賜する余慶としてではなく、基軸的な成長産業であるとしっかり認識することだ。かっては製造業が福祉を牽引した。現在では福祉が製造業を牽引すればいいのだ。福祉の増大はそれに伴う機械器具の需要を介して製造業に結びつく。これが日本の経済を真底から賦活する道だ。そして日本はこの方策をとりうる世界唯一の国かもしれない。