承前 エロスとしての国家(3)
(6)審議院
この本で論じる焦点は天皇制(君主制)にあり議会にはない。しかし既述した皇室文化機構との関連において議会の機能に触れなければならないのでここで論じる。この主題は皇族の婚姻問題とも関連する。
現在日本の議会は衆参二院制である。私はこの議会の在り方に極めて批判的である。人口数に応じた議員を直接投票において選ぶ点で両院は全く同一の選ばれ方をしている。私はこの選出方法は無意味だと思う。参議院を廃止して審議院(仮名)を作るべきである。審議院の定数は100名内外とする。原則として地方を代表し人口の多寡に依らない。各都道府県2名の人数になる。選出方法は都道府県に任せる。知事による指名が一番好もしい。さらに総理大臣経験者及び若干名の皇族を加える。総理大臣経験者は両院に議席を持つことが可能である。端的に言えば審議院議員の選出は頭数の差ではなく賢愚の差によることを目指す。なお審議院議員は必ずしも選出母体である都道府県の住民である必要はない。
審議院と衆議院の関係は、衆院優位とする。衆院の決議と反対の結果が審議院で出されれば衆議院は再度評決をしなければならない。決定は可否いずれにせよ衆議院の再議決に委ねられる。では審議院独自の権能は何か。審議院は議決と平行して議案の提出にその役割の大部を持つ。審議院で提案されその提案が可決されればその最終議決は衆議院に委ねられる。審議院は提案を充実すべく独自の機構を整備する。従来提案は例外を除き行政府が行ってきた。その役割の一部または多くを審議院は担う。同時に審議院は衆愚に陥りがちな衆議院を抑制する役割をも期待される。
審議院は特定の事項、特に軍事同盟の締結に関しては衆院に対して拒否権を持つ。この案件に関して審議院で否決されしかも同案件を衆院が再度議決し、なお審議院が否決した場合審議院は衆議院に対して解散を命じる事ができる。解散後の議決は衆議院に一任される。何が特定の事項かは審議院自身の判断で決める。
審議院の役割は単なる提案のみではない。提案者を民間に求め、彼らの提案を議会行政に仲介する。むしろ役割としてはこちらの方が大きい。NPO、NGOはじめ民間には諸種の市民団体運動組織が存在する。彼らは一定人数の署名同意をもって審議院に彼らの議案を提出する。どちらかといえば非国家反国家になりやすい市民団体を議会制度と行政に取り込むことにこの制度の意味がある。この提案を審議院は受けて検討し提案団体と商議し、妥当と思われたら法案として整除し審議評決にかける。必要とあれば提案団体の代表数名をも審議院での討論に参加させる。政府関係者を状況に応じて呼び討議する事は衆院と同様である。審議院で可決されたらそれは衆院に廻される。もちろん提案団体とは独立に審議院が法案を提出審議することは可能である。民間団体による提案は有料にして濫訴を防止する。
審議院はそのような役割を担うのであるから、衆議院に比しその機能は複雑であり多彩である。審議院議員に付与される政策秘書の数は衆議院議員よりはるかに多くする。同様に政策検討のために諸種の団体と商議しなければならないので政策立案に要する経費も多くする。秘書の選定は議員に任される。国家あるいわ都道府県の公務員、民間企業の職員などの出張の形を加えてもいい。秘書の作業は将来行政企業経営の執務者か議員になるための訓練の場にもなりうる。議員が不適当と認めない限り秘書の地位は議員が辞任するまで保証される。
審議院議員の任期は10年、過誤がない限り5年延長可能とする。指名した知事あるいわ都道府県に審議院議員の解任権はない。議員の地位を安定させ、職務への習熟を図る。議員は出自がどうであれ、不偏不党をもって旨とする。政策秘書も同様。任期中は政党への所属は認めない。俸給などの待遇と序列は衆議院議員より上位とする。審議員の誰を介するかは提案団体の選択に任せる。なお審議院議員あるいわ審議院により当初から提案を拒否する事は可能である。提案されたらすべて受理し審議する必要はない。また既存の、行政への陳情、行政訴訟や民事裁判は従来通りとする。衆議院議員の数は増やす。衆議院議員の定数は一選挙区で最低2名とし、それ以上は人口比に応じる。首相は衆議院からのみ選出される。
審議院の役割はもう一つある。皇妃及び皇太子妃の推薦である。現任も含め審議院議員の経験者は団体を作り、そこで適当とみなされる女性を妃として推薦する。推薦は審議院独自で行ってもいいし、また審議院の特質を生かして民意に問うてもいい。もちろん決定ではない。決定はあくまで当事者による。ただし妃候補を審議院が拒否する事はできる。私は皇妃及び皇太子妃と書いたが、推薦の対象は皇族全般に拡大される。内親王の配偶者も同様である。次章に述べる側妾に関しても同じく同様である。
審議院は皇室文化機構の決議及び執行機関に所属議員あるいわ秘書を代表として送り込む。また宮内庁を宮内省に昇格させ担当大臣は審議院議員をもってする。
地方代表、識者による指名、主任務は提案であること、民意の仲介、一定の拒否権の保持、宮内省の統括、天皇による文化政策への参画そして皇妃推薦、以上が審議院の権能である。
審議院による提案は、立案者の多くが民間人でありまた皇妃推薦機能を持つという性格から、軍事外交財政などハ-ドな部門より、福祉教育学術などソフトな部門での提案が多くなると予想される。ハードな部門では抑止力をソフトな部門では積極的な提案が期待される。その分、皇室文化機構への関与と相まって審議院の文化に関しての提案も比重を増す。
審議院の存在によって民間文化と君主による文化事業は連接され仲介される。民間諸団体の政策立案の仲介と皇妃推薦機構という審議院の性格は民間と皇室の間の距離を縮小させる。
(7)宮家と側妾制度
皇室の婚姻制度に言及しなければならない。文化は君主の血統の維持を基幹とするとは以前に述べた。皇室の血統の維持は緊潔の課題である。国民一般は一夫一妻制度を原則とする。この原則を皇室にそのままあてはめていいのかという疑問がある。国民各個の血統が絶えるのはやむを得ない。代替えはある。皇室は唯一無二の血統であるから代替えはない。明治以降男系の断絶の危機は二度あった。大正天皇即位時と現在である。大正天皇は側妾が生んだ子であられた。当時は直系以外に傍系の予備軍として多くの宮家が存在していたからいざとなれば宮家からの即位も可能であった。現在の皇室自体江戸時代中期113代東山天皇から分枝した閑院宮家のご子孫である。昭和天皇の直系で男子後継者を有する家は秋篠宮家だけである。昭和天皇在位中にも危機はあった。結果として男系の子孫を残されたのは今上天皇だけである。天皇の弟の常陸宮家には後継がない。皇統は常に危機に曝されている。外国の君主家との縁組は、男系一統を原則とする以上意味がない。
対策は二つある。まず旧宮家を復活させることである。復活を提案するのは簡単だが、旧宮家の当事者がどう対処するかは解らない。断られる可能性も多々ある。旧皇族は皇籍を離脱して70年以上になり、皇族あるいわ皇位継承可能者としての訓練を受けていない。皇族という仕事、特に天皇皇后皇太子皇太子妃の仕事は多忙である。好き嫌いをはじめとして自らの意志を積極的に述べることは遠慮しなければならないし、決められた予定を多分に機械的に消化されることが期待される。その旨習慣づけられ訓練されないと皇族の生活に適応できない事が予想される。政府は誠心誠意をもって旧宮家の復活を計らねばならない。関連した事項であるが政府あるいわ宮内庁はもっと積極的に皇室皇族の生活任務などを公開し国民の理解に資するよう図るべきである。皇族にはどのような公務、どのような儀式があり、具体的にどのようにお忙しいのか、国民に解らなければ国民は皇族を雛人形のように見るだけで、皇室への関心は上滑りしてしまう。
第二の提案は側妾制度の導入である。これは一夫多妻を意味する。どのようにこの制度を運営するかは状況による。公然と皇室の一員として活動してもらうのか、この形が一番好ましい。この際皇族のどの範囲まで側妾を認めるのかという線引きの問題が生じる。極端な場合、当事者の了承を得た上で匿名秘密に男性の精子を、了承をえた女性の胎内に注入し人工妊娠させることもありえる。現在の医学技術なら簡単である。生まれた子供は天皇皇后間の子供として公然と皇位後継者の一員として扱われる。事態を知る者は極一部とする。このような場合の緊急事態に対処する機関の設置が望まれる。
しかし男性の側に問題があれば側妾制度も意味をなさない。原則はなんとしても旧宮家を復活し、皇族の数を増やすことである。そして皇族が意義をもって社会活動する余地、自由な場を与えてあげる事が肝要である。その意味では前記した、文化の守護者としての天皇というあり方を充実する事は重要である。もし私が描いた通りの活動を天皇皇后に期待するとすればその羽翼として多くの皇族が必要とされる。のみならず皇族方がより積極的に活躍しうる環境も整備される。皇室の血統を維持するためにも皇族の文化活動への積極的参加は必須である。
どうしても男系皇嗣が得られないならば、旧宮家の方々に拝み倒してでも強引に即位してもらわなければならない。
なお天皇は終身とし引退は認められない。必要があれば摂政を置く。
皇室に側妾制を取り入れたら並行して売春を非犯罪化する。売春は太古の昔から存続しており幾多の非難にも関わらず消滅する気配は一向にない。禁止しても無駄なら容認する方がいい。男が居れば女が要る。独身の男が居れば娼婦が要る。売春とは天賦の職業である。元来売春と自由恋愛の区別は不可能である。売春と不倫の境界も流動的である。極言すれば通常の家庭生活との区別だって怪しい。その線引きは不透明である。夫が妻を養うことを家庭生活というのなら、これは金銭と性行為の交換とも言える。個々の女性が自分の判断で、特別の組織に頼らず自由に男性を選択し了解のもとで性的サ-ヴィスと金銭を交換するのならそれは合法とし容認する。
売買春の非犯罪化は民間の側妾制度に通じる。側妾制度を容認すれば男女の交合の機会は飛躍的に増える。一夫一妻制の裏面は、慣れによる性的魅力の減退と育児への過度の関心集中である。生活が所帯じみてしまう。自己の生活を確保しようとして社会生活に過度の規制を加え権利主張のみ強くなる。側妾制度の容認により、各男女はその性的牽引力において競争状態に置かれる。男女ともに自己の性的魅力を高めようとする。性的魅力への関心の増大は他者への寛容をはぐくむ。交合の機会の増加は人口増加に通じる。婚姻制度の根幹は一夫一妻制である。しかし皇族一般庶民にかかわらず一夫一妻制は緩やかにしてその周辺には一夫多妻制を取り入れるべきである。性道徳は寛容な方が暮らしやすいし、国民の創造力も向上する。
(8) 神事祭礼
神事祭礼は文化の中核であり、伝統維持の基幹である。神事祭礼はある特定の行為行事を中核としてそれを介して参加者の集団帰属性と相互共感を醸成する。従って神事祭礼はエロスの凝縮であり、文化の基軸であり、また信仰宗教の原点でもある。信仰は突き詰めてしまえば一定の儀式にそしてこの儀式を通じて祈ることに帰着する。神事祭礼を催すことは儀式を順守し祈りをささげることである。
あらゆる神事祭礼は国家に連なる。神事祭礼の主催者は天皇である。このことについては既に述べた。君主崇拝、国家護持のために神事祭礼は盛んに催されなければならない。神事祭礼が盛んになれば仏教行事も並行して盛んになる。日本の仏教においては神仏習合により神と仏は微妙に混交しているから。神社の祭礼を盛んにしよう。この際焦点は地方の中規模神社にあてられる。伊勢神宮、出雲大社、春日神社他の大規模で名のある神社は放任しておいてもいい。自力でその機能を遂行できるのであるから。中規模神社の神事祭礼を掘り起こしより華麗に演出する。神社の由来来歴を調べ整理記載し文書化して宣伝する。これらの内容は物語化あるいわドラマ化してもいい。併せて中規模神社の周辺に位置する小規模神社、そのかなりの部分は神主不在であることが多いのだが、これら小規模神社の由来も調査整理し、建物は補修し、その存在を明示する。皇室文化機構はこれらの神社すべての故事来歴を総括して出版刊行する。地方の神社の祭礼を皇居で再演し公開する。皇居は全国の祭礼の中心となる。付言すれば新嘗祭(にいなめさい)などの皇室行事はその一部または全部を公開できないのだろうか。
肝心な事が二つある。まずこのような地方の神社の神事祭礼には必ず皇族あるいわ宮内省や皇室文化機構の職員が天皇の名代で祭礼の演出に参加する事である。天皇の行幸の代理である。もちろん状況によっては天皇ご自身が行幸されてもいい。この際中規模神社のみならず、周辺の小規模神社から適宜選択してそこにも奉幣する。すべての神社は国土の守護神天皇の身内であることを明瞭にさせる。
もう一つ重要な事は以上の地方祭礼に都市住民(厳密には域外の住民)を参加させることである。各地域に祭礼振興のためのNPOを立ち上げ相互に協力しあいながら相互に往来し演出を競争する。祭礼には古式ゆかしい部分のみならず、現代文明の新しい要素も取り込むようにする。神事祭礼は圧倒的に農事と葬祭に由来する事が多いし神社仏閣は日本中の至るところにある。従って祭礼の振興は農業そして地方の復活にも資するところが大きい。
繰り返す、神事祭礼は文化の中核である。
(9)農本主義
神事祭礼はそのほとんどの由来を農事と葬祭に持つ。よって主題は農業と葬祭、農本主義と敬老の問題に移る。現在日本の農業は危機にあり、地方創生の問題は久しく解決されていない。
農業はなぜ国家体制の維持に不可欠なのだろうか。農業が一定程度以下になると国家は成り立たない。都市国家のような例外を除いて国家の存続が危うくなるあるいわ不快不安定になる。そしてこの一定という垣根は高い。最先端工業国家日本でもエンゲル係数は25%なのである。換言すれば我々の経済生活の相当な部分は農業に握られていることになる。農業は「食う」という人間生活の原点をおさえている。国家は一定程度の食料生産を維持しなければならない。人間はいざとなった時「食う」ことに一番ありがたさを感じるものだ。現に世界の半数以上の人口は飢餓線上にある。状況如何で食料は絶対的価値を持つ。その事を我々日本人は70年前の第二次世界大戦終了直後に痛烈に体験した。人間の社会は農業を基盤として発生した。そして現在でも農業は社会の基盤なのである。
世界の国々で自力で産業革命へ離陸しえた国は極めて少ない。農業革命が行われ農業による資本蓄積が一定の段階に達した国のみが産業革命を成し遂げている。後進国途上国といわれる国々の農業はいずれも脆弱である。食えなければそれ以上の産業も文化も発展不可能である。世界中で難民問題が多発している。難民を出す国が一定量の食料を生産できれば難民は生じないはずだ。農業の発展が一定程度の段階に達しないと民度は向上しない。人的資本は育たない。「食えるプラスα」、このαが工業化の資本である。繰り返すが農業はあらゆる産業の原点である。仮に日本の農業が衰退し絶滅したとしよう。表面上は他産業で食って行ける。しかし何かの理由で世界の食料価格が高騰したら、工業生産物は安く買いたたかれ日本の産業は委縮する、あるいは壊滅する。工業製品は代替えが効くが食料は代替えが効かない。繰り返すが農業はすべての産業の原点なのである。
農業は非常に健康な職業である。戸外で陽光を浴びて働き新鮮な空気を吸う。身体を使い額に汗して働く。身体の稼働は精神を賦活する。農業は日常平時に行われる身体訓練であり、優秀な兵士は農民から徴兵される。
農業は空気を浄化する、光合成を介して二酸化炭素排出量を抑え空気中の酸素の濃度を高め空気を新鮮なものとし、併せて地球の温暖化を防止する。農耕地及び森林は水を貯え水の流れを調節して洪水と旱魃を防ぎ、温度湿度を安定させる。農業は自然との代謝関係において成り立つ。従って農業は自然を安定させる。もし日本の国土が都市機械建造物のみになったら我々は生きてゆけないだろう。多分発狂するだろう。農業は我々人間の生命を包む自然の保護衣である。
なによりも農業は季節の推移自然のリズムに従ってその作業が行われる。人間もその自然のリズムに応じて働き自らを形成する。だから農業に従事する事は、土という神秘な自然に親しみ、自然と一体化し、時として自然を崇拝し、職務に服し、職務を通じて創造する喜びを感じることにも通じる。農業において最も、自然への回帰、自己実現、労働共同体への帰属などの感情は惹起されやすい。年中行事は農作業のサイクルにあわせて作られている。従って農作業を営むことは、心身を健康にし、国家への帰属性を涵養する。土を通じて民衆は結ばれる。国家と社会は安定する。
農業を通じて人類は規則正しい労働という習慣を身につけた。農業を通じて人類は、予測とその実現という科学的思考を、自己のものとした。農業を通じて人類は時間の意義を学んだ。だから農業は合理的思考科学産業の原点である。合理的な思考と知識なくして共同体への帰属性はあり得ない。
農耕は商工業に比べて富創造の速度が遅い。人知でどうともできない部分が大きい。逆に言えば農耕は格差拡大の防波堤、つまり社会の安定装置になる。一程度以上の数の独立自営農民の存在は社会にとって不可欠である。
また人知でいかんともしがたい部分の存在は神々を我々にとって身近なものにする。我々は農業を介して自然と共同体との一体化を成し遂げ素朴な宗教的情操を養ってきた。この事はいくら強調しても、し足りない。
毎年宮中ではその年の収穫を祝して新嘗祭(にいなめさい)が行われる。主宰者は天皇である。民間では同様の趣旨をもって祭りが挙行される。天皇の代替わりごとに大嘗会(だいじょうえ)が行われる。この行事は天上の天照大神と地上の神である天皇との聖婚であり、天皇は地方から献上された農作物を食し豊穣を予祝する。日本の芸能の始まりは田楽である。田楽は農業労働を模擬演出し賦活激励しその年の五穀豊穣を祈って行う神事芸能田遊びである。新嘗祭大嘗会という祭儀が神聖視されるのは、農業が国家存立の基盤であるからである。
以上述べたように農業は経済産業に対して大きな衝撃力を持っているのみならず、人間の精神にも深甚な影響力を持っている。
その農業が日本では危機に瀕している。農家の後継者はなく、農業技術そのものの優秀さにも関わらす耕作放棄地は増え、人口は大都市に流出して、地方は過疎に悩み、行政を維持する事すらできないでいる。水と温度と太陽に恵まれた広大で肥沃な大地が放置されている。馬鹿々々しいのを通り越して、一種の背徳行為罰当たりであるとすら思えてくる。
農業は経済行為において無視できない規模を持ち、また農業が国家や人間の精神に対して持つ影響力は大きい。この農業を荒廃するまま放置する事はいかなる結果をもたらすのであろうか。
大都市特に東京への一極集中が進み、人口、産業施設、インフラ、資本、技術、情報のすべてが東京とその近辺に集積され、他の地域ではあらゆる生産活動が不可能になったと仮定しよう。気候は不安定になり、水害は頻発し、空気は汚れ、排出物は堆積し、食費地価従って物価は不自然に上昇し、ストレスは飛躍的に増加する。総人口は減少し極めて住みづらくなる。そうなると平衡は逆方向に傾く。傾かざるを得ない。
人口は地方に徐々に流出する。流出せざるを得ない。この際一番産業として実施しやすいのが農業である。なぜなら農業においては土地以外の資本はさほど要らない。居住耕作が放棄されているのなら土地代はほぼゼロである。残りの資本は水と空気と温度と陽光、天賦のもの原則としてただである。工業製品の需要は複雑である。需給の見通しは難しい。それに比し食料は絶対必要なものである。一定の量は必ず購買される。仮に無人の地に工業施設を移そうとすれば付帯施設は膨大になる。人口が超過疏の事実上無人の地にこのような施設は設けられない。
問題は自然の平衡回復まで日本がもつか否かである。極めて悲観的に見れば、東京以外の土地は荒野と化し、人口は急激に減少して経済力国力は低下する。国民の企画力創造力は低下する。他国の侵入も招きかねない。遅れないうちに農業を復活させねばならない。規制を緩和し、農業従事者の自由な経営に任せなければならない。農業が復興すれば製造業もその土地で復活する。農産物加工、肥料農薬の製造、農業機械の販売修理組立、部品生産果ては機械そのものの生産も可能である。製造業が一定の段階に達すれば製造業の発展は製造業自身の推進力で行われる。重大な問題は農業の復活を自然の推移に任せていいのか否かである。思い切った政策的関与が必要である。この政策は明治維新の廃藩置県地租改正と同規模の政策になることが予想される。
一案がある。現在老人の介護施設の建設は大都市では限界に達している。介護施設を大規模に地方に移転させるべきである。このことにより地方での当面の需要と雇用は確保される。農業の復活に弾みがつく。介護健康管理も含めて老人の福祉は集団で行う方が、効率がいい。個々の家庭での介護には限界がある。地方は地代賃金生活費が安い分移転に伴う利益も大きい。葬祭は折り目正しくやや大規模に行う。敬老の精神に基づいて行う。
ここで農業と介護敬老は結びつく。人口の増加はその地方の農産物の需要を刺激し、近隣に購買力があることは農産物の価格従って生活費を安くする。直近の需要地という存在は農耕地の過度の集積を防止する。農産物の国際競争力は高まる。農業は復活する。生活費の低下は老人はじめ住民の生活を円滑安寧にする。介護敬老の内容はより豊かになる。介護も需要を喚起する。介護用品は農業機器と同じく販売修理組立を必要とする。地域の範囲を拡大させれば部品生産、更には機器そのものの生産も可能になる。製造業の発展は農業の発展をさらに刺激する。好循環が生まれる。一言で言えば地方の地域内内需を増大させることが必要である。そのためには人口の大規模な地方への移転が図られなければならない。為政者の指導力ありていに言えばある程度の強制力が必要になる。
日本のエンゲル係数は25%前後である。この数値は農業の直接生産物の価値のみならずその加工販売まで含めた数値である。エンゲル係数をGDPに換算すれば内需が総GDPの60%だから生産加工販売まで含めた農業の総GDPに占める比率は15%になる。農業機械の生産販売、肥料農薬の製造まで加算すると農業関係の対総GDP比率は20%を超える。これが日本の農業の潜在力である。農業再興は地方復活に対して大きな衝撃力を持つ。これに介護産業が加わる。
単に農業の復活のみが問題の焦点ではない。農業の復活は神事祭礼の興隆に繋がる。老人が増えれば葬祭も増える。葬祭の増大は地域の神社仏閣の増加をもたらし地域の神事祭礼を発展させる。神事祭礼は農事と葬祭に結びつくものが多い。神事祭礼の演出挙行は農事を賦活する。逆に農業という実質産業の拡大は祭礼の施行を刺激する。地域の文化は豊かになりそれに伴い生産は増大する。繰り返すが神事祭礼は文化の原点であり集団帰属性の基軸である。文化は賦活されれば文化自身の手で賦活されてゆく。神事祭礼から分化した諸々の行事イヴェントが出現する。神事祭礼を全国的規模で結合し、その演出を競争させれば効果は乗数的に増加する。地方に活気がよみがえり地方の文化は再生する。農事は生命を産む作業であり、葬祭は生命を送る儀式である。生命の表裏において両者は重なる。従って農事と葬祭神事祭礼は本来極めて近い関係にある。相互に賦活しあう。そして共同体ひいては国家への帰属性を涵養する。農業復興と介護敬老は併せて行うべきである。我々人間は土から採れた食物を食い、土に帰って行く。この原点を忘れてはならない。
(10)結語
人と人はエロスによって結ばれ、共同体を作る。人と人の関係は本来対立しない。和解が人間関係の本質である。エロスを抑制し純化してできたものが信仰共同体である。信仰共同体は自らを維持するために自らを世俗の世界に投射する。国家共同体が形成される。両者は相互補完相互抑止の関係にある。君主と家族が出現する。君主の下で国民は平等であり同時に不平等である。では現今における君主の責務は何であろうか。文化の維持守護が君主の任務となる。文化は最終的には君主の血統に帰着する。文化と血統は深い関係にある。国家が安定するためには、文化が豊潤であることが必要である。文化と婚姻を介して、国民と君主が結ばれることが望まれる。その為には民間からの提案を受理する議会の設置と、神事祭礼の再興奨励と、農業の復活が急務となる。(結)