経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

半沢直樹現象とたそがれのアベノミクス

2013-09-28 00:31:27 | Weblog
  半沢直樹現象とたそがれのアベノミクス

 現在テレヴィTBSで「半沢直樹」というドラマが人気を呼んでいる。この人気は政府の経済政策特に消費増税への反対を意味する声なき声ではないのかと私は思う。
 消費増税推進への政官財の合唱はまことにすさまじく騒がしい。不快である。明確な論拠を示さないまま小出しにあちこちで意見を言い、なしくずし的に世論を誘導というより諦念にもって行こうとしている。
 不愉快な意見の代表が「国際公約」だ。まず消費増税と誰が言ったのか?安倍総理ではない。総理以外の人物がかくも重大な案件について公約なるものを明言すれば、これは明確な越権行為になる。仮に安倍総理が外国向けに明言したのなら、安倍総理は国民の意志を無視ないし軽視したことになる。重要な政策はまず民意に問い、民意を尊重した上で、国民にその旨明示し、しかる後に外国に向けて発言すべきであろう。また仮に総理が外国向けに消費増税と受け取られるような発言をしたとしても、この発言に縛られる必要はない。ただ総理としては体裁が悪いだけである。正式に条約として調印しない限り、発言の履行を外国から強制されるいわれはない。また消費増税を財政均衡と言い換えた発言をし、それを国内向けには消費増税の公約というのなら、これは詐欺虚言である。要するに消費増税の国際公約なる言い訳は、どこから考えてもおかしく論拠が無いのである。なしくずし的に世論を誘導し民意に諦念(あきらめ)を強いる最も汚いたちの悪いやり口だ。みんなで適宜口裏を合わせて曖昧な雰囲気を作り、政策を決める。昔の汚い悪い自民党に帰ったということだ。アベノミクスが空前の人気を博したのは、汚くて悪い自民党から決別し明確にして大胆な政策で景気回復を行なおうとする姿勢を、国民の多くがそこに感じたからなのだ。自民党政権ができて時間が経つほど、つまり政権の心地よさに安住するほど、消費増税という意見が増してきているようだ。
 数日前の新聞に日銀の副総裁がインフレのメリットについて以下のようなことを言っていた。インフレになれば物価は上がる。そうなれば預金や国債に投資していた人達は、より利益を保証される株式に投資を移す。株価は上がる。その分株式運営での利益は増え、その利益は消費にまわり、消費が増えて好景気になる。だから金融政策だけで景気は回復する。まあざっとこんな理屈だ。
しかしこの理屈には諸々の矛盾錯誤がある。まず株式投資が有利となればしばしは株価が上がるだろう。しかしそうなれば国債の利率も預金の金利もあがる。投資効果は均等になることをめざす。それが市場というものだ。加えて株価の動向はまことに複雑だ。
またこの理屈は米国では若干妥当するかもしれないが、日本では通用しない。中産階級以下の日本国民は預金こそすれ、株式への投機をほとんどしない。だからこの理屈が妥当だとしても潤うのは一部の富裕階層であり、結果として格差は拡大する。
そもそもインフレをどうやって作るのか?上の理屈にはインフレを誘導する政策が欠けている。まさか消費増税をインフレの理由に持ってくるのではあるまいな。増税では企業は儲からないのだから株式に投資する理由はありえない。
私はマイルドなインフレとそれに併行する賃金の上昇がありうべき妥当な経済だと思っている。金融の異次元緩和で通貨の流通量は増えた。しかし金融政策だけでは実体経済は改善しない。公共投資を介して需要を作り増やし、雇用を増加させねば、実体経済は改善しない。念のために言うと、現在の技術レベルでは医療も教育も介護も、つまり今まで福祉あるいは単なる消費行為、または所得移転とされてきた諸分野も製造業に結びつくのだ。日本人は内需の意味を知らなさ過ぎる。世界同時不況がいわれる現在、内需増大は最大の安全保障政策なのだ。そして景気回復の最も信頼できる指標は雇用の改善つまり賃金上昇なのだ。せめて賃金が5%くらい上がるまでは景気対策は慎重であるべきではないのか。日銀副総裁の発言は、金融政策だけで経済回復は充分、実体経済に政府が踏み込むことは必要ない、消費増税をしてもいい、という世論誘導だ。この程度の人物が日本の金融政策のトップに居るのだ。
「半沢直樹」に帰る。このドラマは正義感に燃える銀行員が銀行内部の不正、企業育成という本来の任務を忘れた銀行のあり方に叛旗を翻して戦う姿を描いている。45%という空前絶後の視聴率を上げ(成人の3人に2人が見ているということ)、放映継続の要求が押し寄せ、TV局のファックスが故障しているそうだ。このドラマでファンが一番好む場面は、堺正人演じる半沢直樹と片岡愛之助演じる金融庁の調査官の対決だ。ここでこの調査官はゲイ趣味のキザで権力を振り回すいやらしい姿で戯画化されている。金融庁は財務省の親戚筋になる。現在消費増税に一番抵抗しているのは、税収増加に比例して自己の権限(予算配分権)が増大する財務官僚だ。「半沢直樹」の中の調査官はこういう大きな権限を振るい威張りちらす財務官僚を表している。なおドラマの半沢直樹は、銀行に、従ってその背後で指導する財務官僚に、父親の会社が潰されたという過去をもっているようだ。財務官僚がいかに怖く不快であるかわ税務調査に入られたものなら誰でも知っていることだ。企業もメディアもジャ-ナリストも政治家も財務官僚にはかなわない。申告ミスや不正経理などはなんとでも理由をつけられ、見解の違い一つで少なからざる金がもってゆかれる。この不快な財務官僚を片岡愛之助が見事に演じ、それを堺雅人の半沢直樹がやっつける。痛快だろう。半沢現象は消費増税反対への民衆の怨念の大合唱だ。
安倍総理は法人税減税、投資減税、賃上げと減税の交換、政財労三者による賃金協定など、いろいろ画策されている。それは総理のあがきかも知れないし、また自民党ぐるみの言い訳演出かもしれない。しかし消費増税という一線を越えてしまえば諸々の対策も空しい。一度増税してしまえば、減税や賃金協定などの約束も無視されるだろう。一度犯されたらあとはどんな男とでも寝る、というようなものだ。消費増税阻止は心ある政治家にとっては貞操帯のようなものなのだ。悲しい皮肉だが1年後の内閣支持率が楽しみだ。多分30%を割るだろう。不況は20年、微光薄明かりは1年弱。景気回復にはもっと慎重を期すべきだろうな。民意に叛く消費増税を強行する政府与党は1年後国民による倍返しを覚悟しておけ。世論調査では60%以上の人達が消費増税には慎重姿勢なのだ。
以下最近の記事の一部を列挙する。
 9月25日 日経 日本リサ-チ総合研究所によると、くらしが悪くなるだろう、という意見が5.3%増加
 9月25日 J-CAST 金融庁の銀行監査方針転換、半沢直樹にみるようないたぶりはしないと、ということは今までしていたということだ
 9月26日 沈まぬ100円ショップ、賃金増えず需要伸びず
 9月26日 介護保険料20%上げ、わざわざこの時期に、橋本内閣の経験を忘れた  のか
 9月26日 朝日 大阪の中小企業の60%が増税で経営悪化と

金解禁(緊縮財政)と井上準之助

2013-09-25 02:25:36 | Weblog
 消費増税がかまびすしい中、一つの歴史的事例を提示する。今から90年前、戦前昭和初年、浜口雄幸内閣の井上蔵相は金解禁を行なった。金解禁とは流通通貨量を所持する金の額に抑える、いわば緊縮・均衡財政。その結果日本はどうなったか?消費増税と金解禁、は結局同じ作業だ。

    金解禁と井上準之助 
 彼、井上準之助の名は日本の歴史においてかなり不吉な響きを持ちます。エピソ-ドがあります。1971年頃、ニクソンショック後、通貨制度が変動相場制に移行しつつあった時、水田三喜男蔵相が渡米して、米国のコナリ-財務長官と円ドル為替レイトを商議しました。コナリ-長官は17%以上の切り上げを主張しますが、水田蔵相は頭を縦にはふりません。その時水田蔵相が持ち出した因縁話があります。水田氏曰く、「17%という数字はわが国にとって非常に不吉な数字だ 1929年、井上準之助蔵相が金を解禁した時の、円切り上げ幅がこの数字だ (以後日本は不況に沈み、そこから脱出するためにもがき、結局どうなったかは貴方も知るところだろう)」と。この言葉で辣腕の政治家コナリ-長官も引き下がったそうです。(ヴォルカ-・行天「富の興亡」より)それほど井上準之助の名は金解禁政策と、その結果生じた大不況、さらに暗殺、軍部の台頭、そして日米開戦という昭和史の悲劇と結びつきます。
井上準之助は1969年(明治元年)現在の大分県日田市で生まれます。7歳の時、叔父の家に養子(井上姓)に出されます。村では腕白坊主で通っていました。元来強気の人です。11歳養父死去。生計は厳しかったようです。しかし中学校に入り、上京して一高を受験し、不合格になりやむなく仙台二高に入学します。だから生計が厳しいといっても地方の名望家としての扶養は充分受けていた事になります。25歳東大法学部に入学、29歳卒業し、日銀に入社します。秀才が典型的な秀才コ-スを歩むのですから、そう面白い話があろうはずはありません。37歳日銀大阪支店長、翌年本店営業局長と出世コースを駆け足で登ります。これにはわけがあります。山本達雄という当時の日銀総裁の独裁に反対して10名近い幹部が辞職します。人事不足に陥った後を埋める形で、井上が抜擢されます。45歳横浜正金銀行(外為専門の銀行、戦後東京銀行と改称、現在は東京三菱UFJ)の頭取になります。すでに日本の金融界の巨頭の一人です。51歳日銀総裁、55歳山本権兵衛内閣蔵相、そして貴族院議員に任命されます。59歳再び日銀総裁、61歳民政党に入党し浜口雄幸内閣の蔵相として金解禁を断行します。浜口内閣総辞職後は若槻礼次郎内閣の蔵相として留任します。後下野、国会議員として自分に代った高橋是清蔵相と金解禁製作の是非を巡って討論します。64歳、血盟団員小沼正にピストルで撃たれ死去します。なお上記した浜口・高橋両氏も暗殺されています。
井上準之助が始めから強固な金解禁論者であったかどうかには疑問があります。51歳で日銀総裁になった時、日本は第一次大戦後の反動恐慌で不景気に突入していました。井上はこの時、大胆かつ放恣に政府資金を企業救済のためにばらまきました。後年彼が実行する緊縮財政はこの企業救済過多の結果の整理ですから、皮肉といえば皮肉です。しかし政策は時の状況にあわせて行われるべきものですから、井上が首尾一貫していないと責めるのはおかしい事になります。彼は強気で面倒見のいい人でした。当時の財界のまとめ役・世話役であり、財界の巨頭でした。無役の時でも、一日に数十人の訪問客があったそうです。また高橋是清とは後に論敵にありますが、個人的には親しく、高橋に引き立てられたところもあります。企業救済資金のばらまきには当時でも反対者がかなりいました。鐘紡社長の武藤山治は井上の政策を、無能で怠惰な企業をのさばらせる政策だとして、非難しています。この武藤もやがてだれかに暗殺されます。
日露戦争後日本は不況になります。勝った(厳密には、負けなかった)のはいいが、期待していた賠償金は入らず、戦費総額は国家予算の10倍近くになり、外債の返済に追われます。暫くして第一次大戦が始まります。ここで日本は大儲けします。1918年戦争終結。欧州各国は必死に経済を立て直します。逆に日本は過剰設備による供給過剰で物は売れません。需給のバランスが崩れ不況になります。この経過は当然です。教科書的に言えば、ここでは財政を引き締めて、総需要を抑えなければなりません。そうして不良企業を間引き、痛みに耐えた企業を育成してそれを将来の産業の基幹にするのがいいのです。しかし一度好況になれた企業はいつまでも甘かった昔をしたい続けます。政府も人気取りのために、企業救済を行います。収益性が低く、国際競争に耐えない不良企業も保護されます。それ以上に重要な事は、日露戦争後日本は第二次産業革命に入った事です。まだ幼稚な重化学工業を育成しなければなりません。機械装置、原材料、技術など投資として必要であり、輸入しなければなりません。貿易収支は当然赤字化します。
そして1923年関東大震災が起こります。死者は20万名近くになりました。東京周辺の産業設備は壊滅します。復興のために政府は震災手形を発行します。これは当然の処置です。が、手形の回収がうまく行きません。政府は民間の要望に押されて、不良債権の整理を遅延させます。震災は不幸ですから、その不幸に甘えるやからも続出します。あるいは震災を蒙っていないのに、手形を受け取る連中も出てきます。こうして昭和に入った頃、企業収益は低迷し、外貨準備は1億円を切り、財政は逼迫します。
第一次大戦勃発に伴い日本も含めた各国は金本位制を停止します。大戦終了とともに金本位制に復帰します。いわゆる列強といわれる国の中で、日本の金本位制復帰は一番遅れていました。代々の内閣はそれを検討しましたが、問題は先送りされます。金本位制には長所も短所もあります。なかなか踏み切れなかったのです。1929年浜口内閣の蔵相になった井上準之助は、金輸出解禁(金本位制復帰)宣言し、翌年1月から実施します。
金本位制復帰の目的は第一に通貨の安定です。通貨が安定しないと安心して貿易はできません。他国の信用を得られません。また金本位制は通貨と景気の自動安定装置ともみなされます。景気がよくなり、輸出が増えると金が流入し、国内物価は上がり、輸出は抑えられ、景気は下降します。景気が悪化すると逆のコ-スをたどります。物価と景気が一定範囲内に収まり、しっかりした企業のみ残ります。また政府が裁量的に通貨を増やしたり云々の手段を用いて不良企業を温存する事はできなくなります。理屈としてはこういうところです。生産量が安定している希少な貴金属である金の総量を維持する事で、景気の過熱と反動としての不況の激化を押さえようとします。緊縮財政も可能になります。金本位制下では政府が勝手に貨幣供給を左右することはできないんですから。消費は抑えられ、賃金は切り下げられます。官吏の俸給切り下げ案が提出され、検事や裁判官も反対の陳情を始めます。企業も合理化を迫られ、カルテルなどの寡占体制が出現します。軍備は縮小され、海軍の恨みを買う事になります。新たに発展を開始しようとしていた、重化学工業はそれを阻止されます。ここでも軍部の不満を掻き立てます。
日本の金解禁宣言は1929年11月21日でした。3日後の24日に米国の株価が暴落します(black Thursday)。最初日本も米国も、他の諸国もたいした事はないだろうと多寡をくくっていました。こうして1930年1月11日金解禁が実施されます。世界不況はとめどなく進行します。当時の日本にとって最大のお得意は米国、輸出商品は生糸でした。肝心の米国が買えません。生糸は暴落し農村は不況になります。また綿製品の輸出先
である中国やインドは大不況の余波が農業恐慌として波及し、ここも購買力は激減します。当時の日本の主力産業は綿糸と生糸からなる紡織業でした。主力産業が壊滅します。1929年から1931年にかけて以下のように経済統計は悪化します。
  GNP     18%減
  輸出     47%
  個人消費   17%
  設備投資   31%
  民間労働者数 18%
  実質賃金   18%
  製造業収益率 80%
  株価     51%
  農水産業   42%
いずれも減少です。 
 金解禁は必要であったのか否か、という問題が残ります。やむをえなかったとも言えます。不換制のままでは、どうしても財政は放漫になります。議院内閣制下にあって緊縮財政は不人気です。緊縮財政でもって不良企業を淘汰して、より筋肉質の体質に経済をもってゆく必要はあります。その為には痛みを覚悟しなければなりません。裁量では判断が揺らぐので金本位制にしてしまうのも一方法です。
 しかし金本位制は基本的には勝者優先の制度です。19世紀中葉に世界の金量の半分以上を押さえたイギリスにとって非常に有利な制度です。所持する金量が国力経済力を決めるわけですから。天井が決まっており、経済はそれ以上伸びないことになります。日本が金本位制になれば、新規の投資は抑えれますから、新しい工業、特に重化学工業の発展は阻止されます。そしてそれまでの得意分野である軽工業に閉じこもらざるをえなくなる可能性が出てきます。比較優位の原則に従って、低成長経済に甘んじなければなりません。
 イギリスでも金解禁に関して賛否両論がありました。ケインズは時の蔵相であるW・チャ-チルの金解禁に極力反対しました。この頃から後年彼の名を不朽にする「一般理論」の構想の無意識的な土台はできていたようです。日本では戦後首相になる石橋湛山や高橋亀吉などの諸氏が、金に対して切り下げた価で金解禁するべく論陣を張っていました。
 井上に代って財政を担当したのが高橋是清です。彼は金輸出を禁止し、金本位制を放棄します。不換紙幣を増刷し、有効需要を掘り起こしで経済を活性化します。この新しい体制下に新しい財閥、いわゆる新興財閥が躍進します。技術者出身の経営者に指導され、持株会社を介して株式でもって資本を集める、日産、日窒、日曹、森、理研などの会社集団です。彼らが第二次産業革命の尖兵になりました。株式と不換紙幣は似たようなものです。
 井上準之助のやり方は優等生的な手法です。均衡論の教科書に忠実です。イギリスもそうでした。イギリスを本家とする経済学の手法に井上は極めて忠実です。アメリカでも同じ事がいえます。1929年の大不況の時の大統領はフ-バ-でした。彼はすでに実業界で成功しており、米国商務長官としての実績もありました。ですから大不況をそれまでの景気循環として捉えてしまいした。結果は惨敗です。フ-バ-に代ったル-ズベルトは経済の素人でした。だからニュ-ディ-ルなどという新規な方法を取れたのでしょう。既成概念に縛られない分、試行錯誤は可能です。このニュ-ディ-ルも、日本の高橋財政も、ヒトラ-政権のシャハト財政も不況を完全には解決できません。解決は戦争に持ち越されます。その最終勝者がアメリカです。そして戦後のブレトンウッヅへと連なってゆきます。
 私は先に大不況下の日本経済の収縮ぶりを数値で示しました。直感的にですが、そうたいした数字ではないなとも思います。戦後日本は二度危機を経験しています。石油ショックと平成不況です。ここで数値を示す事はできませんが、この二度の危機によるショックの方が数量的には大きかったのではないかと思います。日本はそれを乗り切ります。1929年とどこが違うのか?雑な言い方ですが、経済規模の違い、体力の相違でしょう。

消費増税への根本的疑問

2013-09-22 02:06:54 | Weblog
   消費増税への根本的疑問

 9月19日の産経新聞朝刊に、首相消費増税を決断と、一面トップで出ていた。他の新聞の記事を調べたが、あらかた増税は既定事実のように書かれていた。ここで諸種の見地から増税への疑問を呈してみたい。
① 消費税率を上げてその代わりに投資減税をするという。順序があべこべではないのか?市場から貨幣を引き上げそしてそれを戻す。マッチポンプでしかない。相撲で言えば引いて押す。この作戦にでると相撲なら負ける。需要を減らしておいて、つまり売れなくしておいて、それから投資減税で投資を促進しても買手がないのに売れるのか?まず需要を増大させる、そして売る。それが原則だろうに。
② 投資減税という作業は果たして有効なのか?消費増税という危険な操作を覆い隠すイチジクの葉っぱに過ぎないのではないのか?一部ではその投資減税も危ういとか。政策遂行が迷走状態に入っているのではないのか?
③ 投資減税がある程度有効だと仮定しよう。消費税を上げて投資に減税する。これは国民一般の利益を犠牲にして、少なくともその犠牲を先にして、企業の利益を優先するものではないのか?
④ 首相は財界に賃上げを要請する、あるいは賃上げに有利な政策を施行するという。財界は一応応諾しているような発言をしている。信用できるのか?財界は一貫して増税賛成路線だ。賃上げの約束など反古にする理由はいくらでも持ち出せるだろう。経団連の米倉氏の過去の発言を想起すれば信用などできない。経済政策は約束説得という人為的な次元で行うものではない。売れるように買えるように市場を必然として誘導するのが政策というものだ。私は政財間の賃金協定の意味を全面的には否定しない。しかし消費増税を前提として、投資減税だ賃金協定だといわれると、消費増税のための言い訳に聞こえてしまう。
⑤ 財政健全化(?)つまり均衡財政は国際公約だという不思議な意見が横行している。いつ公約したのか?ただ政府の方針を述べただけだろう。そんなものはこちらの都合で変ればいい。国際公約なるものに強制力はない。法的にはないし、倫理的にもほんの僅かしかない。アメリカは現在金融緩和停止の政策で右往左往している。これは国際公約違反なのか?アメリカの国益を考えれば自由だろうが?オバマ氏はシリア情勢で迷走している。これも一度言った事を翻すのだから公約違反になるのか?ドイツがギリシャに対して取った態度も同様だ。たかだかリップサ-ヴィス程度の発言をしてそれが桎梏、強い縛りになるのか?そういう程度の国際感覚しか持ち合わせていない政治家や官僚に外交あるいは主権委託を任せてもいいのか?外交とは駆け引き、取引、時として騙しあいだ。日本の政治家とはそんなにうぶなのか。それともうぶな振りをしているだけなのか?
 消費増税へのもう一つの理屈、国債の暴落云々、の理屈は何度聞いても解らない。首肯できない。論理性を欠く。
⑥ アベノミクスで円が下がった。その分輸入品の価格は上がる。値上げだ。それは政策遂行の一過程としてやむをえないと思う。そして消費増税。購買力は落ちるよ。買わなくなる、売れなくなる。不況、デフレだ。
⑦ 東京オリンピックを第四の矢だとか言い出した。有効需要五兆円が見込まれるとか。オリンピックによる効果をあてにしていいのか?ロンドンオリンピックの経済効果は大したことはなかった。イギリスが期待したほどの好景気は訪れなかった。北京オリンピックも同様だ。アベノミクス第三の矢が不発なので、盲亀が浮木にすがるようにそんな事を言い出したのだろう。オリンピックという一時的イヴェントに期待する方がおかしい。もっと地道で着実で恒常的な対策を立てなければならない。オリンピックを増税の口実に使うな。オリンピック程度のことで浮かれるな。
⑧ 有識者会議とかがあって、その7割が増税に賛成だったとかいう。誰が有識者なのだ?メンバ-を見ても相応しい人物たちとは思えない。なるほど経済学者らしき人達も参加している。しかしこの不況の20年、専門の経済学者で有効な発言をしえた人物は何名いるのか?有識者など適当に都合よく集められる。世論操作の一環としか思えない。ちなみに世論は、産気新聞(?)の調査では、増税賛成は30%、他は反対25%、段階的引き上げと延期が35%、つまり消費増税に慎重な態度をとる人間が60%を超えているのだ。一般世論と有識者の意見は完全に乖離している。有識者は一般国民より偉いのか?私はそうは思わない。
⑨ 財政を無理に均衡させて健全財政なるものを実現しようとするより、公共投資、あるいは医療教育などの方面に投資して、内需を増大させるべきだ。日本の内需が増えればそれは世界経済にとって利益になる。下手に輸出を増やすよりは。9月21日の日経新聞に、インドネシアの労組が50%の賃上げを要求しているとあった。後進国、発達途上国とはこういうものだ。こちらが低賃金の魅力に魅かれて企業を移転しても、すぐ賃上げとなる。加えて後進国ということはモラルが低いことを意味する。何が起こるか解らない。かの地の民衆を信用はすることはできない。企業も将来のことを考えて内需を志向すべきだ。日本の人口は1億2千5百万人。内需を開発すれば市場の規模は大きい。よく成長著しい東南アジアの需要を取り込む云々の議論が聞かれるが、あまり期待しないことだ。新興国の経済は先進国の投資と需要でもっている。彼ら自身の努力の成果ではない。だから底が浅い。ぼられるのが落ちだ。
⑩ 同じく21日の日経新聞の記事。ある人の意見。経営者でだめな人は効率を強調する人とあった。需要が大きい時には販売競争で効率上昇の効果は大きい。しかし需要が低迷している時にはまず需要拡大が先行すべきだと。需要が小さい時に効率効率というのは逆効果、雇用者を苦しめるだけだと。もう一つの記事。雇用者の60%は労働環境にストレスを感じていると。私の周囲を見回しても実感できる。
⑪ メディアはあれこれ数字を引き出しては景気がよくなったよくなったと騒いでいる。消費増税のためのお膳立て、ちょうちん持ちか。すべての数値は些細なものだ。薄明かりでしかない。安定した力強い景気回復とは言い難い。あえていいところを拾い出し、増税を志向しているとしか思えない。本年4月以来、日経平均は13000台後半で、ドルは100年前後で動いていない。市場は景気の先行きを慎重に見ている。10年前になるかな、小渕内閣の時日経平均は18000円を越えた。その当時でも景気が回復したとはいえなかったのだ。
⑫ 消費税を上げて、投資減税を行なう、あるいは賃金協定を結ぶ、などの政策は本末転倒だ。肝心な根本を誤って枝葉末節でそれを補おうとしている。肺炎の患者に、(消費増税中止、あるいわさらに大胆に消費税減税)という抗生物質を投与せず、安静臥床、補液、解熱剤などで治療しようとするようなものだ。ごく稀にはこれで治ることもあるが。(自然治癒)
私の友人に自然科学の方で然るべき実績を挙げている優秀な学者がいる。過日、均衡財政について聞いてみた。彼はそう深く思考する様子もなくぽつんと、それは必要だろうな、と言った。むしろ私の質問にきょとんとした感じだった。深く考えなければ彼ほどの秀才でもこの程度の常識しか持ち得ないのだろう。1+1=2はだれでも解るが、歴史から学ぶ人は少ない。安倍総理はなんとか拡大経済政策にもって行きたいらしい。その足をあっちこっちというよりあらゆるところから引っ張ろうとしているように見える。消費増税という矛盾を覆い隠すために、いろいろ小細工とへ理屈を弄する。結局本末転倒し、枝葉のみ茂る。何がなんだか解らなくなる。政策は簡易で骨太く単純明快率直なのがいい。消費増税撤廃でいいのだ。

経済行為における気分の問題

2013-09-19 02:39:49 | Weblog
  経済行為における気分の問題

 気分といえばすこぶる主観的で曖昧な言葉に聞こえる。しかしこの気分が経済行為に与える意味と衝撃は非常に大きい。気分といえば私がすぐ思い出すのは1997年における消費増税である。当時の橋本内閣はそれまでの消費税率3%を5%に挙げた。1997年春4月だったと思う。当時の人達は非常に不安な気分に襲われていた。将来の自分達の生活に不安を感じ始め、この不安はみるみるうちに広がり、世間の雰囲気は暗く沈滞したものなった。それまで改善の兆しをみせていた経済は急速に悪化した。同年7月の参院選で自民党は大敗し橋本政権は崩壊した。この年同時に医療費負担の引き揚げも行われている。最悪の選択だった。これが気分、雰囲気の悪化に拍車をかけた。それまでほぼ無料といっていい医療費負担が30%の負担になった。健全財政の維持とかいう理由だ。私の患者さんが連想や対話の中で医療費負担への不安を話していたことを、実に不安そうに憂鬱にそして脅えながら話していたことを思い出す。以後日本の経済は現在までデフレ不況を脱していない。失った20年の始まりだ。増税というだけで気分は暗くなる。まして医療費負担が加われば、将来の生活、その根幹である健康な生活への不安は著しく増大する。皆は貯蓄に走り消費を控える。金を使うか否かは一重に気分にかかっている。私は自営業を営んでいる。収入は給与所得者 に比し変動が大きい。私の体験ではちょっと減収気味になるとたちまち出費を控える。逆に少し増収になると結構金を使う。収入の増加の二乗か三乗に比例して出費の増減があるような感じだ。これは私だけの体験ではあるまい。
 ケインズは経済における気分の意味を把握した数少ない一人ではないだろうか。多くの人は彼の学説のうち、有効需要とか乗数効果とか財政政策や金融の罠などという理論理屈を強調する。それはそれで正しい。しかし彼が経済行為における気分を重視した事はあまり触れられていない。ケインズは優れた投機家だった。彼は彼の親より先に死んだが(従って遺産はない)、残した金は5万ポンド、一説には20万ポンドと言われる。当時の換算では円にして5000万から2億円。現在なら少なく見積もっても10億円から40億円になる。この遺産のほとんどは投機の成果らしい。事実彼は投機の心得ともいう文書を残している。ケインズは投機家、もう少しえげつなく言えばギャンブラ-・ばくち打ちだった。だから投機における気分の問題、つまり勝気か否かが投機の成果に大きく影響することを知悉していた。なんなら競馬競輪パチンコ麻雀のたぐいを実践すればわかるだろう。  
もう一つケインズについて触れると彼は遊蕩子(色男の遊び人)だった。若い時は同性愛を楽しみ、30台の半ばでロシア人のプリマドンナと結ばれている。両刀使いだった。遊蕩子であるからあらゆる行為における気分の問題には敏感だった。恋愛においては弱気になれば必ず失敗する。恋愛を成就するめには徹底的に、極端に言えばスト-カ-に近いほど強気に攻めまくらなければならない。そして投機とはある種の恋愛なのだ。有名な経済史家(名前は忘れた)で「恋愛と経済」という本を書いている人がいる。彼の言明に従えば、歴史を通じて、恋愛もしくは不倫が盛行する時代は好景気とかだ。
 事実経済とは基本的には投機なのだ。起業するにせよ消費するにせよ、人間は必ずしも合理的に計算して行なうとは限らない。将来のことを予測することは難しい。その時の気分は大いに経済行為に影響する。ええいままよ、あるいは今がチャンスだ、と勝手に推測し憶断して経済行為に走る。サントリ-の鳥居信治郎、パナの松下幸之助、ホンダの本田宗一郎、ミズノの水野利助など輝かしい成功者達が経営拡大や企業に走るときは向こう見ずといってもいいほどの楽観的決断をもってしている。周囲の反対を押し切って。もちろんこういう行為をして失敗した例も数多くあるだろう。一将功成りて万骨枯るかもしれない。しかし多く起業し多く潰れるのが資本主義というものだ。10人規模の1000社が起業し、10000人規模の10社が生き残れば、経済の根幹である雇用は10倍になる。それでいいのだ。多く作って多く使う。それが経済だ。金は借りる(起業)もの、そして使うもの(消費)。こうして経済行為は成り立つ。古典派経済学の頂点に立つマ-シャルは言っている。投機家が大胆に切り開いてくれる経済の視界に従って多くの人の起業が成り立つのだと。誠に至言だ。ケインズはむつきにくるまわれていた頃から父親の友人であるこのマ-シャルの薫陶を受けて育った。
 昭和初年当時、大蔵省の不手際で金融恐慌が起こった。銀行がばたばた潰れた。動揺した政府は高橋是清を急遽蔵相に任命し事態に対処させた。彼は3日間のモラトリアムを実施しその間に日銀券を刷りまくった。間に合わないので裏が真っ白(称して裏白)の200円札が出現した。同時に恐慌はぴたっととまった。金が世間に出回る前、その風評のみでつまり、金が出回るぞ何とかなるぞという気分のみで、恐慌は治まったのだ。高橋という人物が、芸者と駆け落ちするなどのかなりハチャメチャな経歴の持ち主であることは有名だ。ただ彼は徹底的に善意の楽観主義者だった。もっとも彼はケインズと違い失敗したギャンブラ-だった。反対にケインズは正しい予言はするがその予言は用いられない悲劇のカッサンドラと呼ばれた。高橋は実際に財政を担当し成果を挙げている。どちらが幸福かな?
 明治初年の経済政策を担当したのは大法螺ふき大風呂敷と言われた大隈重信だった。彼は気楽に太政官官札という不換紙幣を刷りまくった。インフレにはなったし外貨は減少したが、そのお蔭で史上稀有の明治維新という諸改革はできたのだ。
 1945年敗戦。経済インフラは破壊され、生産力は激減し1000万人餓死説も出たほどの窮境。吉田内閣で登場したのが石橋湛山蔵相。彼は復活金融公庫を設けここからじゃんじゃん債権(称して復金債)をばらまく。この債権は最終的には貨幣に換金可能。金が出回と解れば、儲かりそうだ売れそうだ買えそうだとなり、物資はどこからかともなく市場に現れる。復金と傾斜生産方式で日本は経済危機から救われる。確かにインフレにはなった。しかし餓死は例外を除いてなかった。私は、湛山は救国の士だと思う。大したインフレではなかったが、いう事を聴かない人物を好ましく思わない、さらに日本の復活を快く思わない当時の占領軍ににらまれて、湛山和尚は追放される。彼は戦前戦中、戦争反対の急先鋒だった。
 江戸時代で一番景気のいい時期は、元禄時代と田沼時代なのだ。ともに楽観的経済政策と通貨増量で知られる。インフレになり通貨の価値は下がったが、商工業は盛んになり経済の規模は拡大した。二つの時代を指導した二人の政治家、荻原重秀と田沼意次はともに貪官汚吏として悪名高い。この悪名は意図して為されたものだが、経済は清廉潔白ではできないのだ。田中角栄などもこの歴史の犠牲者の内に入るだろう。
 アメリカ経済はレ-ガンの時代から失調気味だ。それが案外に持っている。もちろん覇権通貨(key currency)ということもあるが、アメリカ経済は二つのバブル、ITバブルと建設バブル(これははっきり言って詐欺に近い)でなんとか持ちこたえた。金を刷って、行ける儲かるという気分、を煽る。経済には活気がもどる。
 景気あるいわ経済とはそういうものだ。安定した経済なんかない。常に強気で前進するしかないのだ。東大法学部卒の優等生に経済政策の舵を取らせてはいけない。
 安倍総理は消費増税をするのか否か?一部では増税に加えて介護の負担率を上げようかとしている。ともに気分を暗くする政策だ。安倍総理はここのところを充分に勘考されよ。気分が暗転すると経済はすぐ失速し奈落の底をめざす。回復はなかなか訪れない。なんとならば気分の回復は簡単にはなされないからだ。
 原発の問題は政府主導でさっさと片付けよう。技術的にみてそう難しい問題には思えない。兵術でいう戦力の逐次投下、つまりみちみちした出し惜しみで、やっているのではないのか。オリンピックが招致と決まった。これを大いに利用すべきだ。派手に宣伝しインフラを整えよう。一つ提案がある。10万円札を出してはどうか。正直1万円札を持ち歩くのは不便なことが多い。10万円札発行は必ず気分を変える。金は借りるもの、そして使うものなのだ。
 私の専門は精神科の医者だ。精神医学では抑うつ症あるいわうつ病という病名がある。これは英語ではdepressionという。この英語を経済学用語にすれば不況となる。現在世界中で抑鬱症が蔓延しているという。経済の不況と会い通じるものがあるのかもしれない。

(付)黒田日銀総裁が、財政赤字は国債の暴落を招くと発言している。一部のマスコミでは越権行為だといわれている。私もそう思う。また国債暴落説はどう見てもおかしい。泉田新潟県知事が、アベノミクスは金を生むニワトリ、消費増税はこの鳥を焼き鳥にしてさっさと喰ってしまうようなものだと、発言している。しこうしてして然りだな。いい発言だ。

消費税は富者を特権化する

2013-09-15 02:24:20 | Weblog
    消費増税は富者を特権化する

 消費増税の議論が沸騰している。世論総体としては増税慎重派がやや有利というところか。後は安倍総理の判断しだいだ。ここで増税の可否を緊縮財政か拡大財政かの選択として考えてみよう。財政赤字の大部分は福祉予算であるから、ここでは福祉を単純に介護行為に限定して(単純化して)考えてみる。
介護は拡充されるべきだ。介護を完全に民営化することはできないから、ここで拡充とは国家財政による援助介入を意味する。介護が拡充されるという事はそれだけ介護サ-ヴィスという財貨が増大するわけだから、それだけ国家社会の富が増えるということだ。富が増えた分貨幣量がふえても一向にさしつかえない。名目価格は増えるかもしれないが、実質価格は一定ということになる。
 なぜ名目価格が増えるのだろうか。それは失業者あるいわ生活保護層が介護行為に参入し雇用されるからである。ここではあくまで話を単純化している。生活保護より労働雇用の方が給付される賃金費用は高い。また高くあるべきだ。高くすればいいのだ。失業者が雇用されればその分賃金として支払われる貨幣量はふえる。このように増えた貨幣量の分だけ価格は上がることになる。しかし仮に物価が上がったとしても、その分雇用が増えればそれで良いのではないのか。貧者が豊かになり、非貧者は若干貧乏になるが、社会の格差は縮小し、総体としての幸福量は不変となる。
 さて名目価格は上がるといったがはたしてそうだろうか?私は前言を撤回しなければならない。介護行為が増えると必ずその行為を支える製造業はその分盛んになる。介護は現在においては肉体労働の部分が大きい。それは将来機械にとって変わられるだろう。つまり介護は製造業を賦活しうる。以上のことは私が福祉の三本柱とよぶ、教育と医療にも妥当する。介護は現在のところそう高度な技術とはいえない。介護を担当している人達は社会の比較的下層に属している(率直に言ってごめんなさい)。従って介護は失業者や生活保護層の雇用を促進する。もちろん全体としての雇用も増大する。
 教育、医療、介護などの福祉行為は一見予算ばらまきのように見えるが、現在の技術力をもってすれば、これらの行為作業の増加は製造業の発展につながる。製造業の発展増大はそのまま工業生産物量(goods)の増大あるいは生産能力と技術の発展につながるから、結局のところ物価は名目といえども上がらないことになる。換言するとインフレは起きない。
 平成不況と言われる20年の間に盛んになった職種が少なくとも二つある。小売と介護だ。どちらも低賃金の職種だが、私は小売産業(retail)が繫栄するより介護が拡充されるべきだと確信している。前者は雇用縮小を結果するに対して、後者は雇用を促進する。なによりも介護の方が必要度が高く、その分付加価値が大きい。人手を減らす産業より、人手を増やす産業を発展させるべきだ。なんとなら人手は必ず機械にとって変わられる。その分製造業が発展する。物が増えるということはその分富が増えるという事だ。建設業に従事する現場作業員、彼らの技術スキルは相当なものだそうだ。平成不況で建設業を縮小した結果、必要なスキルを持つ作業員が少なくなりそれが東北震災の復興を遅らせている。これからの産業の進展はまず雇用を増加させる(人手の要る)部門を発展させ、それを徐々に機械化することにより、そしてこの過程を繰り返すことにより、雇用と産業技術の発展を期待すべきだろう。
 だから拡大財政は必要なのだ。逆に緊縮財政、均衡予算を考えてみよう。均衡予算とは政府の支出と収入が等しくなることであり、相対的に貨幣流通量が少なくなることである。ここで思い切って事態を単純化して、国全体で(ここでは外国との交易は捨象されている)の貨幣流通量は一定としておこう。均衡予算とはそういうものだ(国が余分に貨幣を発行しないのだから)。この状態は金本位制に等しい。貨幣の量が一定なのだから。需給の量は一定となり、価格は不同となる。社会の成員すべてがなんらかの形で売りと買いに参加すると仮定すれば、売っただけ買い、買っただけ売ることになり、貨幣の動きはとまる。つまりある程度の期間の長さを取れば、各個々人の貨幣所有量は不変となる。換言すれば富者はいつまでも富者であり、貧者は永久に貧者に留まる。利率も一定不変であるから貯蓄すれば安全な儲けが期待される。富者の余った貨幣は、製造業よりも(それは進展しないのだから)金融投機に廻される。富者の間で投機という競争が行なわれ、弱肉強食の理に従い、巨大な金融資本が形成される。平成不況は日本だけとみなされがちだが、この20年間日米欧の先進諸国はすべて不況だったといえる。そしてカジノ資本主義と言われる金融資本の跳梁跋扈が盛んになっていることは周知の通りだ。
 逆に貨幣流通量を増加すると、名目的な貨幣価値は下がるが、貨幣を使用する機会が増える分、多くの人々が経済行為に参加できるようになり、産業特に製造業が発展する。富者の所有する貨幣の価値は下がり、その分雇用と賃金は増える。大衆の多くに貨幣が行き渡り彼らは相対的に富裕になる。19世紀後半は金本位制の時代だった。イギリスは世界の金所有量を独占した形で世界経済に君臨し、金融資本を増大させた。日本とドイツは結局金本位制が崩壊することによって、製造業を発展させイギリスを抜いた。現在アメリカが当時のイギリスのようになりつつある。日本はどうする?
 現在消費増税、つまるところ緊縮予算(健全財政とかいう偽善的な名称がついている)に賛成しているあるいわそれを積極的に押し進めようとしているのは財務省と大企業を代表する財界(経団連など)と一部のメディア(朝日、日経など)などだ。彼らは経済行為の本質に無知だということもあるが、ある意味では日本の富裕層を代表しているとも言える。少なくとも彼らは高給取りだ。
均衡財政を採用して一部の階層のみを富裕化(超富裕化)させるか、拡大財政に舵をとって、多くの部分をいささか富裕に(中産階級化)させるのか。貴女・貴方はどちらを得らばれるかな?

消費税の可否をめぐる最近の論調

2013-09-12 02:20:11 | Weblog
  消費増税の可否をめぐる最近の論調

8月14日 産経新聞
  日生基礎研の見通し、消費増税後ゼロ成長
8月19日 朝日新聞
  本田悦朗内閣参与、1年ごとに1%ずつ引き上げ
8月20日 読売新聞
  財務相、消費増税なければ国債暴落
8月20日 産経
  世論調査、増税慎重派52.4%
  企業120社のアンケ-ト 64%増税容認
8月21日 読売
  みんなの党、増税凍結提案
  4-6月設備投資も住宅投資もマイナス
8月25日日経新聞
  堺屋内閣参与、消費増税予定通りに
  本田内閣参与、日本経済は病み上がり
8月26日朝日
  世論調査 増税賛成 43%
       反対   48%
8月26日毎日新聞
  世論調査 消費増税反対 25%
           先送り18%
           段階的引き上げ 33%
           賛成 21%
8月29日
  浜田内閣参与 消費増税1年据え置き、後1%づつ引き上げ
9月6日
  黒田日銀総裁、消費増税しなければ国債暴落、増税反対派を牽制
9月7日読売
  景気は上昇傾向なるも先行不安
9月9日 読売
  消費増税は時期慎重に

消費増税に関する最近の新聞論調を拾い出してみるとざっと以上の通りです。読売と産経は慎重派の傾向、毎日朝日日経の態度は判然としません。政権内では、浜田・本田両内閣参与が慎重派、堺屋内閣参与と黒田日銀総裁が容認派です。麻生財務相と甘利経産相は容認の発言を以前していました。菅官房長官は慎重派のようです。
 消費増税推進派の論拠は、赤字財政においては日本経済の信用が損なわれ国債が暴落すること、同じ内容になりますが長期金利の上昇により国債の利子があがりそれだけ支払い負担が増大すること、そして国際公約に背くというものです。国債の暴落は全く論拠のない印象論でしかなく、国際公約に関しては理屈のための理屈、噴飯ものです。赤字財政で国債が暴落するのならとっくの昔に暴落しています。日本の国力全体を考えれば無用の心配です。また国際公約とはなんでしょうか?別に条約を締結したわけでもありません。どうとでも取れる一時のリップサ-ヴィスに縛られる必要はないでしょう。
 概して世論調査つまり国民大衆の意見は慎重派、財界はおしなべて容認派です。大切なことですが、財界の方々は民間企業経営の専門家ではありますが、国家財政に関しては素人同然です。
 以上若干の事項数値と意見を申し述べました。肝要なことは、これらの数値は必ずしも真実に近いものを表しているとは限らないことです。経済現象は複雑な現象です。多数決で決めるものではありません。ただ一人の責任者が最期に決定しなければなりません。賢者の独裁が必要になります。安倍総理はそこのところを踏まえて、あくまでも孤独な決断をしてください。2020年度のオリンピックは日本が主宰することになりました。この分日本経済に若干の寄与をするでしょう。ただし若干です。安倍総理は稀に見る強運の持ち主です。強運の人は大胆に素早くそして積極的に行動しなければいけません。武運長久を祈ります。

(付)
 春頃から日経平均株価は13000円少しでうろうろしています。ドルは大体100円前後、昨年末以来のアベノミクスの勢いは一段落あるいは気迷い気味です。日本経済には薄明かりがさした程度です。本田参与のいわれる病み上がりそのものです。

外交軍事5題

2013-09-07 02:26:43 | Weblog
  外交軍事五題

① 沖縄県予那国町で自衛隊駐留をめぐる賛否を問うような町長選挙が行なわれた。駐留賛成派が勝利した。念のために言えば駐留の可否を決める権利は町(一般に地方自治体)にはない。駐留の可否はすべて国が決めることだ。仮に反対派の人物が町長に選ばれても、必要と判断されたら国家が自衛隊駐留を実行すればいい。これが国家主権というものだ。一々当地の意見に従っていては国防などできない。自衛隊駐留により仮にその町に大きな負担がもたらされるとしたら、それに対しては政府の判断で補償なり他の措置をほどこせばいい。自衛隊の駐留に関してあたかも地方自治体に決定する資格があるなどと勘違いしないように。なおこの事は米軍基地の存否移動に関してもあてはまる。沖縄県民の意志は意志、決定権は政府にある。取りこし苦労な話だが、沖縄県選出のある代議士が沖縄独立云々などと言っていた。県民の総意はそんなところには無いと思う。ただし沖縄県民の多数が日本から分離独立を宣言しその旨実行しかけた時、政府の取るべき態度はただ一つだ。軍隊を派遣して戒厳令を敷き、独立運動を封殺することだ。沖縄県民がそういう事をしでかすとは思わないが、もし万が一の時の心がけを言ったまでだ。
② 転ばぬ先の杖、万が一の方策として、あるいわ起こるかもしれない事態への対処を考えておこう。北朝鮮が崩壊して難民数百万人が日本海を渡って日本を目指したとき日本政府はどういう態度を取るべきか?答えは一つだ。領海内に入ったら容赦なく、難民の舟を沈めてしまうことが最高の良作だ。もちろんその前に警告は発しておく。沈めるのなら砲撃より、衝突の方がいい。それ以外に他の方策はない。日本国内に上陸されたら莫大な負担を背負わされる。加えて武装難民がいれば国内の争乱になる。非情だが撃沈が最良の方策だ。鴨緑江を超えて難民が中国領土に殺到すれば中国政府はやはり同様の措置をとるだろう。二三隻沈めれば難民船は方向を転じて母国に帰らざるをえなくなる。事実20年前になるか、アルバニア難民がアドリア海を渡ってイタリアを目指した時、困り果てたイタリア政府は同様の事をしている。わざと軍艦をぶっつけおいて、あとは沈没事故として処理してしまった。
③ 第二次大戦中の朝鮮人の徴用に関して韓国の高裁は新日鉄住金に補償すべきという判決を下した。この事が違法異例であることは既に他のblogで述べた。もう一度整理しておこう。理由は三つ。一、日韓基本条約違反。二、徴用は当時の参戦国ではあたり前のことだった。たまたま当時日本人であった人間が敗戦とともに、韓国人になっただけの話だ。三、時効。時効を入れないと国家間あるいわ個人間の紛争は限りなくなり、警察や軍隊は無限大の仕事を抱えるはめになる。韓国の裁判所は、人道に反する行為には時効はないという。別に前大戦で日本が格別非道なことをした覚えはない。たかだか徴用くらいで文句を言うな、が私の本音だ。厳密に考えると戦争とはすべて人道に反する(いやひょっとしたら極めて人間の本性に忠実な作業)事になる。なら日本軍のみならず参戦国の戦死者の家族は自国あるいわ他国の政府を人道に反する云々で訴えることができる。韓国の法曹家に問う。韓国人には法というものを理解する頭脳がないのかと。
 韓国政府が住金新日鉄の判決に応じて差し押さえしようとすればどうするか?断言しておくがこのような処置は宣戦布告を意味する。日本政府は外交(あるいわ軍事)問題として韓国政府と交渉に入るべきだ。一企業に任せるべきではない。貿易協定の見直しなどあらゆる手段を使うべきだ。一案がある。韓国が在韓日本企業の資産を差し押さえたと同額の資産を、報復として日本政府は在日韓国企業資産差し押さえの対象とすること。これは治安を乱すパチンコという業種を縮小させるのに功がある。さらに最悪の場合中国在住の日本企業同様、在韓日本企業は韓国から徐々に撤退すべきだ。必要最小限の資産を韓国内に残して。他の安全な国に企業を移動させてもいいが、基本的には内需民需主導型にして製造業の販路拡大を日本国内に求めるべきだ。既にパナはヘルスケア部門に積極的に参入すると宣言した。三井物産も病院事業に大きな関心を寄せている。東芝はTVなどのロ-テク産業を整理しより大規模で精緻な技術を要するインフラ産業に更に大きく進出する方向だ。学校病院の建設、医療器械、介護システム、新種の交通システム、耐震建築、航空機、軍艦、更に福祉観光農業あるいわ資本化農業などなど内需開発の余地はいくらでもある。もう一案。政府やマスコミは発表しないが在日韓国人の犯罪率は平均の30倍という。凶悪な韓国朝鮮人にいてもらう必要はない。強盗、殺人、強姦、放火、誘拐の五大兇悪犯罪を犯した韓国朝鮮人は、韓国政府に通知して強制送還すればいい。政府諸機関は国籍別の犯罪率を公表すべきだ。北朝鮮による拉致は現在でも行われているかもしれないのだ。日本国民には安全に生きる権利がある。拉致は必ずしも過去の事件ではないかもしれない事を強調しておく。拉致しようと思えば、数人の男性と一台の車、そして一隻の小型船があればそれで済む。韓国の大統領はテロリストの銅像を建立しようとか言っている。こういう国ではテロはあたり前なのかもしれない。冗談でなく拉致には気をつけよう。明日貴女が拉致され北へ連れて行かれるかもしれないのだ。
ここで一つ逸話を。確か昭和40年代当時の新日鉄会長である永田重雄は、韓国の経済開発にも協力し、銑鋼一貫製鉄所として浦項製鉄所建設に全面的に協力している。この製鉄所は韓国の経済発展の原動力になった。裏話がある。製鉄所開設記念式典が催される。関係者多数が招待されたが、日本人は一人も招待されていない。事実上この会社は新日鉄が作ったようなものだった。当時の新日鉄社員はあきれかえったという。韓国とはそういう国だ。親しく付き合っても意味はない。利害関係と力がすべて。そう割り切ろう。
④ 尖閣問題に関して。私は自衛隊を早く当地に配備すべきだと思う。軍事的に立場を固めてから相手の出方を見るのが賢明だ。昨年五月石原東京都知事が公務員派遣を言い出したときさっさとそうしておけばよかったのだ。当時は日本国を破壊する意図を持ったとしか思えない民主党政権の時代だった。
⑤ 橋下大阪市長が「慰安婦」問題でアメリカに英文で橋下氏の意向を伝えると聴いた。大いに歓迎する。橋下氏は、黙っていれば虚偽を事実と承認させることになると、言っている。そのとおりだ。真実を真実と言う以上一歩も引くべきではない。引けば自己の言辞を虚偽と認めることになる。五月だったか橋下発言が出たとき、多くの識者が発言を不穏当無作法不時宜というように非難していた。桜井よし子氏もその一人だった。正直私はいささか桜井氏に幻滅した。多くの人は、物には言い方があるという。ではどういう言い方があるというのか?強制連行はない、商業売春は不可避、これが橋下発言の要旨だ。まわりくどい言い方をすればそれでなくとも誤解誤導したくてうずうずしている連中に好餌を与えかねない。率直に大胆に言えばいい。橋下氏のこの面での活躍を期待する。
 ただ最近思うことだが、米国では日本人より朝鮮人中国人の方が、好かれているかもしれない。よその国のことはよく解らない。そういう時偏見が情勢を左右する。日本人が米国の主流である白人層に嫌われる所以は二つ考えられる。一つは日本人が始めて白人優位に挑戦した民族であることだ。日露戦争では白人が負けた。日米戦争では日本は負けたが、アジアの多くの国は独立できた。そしてその動向にアフリカが続く。白人にとっては日本人とは殺しつくしたい人種なのかもしれない。もう一つの理由。日本人はキリスト教に免疫だ。白人層が自己を特権視する根拠の一つであるキリスト教に、日本人は全然不感症であることだ。これも日本人を許せない無意識の背景かもしれない。私なりに言わせれば、日本には大乗仏教という美酒があるのに、なぜキリスト教という安酒を飲まなければいけないかとなる。しかし我々日本人は明治の昔から白人にとっては潜在的な敵あるいわ犯罪者なのかもしれない。この点には気をつけよう。

ク-ルジャパン考

2013-09-03 02:09:26 | Weblog
   クールジャパン考
 
 クールジャパンという言葉がある。日本の漫画、劇画、アニメおよびその延長上にある諸種のエンタ-テインメントを指す新しい概念だ。この種の作品あるいわ文化はすでに世界的存在だ。私は物心ついたころから漫画そして劇画のファンだ。好む作家を挙げれば長谷川町子、手塚治、石井久一、さとうたかお、里中真知子、大和和紀、山岸涼子、青池保子、千葉哲也そして中島徹の諸氏というところだろうか?漫画劇画は文化である以上に知性そのものだ。ちなみに私は漫画しか読まない人を尊敬はしないが正常とみなす。逆にいかに読書量を誇ろうとも漫画を読まない人にはある種の危惧感を抱く。
 ところでわが日本国でク-ルジャパンと言われる文化が栄えているのは決して偶然ではない。そのことについて考察する。まず日本人は詩作能力が高い。他国と比べて著しく高いと言っていいだろう。日本では和歌、連歌、俳句という短詩型の詩文が栄えた。そして現在でも栄え続けている。これらの短詩文学は千年から数百年の伝統を持つ。短詩文学の盛行は日本人の詩作能力を著しく高めた。簡単なことだ。短い故にすぐ読める。和歌も俳句もさほど勉強することなく、つまり高校卒程度の教育があれば、だれでも読める。詩作は思索に通じる。ある情景印象を17から31の仮名文に集約するということは、現象を瞬時に把握しそれを概念化することを意味する。江戸時代の後半俳句の投稿はすさまじいほど盛んだった。将軍様のお膝元江戸で俳句の大会が開かれる。投稿した人数は3万人とも10万人とも言われた。関東一円だけでそのくらいの数だった。このような現象は他の国にはあるまい。繰り返すが簡単に詩が作れるということは、その人の直感と思索の能力を著しく高める。のみならず多くの人つまり大衆を思索という高度の知性の領域にたやすくいざなう。クールジャパンの淵源はこの辺にある。もちろん論考を進めればより深い根源に遡りうるであろうが、ここではやめておく。
 日本の文化文学の特徴としては滑稽文化が盛んなことだ。狂言、落語、漫才、川柳、狂歌などがその例だ。狂言は能楽の裏返しであり、しかるが故に世阿弥の花伝書の伝統を踏む。能楽が神と人間の間に生じる悲劇を語り演じるのに対して、狂言はこれを100%人間の世界に引きなおす。そこに生まれるのが逆説としての滑稽だ。落語は本来「語り」そのものだ。ある出来事を聞き手に興味あるべく、話術だけで表現するのが落語だ。詳細に聴けばここに話術の精髄が集約されている。そしてそれが断片化されるに従い、落語は滑稽化されてきた。漫才は神の予祝行事であり、それが人間界の事象を対象とするに及び滑稽化された。この過程の推進者は吉本(厳密にはその創始者である吉本せい)にあるだろう。
 狂歌は和歌のギャクであり、江戸時代後半に起こり現在に至っている。有名なのは太田蜀山人。彼の作品かどうかは知らないが一首あげてみよう。当時の幕府役人をからかった作品、世の中は左様でござるごもっとも、いかとござるかしかとぞんぜず、というところか。川柳は俳句のギャク、役人の子はニギニギをすぐ覚え、などが代表だ。狂歌川柳のいずれも世評風刺が目的だ。
 他の国にも滑稽文化はあるだろう。喜劇ももちろんある。しかし日本のように演劇、話術、詩作のすべてのジャンルにおいて、滑稽文化を持ち、しかもそれが一定の形式と伝統を保ってしかも現在でも演じられ楽しまれている例はまずないだろう。
 滑稽文化の以上のジャンルに私はもう一つ浮世絵という一項を付け加えたい。喜田川歌麿、東洲斎写楽、安藤広重などが代表だが、浮世絵の真骨頂は性行為の大胆で率直な描写、つまりポルノにある。この事は何を意味するかと言えば、日本人は「性」に対して極めて寛大だということだ。この事は日本文学の淵源代表ともいえる古事記や源氏物語を読めばすぐ解る。さて性に寛大ということはその国民あるいわ人間の情緒と直感そして思索能力の領域を著しく拡げる。禁忌タブ-で囲まれない範囲が広いのだから。別の言葉を使えば、創造の領域が広いということだ。
 クールジャパンの原点を一応漫画にとってみよう。漫画は滑稽文学の代表だ。ところで滑稽とは多種の契機を内包する。まず直感だ。直感力がなければ滑稽な作品はできない。漫画は描けない。そしてこの直感の内面裏面の構造が逆説だ。正反二つの要因を誇張して表現しなければならない。だから逆説の実体は思索だ。簡単なことだろう。思索とはアリストテレスの論理学よれば、矛盾するものとしないものの整理統合なのだから。矛盾といえばヘ-ゲルだがここでは割愛しよう。逆説は必ず表出演出を求める。当然の事だが演出は飛躍と誇張を伴う。そしてこの飛躍が新たな事象の発見に連なる。こう考えれば漫画あるいは滑稽は科学的思考の論理でもある。更に滑稽は性的感情でもある。性という現象が含む、快楽、楽しさ、明るさそして若干の後ろめたさはそのまま滑稽に通じる。性的感情を肯定しなければ滑稽は生まれない。
 あらゆる文学作品の中で一番難しいものは漫画だろう。(その次がエッセイか)小説ならスト-リ-が長いから、その変奏曲として大同小異のものを量産できる。しかし漫画は直感がすべてだ。短い分そう変奏を繰り返すわけにはいかない。簡単に飽きられる。多くの漫画家劇画家は多分必至に呻吟しつつ作品を作っているのだろう。「サザエさん」の作者長谷川町子氏が多病に苦しみ60歳余で他界されたことはその例証だろう。毎日毎日創造を繰り返さなければならないことは尋常な苦労ではない。
 科学においても芸術文学においても、作者当事者の思考パタ-ンは決まっている。一定であり一種類のみだ。ある時点でおのれのこのパタ-ン換言すれば創造性に気づいた時、その人の作品創造が始まる。論文、著作、作品などの創造が始まる。そして当事者はこのパタ-ンを一生引きずり続ける。ある時点で創造というビッグバンが始まり、後はこの創造の火花に導かれて変奏曲を奏でるだけなのだ。科学や小説あるいわ絵画においてはこの変奏の領域が広い。しかし漫画滑稽文化においては変奏の幅は狭い。だから常に創造が要求される。
 結論を言おう。日本で滑稽文化が盛行していることは、それなりの歴史と由縁をもち、日本民族が例外的ともいえる極めて創造性の高い民族だということだ。
 私は中島徹氏の「玄人(プロ)のひとりごと」(小学館)のファンだ。この作品は11巻が発売されて以後出版が遅れていた。小学館に電話で問い合わせたところ、中島氏はせっきょされたよし。遺作の出版は考慮中とか。非情に残念だ。ここにあらためて中島徹氏のごせっきょにお悔やみを申し上げる。