経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

ウロチョロするな、公明党

2017-11-26 19:29:43 | Weblog
ウロチョロするな、公明党
 公明党が世間一般でニュ-スとなることは極めて少ないが、公明党が自民党とともに与党を結成しているので保守の選挙民の立場から一言言わせていただく。
 七年前に山口なつお氏が公明党の委員長になってからこの党は保守連立と称しながら状況を見つつ徐々に左傾化してゆくようである。はじめ山口市は憲法改正に対して、改憲ではなく加憲とか言って憲法改正を暗黙裡に牽制した。ついで自民党や安倍総理が事実上加憲を採用して、憲法に自衛隊の存在を明記すべきだとして公明党に譲歩したら、山口氏はそれにも慎重に・情勢の推移を見てと事実上の反対を表明した。これでは公明党は共産党立憲民主党などの左翼野党とほとんど変わらないことになる。自民党と適宜歩調を合わせつつ憲法改正には究極的には反対ということになる。最近山口氏は訪韓したが、例の不快な慰安婦像に関しては言及せず、それは韓国の国内問題と片付けた。2年前日韓の外相会談で究極的には解決したはずだったが、山口氏はそのことには一言も触れず、素通りした。
 公明党のウロチョロ首鼠両端は地方議会においてもみられる。大坂では維新と手を結びつつ肝心な都構想では反対に回る。東京では都民ファ-ストと手を組み状況不利となれば縁を切る。これが公明党のやり口らしい。強い方利のある方につく。おもらい政党・乞食政党というところか。自民党と連立しているのも政権に参画しておれば閣僚のポストを一つ加えて多々の副大臣などの役職をもらえ伴う利権を選挙民(と言っても圧倒的多数は創価学会員だが)に配当できるからだ。
 私はあえておもらい政党と言った。もらうものの根幹は福祉と平和だ。公明党はそれを看板にしている。そして外交政策(及びそれにともなう国防政策)、経済財政政策などは全くない。これらの政策は国家が主体的に行うものだ。公明党には国家という概念が全くない。外交軍事財政政策はいかにして国家に必要な資本を確保しようかというところに生じる。平和と福祉だけではそれを実行するための手段をどう取るのかという発想は見えてこない。公明党はただ平和平和福祉福祉と呼号するだけで、つまり天から甘露を口を開けて待つだけで他の方途を全く模索しない。おもらい政党と言うのはそれが由縁だ。平和と福祉をねだっていれば公明ということになるらしい。端的言えば公明党には政策立案能力はない。
 公明党は共産党と酷似している。国家というものを否定する点で良く似ている。さらに党内で言論の自由がない点でも酷似する。共産党あるいは共産主義者のあいだにあっては唯一の正しい意見があるだけであって、異を唱えることはできない。このことはスタ-リン治下のロシア、毛沢東率いる共産シナをみてみれば明白だろう。公明党は宗教政党である。一応仏教日蓮宗の一派ということになっているが実態は全く異なる。公明党の母体親会社である創価学会にあっては彼らが公認する教義は絶対であって、異を唱えるあるいは自由に思考すると無慈悲に弾圧される。私はこの種の個人例を目の当たりに見たことがある。某氏は創価学会の法華経論に懐疑を抱き原始仏教にまでさかのぼって思索しようとして創価学会本部に呼び出され叱責された。某氏はそのためにうつ病になり自殺さえ企図した。創価学会においては会員が公式の組織以外で団体を形成することは事実上禁じられている。ともかく共産党と創価学会の子会社である公明党はよく似ている。
 創価学会が政治に進出してきたのは昭和30年代である。第三代会長である池田大作氏の指導のもと当時の下層市民階級を標的に組織し、徹底した排他主義のもとに他の宗教を一切邪宗仏敵と決めつけ、会員のエリ-ト意識を高め、さらに凄惨なライヴァル排除を経て池田独裁そして国政選挙への進出を果たした。中選挙区当時は一時60議席を取る勢いだったが小選挙区制になってからは衆院で20-30名の議席で低迷している。自民党との連立は自政党維持にための手段でしかない。
 ところで創価学会には明確な教義があるのかといえばそれは無いとしか言いようがない。日蓮の文献からの断章取宜(いいとこどり)と池田氏の講和講演談話(そのほとんどが差しさわりのない処世訓でしかないが)がこの宗教集団のあえて言えば教義である。池田氏は自己をカリスマにするために200冊近い著書を出している。ただしこの著作の圧倒的大部分は代作である。池田大作は池田代作なのだ。また頻繁に海外の著名人と会談しその映像を会員に見せて自己顕示するのも池田氏の自己カリスマ化の手法だ。一般に新興宗教の会員とは無知なものだが、創価学会会員も例外ではない。池田氏の指導のもとに勤行唱題は簡略化され南無妙法蓮華経を三回唱えればそれで良しとするとか聞いた。これを唱題三唱と言う。多分創価学会の会員の中で、なぜ南無妙法蓮華経が往生解脱に至るのかを解説できる人間は一名もいないだろう。多分法華経を一度でも通読した者は100人に1人もいないだろう。その代りが聖教新聞の販売と選挙運動がある。創価学会の子会社である公明党の選挙に際してはその運動はしつこい。家に押しかけてくるのみならず間接的な縁故を通じて候補者への投票を勧める。この態度はほとんど強要に近く人様の投票の自由を奪うという印象すら受ける。特に重要な事は、彼ら創価学会員たちが政策に全く無知であり、ただ候補者が立派な人だから投票してほしいということである。聖教新聞の販売促進は彼らの間では新聞啓蒙という。蒙昧な大衆の眼を開いてくださるそうだ。最もこの新聞の一面は池田氏の言動がすべてだ。選挙運動と新聞啓蒙は池田独裁を支える日本の柱だ。日本版文化大革命というところか。池田氏も毛沢東もありもしない彼岸(此岸?)の幸福を云々して大衆をともかく駆り立て、自己の権威を高めようとした。だから創価学会にあっては池田氏以外の人間が活躍する事を徹底的に嫌う。その典型例が50年近く前の日中国交回復に際して当時の公明党委員長竹入氏が交渉への関与を示唆した時、創価学会から猛烈なバッシングを招いたことだ。以来竹入氏は創価学会から全く無視されている。また同じく書記長であった矢野氏も創価学会員の執拗な攻撃に苦しみ訴訟を起こす事態になっている。繰り返すが公明党は創価学会の子会社下請けである。創価学会の運営は池田独裁下にある。公明党議員は池田氏の私兵でしかない。だから彼らは選挙区の面倒見は良いが自主的に政策を考案する能力には全く欠けている。
 最後にあるブログを紹介する。香川大学教授高倉良一氏のブログ「白バラ通信」である。高倉氏は創価学会の教義に疑義を抱き活動するうちに学会組織の弾圧を受け家庭を破壊され現在も多分闘争中である。