経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

在日外国人との対話

2018-05-29 18:24:04 | Weblog
  在日外国人との対話
 私は外国へ行ったことはない。旅行留学すべてチャンスがあったが日本以外の地を踏むことはなかった。理由は多忙であったからである。だから外国人の知人は少ない。この寡少な交際から、私が感じ経験した事を話そうと思う。その結論は国籍が違えば異文化の理解は極めて難しいということである。
 40年来親密に付き合ってきた在日韓国人と数週間前に出会った。彼は韓国済州島の出身で、昭和23年に起こった済州島動乱を避けて日本に移住してきた人の子供である。5月だったか4月だったかのある日がこの動乱の日であると新聞で読み、「貴方の一家はこの動乱を避けて日本に逃れたのだね」と話しかけた。とたんに返ってきたのが「日本兵に殺された、日本兵が済州島住民を並ばせ片っ端から銃殺した」という言葉であった。昭和23年と言えば日本降伏(昭和20年8月15日)より3年後である。この時点で日本兵は居ない、少なくとも武装解除されている。この明白な矛盾を指摘したところ、彼は当惑し黙り最後に、治安部隊により殺された、と言った。私は、それは韓国の治安部隊だろうと言うと彼は黙ってしまった。日本兵に殺されて日本に移住するのも変な話だとも指摘した。彼が納得したか否かは知らない。彼は朝鮮学校(北朝鮮系)で教育を受けている。そのせいかも知れない。このような矛盾した誤った歴史認識を持っていると、あるいわその旨吹き込まれるとどんな歴史でもねつ造できる。現在日韓双方で問題になっている朝鮮人慰安婦強制連行や徴用工の問題も、前記の捏造された歴史認識と共通する問題であろう。このような状況ではどんな事実(?)が飛び出してくるか解らない。
 次は台湾人の話。彼は45年前日本に留学しそのまま日本で仕事をしている知識人だ。極めて親日的であり、台湾で終戦後(日本が降伏した後)進駐してきた蒋介石軍によるいわゆる2・28事件で3万人の本省人(日本統治時代から住んでいた本物の台湾人)が虐殺された事実を熱っつぽく語ってくれた人である。私も2・28事件や戦後蒋介石軍が台湾で何をしたかは彼から聴いて初めて知った。彼の名前は日本統治時代を反映して日本風であり、そのことに彼は誇りすら抱いている。
 その彼が言ったことで奇妙かつ鮮烈に覚えていることが三つある。一つは、沖縄で話されている言葉が、台湾(あるいわ福建)方言である、ということである。この発言は沖縄は潜在的に台湾より広く漢民族の領土であることを含意する。また彼は尖閣諸島は戦前の地図では台湾の一部であるとも言った。含意する意味は同様である。も一つは彼が来日当時最も人気のあった漫画(ドラえもん)は日本で出版後一週間で台湾語に翻訳されて出版されると自慢したことである。私はびっくりして、作者と出版社の許可を得ているのか、稿料を支払っているのかと質問したら、彼は私の質問の意味が解らなかったらしくキョトンとしていた。シナによる知的財産権の侵害は夥しいが、台湾も同様だな、民度が低いなと実感させられた。
 最後は私が以前ドイツ会話を習っていたドイツ人女性の話。日本とドイツの間に政治的懸案事項が無いように、私と彼女の間にもそれはない。私が、かって日本はドイツからいろいろな事学んだ、第二次大戦以前にはアメリカからもドイツへの留学者多かった、と話しているうちは彼女は機嫌が良かった。私が、ドイツは英仏に比べて発展が遅れて出発したと(これは事実である)言うと彼女は猛烈に反論してきた。かなり激しい討論になったが、彼女の方が当然私よりドイツ語が上手いので私は沈黙を強いられた。この時私はつくづく民族意識(ナショナリズム)というものを実感した。
 私の寡少な外国人との交際の中で私が実感したのは、国が違えば事実認識は大きく変わるものだと言う事であった。私がドイツやフランスの文学に通暁することは不可能に近い。(ちなみに私はゲ-テやト-マス・マンの作品の多くは原語で読んでいる)同様に彼らが歌舞伎や能楽あるいわ和歌俳句を理解することも難しい。他国の歴史を理解し他国に自国の歴史を理解させる大変なことだ。
(注)沖縄で使われている言葉即ち沖縄(琉球)方言は明らかに日本語だ。沖縄出身の同級生がそう言った。なお岩波書店出版の「日本思想大系」には沖縄の文学「おもろそうし」が収録されている。実際話され記録されている言葉が何語に属するかは民族意識と領土問題にとって極めて重要なことである。独仏はアルザスロレ-ヌ(エルザスロ-トリンゲン)の帰属をめぐって数百年に渡り争っている。最近気になることが一つある。NHKの大河ドラマ「西郷どん」で奄美大島の方言をわざわざ標準語に翻訳して字幕に乗せていることである。奄美大島は沖縄方言の延長上にあるという話だ。この事実は取用によっては奄美沖縄では日本語が使われていない(いなかった)ともとれる。少なくともシナはそう取るだろう。シナが尖閣のみならず沖縄奄美はては九州を虎視眈々と狙っていることは事実だ。

野田聖子氏の提言に反対する

2018-05-18 19:31:56 | Weblog
   野田聖子氏の提言に反対する
 昨日の新聞によれば、自民党の代議士野田聖子氏は、各党の候補者数の30%を女性候補者とし、ゆくゆくはこの数値を50%にする、と提案した。大反対である。各党が誰を候補者とするかは各党の自由である。何も性別により数値を固定させる必要はない。適任者が男性なら男性を候補者とし、女性に適任者がいれば女性を候補者とすればいい。女性が候補者となりそして議員になりたいのなら実力でそれを確保すればいい。女性の候補者あるいわ議員が少ないのは、女性に適任者がいないからであろう。それを無理に数値を決めて不自然に女性の候補者・議員を増やそうとする。不自然かつ不合理であり、あえて言えば(一部の)女の甘えである。野田氏の提案はエスカレイトする可能性を大いに孕む。そのうち国会議員や地方議員に占める女性の数も決めるべきだとされかねない。
 野田氏の提案の内容はクウオ-タ-制といわれるものである。このクウオ-タ-制は他の分野にも及びかねない。LGBT(性的マイノリティ-)の議員数も、彼らが差別されないために確保せよ、とかなりかねない。将来移民が増えるとする。彼らの多くが帰化すれば日本国民となる。そうなると出身国別にクウオ-タ-を決めよとなる。シナ系は何%、ヴェトナム系は何%と決めて議員が選出される。そうなると議会は日本国民を代表するより、出身国の利害を代表することになる。一度この事態に至ると移民(厳密には移民出身の国民)は移民独自の利害を政治に反映させようとするだろう。移民は日本の生活に慣れないから税金は安くせよとか、無料の日本語習得機関を作れとか云々の要求も出かねない。そうなると世論は分裂混乱する。衆愚政治の極まりである。しまいには国籍を取らなくても選挙権を与えよとかとなりかねない。移民という者は日本の社会や文化に魅かれてくるのではない。母国で食えないから来るのである。日本国への帰属意識は低い。彼らが真の日本人になるためには、日本の社会と文化を評価し、それに同化する努力が必要である。クウオ--タ-制はこの努力を不必要なものにする。野田氏の提案の危険性はここにある。
 そもそもなんで女性議員数を不必要にまで増やさないといけないのか。男女平等の選挙制になってすでに70年以上になる。確かに女性議員の数は少ない。それにはそれなりの理由があるのではないのか。ここに興味あるデ-タがある。過日兵庫県が調査した結果によると、兵庫県庁内で管理職につきたくないという数値は女性が圧倒的に多かった。管理職には苦労が多い。俸給に比例した待遇を受けているかどうかは解らない。このデ-タから言えることは、女性は組織維持管理のためにあえて責任を取ろうとしないことである。
 ところで女性の社会進出社会進出と盛んに言われるが、果たして女性がそれをあえて望んでいるのだろうか?疑問である。一部の進歩的(?)女性だけが騒いでいるだけではないのか。声が大きい方が多数に見える。多くの女性は、家で火事に従事し子を育て家庭を安穏なものとし、亭主の給料で自由に生計を立てて生活する方を望んでいるのではないだろうか。ただ一部の女性が騒いでくれる方が多くの女性にも有利かもしれない。亭主に対して大きな顔をできるから。この結果は家庭崩壊である。女性に相手にされなくなったら男性はその本来の任務である女性保護を放棄する。女性は娼婦化し、女性が公然たる暴力の対象になるということだ。保育園がないと騒ぎ子供を保育園に預けて不倫にふけっていた某女性代議士がいい例だ。
家事以外にも女性が社会に貢献する事は多々ある。子育ての延長としての社会的コミュニケ-ションへの参加、学校と協力して広義の教育活動をなす事、老人介護などである。誤解を招くのはいやだから若干説明しておく。町内会の活動は重要である。町内会は行政の末端として地域の治安維持・情報伝達・地域への帰属意識涵養そして子育てのための情報と助言などの行動をとりうる。地域での祭礼、年中行事、運動会他のスポ-ツ振興などは積極的にやればいい。また地域は学校教育の下請けをすると同時に小中学校の運営や教育内容に積極的に発言してゆけばいい。よく生徒の自殺が騒がれている。報道ではすべて学校の責任にされている。私は自殺した生徒の家庭に問題があり、学校の関与は二次的だと思っている。苛めにしても同様だ。生徒の自殺・苛めに関しては学校と地域が協力して議論すべきだ。ここでプライヴァシ-の尊重云々は通らない。地域でのコミュニケ-ションがしっかりしていれば、地域内での非公式意思伝達が十分に為されておれば事故はかなり防げるのではないのか。苛め自殺に関しては地域の団体が教育者や関連する専門家を呼んで討議すればいいのだ。子供の成長は3歳6歳12歳で決まる。この間において親の役割は重要である。地域はそのことを自覚して家庭特に女性を支援すべきだ。低収入の家庭では子弟を塾に通わせられないことが多い。これもやり方次第によっては地域と学校の協力で補完できることだ。
老人介護も地域でできる範囲は大きいのではないのか。そもそも地域内コミュケ-ションの不足は老人とその家族を孤立させ老人の老化痴呆化を促進しうる。家族が地域から孤立すれば家族内での葛藤は著しく増加する。老人会を充実させそれに若い世代が参加すれば老人の老化を防げるだけなく、老人に生きがいを与えうる。女性はこのような地域活動の主役になるべきだ。現在のように男女とも働き外に出ていればいざ老人となったとき自己のアイデンティティ-をどこに定めていいか解らなくなる。痴呆化と抑うつ気分ひいては自殺は増加する。念の為に言えば。正月、節分、梅見、桃の節句、観桜、端午の節句、七夕、盆踊り、菊の節句、師走などの年中行事それに夏と秋の祭りはより盛大にすべきだ。クリスマス、ヴァレンタインデ-、母の日、父の日などのわけの解らない異教由来の行事などほどほどにしておけばいい。
別に議員などになって輝かなくとも(?)女性の活躍の余地は生活の周辺に十分にある。なお女性が労働から退いた分の労働力不足はやがてロボットで補われるだろう。また収入の減退は男性の賃金を倍にすればすむことだ。もちろん夫婦共財で。


北朝鮮情勢に関して

2018-05-16 18:50:58 | Weblog
  北朝鮮情勢に関して
 周知のように北朝鮮をめぐって北東アジアの情勢は緊迫している。6月12日にトランプアメリカ大統領と北朝鮮の指導者金正恩氏が会談する。ここで関係各国の取るべきあるいは取りうるべき態度・方法を考察してみたい。
 まずロシアは無視していい。ロシアの経済力は弱く軍事技術のレベルは低い。ロシアにはその体面をつぶさぬ程度に接し、敬して遠ざけておけばいい。それでなくともロシアは中東情勢で手がいっぱいであろう。
 北朝鮮自身に自浄能力はない。史上最悪と言われる独裁体制がその内部から改革されることはあり得ない。もっとも崩壊することはありうるが。金氏の戦略は核ミサイルを開発し、それでもって周囲の国を脅し、妥協と見返りに経済援助を引き出す、この虚偽の繰り返ししかない。
 問題はシナである。しかしシナの力量を過大に評価しないほうがいい。経済発展はとうに盛りを過ぎている。内需は増えず、外資頼みは変わらない。軍事力がよく云々されるがこと海軍力に関して少なくとも量においては我が国のそれを少し上回るほどであり、到底米海空軍には対抗できない。シナは北朝鮮の現状維持を欲しつつ同時にそれを欲しないという矛盾に追い込まれている。現状維持は近未来における北朝鮮の崩壊を意味する。これはシナが一番欲しない状況だ。北が崩壊した場合シナは北朝鮮の治安と経済の維持に努めなければならなくなる。シナの経済力がそれに耐えられるかどうか疑問である。加えて北の崩壊は大量難民のシナ国内への流入を意味する。この事態はシナ国内の民族問題に火をつけるであろう。シナにとっては悪夢である。また北が生き延びて核ミサイルを開発し続ける事態が続けばシナは米国と危険な緊張状態に突入する。核ミサイル自体がシナに対する脅威でもありうるのだ。いずれにせよシナは動けない。
 韓国は無視していい。今回の米朝会談は韓国のとりなしであるが、韓国も余計な分不相応な事をしたものだ。仮に念願の南北統一が実現したとして韓国は北朝鮮の復興を為しうるのであろうか。韓国の経済力では無理である。韓国と北朝鮮の国民一人当たりの所得にはほぼ100対1の差がある。経済力だけではない。治安とモラルの問題もあり韓国は北を平和裏に合併する事はできない。念の為に言えば朝鮮半島が形式的にでも独立しえたのは日本統監時代の10年間のみである。他の時代韓国は歴代のシナの王朝の属国でしかなかった。朝鮮民族に自国統治の力量はない。
 アメリカは北朝鮮に対して完全かつ検証可能かつ不可逆の非核化(CVID)を求めている。北朝鮮は非核化という言辞には一応賛意を示しつつ、同時に南の非核化、つまり米軍の韓国日本からの撤退を求めている。そういう北の要求の実現はあり得ない。北朝鮮の核ミサイル開発の進展という脅しに対して厳しい経済制裁を行い、非核化OKという言辞のみでアメリカが日韓から撤退すればアメリカの超大国としての面目は丸つぶれになる。これが北朝鮮のみならず、シナの一番希望する事態であろう。従ってアメリカは米朝会談でCVIDが誠実に履行される展望が開けない場合は、経済制裁を強化し軍事圧力をかけ続ける一方、状況によっては軍事作戦に踏み切るべきであろう。この作戦には小型核の使用も含まれる。軍事力の使用によって叩いておいて、北朝鮮内での政権交代(金王朝の崩壊)を促し、ともかくしがらみのない誠実な交渉相手を作るべきである。同時にアメリカとシナは北朝鮮に政治的に介入し、治安を安定させた上で統治権の一部を占有し経済援助を為すのがいい。
 日本にとって最悪の事態はアメリカが北朝鮮のペテンに欺かれてその戦線を日本の後方にまでしりぞける事態である。その時は日本は海空軍力を増強し、核兵器を開発所持して独立自衛しシナと北朝鮮の脅威に備えるべきである。その間は北朝鮮への経済制裁をより強化して事態の推移を見守っておればいい。新聞報道によると北朝鮮への密輸が絶えず、海上保安庁や海上自衛隊は現行装備では手が回りかねているとかいう。200トンから300トンの小型船舶を急増し密輸制裁専用に使用すべきである。この程度の装備なら多分1から2カ月で可能であろう。。
 トランプ氏はシリアを攻撃し、イランとの核合意を破棄し、エルサレムに米国大使館を移転させた。事態は刻々と深刻化しつつある。


セクハラとスト-カ-

2018-05-11 19:14:42 | Weblog
    セクハラとスト-カ-
 セクハラとは極めて曖昧な概念である。強制猥褻とも違うようだ。後者は陰部に触る、陰部を押し当てる、無理やり抱き着く、乳房をもてあそぶなどの行為を指すらしい。これらの行為は強制わいせつ罪として刑法上の罪と認定され罰せられる。だからセクハラはそれ以外のより軽微な性的行為ということになる。もっとも軽微な性的行為という概念もはなはだ曖昧である。加えてセクハラが成立する条件として一方の側が、そう感じた事が付加される。簡単に言えばセクハラとは、男女間における若干猥雑な会話および極軽い身体接触を意味する。加えて「そう感じた」という事も加味される。
 ところで男女間におけるいささか猥雑な会話及び軽微な身体接触は恋愛の基本的要因である。冗談・諧謔・暗示・ほのめかし・嗜虐性などの要因を除いてしまえば男女間の会話は極めてつまらないものになる。またこのような雰囲気を感じさせることも男女間(極端に言えば恋愛)の会話にあっては肝要なこととなる。そう感じさせないと面白くない。いわば会話とはある種の操作であるのであり、その傾向は男女間の会話において著名となる。元来言語とは極めてエロティックなものである。同性異性を問わず言語の交流は必ずそこにある種の性的雰囲気を醸成する。朝出勤して男が女に(逆も可)おはようと言った場合そこには極極軽微なエロスが胚胎する。この雰囲気を否定すれば社会的関係は極めてぎすぎすしたもの、学校での授業講義か、法廷での弁論判決あるいは寺院での説法説教のごときものになるであろう。男女間にあっては交流それ自体が性的要素を充分に持っているのである。男女間の言語交流を簡単に概括すれば、諧謔・嗜虐・操作ということになる。これが転じれば好意とも猥褻ともなりうる。繰り返すが男女間の会話はそれ自身が性的であり恋愛の本質を為すものである。
 次にスト-カ-行為(以下STと略記)。STとは男女の一方が(断っておくがSTは男の側にのみあるのではない)他方を好きになり、自己の意志を押し付けようとし、まとわりつき、相手が拒否してもその拒否を受け入れず、尾行し待ち伏せ、自己の意志を貫徹するために最後は相手を破壊殺害する行為である。ニュアンスにおいて無理心中・被愛妄想とは若干異なる。男性は体力において勝るから女性に物理的被害を及ぼし得る。女性は相手の社会的地位職業活動を妨害毀損する事ができる。だからSTは怖い、極めて怖い。
 そしてSTも恋愛の本質を為すのである。そもそも相手に対して自己の意志を貫徹しようというくらいの気概がなければ恋愛などできない。面と向かって「私は貴方(女)が好きです」と言うには勇気がいる。返事次第では奈落の底に沈みかねない。相手はどう思っているか解らない。だから上記の文言は取りようによっては、セクハラでもありSTでもありうる。セクハラにもSTにも操作と言う要因はある。相手を操作してやるという意向がなければ恋愛はできない。相手を操作し、自己が受け入れられたと感じると同時に自己の意志に従わせたという局面に恋愛のある種の中毒性とも言える面白さがあるのである。だれでも好きになった相手に偶然あったようなそぶりで出会ったり、相手の家の近辺をうろついた経験はあるはずだ。
 自己の意志を押し付ける行為の究極は相手を肉体的にあるいは社会的に破壊することである。そして当然自己も破壊される。従ってSTとはほぼ無理心中になる。そしてこの「死」は恋愛の本質でもある。「死」という要因を欠いて恋愛は成立しない。恋愛が文学化された場合必ず悲劇の様相を帯びる。カップルのどちらかあるいは両方が死ぬかである。より温和な結末が出家である。両者が結ばれてめでたしめでたしでは文学にならない。例を挙げれば、曽根崎心中、ロメオとジュリエットなどがある。いずれも古今東西の名作である。
 セクハラは恋愛の入り口に、STは恋愛の出口に位置するがともに恋愛の本質である。では両者はどのように関係するのであろうか。一言で言えばセクハラつまり軽微なる猥雑性をある程度容認し日常の性的雰囲気に肝要であるほど、STは減るあるいはその程度が軽度になるのではなかろうか。STとは一方的に思いつめることである。この際もし周囲に友人がおり相談できればSTは減る。念のために言えば恋愛において同性のみならず異性にも相談できることは非常にストレスを軽減する。こういう雰囲気が成り立つためには性的雰囲気あえて言えば軽微な猥雑性に肝要でなければならない。なんでもかんでもセクハラセクハラと騒ぎ立てては恋愛の当事者は思いつめてしまう。恋愛においては一人思いつめることが一番悪い。繰り返すが軽微なる猥雑性に寛容であることが望まれる。
 日本はアメノウズメノミコトの裸踊りで世界が開けた国である。性差に気づいたとたんにの追放されたアダムとイヴの国とは違うのだ。

セクハラと魔女裁判

2018-05-08 18:35:48 | Weblog
  セクハラと魔女裁判
 西欧中世の時代に異端審問という制度があった。カトリック信仰にあって教会の意向言説に相反すると見られた思想信条は異端として弾劾され処罰された。多くの人がこの審問により火刑に処せられた。異端審問にあって告発者は匿名であり、審問手続きは一切公開されなかった。つまり暗黒裁判である。
 異端審問の延長上に魔女裁判がある。魔女への弾劾は西欧社会にあっては中世初期からあったが1490年前後二人のドミニコ会修道士が「魔女の槌」という書物を公刊してから以後2世紀以上にわたり魔女裁判は盛況を極め荒れ狂った。魔女として告発される者は寡婦・老女・未婚女性であり、告発の理由は些細なことである。例えば家畜が病死した、作物の成長が悪い、誰かが悪口を言っている等々の事柄が告発の理由になった。異端審問同様魔女裁判においては告発者不明・手続き不詳である。共同体の存続にとって不快な者を大した理由もなく抹殺する、それが魔女裁判である。魔女であるか否かは極めて古拙で不合理な方法で決められる。例えば魔女として告発された女性の両手両足を縛り川に投げ込む。もしその女性が浮かび上がれば魔女、沈めば魔女でないと判断される。浮かび上がれば処刑され、沈めば死ぬ。どちらにしても死は免れられない。処刑はすべて火刑(火あぶり)である。16世紀と17世紀の200年間にわたり処刑された魔女なる者は1000万人を超える。一年になおして五万人の女性が欧州において火あぶりにされていたことになる。ちなみに欧州以外の地での魔女裁判あるいはそれに類する事案は見当たらない。もちろん日本ではこのような事例は一件もない。
 なぜ私は魔女裁判に言及するのであろうか。それは今日騒がれているセクハラ問題と根底において通じるものがあるからである。セクハラ問題は男女の方向を変換した現代の魔女裁判である。告発者である女性は女性であるがゆえに、女性の羞恥心なるものの故に、匿名が許される。公開され曝されるのは男性だけである。加えてセクハラが成り立つ理由は、女性がそう感じた、からである。匿名そして女性の側の些細な(あえて些細と言う)理由と一方的主観ゆえに告発の手続きは公開されえない。これは魔女裁判ではあるまいか。
 ここで女性の羞恥心について一考してみよう。女性は子供を産む。子供の成長のためには母体は保護されなければならないし、育児成長に責任を持つ父親は同定されなければならない。だから女性は保護される。これが羞恥心・貞節の原点である。強姦されればあるいはそれに近い行為をされれば生まれてくる子供の父親が誰かには不審の念が生じる。だから女性には特に貞節が要求される。貞節を保護するものとして羞恥心がある。セクハラで取り上げられる事件はこれとは次元を異にする。酩酊して猥雑なことを言ったとかなど云々の事案は女性の貞節に影響しない。不快なら相手をひっぱたいて席を抜ければいい話である。まして「貴女はきれいだね」と言ったのがセクハラになるのなら男女の会話もしようがない。女性が主観的に男性の発言を不快と受け止めればセクハラになるのならセクハラはいついかなる時においても成立する。夫が妻に触った、妻は不機嫌だった、夫は妻にセクハラをした、云々のようになる。私は二つ例示したがこのような事例は真実存在するのである。繰り返すが女性の羞恥心故の弱さ(?)を理由に匿名で告発可能なら男女の関係は一切成立しない。バ-酒場飲み屋の酌婦に対してもセクハラは成立することになる。そうなれば飲食店などは営業不可能になる。歓楽は文化の一要因である。文化は衰退する。
 セクハラ問題はフェミニズム運動の一環である。フェミニズムは男女の解剖生理学的差異を無視し男女同一を主張する。結果は事実婚か(法律により認可されない婚姻と解していいのか)同性婚である。家庭は破壊され婚姻秩序は消滅する。そこからは二つの事が予想される。一つは結婚回避・男女交際忌避(正直セクハラ云々と言われれば危なくて男女関係は結べない)である。当然人口は激減する。もう一つは男女が好きな時に大した理由も覚悟もなく行う乱交際・乱婚である。多分この二つの事項が同時に起こるであろう。いずれにしても人口減少・社会衰弱に至る。

フィリピン大統領ドウルテ氏の発言への不快感

2018-05-03 19:47:54 | Weblog
フィリピン大統領・ドウルテ氏の発言への不快感
 昨日の新聞報道によればフィリピン大統領ドウルテ氏はマニラ郊外の慰安婦像撤去に際して「日本人は既に以前から罪過を償いつつある」と発言した。慰安婦像撤去は望ましいというより当然のことである。ところで「償われるべき罪過」とは何であろうか。日本人は「償われるに値する罪過」をいつ為したのであろうか。考えられるのは第二次大戦中の事であるが、日本軍がフィリピン人に対して特にひどい事をしたことはない。ルソン島南部を守備する日本軍に対して米軍は容赦ない艦砲射撃を行い、日本兵40万人が戦死した。同時にフィリピン人60万人も死亡した。フィリピンではこの60万人は日本軍による殺害とする意見があるようだが、状況から考えて米軍の射撃の巻き添えにあったとしか思えない。確かにフィリピンは大戦で米軍に組し日本軍と戦闘したのであるから、若干の戦死はあるかもしれない。繰り返すが「日本軍による罪過」なるものをご教示願いたい。ありもしない事を吹聴されるのは迷惑である。米西戦争に際しアメリカはスペインと組んでフィリピンを植民地と為し、抵抗する独立派20万人を殺害している。フィリピンは日本を非難する前にアメリカに抗議したらどうだ。
 第二次大戦中、アセアン地域の中で宗主国に味方して日本と戦ったのはフィリピンだけである。マレ-シアは日本と協力したし、インドネシアは日本の指導下に独立義勇軍を作り、大戦後宗主国オランダと3年間に及ぶ戦争を戦い独立を勝ち取った。この時連合軍に降伏を潔しとしない日本兵3000名は独立義勇軍に参加して戦った。ヴェトナムでも日本降伏後宗主国フランスへの戦いが始まり、ここでも日本兵3000名が反仏戦争に参加している。日本と協力して宗主国と戦った地域は独立しその後地道ながら産業を振興させている。
 日本に抗し宗主国アメリカに味方したフィリピンの状態はどうであろうか。ありていに言えばフィリピンはアセアンの劣等生いな落第生である。産業は一向に振興しない。主たる産業はバナナ栽培と海外への家事使用人としての出稼ぎ、ピジン英語の教授である。貧富の差は著しく田舎の人口の半数は靴を履けない、つまり裸足で歩いている。母国語はないとしか言えない。小学校の授業の半分は英語で行われている。為に授業について行けず不登校が激増している。国会での討論は英語で行われる。国家の形を為していない。と言うよりアメリカの一部、差別された一部でしかない。民度は低く、麻薬が蔓延し、ドウルテ大統領はその撲滅に無差別射殺という暴行を行っている。
 フィリピンに関してはまだまだ不快なことがある。第二次大戦後フィリピン人はアメリカに唆されて3000名以上の日本兵を即席裁判で処刑している。モンテンルパ収容所はこの悲劇の象徴である。当時日本ではこの処刑を悲しみ故無く処刑される日本人を憐れみしのんで「モンテンルパの夜は更けて」という歌謡曲が流行したものである。のみならず当時のキリノ大統領は日本に過大な賠償を請求し、その額が入れられないとなると、報復的に旧日本兵20名を処刑している。蛮行というべきである。数年前のことになるがシナがスプラトリ-諸島へ進出した時、当地の知事が平然と、日本が護衛艦をくれればいいのだ、と言い放った。お貰い根性はともかくとして、あたかも日本が数千億円から一兆円近くにもなる護衛艦を無償供与すべきだという態度であった。他人頼みもあるが、そこには日本が無償供与する責任があるという、意向が見え見えだった。
 なお念のために言えば日本がフィリピンを攻略した時(当時対戦国はアメリカであってフィリピンではなかった。フィリピンと言う国家は存在しなかった)戦場の常で強姦が横行した。事態を憂いた日本軍は自由意志で慰安婦を募り対策を講じた。軍隊占領下ではどうしても強姦は起こる。ソ連軍侵略下の満州やベルリン、米軍進駐下の神奈川県や東京都が好例である。このような事態に対して適宜対策を講じたのは日本のみである。
 重ねてドウルテ氏に問う。日本がいかなる「償うべき罪過」を為したのかと。