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夏目漱石の『草枕』を読む。10

2024-05-21 10:18:23 | 夏目漱石
第十章
鏡が池の場面である。

画工は鏡が池に来る。画工の興味深い「自然論」が語られる。

余は草を茵に太平の尻をそろりと卸した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人に因って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎や三井を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、絶対の平等観を無辺際に樹立している。天下の羣小を麾いで、いたずらにタイモンの憤りを招くよりは、蘭を九畹に滋き、蕙を百畦に樹えて、独りその裏に起臥する方が遥かに得策である。世は公平と云い無私と云う。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮して、満圃の草花を彼らの屍に培養うがよかろう。

自然に対して、現実の人間社会を比べている。明らかに現実社会を批判的に見ている。最後の「世は公平と云い無私と云う。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮して、満圃の草花を彼らの屍に培養うがよかろう」は、戦争の大量殺戮をイメージさせる表現である。

「草枕」が執筆されたのは1906年7月26日である。日露戦争の終戦が1905年9月である。「草枕」の中でも戦争が背景になっていることが明確にしめされている。「草枕」は戦時中を描く小説でもあったことは明らかなのだ。だからここの部分は戦争への批判意識があらわれているものと考えるのが自然であろう。

すぐあとに「何だか考が理に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。」と断っているが、青臭いことをあえてわざわざ書かなければいけないということを証明しているわけであるから、意識的に戦争批判していることが窺われる。

 戦争のイメージは、池に落ちる椿のイメージでさらに強調される。椿の花は「沈んだ赤色」であり、「黒ずんだ、毒気があり、恐ろし味を帯び」ている「異様な赤」である。つまり血の色と言っていい。その椿の赤い花が水の上に次々落ちていく。そして水の上に浮くのだ。

また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。

死のイメージであり、日露戦争の旅順攻略における多くの戦死者を想像せずにはいられない。

画工はこの椿の花が大量に浮かぶ中に、那美を浮かばせようと考える。ミレーのオフェリアのイメージを再現しようというのである。戦争の死のイメージを、花の浮かぶ池に浮かぶ女のイメージへ変換するのだ。まさに「薤露行」の変奏である。しかし、那美には何かが足りないという。画工はそれは「憐れ」だと言う。

あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微と、勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。

那美は画工に親切にしているつもりである。しかし画工は、那美には現代社会の不人情があると見ているようだ。しかし考えてみれば画工は那美を利用しようとしているわけであり、画工も那美に対して不人情である。お互いがお互いを利用している関係である。非人情に徹し切れていない画工が非人情になるきっかけはげんどこにあるのか。

そこへ、馬子の源兵衛が通りかかる。源兵衛は昔この池に女が身を投げたことを詳しく説明する。この女は茶店の婆さんが「長良の乙女」と言っていた女のようである。その女がこの池に鏡を持って身を投げた。そこからその池が「鏡が池」という名前がつけられたという。女はなぜ鏡を持っていたのであろう。「時空」を超えるという鏡のイメージを使っているのではなかろうか。

すると画工は那美が、天狗巌から飛び降りようとしているのを発見する。那美は飛び降りる。画工は飛び上がって驚く。帯の間に赤いものが見える。那美は池ではなく向う側に飛び降りたのだ。なぜそこまで那美はしなければいけないのか。そこまでするということは、那美は画工に何かを期待しているはずである。那美は画工に何を期待しているのか。那美は画になりたかったのである。自分を書いてもらいたかったのである。なぜ書いてもらいたかったのか。死者の魂を残す事である。イメージの連鎖はそれを示唆している。
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