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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌景観資産⑯  指定第8号「八紘学園栗林記念館」 & 指定第9号 「八紘学園資料館」

2021-11-21 15:01:57 | 札幌景観資産巡り

 八紘学園は1933(昭和8)年、北海道の農業人を育成することを目的に設立された私立の専門学校である。(現在は北海道農業専門学校)その八紘学園に関係する二つの施設が札幌景観資産に指定されている。

   

 「八紘学園栗林記念館」は、別称「吉田善太郎別邸」となっている。しかし、そもそもは八紘学園創設者の栗林元二郎の自邸だったようだ。このあたりはやや複雑なのだが、詳しくは判然としないが、私は次のように推理した。この建物は1909(明治42)年に建設されている。建設当時は吉田善太郎氏の別邸だったのだろう。ところが吉田氏は1916(大正5)年に没している。その後の1933(昭和8)年に栗林元二郎氏が八紘学園を創設しているのだ。八紘学園の創設に当たり、栗林氏は吉田氏が所有していた農地を購入して創設したことから、吉田氏の別邸を自邸として使用したのだろう。そして栗林氏の死後に吉田氏の子孫が買い戻したのではないだろうか?これはあくまで私の推測であることをお断りしておきたい。

   

※ こうした巨石が前庭にはたくさん置かれています。

   

※ 遠くには馬の銅像も置かれていました。

 さて、記念館はその敷地の周りを高い塀(金網製)で囲っていて、内部には足を踏み入れることができない。この記念館の第一の特徴は記念館の庭におびただしい巨石が置かれていることである。巨石が1~2個なら他でも目にすることがあるが、この庭ほどたくさんの巨石を一か所で目にできるところは珍しいのではないか。

 その奥にある記念館(別邸)の方は遮られた門から遠くて木々の陰から微かに見える程度だった。

   

※ 敷地の裏側に回って金網越しに撮った旧吉田善太郎別邸(栗林記念館)です。

   

※ ウェブ上から拝借した正面から見た吉田善太郎別邸です。

 実は私は2015年7月に「めだかの学校」の学習の一環として、この記念館の内部を見学させていただいたことがある。内部には吉田氏が蒐集した馬の彫塑品、美術品、民芸品などが展示されていた。ただ、全体として展示品は未整理の状態のように見えた。

 なんとか整理して公開されないものかと思ったのだが、今日までそのような状況になっていないのは少し残念である。

 なお、その見学時も内部の写真の公開は慎んでほしいと要請があったために、当時のブログでも(その時のブログはこちら⇒)掲載はしていない。

八紘学園栗林記念館(旧吉田善太郎別邸) 情報》

◇所在地 札幌市豊平区月寒東1条12丁目3-48
◇建設年 1909(明治42)年

◇構 造 木造

◇指定年 2006(平成18)年3月7日

◇その他 内部は非公開

◇訪問日 2021年11月21日

    

 「八紘学園資料館」は「八紘学園栗林記念館」と道路一つを挟んで向かいに建っている。札幌軟石を使用した2基のサイロが並んで立ち、その横に続いて木造の倉庫が続いている。建物は1904(明治37)年に建てられたとされるので、当初は八紘学園のものではなく、吉田善太郎氏の牧畜のために建てられたと推測するのが正しいのだろう。その後昭和18年頃に改築されたとされているので、その際は八紘学園のために改められ、現在のように姿になったようである。

   

        

 石造りのサイロは一時北海道の牧歌的風景を象徴するような建物だったが、今ではすっかり姿を消してしまった。八紘学園のサイロは、当時の光景を思い出させるようにして二基が並んで立っていた。

   

※ 倉庫の裏側を見てみると、現役のトラクターが置かれていて敷地はいまだに使用されているようです。

 なお、私はこちらの資料館の方も2015年の時に見学させていただいている。内部は北海道にあって当時では先進的だった歴代のトラクターが並べて展示してあったのが印象的だった。 

   

《八紘学園資料館(旧吉田牧場畜舎・サイロ) 情報》

◇所在地 札幌市豊平区月寒東1条13丁目3-16
◇建設年 1904(明治37)年 

◇構 造 木造(畜舎)、石造(サイロ)

◇指定年 2006(平成18)年3月7日

◇その他 内部見学可 ※事前に許可が必要です

◇電 話 011-851-8236(八紘学園)

◇訪問日 2021年11月21日