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最新研究報告 シマフクロウの今

2017-05-01 17:41:19 | 大学公開講座
 コタン・コロ・カムイ(コタン(集落)を護るカムイ)とアイヌ民族から崇められたシマフクロウ。その数が激減し、環境省のレッドリストの「絶滅危惧種IA類」に指定されているシマフクロウは今どうなっているか?保護活動を続けながら、研究活動にも携わる研究者に聞いた。 

          

 4月30日(日)午後、北海道博物館において「最新研究報告-北海道と極東ロシアのシマフクロウ」と題する講演会が開催され、参加した。
 講師は、シマフクロウ研究者としては第一人者と言われる「シマフクロウ環境研究会」代表の竹中健氏と、北海道博物館の表渓太学芸員が務めた。

 竹中氏は、シマフクロウがアイヌ民族から「コタン・コロ・カムイ」と崇められた訳について話された。それによると、シマフクロウは魚を主食としているが、川を遡上してくる鮭を捕まえたとき、鮭のエラ周辺を食するだけで、あとは残すためにアイヌは越冬用にその残りを利用することができたことからシマフクロウを重宝したという。一方、同じ鮭を食するオオワシやオジロワシは飛ぶ力が強いため、鮭の全てを持ち去るということだ。
 しかしシマフクロウが崇められたのは、それだけの理由だけではなく、その姿、生態などからアイヌはシマフクロウを特別視したのではないかと思われるのだが、どうだろうか?
 そういえば、北海道コンサドーレ札幌のマスコットもシマフクロウであるが、きっとアイヌが神と崇めていたことと無関係ではあるまい。

               
               ※ 最新研究の報告をする竹中健氏です。

 そのシマフクロウが1980年代には80~100羽程度まで激減したという。1995年に認められたつがい34つがいだったという。過去には北海道全域に生息していたのだが、開発によって餌場を失い、急速に生息地が狭められことによって絶滅危惧種となってしまったようだ。
 そこで心を痛めた民間人や、それを追認した形の環境庁などの手によって、人工給餌場や巣箱の設置が始まり、現在では人工給餌場が14ヵ所、巣箱が170個までに増えたそうだ。
 その結果、2014年には55つがいにまで回復したそうだ。

 ようやく急場をしのいだ形の保護活動であるが、今後に向けては大きく二つの課題があるという。
 一つは、いつまでも人間による保護活動に頼るのではなく、真の意味でシマフクロウが自立できる環境(豊かな森林、豊富な餌場)をどう造っていくかという課題である。
 二つ目は一つ目とも関連するが、人工給餌によって増えたシマフクロウは知床など一定のところに集まり、過密な状態となり餌場が不足してきているという。そこで、生息地を分散させる必要が生じてきているそうだ。いかに円滑に分散させるかという課題もあると話された。

                    
                    ※ シマフクロウが営巣する大木のウロ(洞)が少なくなってきた今、こうした巣箱が彼らを助けています。

 最後に竹中氏はシマフクロウの保護、研究活動を行っている意義について、フクロウの中でも世界最大級のシマフクロウの保全を図ることは、シマフクロウの広げる傘(翼)の下で、他の鳥類をはじめとする多くの生物が護られ多様な生物が雨を避けることができる(生物多様性が確保される)と話された。

 続いて登壇した表学芸員は、シマフクロウのDNAの研究をされている方である。遺伝子レベルの話は難しくてよく理解できないのだが、氏の研究では極東ロシアと北海道に生息するシマフクロウはおよそ50万年前に分岐し、DNA的には大きく異なるタイプだということが分かったそうだ。それに対して国後島など千島に生息するシマフクロウは北海道のタイプと同一とのことだった。

 いつも思うことだが、自然界を対象として研究される方々の気の遠くなるような地道な研究にはいつも頭が下がる。
 開発とか、経済のことが声高に語られる現代であるが、彼らのような地道な研究・保護活動が自然の破壊を防いでいると思うと、もっと彼らの声に耳を傾けねばならないと思うのだが…。

※ 今回は写真撮影がNGだったので、掲載した全ての写真はウェブ上から拝借しました。