言葉は悪いが、出来の悪い小学生の学芸会を見ているような気分になってしまった…。話の内容はけっして拙いとは思わないのだが、なぜあのような口調で話さなければならないのか?なぜあのような大仰な身振りが必要なのか? 私は話を聴きながら鼻白む思いを消すことができなかった…。
8月14日(火)午後、札幌市民ホールで「平和都市宣言20周年」の記念式典と講演会が行われ参加してきた。
記念式典における上田札幌市長のメッセージ、小中学生の平和訪問団の報告、そしてHBC少年少女合唱団の合唱と続いた式典についての印象については省かせていただいて、ここでは渡部氏の講演に限ってその感想をレポートすることにする。
渡辺氏は砲弾が飛び交う戦場を潜り抜けてきたという特異な経験と、そのことを独特の語り口で語る口調が評判を呼び、テレビ等でブレイクした人である。
その渡部氏が20周年記念のゲストとして「戦場からのメッセージ ~平和な未来を信じて~」と題して講演した。
私はテレビでの渡部氏の口調はテレビ用に演出された話し方であり、講演においては彼なりの普通の口調で戦場での悲惨な現実を報告してくれるものと期待していた。
講演はまず、彼がアフガニスタンにおいて米軍がタリバンと戦う迫真の戦闘の中を従軍する風景を動画で映し出すところから始まった。私の期待はますます高まった、
しかし…。
彼はステージに登場すると、彼の風貌、そしてその登場の仕方が満場の笑いを誘った。
そして彼は云う。講演は三つの内容で構成すると…。
その一つは、どうして戦場カメラマンになったのか。二つ目には戦場における子どもたちの姿。そして最後に会場との質疑応答に充てると…。
しかし、出だしからその大仰な仕草が私には鼻についた。まるでへたくそな小学生の演劇を見させられているような気分になったのだ。舞台を縦横に歩き回り、可笑しな仕草をしながら、あの独特の間の伸びたような話し方で語りかけるのだ。
私は「普通に話してくれよ~」と叫びたくなった。
話の内容としては、カメラマンを志したまたま出かけたアフリカで銃を構えた子どもたちの姿に接し、その陰で泣いている子どもたちの姿を世界に伝えたいと考えて戦場を渡り歩くことになった、ということだった。
また、イラク戦争において使用された劣化ウラン弾によって悲惨な目に遭っている子どもたちの現実をなんとか伝えたいと思ったとも語った。
彼は云う。戦争を望む人などただ一人もいないと…。
戦場の弱者である民間人は、家族がみんないつも一緒であることを望んでいると…。
そしてどの戦争にも終わりがあり、そこに誰もが希望を抱いており、そこに第三者である戦場カメラマンが悲惨な現実を伝えることによって終戦のキッカケとなるのではないか、ということだった。
こうして振り返ってみると、渡部氏が唱えていたことは至極まっとうなことなのだ。
しかし、それを語る仕草を私は受け入れることができなかった。
ただし、講演を終えた帰り際にご婦人たちが語っていた言葉には「いや~、分かり易くてよかったね~」という言葉があったことも記しておかねばならない。
8月14日(火)午後、札幌市民ホールで「平和都市宣言20周年」の記念式典と講演会が行われ参加してきた。
記念式典における上田札幌市長のメッセージ、小中学生の平和訪問団の報告、そしてHBC少年少女合唱団の合唱と続いた式典についての印象については省かせていただいて、ここでは渡部氏の講演に限ってその感想をレポートすることにする。
渡辺氏は砲弾が飛び交う戦場を潜り抜けてきたという特異な経験と、そのことを独特の語り口で語る口調が評判を呼び、テレビ等でブレイクした人である。
その渡部氏が20周年記念のゲストとして「戦場からのメッセージ ~平和な未来を信じて~」と題して講演した。
私はテレビでの渡部氏の口調はテレビ用に演出された話し方であり、講演においては彼なりの普通の口調で戦場での悲惨な現実を報告してくれるものと期待していた。
講演はまず、彼がアフガニスタンにおいて米軍がタリバンと戦う迫真の戦闘の中を従軍する風景を動画で映し出すところから始まった。私の期待はますます高まった、
しかし…。
彼はステージに登場すると、彼の風貌、そしてその登場の仕方が満場の笑いを誘った。
そして彼は云う。講演は三つの内容で構成すると…。
その一つは、どうして戦場カメラマンになったのか。二つ目には戦場における子どもたちの姿。そして最後に会場との質疑応答に充てると…。
しかし、出だしからその大仰な仕草が私には鼻についた。まるでへたくそな小学生の演劇を見させられているような気分になったのだ。舞台を縦横に歩き回り、可笑しな仕草をしながら、あの独特の間の伸びたような話し方で語りかけるのだ。
私は「普通に話してくれよ~」と叫びたくなった。
話の内容としては、カメラマンを志したまたま出かけたアフリカで銃を構えた子どもたちの姿に接し、その陰で泣いている子どもたちの姿を世界に伝えたいと考えて戦場を渡り歩くことになった、ということだった。
また、イラク戦争において使用された劣化ウラン弾によって悲惨な目に遭っている子どもたちの現実をなんとか伝えたいと思ったとも語った。
彼は云う。戦争を望む人などただ一人もいないと…。
戦場の弱者である民間人は、家族がみんないつも一緒であることを望んでいると…。
そしてどの戦争にも終わりがあり、そこに誰もが希望を抱いており、そこに第三者である戦場カメラマンが悲惨な現実を伝えることによって終戦のキッカケとなるのではないか、ということだった。
こうして振り返ってみると、渡部氏が唱えていたことは至極まっとうなことなのだ。
しかし、それを語る仕草を私は受け入れることができなかった。
ただし、講演を終えた帰り際にご婦人たちが語っていた言葉には「いや~、分かり易くてよかったね~」という言葉があったことも記しておかねばならない。