たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

第一部 かみつけの里・古墳祭

2016年10月27日 | 年中行事

近くの、かみつけの里で王の儀式を再現した催しが行われました

今から約1500年前の古墳時代

榛名山麓一帯を王・車持君(クルマモチノキミ)が統治していた頃の再現劇です

(上の古墳は八幡塚古墳、その外に二子山古墳、薬師塚古墳が並んでいます)

第一部






二子山古墳から王の行列が下りて参りました

これから神殿へと向かいます

位の高い巫女は「つぶし島田」の髪型を結い「オスイ」という布を纏っていました




中学生も応援に駆け付けスタッフもスタンバイ

いよいよ再現劇は盛り上がりをみせます






「水取りの儀」

神聖な水が流し込まれた石敷き施設から巫女が汲み上げた水を王と王族に捧げ豊穣を祈る儀式

今でも榛名山は水の多い山です、その豊かな水は里を潤し生活水として欠かせなかった事でしょう

  


「すまいの儀」  すまいとは相撲の事です

作物を植え付ける前に力士に相撲を取らせ地中の魔物を退け作物の魂を活気づける儀式が行われます

  

いよいよ畑を耕し (この間の種まきや草取り、イノシシ狩りの儀の写真は省略) 収穫の秋を迎えました




収穫の喜びは今も昔も変わりません


「農耕儀礼」 王は収穫した作物を神殿に捧げます




「大刀合わせの儀」

王の武人と敵方の武人が模擬的に戦う儀礼

負けた方は刀を折って王に忠誠を誓います


「謙譲儀礼」

絹織物を謙譲すると共にその技術を伝える為に朝鮮、百済からの使者が渡来しました

日本の絹織物はこの頃から生産される様になったのですね






ヤマトからの贈り物は鏡が謙譲されます

鏡は「画文帯神獣鏡」だったと推測

私もあんな鏡が欲しいわとジッと見つめる美人さんがいました


「祝言(のりごと)の儀」

王族が王家の由来を述べ忠誠を誓う。祝言では車持君の祖先が

ヤマトの大王から別れてこの地に至り繁栄している事を祝福している

一部の儀式はこうして、つつがなく行われました

王の儀式は登場人物の衣装や道具、舞台など実物に基づいて復元

鏡は鋳造、研磨をスタッフ自ら作り上げ王が座る椅子も埴輪からイメージし製作したそうです

(青字はパンフレットから引用)

続く


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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古代の儀式 (越後美人)
2016-10-27 20:28:28
身に着けるものや道具、儀式まで、再現にこぎつけるのには地道な研究があったのでしょうね。
これだけの人を動員して行う再現劇も、見ごたえがあって立派だと思います。
ここまで実現されている自治体の努力も素晴らしいですね。

はるか1.500年も昔のこと、やはりロマンを感じます。
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凄い (どら)
2016-10-27 20:50:31
こんなお祭りがあるのですね?
奈良でもそう見られないのでは無いかと思えるぐらい徹底しています。
たかさんも王族の子孫ですか?
気高い感じがしています。
そして 大陸の文化の影響がとても強い気がして驚いています。 群馬でも大利生とん交流があったのでしょうか?
それとも都からの影響?
なんだかどきどきしてきました。 興奮しています。
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越後美人さんへ (たか)
2016-10-28 00:32:17
越後美人さん、こんばんわ♪

このイベントは7年前から続いており知ってはいましたが
見に行ったのは初めてでした。
1500年という時が流れて古墳だけが残された保渡田地区ですが
こうして当時を再現した劇を見ますと
当時の人々の暮らしが其処に蘇った様な錯覚を起こしてしまいます。
確かに古墳に上がって見渡しますと
今でこそ家並みが密集し鉄塔が建ち田畑は隅に追いやられていますが
当時は上毛三山に囲まれた、時がユッタリ流れる長閑な場所だった事が想像されます。
解説者の話では火を噴く山からの恵みの水と言っておりましたから
榛名山は1500年前、火山活動が盛んな時だった様です。
今は便利な世の中にはなりましたが
もう少しユッタリした時間が欲しいですね。
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どらさんへ (たか)
2016-10-28 00:52:04
どらさん、こんばんわ♪
お忙しいのにコメントを恐縮です。

エッ?何ですって?
私が王族の子孫?
もし、そうであるなら こんな山奥でヒッソリ暮してなんていませんですって!
気高い感じだなんて、どらさん私の何処を見ていたのかしら?
もし。再開できるチャンスに恵まれた時には「つぶし島田」でも結って行きましょうかね。
どらさん!興奮を鎮めて!

私、不勉強で大利生と言う言葉の意味が解りません。
物知りの雄さんも???でした。
さすが有名大学を卒業されたどらさんですね。
教えて下さいませ。






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おはようございます (kyoko)
2016-10-28 06:39:18
宮崎に主人の転勤で住んでた頃
西都古墳というところがありました
でもこんなお祭りはなかったですね
大分市内にも古墳はあるけど・・・
あまり知らないです

7年前からですか!
大規模で皆さんロマンを感じてるのでしょうね
たかさんの「つぶし島田」見てみたいです(^_-)-☆
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お早うございます。 (延岡の山歩人K)
2016-10-28 07:06:24
今から約1500年前の古墳時代
いにしえのロマンを感じます
お祭りで お相撲をとるなんて珍しいですね
他にも色々な催しがあって
なかなかユニークなお祭りですね

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うへっ  やってしまいました (どら)
2016-10-28 08:07:10
大利生
大陸との交流が・・・と書いたつもりでした。
年とともにくらくなってきた目を酷使してかいていますからね(言い訳たらたら)

余計なこと書いていると また変なこと書いてしまいそうです。 逃げよっ
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古代の営み (maria)
2016-10-28 09:15:14
古墳まつりは大変貴重なお祭りですね。
7年前から始まってますか、、、
古代の営みを感じられ、地域の皆さんで造られているのがとても良い事だと思います。

古墳と言いますと、私が通ってました小学校の南にと、西にも、古墳がありました。小さい子には遊び場になつておりましたね(^.^)
皇太子様も見学にいらしたと聞き、遊びまわってた事が申し訳なく思ったものです(^。^:)
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kyokoさんへ (たか)
2016-10-28 16:35:51
kyokoさん、こんにちわ♪

最近、村興しの一環で
狐の嫁入りや箕輪城祭と、各地区はやっきなのです。
毎年、出演者を公募し当時の言葉やしぐさを学び本番に臨むのだとか。
今年、新しく作られたものは埴輪を元に作られた椅子でした。
こうして古墳や遺跡の調査結果から年々劇もそれらしいものに進展してきている様です。

私の「つぶし島田」どうでしょうかね。
似合いますでしょうかね。
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あんな鏡欲しいわと (takezii)
2016-10-28 16:54:34
見つめ美人さん・・
もしかして タイムスリップしたたか様? (お嬢さん?)
最近は 特に地方で いろいろなイベントが お流行ですが これだけ 時代考証された 大掛かりな ドラマ性のあるお祭りって難しいし 大変だと思います。主催者の熱意が感じられます。
目から鱗です。
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