たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

陶器の町 利川へ

2014年10月31日 | 韓国
昨夜の事

いきなり部屋の電話が鳴りました

受話器を取った雄さん言うに

「“ブーがどうとか言っていた”訳が解らないから“受付へ行きます”と言うと

相手の方でこちらへ来るという返事が返ってきた」

暫くしてドアをノックする音がしましたので開けますと

そこに立っていたのは、あのアジュンマではなく

お水2本、コーヒーステック4本、何故か精力剤2本を抱えた若い女性でした


独立記念館から帰った時、喉が渇いたので冷蔵庫を開けると無い・・・水が、コーヒーが

お掃除をした形跡は有りましたが、それらの補充が無かったので

“どこまでいい加減なのか”と呆れ半分で仕方なくスーパーへ買い出しに行くはめになりました

夜、遅くの電話は 補充しなかった事に気付いて慌てて連絡をよこしたのでしょう

まぁ、これでここの評価を少~~しばかり上げる事にしましょう


今日は日本を出る前から楽しみにしていた利川へ移動です

昨夜、地図を見ながら利川へ行くのに乗り換えが必要かもしれないと心配していましたが

バスターミナルで調べたところ上手い具合に直通バスが出ていたのはラッキーでした

車窓に映る景色は殆ど田舎の景色です

バスの殆どが高速を利用している中、利川に到着するまで長閑な景色が眺められる路線は

ある意味、貴重で有りホッとするバス旅になりました


指名手配中のユ・ビョンオン取り締まりの光景は今では日常茶飯事です


利川へは不覚にも所要時間を書いた紙を紛失し分かりませんが確か小一時間(?)で到着したと思います

バスは11番  料金は8300ウオンでした

写真はバスの待合所の模様

写真左側には小さな食堂や売店がズラリと並んでいます


街を眺める前に先ずは宿探し

あちこち歩き回って探し出したのが奇抜な色の「スカイホテル」でした

宿泊料金は2泊で10000ウオン、この辺りの相場は大体こんなものです


落ち着いた所で街に繰り出してみましょう

私の想像では利川はこじんまりした町なのかと思っていましたが

どうしてどうして車の往来の激しい賑やかな街でした






横断するのも必至な私です


利川にも温泉場が有ったなんて知りませんでした


おまけの写真






朝食もとらずに来てしまいましたので例のターミナルに並ぶ食堂に入る事にしました

食事をとりながら明日行く陶芸村について検討しましたが、やはりバス路線が今一わからず

食堂の店員さんに陶芸村を通る広州行きの広州の読み方を尋ねますと一瞬困ったような顔をして

仲間の店員に助けを求めますが、その店員もお手上げです

中に居た料理人のアジュンマ二人も加わりましたが首を捻るばかり

暫くしてその内の一人が「アッ、カンジュ、そうカンジュよ」・・思い出してくれたのです

それは取り敢えず一見落着しましたが陶芸村のナムカジと言うバス停を尋ねる段になった時

またまた「そんな名前の停留所なんて有るのかしら」と当惑顔をされてしまいました

「取り敢えずバス乗り場を教えてあげるわね」と店員が私達に案内してくれたのは

バスターミナルから一旦出た通りの反対側に有る為、教えて頂かなかったらまた悩むところでした

しかし、今の韓国人の多くはハングル文字で教育されているせいか漢字が読めない人が多いようです

ただ色々と不都合がある様で最近では漢字にに戻そうという動きも出てきているのだとか

ハングル文字は一般庶民にも読み書き出来るよう世宗が発案した文字ですが

これは日本文字で言えばカタカナの様なもの

状況や繋がりで理解できる物は良いとして単語で言葉を発した場合

“ハシ”では橋なのか箸なのか端なのか難しい部分が出てきます

実際、バスのチケットを購入する時

売り手が何度も「~~ですね」と念を押すのは、そんな所に有るのでしょう

写真はバスの停留所を教えて下さった店員に思わず雄さんが「コマスミダ~」と手を握ったため

戸惑った姿が可愛くて思わずパチリと


通りの一角でモウモウと煙をあげる御饅頭やさん、何だかとても美味しそう

思わず「3ヶください」


外からカメラを向けた時、中に居たお兄さんに何度も手招きされました

「中に入って写真を撮っていいよ」と言っているのです

それでは、お言葉に甘えて・・・・・・・・・・・・・






宿に戻りアツアツの御饅頭を食べている内に外はもう夕闇が迫っていました

明日が楽しみです





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その2・独立記念館 (天安)

2014年10月29日 | 韓国
独立記念館は全斗換大統領の命に寄り独立の為に亡くなった人々を弔うため1987年に設立されたものです

2コーナーからは、とうとう侵略や統治の問題に当時の韓国の人々が如何に苦しんだか

これでもかという程の量が展示されていました

「独立」と言う事なので仕方の無いことなのかもしれませんが

あたかも韓国5千年の歴史の4千年以上が日本に侵略されていたような錯覚さえ覚えてしまいます

日本の全てが正しいとは言いませんが

これでは「独立記念館」と言うよりも「反日記念館」と名を変えた方が良さそうです


先ずは写真で追いたいと思います(暗い中での撮影でしたので写りが良く有りません)

韓国を植民地とした日本軍はここで日韓乙巳勒約協定が結ばれました

(写真、中央の人物が伊藤博文)


今も問題になっている慰安婦を連行するシーンですが

強制的という問題に関して言いますと必ずしもそうでは無かったようです

日本軍は大卒の主任級が月収20円の頃、月収300円という高額で公募を募りました

結果、中には貧しくて自ら応募した者、親に売られてしまった者、借金を背負っている者達が

応募したと言うのが真実だからです

車に乗せている男性も実は日本人では有りません

(と言うより併合時代は国際法上、韓国人も日本人でしたから

日本人がこの様な事をしたと言われる部分も有るのでしょうが)



独立に関わった運動家(キム・ケナン キム・ボッカン)




この人物は「ソ・ジェビル」で韓国に失望して日本やアメリカに亡命を繰り返した人です

説明では日本に留学していた頃「大韓民国万歳」と唱えたと有りますが

韓国に帰国し金玉均と共に「甲申政変」を起こしそれが失敗すると再び日本へ亡命するわけで

残された家族は(三親等まで)残忍な方法で処刑されたといいます


そして誰でもが知る伊藤博文を射殺した安重根(アン・ジュングン)ですが

射殺後、即刻ロシア官憲が逮捕し日本官憲に引き渡されてその翌年、死刑となりました




昭和天皇暗殺を試みたテロリスト李奉昌


何だか疲れました、喉がカラカラです

ここらでちょっと一服した方が良さそうです


気を取り直して次に進みましょう

私がショックを受けた際限シーン 多分、平静な気持ちで観る事は出来ないでしょうが目を逸らさないで下さい

日本軍によるとされる拷問シーンの一部で他に目を覆う様な残忍なシーンも有りました

かなり誇張されているのかもしれませんが実際、私には良く分かりません

ただ言えるのは何が悪いのかと言うと戦争なのです

戦争が始まれば何でもするのが国であり人間なのです




















韓国を植民地とした日本は日本語を韓国人に強要しました





















そして1945年、ついに韓国は独立を宣言しました

と言いましても独立できたのは国民の力と言うより日本が敗戦した事で植民地から逃れたわけですが

これはその時の大韓民国臨時政府の要人たちです


しかし思うに、はたして韓国民の全部が反日運動をしてたのでしょうか

当時の日本の力を借りて近代化を図った人たちも多くいたはずで

ある意味 彼らは韓国の独立に戦っていたのではないでしょうか

しかし

それらの正当な評価を受けていない改革派と言われる人達の展示資料が皆無で有った事は解せません

韓国人が異常に自己を誇示するのは独立運動を始めとし

執拗に主張しないと韓国人のアイデンティティは存在しないとの恐怖感が絶えずある様に思えてならないのです

あるコーナーでは課外授業の一環でしょうか

教師の説明に熱心に耳を傾けている小学生の姿が有りました

無垢な子供に日本が行った惨たらしい行為を語っているのです

この説明を受けた後「日本人は悪人か」と教師に問われれば「悪人です」と答えるでしょう

出来るならば両国の歴史家が主観を排除し客観的な資料を元に作り

それを子供たちに学ばせてやるべきではないでしょうか

摺り込まれた過去にとらわれず歩み寄らない限り日韓の関係は平行線を辿るばかりで進展は有りません

日本は敗戦と言う屈辱を味わいながらも恥を忍びつつ乗り越えてきたからこそ今の日本が有るのです

原爆の被災者は殆どが非戦闘員でした

日本国民にとって決して忘れられないこれこそ許しがたい行為です

しかし日本はその悔しさを礎に立ち上がりました

韓国が言う「歴史を忘れた民族に未来は無い」ではなく

未来の為に耐えなければならない事も有るのではないでしょうか

何時までも過去に拘り相手を批判して良い事があるのでしょうか


一通り見学し終わり売店で土産品を見ている私達に支配人が声を掛けてきました

色々話す中で「日本人は此処を訪れますか?」と問いますと

「今は日韓の関係が良くないのでお見えになりませんね」と言っていました

又「今の日本人は現実を国政やメディアの言う事をそのまま信じる人は少なくなっていますが

韓国はどうですか?」の問いには「未だそこまでなっていない」との事でした

私達が土産にしたのは仮面のストラップ

仮面の下に隠された顔が穏やかで有ります様に祈りを込めて




外に出ますと雨は止んでいました

三義士(左からコン・ボンキル アン・ジュングン キム・シャシン)の胸を張る像が見下ろしており

近くにはこうした憩いの池も有ります

ここは日本人が来て決して楽しい所では無いでしょう

しかし、一度は来て今の韓国の実情を確認するには有用な場所だと思います

再度、巨大なモニュメントタワーを見ると韓国人の複雑な心情が垣間見える様で

何か苦しい思いにかられました

多分、韓国及び韓国人は様々な要素で苦しんでいるのだろうと思います

肩をいからせず相手の事を配慮し

本当の先進国となって普通に暮らせる日が訪れる事を願い記念館を後にしました


ふとマイミクさんが書いた

恨みを晴らすのに恨みを持ってするならば人の世に恨みの亡くなる事はない

恨みを越えた広い心を持って全ての人が救われる道を求めよ

その言葉が脳裏を横切りました




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独立記念館 (天安)

2014年10月27日 | 韓国
天安バスターミナルから約30分

昨夜のニュースに寄ると台風が接近しており済州へのフェリーが欠航と言う事でした

その余波か今日も風雨が激しい朝でした

独立記念館でバスを降りても雨の勢いは変わらず

これから見学する記念館が決して楽しい所ではない事をまるで暗示しているかの様な降りでした

最初に見えてくるのが高さ52mのモニュメント、キョレの塔

空に羽ばたこうとする鳥の翼をイメージしたとも祈りを捧げている手を現したとも言われている塔です


ここから記念館までは少し距離が有ります

普段はハンオリと言うオモチャの様な電車が繋いでいますが今日は動いている様子が見られませんでした

私達は傘を差し足元の跳ね返りを気にしながら長いアプローチをキョレの家を目指して近づきます

その間にはためく無数の大極旗は圧巻と表現するしかないでしょう

入口で出迎えるのは「不屈の韓国人像」、小旗が風を受けてザワザワと音を立てていました






先ずは韓国人として意識下に置きたい「慰安婦問題」次が「竹島」

そして「何故東海では無く日本海なのか」

それらを知っていますか?というメッセージで展示館外に掲示してありました

クリックしていただければ大きくなります

         

見学コーナーは7コーナー有り一室目は韓国5千年の歴史と称したコーナーです

土器・青銅器時代の道具や生活ぶりを表した遺物やジオラマでの展示で

我が国の弥生文化の母所とも思われるそれらは我が国との関係を伺わせます

(一枚目は暦)

        
 


しかし人が権力を持つ様になると権力を廻って血なまぐさい争いが置きる様になります

写真は「高麗の亀州大捷」と言いまして亀州で契丹を破った時の模様が再現されています




これは先日イ・スンシンのコーナーで紹介した亀甲船ですね










そして私達はいよいよ第二室「民族の試練」コーナーへと入りました

時代は180年代~1900年代

韓国にも近代化の波が訪れる事になりました




ここまでは、良かったのですが・・・

続き


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最悪の一日 (湯陽温泉~天安へ)

2014年10月24日 | 韓国
湯陽温泉[10:10]→バス→市外バスターミナル→タクシー→高速バスターミナル
(バス)→2000ウオン  (タクシー)→6600ウオン
★高速バスターミナルと市外バスターミナルを間違えてしまい市外バスターミナルで下車してしまいました


次の写真は昨夜、顕忠祠から帰って立ち寄った湯陽温泉にある市場です

今までアチコチの市場を見てきましたが此処も中々の活気を見せていました

2枚目は雷魚、雄さんは知っていた様ですが私は初めて目にする魚です

その次の写真はご存知ニンニク

テレビのニュースに寄りますと今年は韓国各地でニンニクが取れすぎ

値段が暴落してしまった為、生産者は頭を抱えている様です






目覚めると外は雨でした

温泉の事やバスの乗り場を教えて頂いたりリコンファーム迄して下さった受付嬢に別れを告げ

ホテルを後にこれから天安に向かいます


しかし、私達は彼女のアドバイスに従ったつもりでしたが

方向感覚が狂い反対側のバス停で来るはずの無いバスを待つという・・・

・・・そりゃー幾ら待っても来るはず無いわね

結局やって来たバスの運転手さんの説明にて反対側という事が分かり移動しましたが

90番代のバスは来るのに全て通過してしまうではないですか

その時、雄さんが“先の停留所”と言った運転手さんの言葉を思い出してくれたのです

先のバス停とは街路樹が茂り見えなかったのですね

悪い事に雨に交って風も出てきました

バスに乗ったのが10時を少し回っていましたから約1時間、私達はバスに翻弄されていた事になります


何とかバスに乗る事が出来ました

ところがです

今度は、あろう事か手前の市外バスターミナルが見えた時、雄さんが「ここだ」と言って降りてしまったのです

何となく違和感を感じましたが私も降りない訳にはいきません

やはり其処は高速バスターミナルでは有りませんでした

扶余から天安に着き直ぐに湯陽温泉に向かってしまいましたので雄さんの記憶は曖昧になってしまった様です

側に居た女性に高速バスターミナルまで歩いていけるか問いますと

「かなり有りますよ」という返事が返ってきました

結局、天気も天気なので高速バスターミナル迄はタクシー利用という事に相成った訳です

此処が高速バスターミナル




さて、宿を探さないといけません

運の良い事に雨も上がりましたが吟味したはずの宿は中に入ると見当はずれも良いところ

人間と同じく外見で判断してはいけないという見本の様な雑居ビルの中の宿だったのです

何だか嫌な予感がして、部屋に行きますと

受付のアジュンマの暗い印象に似て部屋もやはり暗い感じ

にも関わらず韓国特有のチャカチャカした内装

まぁ支払いも済ませてしまった事だし一泊だからと言う事で決めましたが、こちらまで暗くなりそうです

気を取り直し駅内のマートで購入したお弁当持参で今日の目的の独立記念館へと向かう事にしました

約30分、目的地に着きますとバスの運転手さんが

「ヒュガヒュガ・オヌル キニョンカンヌン ヒュガ」と言っています

ウソでしょ 今日は休館日? だってJTB発行のワールドガイドには無休って有ったのよ

ガックリしながらバス停の椅子に腰かけお弁当を食べながら折り返しのバスを待つこの哀れさ

これまで何度、日本のガイドブックに騙された事か

今日一日が全て上手く行かなかっただけに余計、腹が立ちます

ここは私の希望の場所でも有りましたので「延泊して明日また来よう」と雄さんが気遣ってくれましたが


天安駅前でこんな物を見つけました






宿に戻り延泊を告げ今日は早目に就寝、こんな日はそれに限ります 




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不滅の李舜臣(イ・スンシン)将軍

2014年10月22日 | 韓国
湯陽温泉(10:10)→(バス)→顕忠祠(11:15)  2800ウオン







この軸に描かれた人物がイ・スンシンですが

死後、功績が称えられてチュンムゴンという最大級の勲功が与えられました

(上の船はレプリカですが慶長の役で活躍した亀甲船です)


韓国ドラマに登場した偉大な将軍イ・スンシン

今日はそのイ・スンシン縁の顕忠祠と生家を訪ねてみました




門を潜って左回りに15分ほど歩きますとイ・スンシンの三男で有るイ・ミョンゴンの墓に行き当たりました

三男はドラマにも登場しましたので観た方はお分かりかと思いますが

幼い頃から知恵と勇猛を兼備し乗馬や弓術に大変優れた人物でしたが

惜しい事に慶長の役の際、21歳の短い生涯を終えてしまったんですよね

因みにイ・スンシンの墓はここから9K離れた牙山市の於羅山に有るとの事です


近くにはイ・スンシンが弓術の練習をした場所で的までの距離は145m有るそうです

私も若い頃、親戚の叔父が弓道の師範をしていましたので通った事が有りますが

距離はもっと短かったので的を射る事も出来ましたが145mは、とてもとても無理でしょうね

そしてこの弓場の周りを囲んでいるなだらかなパンファサンは馬の練習に励んだ山で有り

其処彼処にイ・スンシンの軌跡を追う事が出来ました


書にも長けていたイ・スンシンを目指すチビッ子たち・・・ガンバレ


こちらが武科試験に合格する前から暮していたイ・スンシンの生家ですね

ご先祖の格の高さが伺える重厚な建物です












かなりの面積でしたが、こうして歴史上の人物を追う散策は疲れも何処へやら

むしろ楽しくて次の目的地へと気は焦るばかりでした

その目的地とは顕忠祠

ここはイ・スンシンの精神を称える為に建立された祠堂です








敷地内には橋を挟んで約1900坪の広さの池があり

見学者の憩いの場になっており大勢の観光客の姿が見られました

その近くに休憩舎の様な建物が有りましたので近づき説明板を見ますと其処には「旌聞」と書かれていました

何代かに渡って功績を遺した親族を称える為に沢山の名前(?)が掲げられていましたが

これはいわゆる日本でいう顕彰碑に当たるものでは無いかと推測しました

そしてこの建物はそれらを守る為に後から建てられた物ではないかと思われます




最後にイ・スンシン遺物館を覗いてみる事に致しましょう

イ・スンシンと言えば壬辰倭乱の時の水軍の総司令官ですから

展示物は勿論、戦闘に纏わる物ばかりですが中でも目を引いたのは

イ・スンシンが水軍に居た頃の諸々が書かれている日記でした

もう一つの日記は湖南左水営に赴任の命を受けた時の生活日記でしょうか

(間違っているかもしれません)





こちらの刀は197・5㎝という長剣ですが実際に使われた事はなさそうです

実戦用は此方の方なのでしょうね






韓国軍の亀甲船と菱型の紋が掲げられていますので日本軍の船でしょうか






こちらの絵は(何だか紙芝居的な絵ですね)潮の流れの速い場での戦闘シーンですから

セオウル号の事故が起きた珍島(チンド)辺りでしょうか


結局、最後は流れ弾に当たりこの戦闘で亡くなってしまう訳ですが

その時に残された言葉が「私の死を敵に知らせるな」だったそうですが

勝利を収めたのは韓国軍だったのです

今回、ドラマを思い起こしながらイ・スンシンという人物に触れて

日本人で有る筈の自身がイ・スンシンに傾倒している事に一寸、苦笑しています

何れにしても以前、観た「イ・スンシン」は珍しく引き込まれたドラマでした



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