たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(3)伊部・備前焼の里~姫路城~京都

2022年01月08日 | 心に残る思い出旅

続き

山が富士なら城は姫路城と言っても過言では無い程どこから眺めても優美な姿を誇っております。特に千鳥破風と唐破風の絡み合いが見事でした。 何時か行ってみたかった姫路城。その姫路城をついに目の前にしました。

西の丸より天守を望む

菱の門(伏見城からの移築と伝えられる)

 

油壁をはさんで左「ほ」の門と右「水一門」

迷路の様に複雑に入り組み平山城であるが故に所々に防備への知恵が垣間見られた天守への道でした。ただ実戦を計算して築城した姫路城ではありましたが皮肉にも一度も「戦争」を知らずに済んだ事が幸いし今日にその美しさを留めている訳ですよね。(城内写真などアルバムには大天主心柱・回廊と武具掛・千姫の化粧櫓等々他にも多数、貼って有りますが割愛いたしました)

 

京都で下車するつもりは有りませんでしたが折角でしたので京都駅にほど近い東本願寺に立ち寄り清水寺を目指します。

 

 

時間も時間でしたので清水寺は外から眺めただけでした。その前の朝日堂さんで購入した小皿と湯滴天目ぐい飲み。予定外の京都はまさに駆け足状態でした。 コメント欄は閉じますが、もし姫路城について一言頂けるならば嬉しいです。

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(2)陶芸の里を訪ねて(思い出の旅)

2022年01月07日 | 心に残る思い出旅

続き

陶器の里らしい宿「陶里庵」を出、高揚する気持ちを抑えていよいよ伊部に向かいました。先ず向かったのは備前焼伝統産業会館、レプリカでしょうが浦上善次氏の「唐獅子」のお出迎えです。

天津神社、窯元や備前焼作家などの崇敬を集める氏神様で奥に見える狛犬も神社の屋根瓦も備前焼が用いられ私が踏んでいる参道も備前焼で敷き詰められておりました。(ボケボケですがここの写真は外せませんでしたので)

高価な物でしたので一応、唾を付け町を一回りしてから購入を決定した「藤原謙氏作の抹茶茶碗」。謙氏は二代・藤原楽山の長男で現在は三代・楽山を襲名されている様です。雄さんはこの器を「曙」と命名し愛用しております。

人間国宝・金重陶陽の三男である晃介氏作の行程の最後に食塩水を振りかけて還元した塩青焼ぐい飲みです。青灰色の発色と滑らかな手触りに人目惚れしました。

 

あちこち回って最後に訪れたのは難波章氏の南秋窯、何故か話が噛み合い気が付けば2時間の時が流れ辺りは薄暗くなってしまいました。「明日は姫路城を見学し帰ります、当地で宿を探さなくてはなりませんので」と腰を上げかけたとき奥様が「ちょっとお待ち下さい、姫路まで行くにはお腹も空くでしょう」とトーストとコーヒーをご馳走して下さいました。 以後、難波さんとはお亡くなりになるまで年賀状のやりとりが続いたのでした。達筆な直筆の年賀状は今も大切に保管して有ります。

私は藁を巻いて焼く緋だすきも好きで湯飲みも購入したはずですが、どうやら割ってしまった様です( ;∀;)

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下の2枚は備前へ行った時のものでは無く高島屋で購入したものです。宗秀と名が有りましたから人間国宝・山本陶秀氏の長男・雄一氏の奥様の作品かと思われますが定かでは有りません。

 

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陶芸の里を訪れて(思い出の旅)

2022年01月05日 | 心に残る思い出旅

暮れに陶器をブログアップしてふと思い出したのが備前の焼き物。これは今から31年前、一昔どころか三昔前の岡山の旅の記録です。

品川から高速バスで9時間、翌日7時15分に倉敷に着きました。高速バスには初めて乗車しましたが席はゆったり快適でしたがトイレの狭さに閉口した事を覚えております。これなら大揺れした時に転がり落ちないかもしれませんね。

朝の倉敷美観区はこれから学校へ向かう小学生の姿を見ただけ、ひっそりとしておりました。

大原孫三郎氏が建てた別荘の一つ緑御殿(屋根瓦の色が独特の黄緑色をしている為この名で親しまれている有隣荘)

廊下は一枚板で作られていると近くの喫茶店の店員さんが教えてくれました。

 

 

こちらは旧大原邸、大原孫三郎氏は倉敷紡績・倉敷毛織・倉敷絹織・中国合同銀行・中国水力発電の社長を務め大原財閥を築き上げた人物ですね。

阿智神社

歌手の五木ひろしさんのお店の様です。私もけっこう野次馬的要素の有る人間なんだ。この店、今でも繁盛しているのかしら?

大原美術館、バーナード・リーチや濱田庄司氏の陶器を目の前にして足が動きませんでした。

重文の大橋家住宅(入場300円)大橋家は豊臣秀吉に仕える武士でしたが秀吉滅亡後、京都に隠れ住み江戸時代になって倉敷に居を構えると水田、塩田で産をなし大地主となり傍ら金融業も営んでいた様です。

私達は岡山市内を走る路面電車を利用し岡山城へと向かいました

奥に後楽園を望む鶴見橋。岡山に来て印象に残ったのは、どの川もゴミ一つ流れていなかった事です。

ふるいちホワイト通りに在る安い、早い、上手いの名物ぶっかけうどん(天かす・胡麻・うずら卵・生姜・刻みのりが入ったうどんに、つけ麺の甘くて濃い汁がそのまま掛かった物) ぐるぐる混ぜて元気よく食べるのがコツだそうで一人前330円と言う安さ。勿論、いただきましたが写真を撮るのを忘れました。

 

 

岡山と言えば竹久夢二 夢二の美術館で大正ロマンを堪能した後、後楽園へ足を向けました。 写真は後楽園、延養邸と瓢箪池。その下の写真は花葉池と栄唱橋  金沢・兼六園に並ぶ日本三名園の一つですね。岡山藩主、池田綱政が作らせた遠州流回遊式庭園ですね。

 

本来は今の場所より300m先に在った様ですが現在の場所に築いたのは宇喜田尚家の実子、秀家で時の天下人、秀吉の養子となって「秀」の一字を貰った人物です。 この後、私達は旅の目的である備前焼の故郷へと向かいます。写真はアルバム一冊使う程、写しましたが絞りました。(コメント欄はお休みです)

コメント (13)
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