たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

今日の散歩

2020年02月29日 | 散歩

 

  

いつもの宿稲荷に車を置き本日は此処から歩きはじめる事に致します。 今は椿が盛り、この辺りは空っ風対策に枝の混みあう木々が選ばれる様で背戸に樫や竹、椿を植えている大きな農家が多い  

「んめ~もんや」と看板を掲げた無人直売所がありますね  “どんだけ んめ~もんか”と覗いて見ましたが今日は休業の様でした

さて、これは何でしょうか?鎖の輪が吊るされております  「OK牧場の決闘の大道具」を想像してしまいそうです

 

 

この道は伊香保への嘗ての街道筋、其々の家の入口に油屋、飛脚等々の当時を偲ぶ屋号が置かれております。この家は羅漢工房 人の気配は無くヒッソリしておりましたので、ちょっと庭を覗かせて頂きました。 重厚な佇まいです。庭のマンサクは今が見頃 青空に黄色が際立ちます

ヒメオドリコソウが畦道に咲き初めています。 前列中央の踊り子さん、ぬいぐるみのお人形みたい 頭のもさもさが愛らしいですねぇ

 

宿稲荷に戻って参りました、ここまで6000歩 少々少なめなウォークでしたが、まぁいいでしょう。 境内をお詣りしますと今まで気が付かなかった小さなお堂を見つけました。 

 

 

 

小さな祠にも関わらず此方にも彫刻が施されておりました。本殿の彫刻に比べますと少々粗削りの感は有りますが、それでも中々の出来栄えです。    本日の散歩でした

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動きのある物を撮ると言う事の難しさ

2020年02月27日 | 野鳥や動物

ブログの友・I氏に触発されて動きのある水鳥に挑戦してみました。  ところがこれが難しい。 目で捉えた時には気持ちの焦りが先立ってシャッターを押すタイミングを逃しているのだ。

 

 

女の子が懸命に餌を投げる先に鴨が群がります。 その餌を取り合う鴨 一瞬の出来事でした。

その時、一羽のカモが全速力でこちらに向かって参りました。 「今だ!」と思った時には遅し・・・スピードに追い付けない

 

こうした姿は大抵一羽だけ、こうした行動を廻りのカモ達も一斉にとってくれたら面白いシーンになるのに  動きの有るシーンを撮る難しさを知った今日の散歩での一幕でした

 

 

この野鳥はアオジでしょうか?   知識の中には在るのですが実際に目にした事は有りませんでしたので、もしアオジで有るならば「ヤッタ~」です。この時、目の前をカササギが横切り樫の木の中に身を隠しました。暫く待ってみましたが残念ながら姿を見せる事は有りませんでした。

 

繁みの上で辺りを睥睨する一羽のダイサギ  全く動かない  河川敷の手摺にカメラを固定してズームを効かせます。これならば私も落ち着いて狙えます。

園内に戻りますとポケモンを追う成人の群れ、どうやらポケモンクラブと言うものが有るらしく先日は埴輪の里に30人?もしかして50人?がスマホ片手にポケモンを見つけ歩く姿が有りました。 私はその遊び方を知りませんが、これだけ大人が夢中になると言う事は何か得点でも有るのでしょうか。

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箕輪城への登城の一つ椿名口

2020年02月25日 | 散歩

今日は郭馬出西虎口門を抜け木俣から追手門口を右に分け

椿名口を降りました

取り囲む武田軍の隙を狙って箕輪城の水瓶でも有った椿沼の湧水を

汲みに走った兵士の息遣いが聞こえて来そうな道です

下には「水汲みに行くのが地獄の一の木戸

行くとは見えて帰る人なし」という句碑が置かれていますが

雑兵に課せられた命がけの任務だったのでしょうね

 

    

椿名口に相応しく椿の古木は今だ衰えず沢山の花を咲かせております

嘗ての沼も一部を残して埋め立てられ、そこに小学校が建ち

後には住宅も立ち始めた為、昔の面影は増々偲べなくなりました

ロウバイの咲くこの辺りも沼の一部

この奥に沼が残され今でも湧水が流れ出ているため

蛍の格好の住処となりました

箕輪城を背にした法峰寺に関しては何度もブログに挙げて来ましたので

省きますが此処には鎌倉時代末期から戦国時代に渡る塔類が

随所に残っておりますが、この三面像もその一つでしょうか

 

 

今まで注意を向ける事も有りませんでしたが本堂脇にこんな祠が有りました

説明もなく何時の時代の物なのか誰が彫ったものであるのか

解りませんが大切に保護されておりました

農大生(東京農大とは別)の授業の一環

農業用トラクターの練習がいよいよ始まりました

これも春を感じさせる光景の一つです

「本日はコメントをお休み致します」

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冬枯れの景色に椿が彩りを添える散歩道

2020年02月23日 | 散歩

「今日は何処を歩こうか」

最近はそれが夫婦の挨拶代わりの様になりました

 

 

目に移る景色は未だ冬の様相ですが空気はすかっり春めき

ほら!足元にはホトケノザやオオイヌノフグリが畦道を彩ってますよ~

流れを見ても少しもヒヤリとしたものは感じられない

むしろ清々しさを感じます

信玄との幾度もの戦に、ひるまず迎え撃った業政の戦略に

敵は舌を巻いたと言われる箕輪城でしたが業政の死後

苦戦続きだった信玄もこの時とばかり攻め入って陥落させたのでした

その箕輪城址も着々と整備が進み本丸跡には昨年、土塁が築かれ

数年後には空堀に吊り橋が掛かる様です

「井戸」

「もはやこれまで」と覚悟を決めた若き業盛は正室と長子を逃がすと

「春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里」

の辞世句を読み自刀し果てたのでした

残る井戸には長野氏の先祖伝来の墓石が多数投げ込まれていたそうです

さて、敵から逃れ様と白河口埋門まで来た正室は、この時

敵方に追いつかれたと勘違いし、長子だけでも逃そうと

時間稼ぎをする為に此処で自決を図ったと言われておりますが

この道は運動公園への近道になる為、トンネル状の狭いその道を

私達も偶に利用する事が有ります

 

城を取り巻く空堀

今でこそ重機で簡単に掘れますが、これを人力で掘ったと言うのですから

気の遠くなる作業だった事でしょうね

搦手口から二の丸が有った辺りに登りあげますと

東に赤城山方面の展望が開けます

桜が咲けば又、景色も変わる事でしょう

 

数年前に建てられた郭馬出西虎口櫓門を通り大手尾根筋を経て

大手門口を抜けた所に色鮮やかな椿が咲いておりました

 

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今夜も花火が上がってます

先日の若手花火師競技大会の後、何度か上がりましたが

在庫処理なのでしょうか、それとも夏に向けての予行演習でしょうか?

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続き  思い出に残る山 「鳳凰三山」

2020年02月21日 | 心に残る思い出の山

続き

 

ザックを置き斜面を攀じ登る

谷から吹き上げて来る風が冷たい

目の前には透明な空気を通して大武川からそそり立つ甲斐駒ケ岳の

細部までハッキリ見える

その奥が仙丈岳、北岳をはじめとする白根三山も大迫力だ

子授け地蔵が並ぶ賽の河原

これから向かう観音岳の左には薄っすらと秀麗富士の姿

アカヌケ沢の頭は此れと言って特徴の有るピークではないが

ここから眺めるオベリスクは素晴らしい

人間の作った造形など足元にも及ばない絶品のオブジェだ

地蔵岳では雲に隠れていた八ヶ岳も遅ればせながら一部を見せ始めた

その時、低空移行して来たヘリが聞き取りにくいアナウンスをしながら

何度か地蔵岳周辺を旋回し観音岳へ向かって行った

近くに居た登山者の話では

3日前から帰らない遭難者が居るらしいとの事だった

風雪で曲がりくねった木のオブジェ

太陽の照り返しが強い稜線上歩きは観音岳まで1時間半と長い

しかし谷から吹き上げて来る涼風

荒々しい岩壁を剥き出しにした北岳、間ノ岳、農鳥岳と言う道連れが有る

何時から湧きあがったのか韮崎側はガスが沈殿していて何も見えない

クッキリ見えていた富士山も、もはや雲の中である

振り返るとオベリスクは既に彼方にあり

甲斐駒も湧きだした雲が大急ぎでその姿を隠し始めている

 

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オベリスクは遥か彼方に(左上の尖峰)

足元が砂礫で不安定な坂を蛇行を繰り返し

鳳凰三山最高峰「観音岳=2840m」に9時37分着

重なり合う岩石の上でノンビリと巨峰を食べながら次々に表情を変えて

山肌を這いあがって行く雲を眺めていると其処へボーイスカウトの一団が

俄かに賑わしくなったのを機にザックを背負う事にした

縦走も残すところ薬師岳1峰となった

起伏の少ない稜線を歩いて

だだっ広い白砂の薬師岳に着いたのは10時33分

周辺は白砂に点在する風化した花こう岩と風雪に耐えたハイマツが

バランスよく配置され心和む庭園を見ている様だ

“これで全ピークを征服し終えた”

安堵と何処か寂しい無量の想いが込み上げて来る

あれが北岳、あの荒々しい岩壁がバットレス、あれが間ノ岳と

嘗ての山旅を思い浮かべながら去来する雲に現れては消える山体を

飽かず眺める腰は中々上がらない

しかし何時までも至福に酔っている訳にもいかない

10mほど下った所でもう一度 鳳凰山に別れを告げ

いよいよ樹林帯に突入した

(↑) ギンリョウソウ

下山は視界を閉ざされ湿り気を帯びた中道コースの急下降で始まった

中年の男性を抜いて尚も下ると道の脇に男性が一人

バテバテの姿で休んでいた これから薬師小屋まで行くのだそうだ

「坂を登り切れば薬師は直ぐです」

とは言ったもののあの急坂を・・・他人事ながら気の毒になってしまった

登りをこちらに取らなくて良かったとつくづく思った

前方、樹間に覗く山は御所山だろうか、甘利山だろうか

かなり下ったのに何時になっても前方の山が高くならない

水筒の水はどんどん減って行く

(↑) 御座石

展望も変化も無い急坂が終わると景色は一変し笹原に出た

カラマツが程よく生え最初は気分が良かった

しかし勾配が出てきて蛇行、直線を繰り返している内、何時になっても

変わらない風景に次第に退屈し終にはウンザリしてきた

爪先がジンジンと痛い

漸く笹原に別れを告げると今度は道も心細い身の丈も有る笹薮

藪は途切れ途切れに50m位は有っただろうか

足の痛みも忘れて次第に早足となり最後には駆け下っていた

川音が近づき種々のキノコが生えるか細い山道を尚も下り3時20分

漸く林道に出る事が出来た 先ずは川に入って手を洗い体を拭きたかった

しかし無情にも林道はダム工事が進む小武川を高巻いており

川へ下りる事が出来ない

恨めしい程、豊富な水が飛沫を上げながら流れ下っている

「もう直ぐ風呂に入れる」ただその一心で歩き4時10分

青木鉱泉に辿り着く

翌日も早くからヘリの音が聞こえたいた

ヘリの捜索は三重県の高校生との事だった

教師と生徒3人で南御室小屋でテントを張り終えた時、ヒトリの生徒が

散歩に行って来ると出かけ、そのまま戻らなかったのだと言う

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帰りラジオで聞いたところによると9時30分頃、高校生が4日振りに

無事、南御室小屋近くの沢で発見されたとの事

沢に落ちた様で腰を痛め動けなかったらしい

何はともあれ良かった良かった

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