たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

長野業政公の墓所

2024年02月29日 | 史跡

今日は幾分、寒さが和らいだので気に成っている河津桜の様子を見に箕郷梅林に行ってみました

途中、左に数台の車が梅林の中に駐車しているのを見た私達は車をUターンさせ寄って見る事にしました

以前、業政公の墓所を訪れたのは長純寺を参拝した時に寺の裏手の急坂を登り上げての時でしたので、まさかメインの梅林会場へ行く手前に在ったとは思ってもみない事でした。ここなら寺から上り上げる事無く楽に来ることが出来ます。

武将・業政の墓

業政公正室の墓

これが世に名を馳せた武将の墓なのかと思われるかもしれませんね。業政は病に倒れ死期を悟った時に業盛を枕元に呼び葬儀も墓も不要、弔いは墓前に敵兵の首を一つでも多く並べよ。決して降伏するべからず、力尽きた時には城を枕に討ち死にせよ。との言葉を残したそうです。何と武田方に屈しなかった武将の中の武将・業政の男気の有る遺言ではありませんか。  

   

長純寺

開基は鷹留城初代城主・長野尚業、創建は文亀元年(1501年)、詳しくは以前、記しましたので今回は省きます

ツルニチニチソウがヒッソリと

不動明王像

箕輪城家臣の墓

長純寺を後に箕郷梅林へと向かいます。果たして河津桜は咲いているでしょうか。コメント欄はお休みです。

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(3)九州の友人を榛名神社に案内して

2022年10月19日 | 史跡

続 

(ここに在る建物は全て国の重文)

双龍門を潜りもう一段、石段を上ると嘘でしょう、本殿・幣殿・拝殿は2025年まで大改修。シートが掛けられKさんに観せてあげる事が出来ない!

この写真はネットからお借りしたものですが本来ならば、この床下にまで施された精密な彫刻を観るせて上げる事が出来たのに( ;∀;)  嘆いていてもどうにもならないので昨年、改修工事が終わったばかりの国祖社・額殿を拝観

この国祖社の左側は額殿となっており向かいに在る神楽殿で行われる神大神楽を観る桟敷席になっています。

神楽殿

 

双龍門の紹介で載せたこの彫刻は実は私の間違い、神楽殿にあったものです。とんだ失礼を。

トリカブトの花

   

時刻は12時を回りました。参道の七福神の像を眺めながら下ります

ダイモンジソウ

随神門を抜けた所まで雄さんが車を持って来てくれたので、そこで作って来たお弁当で簡単に昼食

最初に止めた駐車場は地図外ですが随神門手前の駐車場からでも結構な距離を歩く事になります。冬に来た時には参道脇の木々に溜まった雪が落ちてきたり大変な思いをしたものでした。3年後、改修工事が終わった頃また訪れる事にしよう。Kさんも、もう一度観てみたいと仰っていた。その時にまた一緒に歩けるといいね。

コメント (14)
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(2)九州の友人を榛名神社に案内して

2022年10月18日 | 史跡

続き

   

三重塔と行者渓を後にいよいよ核心部へと近づきます。右に瓶子(みすず)の滝が見えて来ましたね。滝が落ちる両側の岩を瓶子岩と呼びそこから瓶子滝と名付けられた。瓶子とは神に供える神酒を入れる器との説明がされておりました。

足元の小さな祠にもわもわっと苔が。Kさんが目ざとく見つけました。

樹高55m 幹回り9・4m 樹齢400~500年の矢立杉

矢立杉とは武将が戦勝を祈願する為に木に矢を射立てる儀式の事で武田信玄もここで矢を射立てたと言われておりますが信玄の絡みについては年代的に言って無理がある様な気がしないでも有りませんが・・・どうなのでしょう?

矢立杉の脇に建つ神幸殿(1859年建立) 国の重文

装飾も彩色も施されておず極めて簡素ですが構えは存在感が有りますね

矢立杉と神幸殿を上部から見下ろす

   

(左)岩間に双龍門が見えて参りました。(右)門の左の岩は鉾立岩、この一体感が実にいいですね。 

 

彫刻に見入るKさんと私

双龍門 1855年建立 国の重文

総ケヤキ造りで全体に彫刻が施されている豪華な門です

   

 

 

 

 

   

 

 

三国志に因んだ絵柄の彫刻以前は金網越しでしたが工事後ガラスに変わりました。いずれにしても写しづらい事この上なし。何とか写せたのがこの一枚だけでした。 因みに門の彫刻は武蔵熊谷宿(現在の熊谷市)の長谷川(小林)源太郎に寄るもので通称、熊谷源太郎と呼ばれていた人物です。

こちらは石垣と苔が織りなす自然が作り出したアート

続きますので本日もコメント欄はお休みです

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(1)九州の友人を榛名神社へ案内して

2022年10月17日 | 史跡

九州から友人がやって来ました。Kさんとの出会いはH7年、白山登山で知り合ってからの長いお付き合いですからかれこれ27年になります。確か私達が韓国へ行った時にお会いしたのが最後だったと思いますので今回は何年振りの再会となるのでしょう。今日は榛名神社を案内する事にしました。

 

↑↓ 門倉家住宅(善徳坊) 国登録有形文化財

参道沿いは昔の繁栄ぶりを物語るかの様に宿坊の看板がズラリと並んでいます

その坊の脇に薄っすらとピンクが混じるゼラニウムが鉢植えされておりました。我が家で頂いたのは濃いピンク。長い期間、楽しめるのがいいですね。

榛名神社は1300余年前、第31代用明天皇の時代に創祀。徳川末期まで満行宮榛名寺と称え上野寛永寺より別当兼学頭が派遣されて一山を管理していましたが明治初年の神仏分離の改革に寄り榛名神社として独立しました。

随神門(国の重文)6世紀末の創建 

 

神仏習合時代は仁王門と呼ばれ運慶作と言われた仁王像が門の両側で睨みを利かせていたそうです。ところが神仏分離令により二体の仁王像は焼かれ現在は明治時代に造られた随神像を新たに祀る事により以来、随神門と改名されました。明治政府は何という勿体ない事をしたのでしょうねぇ。

  

随神門を潜り本殿迄の長い山道を登ります

私達を写す時は後ろ姿でお願いと頼んで置いたので雄さん律儀に守ってくれました。

   

参道途中に建つ三重塔(神宝殿)神仏分離令で廃仏毀釈の難から取り壊しを免れた建造物です(県指定文化財)

 

三重塔の脇に建つ狛犬

行者渓 

安藤広重の版画「上野国榛名雪中」として選ばれた渓です

幾らか紅く染まり始めております。漸く道半ばまでやって来ました。もう少しですよ~、Kさん頑張りましょう!  続きますのでコメント欄はお休みです。

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黒髪神社

2022年10月11日 | 史跡

蕎麦畑を観た帰り黒髪神社へ寄ってみた。もう30年位前に家から此処迄45分ほど歩いて初詣に来た事の有る神社です。

榛名山の峰の一つ黒髪山(現在の相馬山)を御神体とする山岳信仰の神社雷雲がよく相馬山に沸き起こる事から雨乞いの山として山頂に社が置かれましたが、あまりにも険阻で老人や婦女子が登拝するには困難で合ったため明治20年(1887)此処に里宮が建立されたと言う事です。私も相馬山へは何度か登っておりますが一般道でさえ急峻な尾根を鉄梯子や鎖で登り上げる訳ですから古道となると一部の土地勘のある人か修行僧でなければ、それこそ命がけの登山になる事でしょう。一度登山口へ行った事が有りますが仏像が立ち並ぶジメっとした場所でした。我が家を建てた棟梁の話では、そこを正月の雪の朝、村人こぞって長靴で登るのが習わしだったと言うのですから凄いものですね。

 

 

あうんの狛犬

カラス天狗と大天狗の面が奉納されております

奥まった場所に在る小振りの神社は有栖川神社と言い明治30年、有栖川宮様が病気になられた時に病気回復をここで祈願された事から建立されたとの事です。

これは一部ですがちょっと不気味

 

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