たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

大晦日

2021年12月31日 | 

難を転じて福となす

2021年もいよいよ秒読み段階に入って来ました。大晦日の今日は大寒波に見舞われ今朝は庭一面、霰に覆われました。この寒波は明日も続く様で大荒れの元旦になりそうですが再びコロナが増えつつある今「静かに一年を振り返り静かに正月を迎えましょう」と言う天からの啓示なのかもしれませんね。

門にお飾りを飾り暦を新しく架け替え忘れてはならない日本酒も一升瓶2本購入して我が家も正月を迎える準備が整いました。後は年越し蕎麦を食べて新年を迎えるのみです。

ブログも皆さまのご訪問、リアクション、暖かいコメントに励まされ何とか続けられております。本当に有難うございました。どうぞ来年も頑張りますのでよろしくお付き合い下さいます様に。 来る年が皆様にとりまして幸多い年で有ります様お祈り申し上げます。

     

  本日はコメント欄はお休み致します。良いお年を。

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今年を振り返って

2021年12月30日 | 暮し

吾唯足るを知る (ワレタダタルヲシル)

何時の頃からか食料品や物に対する大切さを忘れてしまった現代人、今や「勿体ない」が死語化しつつあります。この「吾唯足るを知る」は釈迦の説いた「貧しいと言えども富めり、不知足りものは富めりと言えども貧し」=貧しいとは何も持っていない人の事では無く裕福な暮らしをしながらも未だ上を望み満足しない人の事だと言う事ですね。 

我が家は決して裕福では有りませんが健康に留意し見栄を張らず心豊かに暮らしていければ、それで良しと思っております。清貧を尊ぶライフスタイルで有るならば「不満」と言う言葉は生まれないですものね。  

コメント欄はお休み致します。

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2021年のウォーキング納め

2021年12月29日 | ウォーキング

昨日迄の寒波が幾らか緩み今日は4日振りにウォーキングに出ました。明日から再び寒波が到来するとの事ですので今日が今年の歩き納めになりそうです。

 

何時もは勢いよく回っている鳥追い風車(?)も今日は偶に思い出した様に回るのみ

 

暑い日も寒い日も元気をくれた欅、有難う

怪我の無いよう見守ってくれた「おはんなさん=榛名神社)」有難う

 

 

そして1年間、ご苦労様でした。肩の荷がおりましたか?

コメント欄はお休み致します。

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(3)思い出の品 急須

2021年12月28日 | 

 

 

 

これらは旅で購入した急須では無くデパートや陶器店で気に入って購入したものです。写真二枚目の急須を買う時に「たかは良く割るからな」。すると店の人が「これは落としても割れませんよ」「いや、それでも割ってしまうのです」と雄さん。

そういう雄さん、写真一枚目の急須の取っ手部分をぶつけて・・・私に判らない様に接着剤で手直ししていたのでした。

コメント欄はお休み致します。

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(2)思い出の器

2021年12月27日 | 

 

雄さんが机に並んだ皿の一つを手に取りしげしげと眺めている。姉が嫁いだ寺での法事の際にほかの雑器に混じって無造作に置かれた金を施した九谷焼の器が目を惹いたのだ。先々代住職が九谷の出身で有った為、どなたかが寄贈したものなのだろうか。かなり乱暴に扱っていたらしく多少、絵が擦れている部分も有るが見事な絵付け、金彩・五彩を用いた鮮やかさ、青粒と称する九谷焼特有の技法がこの小さな皿に集約していた。ただ残念だったのは3ケしかなかった事。

時代としては明治期の作と思われます。数年前デパートの棚に大事そうに飾られていた高価な大皿を見て鶴の首が長かったり馬が犬に見えたりととても商品価値が有る様には見えなかったが、もしこの小皿の絵付け人が無名だったとしても昔日の職人の確かさには驚かされます。ジッと見ていると手書きの良さも伺えます。

後で姉に欲しいと言うと❝そんなに価値の有るものなのか❞と思ったのか一瞬、躊躇ったが甥の「こういう物は好きな者が持ってこそ器の値打ちが出るもの」と説得され遂に私達の物となったと言う次第だ。斯くして今この三枚は大切に食器棚に収まっている。

この手練りの急須は安達太良山に登った帰り激しい雷に遭い雨宿りに入った陶器店で見つけた万古焼の急須だ。うっかり私が蓋を落としてしまい艶が出る前に使い物にならなくなってしまったものだが、それでも捨てられず思い出の品として食器棚の飾りの一つになっている一品だ。

これは佐渡へ旅行に行った時に見つけた無名異焼の急須だ。この時は私達にとって初めての慣れないツアー旅行だった。ツアー旅行と言うのはバスに戻る時間が3時で有るならば2時45分に戻るのが暗黙の決まりとなっているらしい、その過ちを何度か繰り返すと「またあの夫婦ね」と白い目で迎えられる事になるのである。最後にはバスから降りなかった事が有ったり・・・以来ツアー旅行は私達に向いていない事を悟ったものだった。

コメント (14)
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