ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2017年1月18日(水)、ばっちゃん

2017年01月19日 04時23分10秒 | テレビ・ラジオ番組

   夜娘と録画していたNHKクローズアップ現代「ばっちゃん」を見る。

   広島で、保護司をしていた「ばっちゃん」が、自宅で非行少年少女達やお腹をすかした子供達に毎日食事を作って食べさせている。

83歳になる「ばっちゃん」にアナウンサーが「何故子供達に食事を用意するのか」と聞くと、「お腹がすいているとロクな事を考えない。お腹がいっぱいだったら、悪いことはしない」と言い切った。

  お腹いっぱいになった子供たち一人一人に声をかけて、話を聞いてあげている。

少年院を出てまっすぐに、「ばっちゃん」の好物の親子丼を食べている様子に心打たれる。

  いま「子供食堂」の取り組みが各地で行われている。

親が子供たちに手作り温かい食事を与えていない。

こんな豊かになった日本に何が起きているだろうか。

貧富差が激しくなって、食べれない子供や高齢者を生んでいる。

社会問題であり、政治問題である。

  娘が「私いつどこにいても、帰る家があってよかった」と一言。

温かく迎えてくれる家があれば、こんな問題も少しは解決してくれることでしょうね。

   今日の万歩計は、10,979歩でした。


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2 コメント

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私も子供の頃を思い出しました (菰野のサトウです)
2017-01-19 14:48:04
決して貧乏ではないのに、小中学校にも行けてましたが朝ご飯は自分たちでシリアルと牛乳を用意して寝室で寝ている母を起さないように学校に行ってました。小学校は温かな給食が在って助かりました。中学は牛乳のみ学校から支給されて弁当持ちでしたが私も朝早くから(通学時間が長いため早起きしないと間に合わないので)お弁当を作れず玄関先に母が前夜に置いていった「購買で購入用のパン代」を持って登校してました。冬場は冷え切った牛乳とパンで更に体温が奪われそうだったことを思い出してます。学校から帰っても両親とも留守で21時を廻るまで夜ご飯は食べられないか、近所の人や両親の友人宅でご馳走になってました。春になれば山菜を裏山に取りに行けるのですが冬場は食べれる食材がないので空腹で水か牛乳ばかり飲んでましたねぇ
小学生の頃は火を使うことを禁止されていたためガスも元栓で止められて「絶対に使ったらアカン!」、中学では「お母さんがアンタ達 子どもの未来のために働いてるのにお母さんよりも早くご飯食べるなんて!!不良がやることや!!」とヒステリック状態に成るため「食べても良い許可」が出るまで待ち続けてました。それでも見かねた近所のおばちゃんがコッソリとオカズと温かいオニギリを持ってきてくれて食べさせてくれて嬉しかったことを覚えてます。
なので 今 全国の小中学校で自校給食で温かく栄養の整った昼食を食べて欲しいと切実に願っています。
親は子どもの将来のためにと奮闘していたのでしょうが 当時、まだ知識も少ない子供にとってすれば「なんで将来の全国の子供達のために、今 私たちが我慢しなきゃいけないのだろう」と悩んでました
結局 「何も考えずに耐えれば叩かれずにすむから我慢しよう」と無意気に言うがままに育ってきました。
今思えば 複雑な心境です
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Unknown (苦労したんですね)
2017-01-24 05:09:22
貴女が子供の頃、大変苦労したんですね。
私なんか何も食べることで文句を言ったら、怒られてしまいますね。
貴女のおばあ様達の思いやりが子供の頃の苦労が生かされているような気がします。
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