風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる〜地域×デザインの実践」

2022-03-31 | 読書

勉強。
いま私はEDIT LOCALというコミュニティに参加しているが
そこで知り合った方も本書で取り上げられている。
私が仕事上コラボすることが多いのは
グラフィックデザインやエディトリアルデザイン、
そしてwebデザインをする方だが
本書の方々はそれらやプロダクトデザインを本業としながらも、
その世界にとどまらず、その領域を広げている。
いわゆるコニュニティデザインやエリアデザイン、
もしかしたらソーシャルデザインの領域までも網羅し始めている。

都会はどうしても分業制になりがちで
なんならクライアントの顔も知らずに仕事をしているというが
ことローカルにおいては編集者も含め、その守備範囲は広い。
大企業では役割分担ががっちり決まっているが
小さい企業では、場合によっちゃ1から10まで経験できるのと似ている。
実はそれがおもしろいし、キャリアの幅も広がる。

特に興味深かったのは
企業内のデザイナーのことをインハウスデザイナーと言うが
複数の人が自分たちのことを「インタウンデザイナー」と言っていること。
まちに溶け込んで
「誰かのやりたいことをわかりやすく伝えるメディア」
としてのデザインを課題解決に活かしている。
「まちの食堂」という概念も面白い。
中華やイタリアンみたいな専門店ではなく、なんでも揃う食堂。
1から10まで、場合によっては15や20まで携わるからこそ
まちの人々にも評価され、二次元を超えた活動ができる。

デザインは単にPCのマウスを握っていればできる仕事じゃない。
特に地方においては、エリアに溶け込まなければ広がらない。
表現するだけじゃなく、地域の人たちとともに課題解決していく、
あるいは+αのエリアの魅力を引き出していく。
手でモノに触れ、売って価値を広げていく。
もしかしたらインタウンデザイナーとは現業なのではなかろうか。
プランナーやコンサルタントなどもそうだが
都会からやってくるデザイナーはハンドリングまでタッチせず
結局形式だけに終わることが多い。
そうではないところにインタウンデザイナーの存在意義がある。

本書の中で何人かが
「ここには何もないと言われる」とか「何もないと思っていた」と
最初感じていたことがスタートラインになったと書いていた。
花巻市民も、そう思っている人は多いだろう。
しかし、それは気づかない、見えていないだけであって、
実はとんでもないポテンシャルを持っていると私は気づいた。
だから「まちを編集」する。
デザインスキルはないからデザイナーとコラボする。
ローカルメディアでかき回す。
本書で取り上げられている人たちほど若くはないが
次世代のために何か残したい。
そのためのヒントが本書に満載されている。

「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる〜地域×デザインの実践」
新山直広・坂本大祐:編 学芸出版社
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蘊蓄は必要ない

2022-03-30 | 世界・平和
プーチンがどうだとか、ゼレンスキーがどうだとか、
習近平がどうだとか、金正恩がどうだとか、
バイデンがどうだとか、トランプがどうだとか、
ミン・アウン・フラインがどうだとか、
ハメネイ師がどうだとか、ベネットがどうだとか、
ネオナチがどうだとか、DSがどうだとか、タリバンがどうだとか、
誰が悪いとか、誰の味方だとか、そんなことはどうでもいい。
問題は誰かの暴力によって誰かが泣いているということ。

勘違いしている意見が散見されるが
いまウクライナで起きているのは戦争ではない。
ロシアが一方的にウクライナを蹂躙しているという事実だけ。
ウクライナからロシアに攻め入っているわけではなく
侵略してきた他国軍と戦っているだけだ。
一方的に一般人を攻撃しているという意味では
イスラエルによるパレスチナへの攻撃も
ミャンマーでの強権軍事政権による弾圧も同じことだ。
これはアフガンでも、イラクでも、シリアでも、
リビアでも、イエメンでも。

そして私のスタンスは
誰が正義で誰が悪ということではなく
一方的な暴力により泣いている人たちに寄り添うところにある。
正義なんて言葉は信じない。
ナチスの行動だって、彼らに言わせれば正義だったのだから。
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まだ気配

2022-03-29 | 生活の風景



庭のクロッカスが開き始めた。
チューリップの芽も伸びてきた。
白鳥の声も聞こえなくなった。
まだまだ軒下には雪が残っているけれど
着実に春はやってきている。

日本の方々から桜の便りは聞こえるが
北国の春はまだ気配。
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振り返ってみると

2022-03-28 | 風屋日記
高校生の頃は物書きになりたかった。
とはいえ、当時はインターネットも無いし、
文章を書く仕事にどんなものがあるかわからない。
イメージできたのは小説家ぐらいだったが
文章を書くことと、物語を作ることは違う能力が必要。
・・・ということが大学時代わかってきて
メディアを作る仕事を目指そうと考え始めた。

大学4年の時にテレビ朝日でADをやった経験が
メディアに関わった最初の体験。
当然その流れでテレビ局を就職先へと考え始める。
ほとんどのキー局と地元局を受けたが全滅。
諸般の事情により、
結局帰郷してOA機器販売会社で就職することとなった。
思いもよらず、半年で地元販社所属から本社統括営業部所属へ。
(大手企業や官公庁、自治体などを担当)
20代はそこで企画書の書き方やプレゼンの仕方を身につけた。

30歳で印刷会社へ(声をかけられて)転職。
まぁメディアに近くなったのかな?
とはいえ所属は希望した編集部門ではなく総務部。
社内のシステム化担当から始まり、人事・労務も兼任。
徐々に守備範囲が広がり、企業法務や広報も。
立場が上がると同時に財務・経理も担当、
経営企画にも携わることとなった。
実はその合間を縫い、外注予算がない仕事でライターをやったり
企画書を書き、営業と同行してプレゼン行ったり
大きな仕事のプロジェクトに関与したりもしていた。

役員になってから製造本部長を兼任。
業績が悪化すると、立て直しのために営業にも関わることとなり
2年後には他の担当を外れて専任の営業本部長へ。
同時に企画室長も兼ねた。
当時のその会社では、営業本部は東京ということで
東京に単身赴任したのはそのころだ。
既存の顧客は基本的に課長以下の営業担当に任せ
自分はひとりで人脈を作りつつ出版社や広告代理店新規開拓営業を。
役員という立場で経営責任も負っていたため
このころはプレッシャーとストレスで大変だったが、
当時の出版社や広告関係の人脈が今の仕事にもつながっている。

東京勤務4年目、会社そのものが大きく動き
様々な事情が重なって(そのことだけでも1冊書ける😅)、
盛岡本社に帰ることが決まった段階で「もういいかな」と思い始めた。
「会社=自分」だったのに、「役割はもう終わったな」と。
ちょうど東京での引き継ぎも終わったし、タイミングではあった。
7月に退職を決め、8月いっぱいで退職。
その時点では、その後のことは全くノープランで
「いざとなったらコンビニでアルバイトでもしよう」と考えていた。
ところが、会社を辞めた後で自腹で上京し
挨拶回りをしたら、お世話になった方々から口々に
「これからも一緒に仕事しようよ」と声をかけられた。
失業手当を受給しながら半年考え、翌春会社を立ち上げるに至る。
それからこの4月1日で7年。

結果的に今、
大学時代に考えていた「メディアに関わる仕事」ができているし
(なんならライター仕事で「物書き」も)
20代の頃に身に付けた、企画書の書き方もプレゼンも経験が生きている。
官庁の仕事や予算執行の仕組みなどの知識も役に立っている。
営業を管轄していた時に自社出版に関わったおかげで
書籍や雑誌のプロデュースについての知識や経験も活かせられている。
出版社や広告関係の会社と付き合ったことで
それらの会社の仕事の仕組みや欲しいメリットも知った。
会社立ち上げとその後の経営では総務や経営企画経験が役に立つ。
辛いこともたくさんあったけど、
それらのことを身につけさせてもらった会社や人に感謝だ。

遠回りしたけれど
その間に身に付けた知識や経験が今すべて生きているし、
その結果、若い頃目指した仕事ができている。
人生うまいことできているなぁ。
会社勤めの頃に比べるとノンストレスの毎日だし、
もしかしたら今が一番幸せな時間を過ごしているのかもしれない。
これらの知識や経験を、もっとたくさん活かせられないかな。
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湯口郷土史講座 講演集1

2022-03-27 | 仕事

一昨年から取り掛かっていた仕事が終わった。
基本的に講演のたびに録音&撮影を行い、
録音から文字起こし→話し言葉を書き言葉にリライトし、
講師全員のテキストを全体的に表現整理して、
資料写真を原稿内に配置する作業だが、
なにせ途中から取りかかったので
私が参画する前の講演の原稿をどう取り込み整理するか
(それまでの原稿はなんと一太郎データ ^^; )
資料もない中、掲載すべき写真をどうスキャンして配置するか、
えらいこっちゃ手間がかかって苦労した仕事。
これは思い出に残るなぁ。

何度も何度も原稿を読み返し
内容はほとんど頭に入ったのだが、
これが実に興味深い内容で面白かった。
仕事としてたくさんのことを学ばせてもらった仕事でもある。

1 湯口地区内の石碑と道標
2 湯口太神宮と地域の歴史・文化
3 稗貫氏とその家臣団
4 平賀氏を通した湯口の歴史
5 天保八年稗貫・和賀越境一揆と上根子村喜四郎
6 宮沢賢治とイーハトーブ花巻の心臓・湯口
7 多田等観の生涯と湯口
8 湯口出身の岩手県知事 阿部千一
9 志戸平温泉の歴史
10 花巻電鉄物語
11 豊沢川土地改良区と豊沢ダム
12 湯口農業協同組合の歩み

特に石碑と道標、稗貫氏と家臣団、平賀氏の歴史、越境一揆、
阿部千一、志戸平温泉の歴史などが印象に残った。
稗貫氏は南部領になる前の花巻地方を治めた領主だったが、
なぜ稗貫氏は小田原攻めに参加せず滅亡を招いたのかは推理の余地。
稗貫氏の勢力範囲はどんな地域だったのか。
大沢温泉、志戸平温泉はどんな歴史を持っているのかなど
実に勉強になった。

先週校了となり、納品は来週の予定。
初めは記録として保存だけを考えていたようだが
あまりに面白い内容なので一般販売も検討されているようだ。
そして「1」とあるように、
来年度以降も湯口郷土史講座は続く予定。
今度は初めから携わるので、
仕事そのものは今回の本よりたぶん楽になるだろう。
また新しいことを学べるのが今から楽しみ。
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はくちょう

2022-03-26 | 生活の風景

はくちょう                       川崎 洋

はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが
   
ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?

そして みちてきては したたりおち
そのかげ が はねにさしこむように
さまざま はなしかけてくる ほし

かげは あおいそらに うつると
しろい いろになる?

うまれたときから ひみつをしっている
はくちょう は やがて
ひかり の もようのなかに
におう あさひの そむ なかに
そらへ

すでに かたち が あたえられ
それは
はじらい のために しろい はくちょう
もうすこしで
しきさい に なってしまいそうで
     
はくちょうよ
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母の誕生日

2022-03-25 | 生活の風景
今日は母の91歳の誕生日。
母がそんな年齢になったこと自体驚きだが、
もっと驚くのは、
普段の生活になんの支障もなく元気なこと。
これはとてもありがたい。

母が住む実家を事務所にして、毎日通っている。
ひとりで暮らしていると、食事も面倒になるから
何を食べるかわかったもんじゃない。
ということで、せめて食べさせる人がいれば
料理するにも生活にハリが出るし
一緒に食べる時だけでもまともな食事をするだろうと
昼食は作ってもらって一緒に食べている。
頭も体もしっかりしているから、
少々面倒には感じているらしいがリハビリがてら。

足は弱くなったようだ。
数年前まではどこに行くにも歩いて行っていたし
たまに電車に乗って盛岡まで買い物に行ったりしていたが
コロナ禍でとんと出かけることもなくなった。
そのせいか、以前はひとりで歩いて行っていた病院通いも
私が車で連れて行き、ついでに買い物もしてくるようになった。
茶会なども「準備が面倒」と疎遠になったし
第一お茶道具が置いてある2階に上がるのがしんどいらしく
(最近膝が痛いと言って階段を避けるようになった)
居間に座ってTVを見るか、本を読んでいることが増えた。

そんな母が「保険払っているだけじゃなくて介護認定受けたい」と
先日市役所の人を呼んで話を聞き、
家族付き添いでかかりつけ医の下で診断を受けることに。
私だけ呼ばれて看護師さんからいろいろ聞かれたが
普通は家族が申請する介護認定を本人が申請したものだから
「どんなサービスを受けたいですか?普段の支障は?」
と聞かれても答えられない(^^;
人付き合いを面倒がる人なのでデイサービスも希望しないし
普段の生活でもそれほど支障は生じていない。
「高いところにあるものを取って欲しい」とか
「階段に手すりがあれば便利かな」ぐらいなので・・・。
「話し相手が欲しい」と言われても、私は普段仕事がある。
まぁどんな判定が出るのか、しばらく待つしかないか。

とはいえ、還暦を過ぎた私を含め
人間次の瞬間何があるか分からない。
祖父は97歳まで畑仕事をして、翌朝冷たくなっていた。
段々老々介護になってはいくが😅
日々つつがなく、ささやかに過ごしていければ。

ということで、誕生日おめでとう。
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好き嫌い

2022-03-24 | 生活の風景

人は誰しも食べ物の好き嫌いがある。
私の大好物はなんだろうと考えてみたけれど
「コレ」とすぐにあげられるものはなかなか思いつかない。
無理やり挙げるとしたら湯豆腐かなぁ。
豆腐も、たまに入っているタラも好きだけど、
残ったつけダレを翌朝納豆に入れるという二重の楽しみも。
おかかやネギにツユが沁みていてgood。
豆腐に限らず、苦手なもの以外はほとんど喜んで食べるけどね。

で、苦手なもの。
まずは山芋系、これは恐らくアレルギーだ。
摺ったものも、刻んだものも間違いなくリバースとなる(^^;
ソバやお好み焼きなどにつなぎで入っているだけでも
リバースまでは至らないものの、胃がヒクヒクする。
オクラも(食べられなくはないけど)苦手。
でもネバネバ系がダメってわけじゃない。
納豆好きだし。
オクラの場合はなんとなく青臭い&生臭さを感じる。

匂いといえば唐辛子の匂いも苦手。
辛いのは全く問題ないが、やはりオクラ同様の匂いがダメだ。
だから唐辛子系は口呼吸しながら食べることになる。
特に(タラコは大好きなのに)明太子はパス。
唐辛子の匂いがタラコの生臭さのブースターとなる。
これまた口呼吸しながらなら食べられるかもしれないけど
そうまでして食べようとは思わない。

若い頃からそれほど積極的に食べていたわけじゃないけど
年齢が重なるほどにニンニクを避けるようになった。
食べた後で必ず胸焼けとなる。
子どもの頃、体が弱かった親父は体力をつけるために
醤油漬けや蜂蜜漬けの生のニンニクを毎朝食時に食べていた。
こちらにもおこぼれが来るのだが、
子どもにしてみりゃ、まぁ美味しいものじゃないよね。
当時は薬だと思って食べていたが、
それ以来ニンニクはあまり得意じゃなかった。
今は好き嫌いだけじゃなく、体が受け付けなくなった。

考えてみれば、子ども頃苦手でも、好きになったものもある。
ピーマンは、子ども時代に克服した。
ある日親父が「生のピーマンに塩つけて食べてみろ」と言い
試しにやってみたら、これが美味しかった。
それ以来好きになった。
ゴボウはゴロゴロ、ガサガサしていて
鍋や煮物に入っていても「要らない」と思っていたけれど
自宅隣の農家カフェで食べたゴボウが美味しくて
今では大好きになった。
おからは、子どもの頃口の中の水分が取られてむせそうになり
それからはあまり好んで食べなかったけれど
東京単身赴任時代にはそれだけでご飯が食べられるほど
大好きな食べ物になった。

味覚って変わるもんなんだねぇ。
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提案

2022-03-23 | 社会

花巻はたくさんのコンテンツに恵まれている。
宮沢賢治、豊富な温泉、早池峰神楽をはじめとした郷土芸能、
400年以上の歴史の花巻まつりや石鳥谷まつり、土沢まつりのほか
ねぶた、ねぷたのような大迫あんどんまつりもある。
南部杜氏の里であり、ワインも有名で、マルカンビル大食堂も人気。
城下町だし、新渡戸稲造や内村鑑三などとも縁がある。
もちろん、全国一の生産量を誇る雑穀ほか美味しい野菜や穀類。
ぶどうやリンゴなど果物もたくさん採れている。
白金豚に黒ぶだう牛、金婚漬け、おちゃ餅、きりせんしょ、雁月・・・
まだまだ数え上げればキリがない。
災害がほとんどなく、空港があり、新幹線の駅があり
高速道路のインターチェンジは市内だけでなんと4ヶ所もある。
観光客は年間数百万人やってくるという話で
コロナ前はインバウンドのお客様も大変多かった。
農業と観光が市の経済を支える大きな産業だ。

さてその花巻、当然課題がないわけではない。
①たくさんある観光コンテンツのマネジメントができていないので
 それぞれバラバラに細々とプロモーションしていて、
 残念ながらそのプロモーションもうまくいっているとは言えない。
②観光客にとっての一次交通機関は豊富にあるが
 観光地が散らばっていて、市内の二次交通機関に問題がある。
③観光客はたくさんくるが、宿泊は郊外の温泉地であり
 市街地まで回遊していない。
④観光地もハードに依存した旧態依然とした体制なので
 昨今人気の体験型観光コンテンツになっていない。
⑤コロナ禍で地方移住がトレンドとなっているが
 関係人口増を図る取り組みも含めて、まだまだ不足。
ほかにも課題はあるものの
自分がわかる範囲でいろいろ考えてみた。

①→市の観光課、賢治まちづくり課、定住推進課、広報係、観光協会など
  それぞれの連携があまり見えてこない。
  同じようなプロモーションの仕方をしていて予算がもったいない。
  市職員は数年で異動するからPR手段については素人だ。
  有効なPRできる外部機関(DMOやオンフォメーションセンター)
  のクリエイティブディレクターやメディアディレクターを使い
  プロに任せてみてはどうだろう。
  複数のPRメディアを統合するだけで予算の有効活用ができる。

②→昔花巻を走っていた花巻電鉄が残っていれば
  かなり人気のコンテンツになったと思われるが、
  今ゼロから線路を引いて電車を走らせるのは収支が合わず無理。
  バスがあるけれど、利用者が少なくて徐々に本数が減ってきている。
  なぜバスを使わないのか、電車と比べてみると
  1)バス停は冬季間寒く、夏季は暑くて待つのが辛い
  2)電車と違って道路状況により時間通りか不安
  3)切符使用の電車と違い、目的地につかないと料金がわからない
  4)(観光客にとって)前乗りか中乗りか、乗り方がわからない
  それらを解消するために、バス停を駅にしたらどうだろう。
  そんなに立派じゃなくてもいい。
  建物の中に待合室があり、待っている人がいるかどうか合図をしたい。
  待合室には目的地別料金表を掲示し、乗り方も示す。
  盛岡のように、次にバスの到着時間を電光掲示できればOK。
  これだけで、かなりバス利用へのアレルギーがなくなると思う。

③→市街地に、いかに魅力を感じてもらうかについては
  これまでもいろいろ提案したり、仕掛けてみたりしてきた。
  1)昭和の学校と連携して、そこが持っているもので
    空き店舗のショーウインドに昭和のものを展示してもらい、
    営業しなくても、あたかも昭和なタバコ屋やレコード屋があるよう
    街全体をディスプレイするだけで、レトロ商店街ができる。
    そんな昭和レトロな市街地を作って魅力を持たせる。
  2)花巻の売り物に、7月1ヶ月間あちこちで開催される宵宮がある。
    その時に温泉宿泊客にレンタル浴衣を着せ、
    宵宮体験ツアーとしてバスを現地に運行する。
    特に海外のお客様は日本の伝統衣装を着ることができ、
    日本文化の最たる縁日体験もできて、人気となるのではないか?
  3)マルカンビル、茶寮かだんに菊池捍邸や伊藤家住宅など
    レトロな建物や古民家を線でつなぐ回遊ルートをPR。

④→上記③を組み合わせた「市街地ルート」での回遊や体験ツアーや
  上記②により、観光客が公共交通機関を利用できる形を作る。

⑤→市内空き家や、例えば市民の家など利用できていない公共施設を
  市や民間運営のシェアオフィス、リモートワークブースとし、
  ワーケーションや移住者のリモートワークに対応。
  民間運営の場合は公設民営として民間負担軽減を図ることにより
  同事業参入のハードルを下げたい。

ほかにも、旧花巻病院跡地に富士大サテライト教室を作り
学生も社会人もそこで学べる環境を作った上で
地方創生や地方の市街地活性化、農業流通、6次産業育成など
新しい取り組みを模索する研究室を設けてはどうかとか、
・・・それにより通学学生や社会人が市街地を歩くきっかけとなる。
   有料駐車場も設け、駐車料金収入でコストを多少なりとも賄う。
花巻温泉までのサイクリングロードをもっと有効利用したいとか、
・・・観光客向けのBRTを走らせてもいいし、
   サイクルツーリングを誘致するのも面白い。
台焼や滝田傘店、成島和紙などを組み合わせた伝統工芸体験ツアーとか、
日本酒の川村酒造、ワインのエーデルワインに
クラフトビールのLit work placeを組み合わせたアルコールツアーとか、
いろいろ考えつく。

さて、このうちひとつでもやろうと思ってくれる人はいるかな?
コメント (4)
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最近聴いている曲

2022-03-22 | 音楽
最近、あまりカッコつけずに(^^;
心に染みる歌や思い出の歌など聴いたり
たまに時間見つけてギター弾いて歌ってみたりしている。

ここんとこのお気に入りはビートたけしさんの「浅草キッド」
これはもう歌が上手いとか下手とか、いい声とか悪声とか
そんなレベルを超えてると思うんだ。
泣ける歌。


それから、これは何年も前から気に入った歌で
特にカルメン・マキさんのアレンジが秀逸な「アフリカの月」
西岡恭蔵さんの歌だけど、たくさんの人がカバーしている秀曲。


中学生の頃に買った
ティンパンアレーのアルバム「キャラメルママ」で
南佳孝さんを知り、彼のアルバムで知った「日付変更線」は
東京勤務時代にお世話になったりっきーさんに
「ギター弾くから一緒に歌おうよ」と言われていた曲。
それを果たさないうちにりっきーさんは亡くなってしまったけど
あちらで会ったら約束を果たそうと思っている。


そして最後は名曲中の名曲、玉置さんの「メロディー」
学生時代に行った喫茶店や、一緒にギター弾いて歌った友人たち、
東京時代に知り合った音楽仲間たちを思い出す曲だ。
曲も秀逸なら、玉置さんのボーカルも素晴らしい。

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「まつらひ」

2022-03-21 | 読書

毎日楽しみにしていた地元紙の連載小説が終わり
「村山ロス」からと言うわけではないが、また村山由佳さん。
今回は短編集だ。

「まつらひ」は「祭り」の古語で「祀り」に通じる。
観光化した「フェスティバル」ではなく
その土地に根差した土着文化である「祭り」は
地元の人々の想いや信仰、魂の咆哮までを包括する。
そこには人間が持つ、根源的「生」のエネルギーが込められ
ある意味エクスタシーを招く。
そういう物語は故坂東眞砂子さんが得意分野で
この村山さんの作品はそこまでおどろおどろしい感じはないが
それでも「ケ」と「ハレ」の対比の中で
人が普段内に秘めているものがチラリと顔を出す。
この世界は嫌いじゃない。

最初の「夜明け前」には驚いたが
これもまた古くからの「家」に囚われた因習という意味では
物語の題材として取り上げられるべきものなのだろう。
良いか悪いかは別として、問題提起。

「まつらひ」村山由佳:著 文春文庫
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徒然話

2022-03-20 | 生活の風景
コーヒーは飲み物だ。
タバコは嗜好品だ。
JAZZやBluesは音楽だ。
でもそれらが一緒になると全く別な文化になる。
トッピングは万年筆と原稿用紙?
ツイードのジャケットもスパイスかな?
それにバーボンのロックがあればフルコース。
と書くと植草甚一さんか片岡義男さんになるね。

なにかひとつ仕事をすると、
そこには学ぶことがたくさんある。
最近の仕事では、地域や日本全体の歴史が学べた。
ローカル雑誌を作って、今のまちを広く知ることができた。
そしてさらにその周辺の出来事や知られざる偉人について学んだ。
取材によってたくさんの人と知り合うことができた。
フィーをいただいて勉強できるのだから一石二鳥。
だからこの仕事はやめられない。

言葉が持つ深さ、広がりってすごいし面白いと思う。
同じことを言う場合も、言語によって表現方法が違ったり。
それはきっと言葉だけじゃなく、
その言語を使う民族の文化も深く関わるから。
その端的な例として有名な話が夏目漱石だ。
「I love you」を「月が綺麗ですね」と表現した逸話。
古来日本語では直截的な感情表現をしないが
この例はその最たるものだろう。
だから同じことを言うのにさまざま繊細な表現がある。
それが実に面白いのだ。

仕事柄もあるが、たくさんの人と会う。
そしてもっともっとたくさんの人と会いたいと思う。
人の話を聞き、こちらの話もすることで
刺激になったり、モチベーションが上がったり。
話の中から新たな考えや企画が生まれたりもする。
基本的に人が好きなのだろうし、
どんなに偉い人でも緊張せずに会えるというのが
もしかしたら自分の特技ではないかとも思う。
一方で、心の底から気心がしれてなんでも話せる友人が
私には果たしているのだろうかと思うことがある。
それを思う時、ちょっと寂しく感じる。
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憧れ

2022-03-19 | 社会
明治後半から大正時代初めごろ
旧制高校生として学生時代を過ごしてみたかった。
絣の着物に袴をつけて、学帽かぶり下駄履きでまちを闊歩。
学友たちと夢を語りつつ、下宿では読書三昧。
まぁ旧制高校に入れるだけの学力と財力があればこそだが、
当時の学生たちには大きな夢があったと思う。
それがのちに叶ったかどうかはさておき。

大正末期から昭和の初めごろにかけての東京の社会人にも憧れる。
関東大震災を経て、大きく変わる帝都東京。
地下鉄が開通し、道路は広がり、新しいものがどんどん生まれた。
もちろん徐々に暗い時代に入っていく頃なので
テロが起き、思想統制なども厳しかったとは思うし、
例えばその頃20代なら戦場に送られるかも知れなかったから
せめて30代にはなっていたいかな。
仕事は、当時なら貿易関係か新聞記者。
食糧不足、空襲下を生き延びることができていたら、
戦時下をリアルに体験していた。

昭和20年代後半(サンフランシスコ条約締結後)から
昭和30年代、学生など若者として東京で暮らしてみたかった。
まだまだ戦争の爪痕が残りつつ
新しい外国文化が入ってきつつある当時の日本。
貧しいながらも学ぶべきことはたくさんあったと思うし
自分の力で日本を変えられるのではないかという希望もあった。
東京では都電が走り、首都高がなかったから空が広かった。
高度経済成長の始まりはそれからだが
人々が明るく元気だったという印象がある。

昭和30年代から40年代前半、
高度経済成長真っ只中を大人として過ごしてみたかった。
昨日より今日また新しいことが始まり、生活が豊かになっていく予感。
もちろん東京でもいいけれど、
それは50年代の東京を過ごしたノスタルジー。
遅れて高度経済成長の恩恵がやってきた盛岡や花巻がいいな。
個人商店が元気でまちに活気があって。
東南アジアでは戦争が起きていたけれど、
地方においてはレジャーや旅行なども一般化してきて
(当時の実感としては)子どもながらに毎日が明るかった。

私は昭和50年代後半を学生として東京で過ごし
昭和60年ごろから岩手に帰ってきて社会人となった。
平成時代の前半は子育て、後半はベテラン社会人として過ごし
今令和の時代を生きている。
インターネットやスマホ、進化した家電製品など
テクノロジーによってかなり便利な生活にはなったけれど
生きる窮屈さや未来への展望の暗さなど
昔に比べて社会が良くなってきた実感は正直ない。
今の基準で考えるととても緩くテキトーだったけれど
人と人と距離が近く、他人に寛容だった時代はよかったなぁと
時々ふと思ったりするのだ。
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今回学んだこと

2022-03-18 | 社会
ロシアへの経済制裁により、原油や天然ガスばかりではなく
小麦などの穀物類の輸入が停滞するという。
人間というのは愚かな生き物だから、
今回に限らず、これからもまたこういう紛争が起きるだろう。
そのたびに日本でも今回のように
食糧をはじめとした生活必需品に汲々とするのだろう。

おりしも今国会では経済安全保障について話し合われている。
守るべきは企業だろうか。国民の生活ではない?
今後の日本国民の生活を守るために行わなければいけないのは
まずは化石燃料に頼るエネルギーをなんとかすること。
じゃないと国際原油動向に一喜一憂する事態は変わることがない。
ただし、原発は問題外ということも今回学んだ。
原発は真っ先に攻撃対象になる。
それこそ国の安全保障に関わることだ。
やはり自然エネルギーの活用方法を真剣に議論されるべきだろう。

そしてもっと言えるのは、食料自給率の問題。
今日本の食料自給率は30%と言われるが、
それでは世界情勢不安のたびに食糧確保に追われる。
岩手県は自給率100%を超えるが
そういう地域を増やして国全体で食糧確保ができるよう
今後の政策を考えるべきだろう。
危機への備えは災害ばかりじゃない。

貿易摩擦の問題は工業製品や原材料で賄ってもらおう。
エネルギーや食料まで輸入に頼っていては
いざという時に戦火が及ばなくても国の危機がやってくる。

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「ミステリと言う勿れ」ノベライズ

2022-03-17 | 読書


ドラマがあまりにも面白く、
原作のコミックではなくノベライズを買ってきた。
確かにこれはミステリではなく社会派の作品。
心に刺さる言葉がセリフとなって毎回響いてくる。
「なぜいじめを受けた方が逃げなければいけないのか。
 いじめる方に問題があるはずなのに」
「暴力が選択肢にある人は、暴力を受ける選択肢もある」
「君と友達になれて、初めて少し生まれてきて良かったと思った」
「人に会い、人を知りなさい。それは自分を知る旅だよ」
なるほど。

ドラマ主演の菅田将暉くん、共演の伊藤沙莉さんが秀逸。
特に菅田くんは以前から注目していた役者さんだ。
大河ドラマでも圧倒的な存在感が光る。
ダッフルコートにマフラーがとても似合ってていいなぁ。
実は若い頃、天然パーマのモジャモジャ頭にも憧れていたし😅

ドラマはあと3回。
その分も本で読んでしまったけど、
え?そこで終わっちゃうの?って感じ。
謎を残したままの終わり方、続編もあるのかなぁ。

「ミステリと言う勿れ」原作:田村由美 脚本:相沢友子 
           ノベライズ:豊田美加 小学館文庫

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