風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「池上線」

2013-06-30 | 音楽


 「池上線

 古い電車の ドアのそば 二人は黙って 立っていた
 話す言葉を さがしながら すきま風に 震えて
 いくつ駅を 過ぎたのか 忘れてあなたに 聞いたのに
 じっと私を 見つめながら ごめんねなんて 言ったわ
 泣いてはダメだと 胸にきかせて 白いハンカチを 握りしめたの

 池上線が 走る町に あなたは二度と 来ないのね
 池上線に 揺られながら 今日も帰る 私なの


 終電時刻を 確かめて あなたは私と 駅を出た
 角のフルーツショップだけが 灯りともす 夜更けに
 商店街を 通り抜け 踏切渡った 時だわね
 待っていますと つぶやいたら 突然 抱いてくれたわ
 あとからあとから 涙あふれて 後ろ姿さえ 見えなかったの

 池上線が 走る町に あなたは二度と 来ないのね
 池上線に 揺られながら 今日も帰る 私なの

        (作詞:佐藤順英 作曲・歌:西島三重子)


洗足池は気持ちのいい風が吹いていた。





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「Kiss」

2013-06-29 | 読書
小池真理子さんは
恋愛小説で有名だったりミステリーを書いたり
さまざまな作家としての顔を持っているが
短編小説の名手と言う顔も持つ。
それはとりもなおさず
小道具や風景、そしてちょっとした行為を用いて
登場人物たちの感情を表現できるということ。
この短編集の場合、それはキスだ。

タイトルは「Kiss」だけれども
それはいわば単なるデバイス。
登場人物たちはこの行為を通して
切ない思いや熱い思い、自らの命への思いなど
それぞれが抱く思いを一瞬で表現する。
見事だねぇ。

大人に余計な言葉はいらない。

「Kiss」小池真理子:著 新潮文庫
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緑の電車

2013-06-28 | 生活の風景


東京に漠然とした憧れを抱いていた
中学校から高校のころ、
東京とは緑や青やオレンジや
黄色の電車が走る街だった。
たまに上京すると
山の手線東側では緑と青と
どちらの電車に乗るか迷ったものだった。

大学に入り、東京にやってくると、
住んだのが高円寺だったこともあり、
オレンジの電車と黄色の電車が身近になった。
当時まだ総武線には冷房が入っておらず、
扇風機がぬるい空気を掻き回していた。
相変わらず緑と青の電車を見ると
自分が東京に住んでいることを改めて自覚し
何となく嬉しく感じたりしていた。
オモチャのような、菓子箱のような
それらカラフルな電車が東京そのものだった。

いつの間にか電車は全てアルミボディになり、
緑や青はただのラインに変わっていた。
東京というところに
あまり魅力を感じなくなった時期と
それは偶然シンクロしていたような気がする。

JRのアニバーサリーで山の手線に1両だけ
緑の電車が復活したと聞いていたが、
目にしたのは、そしてもちろん乗ったのは初めて。
何となく、かつての思いを懐かしく思い出しながら
急いで足を踏み入れた。
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仙台

2013-06-27 | 


とあるビル14階から東側の眺め。
写真ではよくわからないけど
ビルの向こうに海が見える。
仙台港かな?
都心の、こんな近くが津波に遭った。
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テッセン

2013-06-26 | 生活の風景


花巻の自宅の庭に咲いたテッセン。
玄関先に飾ってあった。
紫色が鮮やか。
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夜の隅田川

2013-06-25 | 生活の風景


今この瞬間も
次の瞬間には過去になっていく。
楽しかった思い出も、苦しかった過去の思いも
自分がこの世からいなくなってしまえば
すべてが煙のように消えていく。
それを考えれば、
今あるささやかな痛みなどどうということも無い。
笑顔で今を過ごせればそれで良い。

100年後、
今いる人たちのほとんどがこの世界からいなくなっても
また次の世代、次の次の世代の人たちが
今と変わりなく日常を営んでいくのだろう。

時間は何千年も、何万年も、何億年も前から
ゆっくりと、確実に、クールに流れていく。
川の流れのように。
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南千住~向島

2013-06-24 | 散歩
昨日は、
先週神楽を奉納させていただいた御礼に
南千住にある素盞雄神社へ。
門を入るとすぐに茅の輪ができていたので
さっそく3回くぐってみた。



境内はアジサイが花盛り。



御礼も済み、神社の外へ出たものの、
それから先は何も用事がなくヒマ。
まずは南千住駅前の喫茶店に入って一休み。
ちょいと暑かったので、冷たい食べ物が目についた。



おっさんひとりでクリームあんみつってのもどうかと思ったけど(^^;
コーヒーとセットで700円という値段に釣られて・・・。
アンコは相当甘くてちょい閉口したけど
アイスクリームの冷たさが気持ちよかったし
ブラックコーヒーとの相性はバツグン。

店を出、
おりしも薄曇りで風も爽やかな天候だったので
ぶらぶら歩いて帰ることにした。

まずは南千住駅を抜けて反対の東側へ。
こっち方面には初めて行く。



デカいショッピングセンターが並んで建ち、
もうここだけで何でも買える感じ。
古い商店街の西側やかつてドヤ街だった南側とは大違いだわぁ。



新しい都営アパートやマンションが建ち並ぶ一角は
道路も広く、街路樹が並んでいて気持ちいい。
まるで郊外の住宅街のようだ。
とても上野や浅草、日暮里が近いところとは思えない。



ちょっと歩くと汐入公園。
隅田川沿いの緑地帯で、家族連れがたくさん遊んでいた。
今日のような天気の日は気持ちいいねぇ。





道路脇にはこんな花壇も。
汐入公園横の道路からスカイツリーも見えたよ。




さてこの道をしばらく歩くと隅田川沿いに出る。
公園が並んでいて、親水公園があったりもするんだね。
広々していて、思わず芝生に寝っ転がりたくなった。



川沿いから北を眺めると、水神橋と汐入公園。
向うは北千住。



南側には言わずと知れたスカイツリー。
先に見える白髭橋を渡る予定。



白髭橋を渡り、
これまた新しい都営アパートやマンションなど立ち並ぶ
白髭公園角から墨堤通りを南下する。
近くには向島百花園もあるけど、今回はパス。
白髭神社の前を過ぎると地蔵坂商店街の出口(入口?)。



昔ながらの下町商店街だ。
東京に来た頃はよくここに来てたなぁ。

墨堤通りを黙々と南下し。
鳩の街商店街や王貞治記念少年野球場を通り過ぎ、
長命寺、弘福寺前を歩いて・・・
ぼちぼち休みたくなってきたところでいつもの店(笑)
ちょうど時間となりました。
ぶらぶら写真撮りながら歩いてだいたい40~50分。
さっさか歩けば30分ちょいって距離かな。
あとは晩メシがてら、友人たちとの会話と少しの酒を楽しみ、
少々火照った足を引きずりながら帰ったのだった。
いい散歩でした(^^)
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6月23日

2013-06-23 | 風屋日記
今日は
68回目の沖縄忌。
たくさんの一般人が
軍の盾として犠牲になった。
どんな話を聞いても、
何度同じ話を聞いても胸が詰まる。

そして親父の命日。
もう21回目になるなぁ。
生きていれば90歳。
どんな爺さんだったんだろう。

合掌。
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「甘粕正彦 乱心の曠野」

2013-06-22 | 読書
評伝を読む前と読んだあとでこれほど印象が変わる人間も珍しい。
震災のどさくさに紛れて
いとも簡単に主義主張の違う人間を妻や幼い子とともに残虐に殺し、
その後ものうのうと生きるべく満州に渡り
表向きは文化人を気取りながら
その実、闇の世界を統べる悪魔のような人間。
いかにも旧大日本帝国を体現する冷酷な人間・・・そう思っていた。
が、実は彼こそ旧日本軍の最大の被害者ではないのか?

陸軍士官学校を出ているのだからもちろん頭はいい。
それでいて繊細で温かく、差別を持たず、子どもを愛し
偏見を持たず、広く高い視野を持ち、
経営者としても優秀な人間・・・だった。
そんな彼が陸軍の思惑に人生を翻弄されて
大きな秘密を抱えながらひとり自決していった。
何よりも、自決の前に
自分が理事長を務める満映の全従業員の退職金を確保し
中国人従業員に後を託した上で
終戦により右往左往する日本人従業員が逃げる列車まで手配していたことに
大きな感銘を受けた。
関東軍と違い、彼だけは中国人や朝鮮人を差別しなかった。
立場を利用して関東軍をうまく使い、
自らの情報網をアジア全域に張り巡らせ、
日本の敗戦も、かなり早い段階で察知していたに違いない。
自決に当たって逡巡する姿が印象的だ。
心優しく、実は弱い人間であることを感じさせる。

こんな、現代なら優秀な経営者だったであろう人間の人生を
簡単に踏みにじるのが軍隊なのだ。
以下に挙げる彼の言葉が実際の彼の姿を表している。

「黄禍といふ言葉は白人が自己の優越、
自己の専横をほしいままにしやうと思はなければ
出てこない語である。
将来のことを考へると日本人は支那人を馬鹿にしてはいけない。
英人の手先に使はれている印度人を
イヂメルやうな愚なことをしてはならない」

「うつかりすると私は ホントの弱い人間、真の私に帰ります。
どうぞ、こゝのところは私を強い人間として置いて下さい。
非人情にして置いて下さい。」

「日の丸の下に国民精神総動員などという文字を書いたポスターを
到るところに貼ってありますが、
こんなことで、精神が総動員されると思っているのが間違いです。
宮城の前を電車が通るとき、 帽子を脱いで頭を下げさせることになったようですが、
こんな馬鹿なことをさせる指導者は人間の心持がわからない人たちです。
こういうやり方は偽善者を作ることになります。
頭を下げたい人は下げたらよろしいし、下げたくなかったら下げなくてもよろしい。
国に対する忠誠は、宮城の前で頭を下げる下げないで決まるわけではありません。
(そういう精神指導は誰がやってるか、という問に対して)
そりゃ軍人どもですよ。それから軍人に迎合する人たちですよ。
軍人というものは人殺しが専門なのです。
人を殺すのは、異常な心理状態でなければできないことです。」

そして本書の筆者は以下のようにいう。

「甘粕は帝国の盛衰に自分の運命を重ねて自決した。
そして甘粕自決後の旧満映スタッフたちは
東西冷戦時代の中国と日本の国家意思にそれぞれ玩ばれて苦しんだ。
それは帝国が終焉してもなお、人びとが国家というものに
翻弄される存在であることに変わりがないことを示している。」

いざとなれば「国家」は国民を盾にする。
「国民の生命と財産を守る」なんてのは詭弁だ。
沖縄戦を見てもわかる通り、
人は命を捨てて国を(というより為政者を)守ることを強いられる。
そして軍は軍の価値観に従い、簡単に人の人生を振り回す。
そこが今の文民統制下の自衛隊と違うところだろう。
そんな「国防軍」を作ろうとしているのが
甘粕の人生を弄びつつ利用し、満州を私物化した
岸信介の後衛である安倍晋三であるというのは単なる偶然ではない。

ところで本書には以下のような記述もある。
大阪市長は「軍隊というものはすべからく・・・」という言い方をしていたが、
果たしてそうなのだろうか?
「八路軍で有名なのは、人民からは一本の針も一筋の糸もとってはならない、
女をからかってはならないなどからなる
『三大規律、八項注意』という厳しい軍律である。」

蛇足ながらついでに
別のとある本で読んだ一節が頭に残っている。
「帝国とは他国を侵略しつつ自国土を増やしていく国家体制である」
日本は侵略をしていないと強固に言い張る元と知事は
当時の日本が「大日本帝国」だったことを知らないのか?

「甘粕正彦 乱心の曠野」佐野眞一:著 新潮文庫
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形見

2013-06-21 | 風屋日記
ウチの親父は男ばかり5人兄弟。

明治36年生まれの長兄は旧制一関中学卒業後
しばらく教員をしていたらしいのだが
結核に罹患し、親父が2歳の時に22歳で亡くなった。

次兄は明治38年生まれ。
紆余曲折の戦前を歩んできたあと
戦後は一貫して政治の世界に身を置き、
平成14年に96歳で亡くなった。

三兄の大三伯父は何年に生まれたのか手元に資料は無いが、
旧制盛岡中学時代に弟が下宿を訪れると
押し入れから一升瓶がゴロゴロ出てきたという無頼派。
すべて親父からの聞きかじりだから詳細はわからないが
中学卒業後は九州へ行き、
そこで知り合った女性と心中しようと北海道へ。
女性は亡くなったものの、
生き残った本人は入院先の看護婦と駆け落ち・・・
とまぁ何と表現していいかわからない人生だったようだ。
最後は家に連れ戻され、見合いで結婚したものの
ほどなく結核で若い命を落としたとのこと。
今でも従兄弟たちの間では語り種の伯父ではある。

四兄は大正3年or4年の生まれだから
親父からしてみればすぐ上の兄とも8歳違うことになる。
10代の頃に警察署長の息子を喧嘩で殴り
すぐさま当時東京に住んでいた次兄の元へ送られたようだ。
それから数年前に亡くなるまで東京下町暮らし。
ワタシにとってはとても優しい伯父だった。

そして親父は大正12年生まれ。
これまた小説にでもなりそうな人生を歩んだ挙げ句
長兄、三兄と同様結核が最後は命を縮めた。



ところでワタシは中学校時分から
親父に「お前は大三兄さんに似ている」と言われてきた。
性格なのか、見た目なのかよくわからないが
「だから気をつけろ」と言われても
何に気をつければ良いのか返答のしようがなかった。
ただ何となくその人に親近感を感じるようになったのは確かだ。

先日の「伝統芸能 夢の架け橋」時
親父の四兄の娘にあたる従姉妹が見にきてくれ
「コレあげたいと思って持ってきたよ」
と、たとう紙が入った包みを渡してくれた。
「大三伯父さんの形見の袴をウチのお父さん大事に持ってたのよ。
 ウチじゃ誰も穿かないからもらって欲しいと思って」

利休鼠とも言える無地で渋い色の袴は
虫食いも無く、折り目もきちんと畳まれていた。
穿いてみると、少し丈は短めながら許容範囲。
会ったことは無いが(なにせ亡くなったのは戦前)、
「似ている」と言われ続けて親近感を持っていた伯父の形見だ。
しかも近々お茶用に中古ででも袴を買おうと思っていた矢先。
伯父が今までより身近に感じられて嬉しい。
ありがたくいただいた。
来年早々の初釜で身につけてみよう。

時が流れ、人々が代わっていっても
大切にしている物はその人の面影を伝えながら
いつまでも残っている。
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「雨のステイション」

2013-06-20 | 音楽
新しい誰かのために
わたしなど 思い出さないで
声にさえもならなかった あのひと言を
季節は運んでく 時の彼方
六月は蒼く煙って
なにもかもにじませている

雨のステイション
会える気がして
いくつ人影見送っただろう

霧深い町の通りを
かすめ飛ぶつばめが好きよ
心 縛るものをすててかけてゆきたい
なつかしい腕の中 今すぐにも
六月は蒼く煙って
なにもかもにじませている

雨のステイション
会える気がして
いくつ人影見送っただろう
雨のステイション
会える気がして
いくつ人影見送っただろう


雨のステイション」詞・曲 荒井由実
アルバム「COBALT HOUR」に入っているこの曲。
歌の舞台は西立川駅みたいだけど
写真は地元の押上駅にて。
今日は雨。
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「伝統芸能 夢の架け橋」フィナーレ

2013-06-19 | 文化
















さまざまな、たくさんの方々のご協力をいただき、
大勢のお客様のご来場をいただき、
出演メンバーも自腹で上京し、
いろんな思いを残してイベントは終わった。
被災地支援への温かい思い。
いつもとは違う土地、舞台での精一杯の演舞。
違う文化を持つもの同士の熱い交流。
胸が熱くなるシーンがいくつもあった。
長いようで、あっという間の一日が
夢のように過ぎた。

お手伝いいただいた方々、ご覧いただいた方々、
協賛いただいた方々、公演いただいた方々に
心からの御礼を申し上げて
この話題を終わりたいと思います。
今ご支援いただいた金額を精算中です。
精算後、いくら義援金にできたのかについては
本イベントの公式ブログにUP予定です。

本当にありがとうございました。
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琉球文化

2013-06-18 | 文化






日本人、日本語、日本文化•••
最近そういう括りの語られ方をよく目にする。
日本文化は素晴らしい、日本語は美しい、
果ては日本人は優秀だ、などなど。
でもちょっと待って。
それらはひとつに括れるものだろうか。

例えば岩手には岩手の文化がある。
いや、もっと分析すれば
花巻の、上根子の独自文化がある。
同様に
東京にも独自の文化や言葉があることを、
下町に住んで改めて知った。
全国津々浦々、それぞれの文化がある。
「日本の」という冠は
せいぜい「日本国内の」という
国境線内の括りでしか無い。
何せ「八重の桜」を見てもわかる通り
それぞれの地域で歴史すら違うのだ。

ただ、確かに
どんどん日本全国が共通化しつつあるのは感じる。
でもそれはある意味
無意識の「同化政策」ではあるまいか。
特に東北地方は何度も中央政権に侵略され、
時の政権に同化を強いられてきた歴史を持つ。
その結果言葉も、文化も、歴史認識すら
アイデンティティを失ってきつつある。
ワタシは日本人である前に
蝦夷の後裔であり、南部人であり、
そして花巻人でありたいと思うのだが。

まして琉球は
厳密な意味で「日本」になったのは明治以降。
途中はアメリカだったこともある。
侵略され、戦禍に踏みにじられ、
それでも独自の文化を持ち続けてきた。
それは日本でもなく、中国でもない。
あくまで琉球なのだ。
紅型にも、ミンサーにも、音楽にも、踊りにも
だからワタシは惹かれる。
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昨日の岩手日報より

2013-06-17 | 神楽・芸能
記事として取り上げていただきました。
琉球新報さんにも取材していただいたので
たぶん取り上げていただいたのではないかなと。
嬉しいです。
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すべて終了

2013-06-16 | 神楽・芸能
たくさんの方々の協力と応援と、
ご覧いただいた暖かい拍手と、
出演の沖縄チーム、花巻チームの頑張りと、
スサノオ神社の皆さんのお手配など
本当に多数の方々に関わっていただいて
2日間にわたる全てが終了しました。
本当にありがとうございました。

人の暖かさと、人と人との交流の楽しさを
今回も改めて実感しました。
これだから止められない(笑)
感動の2日間をありがとうございました。

仕事で帰ってきた花巻にて。
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