風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

日本の宗教と信仰

2021-11-30 | 文化
宗教というのは面白い。
例えば欧米では各宗派に分かれてはいるものの
基本的にキリスト教が信仰だけではなく倫理にまで浸透している。
中東ではイスラム教、イスラエルではユダヤ教だ。
それぞれ時代を経てさまざまな変化や分派しているものの
ベースとなる部分は変わっていない。
(そもそも3宗教とも起源は一緒ということも理由のひとつ?)

しかし中国やその周辺国では
原始信仰に仏教が混合していたり、道教や儒教の影響があったり。
ヒンドゥーもバラモン教やゾロアスター教の影響を受けたりしている。
日本においては
恐らく原始自然崇拝の信仰があったのだと思うが
それが天皇制と同化し、原始神道に変化したのではないだろうか。
そこに中国から仏教がもたらされ、両者の習合が浸透した。
そのうち神仏混淆を理論化した本地垂迹説が定着。
さらにそこに道教やヒンドゥーの神などが混ざり合って七福神が、
仏教の深化とともに修験も定着して不動明王なども信仰の対象となった。
他国からやってきた神様や文化、信仰を簡単に取り入れ、
すぐに自分たちのものとして同化させていく柔軟性は
元来日本人の特性であったに違いない。
だから明治維新による欧化もいともあっさり受け入れたし、
終戦とともにやってきた民主主義もすぐに定着した。
節操がないと言えばそれまでだが、
進化論では、強いものではなく変化に対応できるものが生き残るというから
日本は案外しぶとく生き残っていく国なのかもしれない。

信仰は本来、意識して行うことではなく
生活慣習、文化に自然に残っているものだと思う。
だから強制しても定着しないし、力で押さえつけても摩擦を生むだけ。
十字軍の歴史も、ウマイヤ朝の侵攻もそれを証明している。
現代におけるアフガニスタンにも懸念。



写真は上根子熊野神社拝殿に掲げられた奉納額。
文化年間から嘉永年間、江戸時代後期から末期にかけてのものだ。
下の額の絵は天女だろうか。
これもまた民間信仰の対象のひとつ。
それを神道の神社に奉納するということもまた
日本独特の、宗教の習合性なのだろうが、
ちゃんと生活習慣や文化、日常の信仰に則っているので違和感はない。

元来渡来のものを受け入れてきた日本の文化。
今さら他国籍人を差別したり、移民を受け入れなかったり、
ことさら異文化を排除したりするのは、
差別者たちが言うところの伝統的日本文化に反している。
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「トトロの住む家」

2021-11-29 | 読書

古い本ネタ第2弾(笑)
なんと宮崎駿さんが書いた本だ。

私は純粋培養の文系なので(^^;
高校時代の進路選択ではまったく考えなかったが、
実は子どもの頃から建築に興味あったなぁと今になって思う。
家の間取りなど、新聞折り込みのチラシがあると
必ず抜き出して隅から隅まで見たものだった。
方眼紙を使って、架空の家の間取りを描いてみたこともある。
それなのに、なんで建築という進路を考えもしなかったのだろう。

自分が建築に興味を持っていると気がついたのは
仕事で↓この本を作った時。


その後、フリーになってから、
やはり建築系の本の編集に携わって確信を得た。
花巻のリノベーションまちづくりを間近で見てますます。
そういえば若い頃にログハウスに興味を持ちはじめ、
ムックを何冊か買いこんできたこともあった。

新しい家も魅力的だけれど、
今年ご縁があった菊池捍邸を見ていて、
どうやら古民家に強く惹かれることにも気づいた。
向田邦子さんの作品に出てきそうな、大正〜昭和な古民家。
玄関が引き戸で、その上には丸い門灯がついている。
天井から風鈴が下がった縁側があり、小さな庭が見える。
2階はぐるりと廊下が部屋を囲んでいる。
畳の部屋でも、絨毯を敷いて籐の椅子など置いてある。
そんな家。

本書はそんな古民家でいっぱいだ。
「トトロが喜んで住みそうな家」を自ら見つけ
宮崎駿さんがイラストと写真を交えて紹介している。



いいなぁ。
こんな家、こんな部屋に住んでみたいなぁ。
寒いだろうし、生活にはなにかと不便だとは思うけど
こんな家に住んだら、丁寧な生活ができそう。

この本の奥付を見ると
「1992年7月30日4刷」と書いてある。
親父が死んだ直後だなぁ。
息子たちは5歳と3歳、
ビデオで「となりのトトロ」を見せていたころだ。
そういや、あのメイとサツキが住んでいた家にも憧れたな。
本当に久しぶりに、家の倉庫から出してきた本。
装幀もいい。

「トトロの住む家」宮崎駿:著 朝日新聞
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人間交差点(ヒューマンスクランブル)

2021-11-28 | 読書

風人堂への、自分の出品本の補充のため
納戸にしまっていた本を出してきた。
その中にこのシリーズが。
もちろんセット販売することとして
販売書棚に収めてきたのだが・・・

その前にちょっと1冊ざっと読んでみる。
いいな。とてもいい。
特に1巻は刑務所や少年院などが舞台なのだが
そこにひとりひとりの人間の生き様がある。
必死に生きてきたひとのギリギリの犯罪。
憎んでも憎みきれない親子の情。
若い頃の打算と、自己犠牲の愛情。

人間って哀しいけど、人と人との繋がりは
いいものだなと思わせてくれる。
浅田次郎さんの小説に似たものがあるよね。
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イーハトーブ音楽祭2021

2021-11-27 | 音楽

徐々にコロナ禍からいろんなことが脱してきている。
2年続けて夏のイベントを中止にしてきたイーハトーブ音楽祭も
昨年に続き冬開催となる。
もちろん今後の感染の広がり状況次第だが
やっぱりこうやってイベントが行われると嬉しい。
音楽は生活に必要。
人はパンのみにて生きるにあらず。
No music, no life.
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釜石 vol.2

2021-11-26 | 
釜石大観音の場所からずーっと下に降りていくと
参道にあたるところに仲見世通りがある。
かつては土産物屋や食堂などがあって賑やかだったらしいが
今はほとんどシャッターが閉まっている。
でもね、2階の格子窓が並んでいてなかなかいい風情。
ここが今リノベーションまちづくりの舞台となっている。
まだカフェとコワーキングスペースしかないが
この風情を活かすと面白いまちになりそう。


ということで、sofo cafeに立ち寄ってみた。


古民家を生かしたいい雰囲気。
結構広いので、JAZZライブなど似合いそう。


本が並んだ棚などは、風人堂でも参考にしたいところだ。
かっこいいね。

釜石の中心街からちょっと離れているのが残念だけど
このまちもぶらりと歩いて面白そう。
今後が楽しみ。
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釜石大観音

2021-11-25 | 
先日の日曜日は釜石道を使って釜石へ。
花巻から釜石へ、ほんの1時間ちょいで着く。
しかも復興道路扱いなので無料。
いいね。
この日は三陸DMOセンター主催により
釜石大観音でのフォトウォークが行われた。
私はオブザーバー参加の扱い。



実は釜石大観音に行くのは初めて。
単に大きな観音像が建っているだけだと思っていたのだが
広い敷地で景色もよく、見事な仏舎利塔もある。



仏舎利塔の中にも入ることができ、
どこかMISIAに似たスリランカから送られた観音像などが見られる。



地下には様々な仏教宗派の開祖たちの像や
愛染明王像も、仏舎利に置かれていた。


大観音の胎内に入ることができるのだが、
なんと2階にはお寺があるという。
御本尊は(一般公開はしていないらしい)高村光雲作の釈迦三尊像。


そこから螺旋階段を登った3階には
鉈彫りの三十三観音がぐるっと回廊を囲んでいる。



また螺旋階段を登る。
1階ごとに七福神が鎮座している。



最上階は大観音の腕の上で、展望台となっている。
七福神も、三十三観音と同様の見事な鉈彫りだ。
これだけでも見応えがある。

大観音の外には恋人の聖地というハートが。


これは、東日本大震災で結婚式ができなかったカップルに
せめてもの記念の場所を・・・ということで
釜石出身の桂由美さんの下で働く方がデザインしたというもの。
この10年で何組もの夫婦がここから誕生したらしい。

という話の後のフォトウォークだったので、
私が撮ったベストショットは↓コレ。


こんな絵馬がたくさんあって、
なんかじーんとした爺さんでした(^^;
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冬モード

2021-11-24 | 生活の風景
紅葉の季節もあっという間に通り過ぎ、
一昨日にはタイヤ交換も済ませた。
今年の収穫を感謝する新嘗祭(勤労感謝の日)も終えて、
今日からは気分も冬モード。
いよいよだ。

写真は今月上旬に撮った花巻温泉の紅葉。
今年の秋の名残にUP。






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新穀感謝祭

2021-11-23 | 神楽・芸能

今日は勤労感謝の日。
本来は新嘗祭、今年の収穫を神様に感謝する日だ。
上根子熊野神社では例年通り、新穀感謝祭の祭式を行う。
当然我々上根子神楽も祭式を手伝い、権現舞を奉納。
里で豊穣をもたらしてくれた山の神は
この日を境に山へ帰ってゆく。
次に里へ降りてくるのは来春になる。
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改革を強く望む

2021-11-22 | 社会
日本大学の学校法人経営体制には幻滅だ。
一番迷惑しているのは教員をはじめとした学校現場と
なんと言っても学生やOB。
昔から日本大学の経営陣は体育会系の方々が牛耳ってきたが
逆にそれが大学そのものの価値を貶めてきたのだと思う。
(特にアメフト、相撲、スキー、水泳などの強豪部)
もっと研究や学術面を重視して欲しい。

田中理事長が不正や背任に関与していたかどうかについては
検察や国税庁が動いているのでそちらの結果を注視するが、
少なくとも大学の社会的信用を失墜させたのはトップの責任。
ここは理事総辞任により体制を刷新して欲しい。
情けないのは学校法人本部のスタッフたちだ。
なぜ上層部の不正を告発できないのか。
広報からの発言もトップの言いなりではないのか。

かつて日本大学は、全国の学生運動の中心でもあった。
東大や法政大学と並び、日大闘争は苛烈を極めた。
それから10年経った80年ごろもまだその残滓が残っていたほど。
その経験から、体制側で力になった運動部が
大学中心部を担うようになったとどこかで聞いたが、
残念な結果になったことを反省すべきだ。

今こそ改革を。
でないと大学そのものの存続も危うい。
学生やOBたちは全面的な改革を一番望んでいる。
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2022年の阪神タイガース

2021-11-21 | スポーツ
大山はセカンドにコンバートしようか。
肩は強いけど、サードからだと時々送球ミスがある。
体制が崩れた形でファースト送球するよりも
カットに入って肩を生かせれば。
かつての岡田のように、セカンドの強打者を目指そう。
外野へ・・・という案もあるらしいが
そこには来年井上に入ってもらわなきゃ。
ファーストはマルテ、サードには佐藤輝明を。
もちろんショートは中野だ。
糸原、木浪、北條、は内野バックアップ&代打に。

外野は井上、近本が決定で、そこにロハスJr が入ればいい。
陽川、植田、島田はバックアップ&代打・代走で。
代打の切り札には原口がいる。
それでかなり層が厚い野手陣になるだろう。
ホントはロハスやマルテのバックアップとして
サンズも抑えておきたいところだろうが、
契約は果たしてどうなるか。

捕手はやはり梅野と坂本の併用。
今年の梅野は最後かなり疲労が溜まったようだから、
抑え捕手として坂本を使うことにより
最後まで息切れせずに梅野らしいパフォーマンスを期待できる。

投手陣では、及川を先発に。
高橋、伊藤、及川の左3枚に、青柳、秋山、ガンケルと
バリエーション豊かな先発陣となる。
そこに西純が入って来れれば、ますます層が厚くなる。
西勇は勝利の方程式となる中継ぎとして7回を任せたい。
8回は岩崎、9回はスアレス。
新入団から桐敷か鈴木が即戦力で中継ぎに入れれば
馬場や石井、小川、才木などとともに安定感が出よう。
左右のバランスも良くなる。

この皮算用はかなり期待できそうだ。

1井上       RF
2中野     SS
3近本     CF
4マルテ  1B
5大山        2B
6佐藤        3B
7梅野         C
8ロハスJr  LF
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消せない

2021-11-20 | 生活の風景


スマホの中の連絡先にも
Facebookの友達にも
もう亡くなってしまった
かつての友人、知人たちがそのままいる。
もう彼ら、彼女らに連絡することも
コメントもらうことも無いのだけれど、
だからといって消せないよね。
本人の姿はリアルにはもう見ることはできないが
スマホやPCで名前を見ることはできる。
生きている頃やりとりした記録も残っている。
それを消してしまえば
自分とその人との関係まで消えてしまうようで
そんなことする気になれない。

昨日こんなことがあった。
今日はこんな日だった。
そんなこともあの人たちは経験していないんだな。
そのうち自分もその仲間になるんだろう。
そうなったら、今付き合いがある友人、知人たちの
スマホやPCから自分の名前は消えるのかな。
それはそれで仕方ないことだと思うけど。
コメント (4)
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「昭和史七つの謎と七大事件」

2021-11-19 | 読書

1941年、アメリカとの戦争は
大本営政府連絡会議で決められ、天皇の裁可によって始められた。
いわば日本全国民の生殺与奪を決める会議だったから
当然のことながら国のトップたちによる高度な政治判断だ。
ところがその「国のトップ」たちはどんなメンバーだったのか、
本書でそれを知って愕然とした。
政府側は東條英機首相兼陸相、嶋田繁太郎海相、鈴木貞一企画院総裁、
そして東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相の閣僚たち。
大本営からは陸軍の杉山元参謀総長、田辺盛武参謀次長、
海軍の永野修身軍令部総長、伊藤整一軍令部次長。
なんのことはない、東郷、賀屋以外はすべて軍関係者だ。
(企画院とは、当時国家総動員法などを指揮していた官庁)
しかも純粋な官僚であった東郷、賀屋には
対米海戦にかかる情報は何も伝えらていなかったという。

驚くべきことはまだまだ他にもある。
東條はじめ、開戦当時の国の指導者たちは
「始めた戦争をどう集結させるか(何をもって『勝利』とするか)」
まったく先のビジョンを持っていなかったというのだ。
「そのうちアメリカが音を上げるだろう」ぐらいの認識だったとのこと。
どう集結させるかに頭を抱えていたのは天皇ひとりだった由。
しかも燃料備蓄状況をはじめとする戦争の実情について
数字や資料を捏造して天皇に報告していたという事実。
「2010年4月に公刊された「小柳資料」(水交会刊)、
 海軍の小柳富次という将官が戦後に存命している将官47人を訪ねて
 聞いた話をまとめた資料がある。
 それによると、昭和19年7月に海軍大臣に就任した米内光政が
 やはり就任したばかりの次官・井上成美に、
 天皇から戦争継続のための燃料の備蓄についての質問があったので
 至急資料を作成するよう命じた。
 井上はさっそく燃料課長を呼んで資料を作るよう命じたところ
 その燃料課長は「本当の資料を作りますか?」と尋ねたそうだ。
 井上が問い質すと、前大臣の嶋田繁太郎の時は
 数字や内容を書き換えた資料を作って天皇に渡していたという。」

「統帥権干犯」という言葉がある。
大日本帝国憲法において、「天皇は陸海軍を統帥」しており、
「軍事作戦においては陸軍は参謀長、海軍は軍令部長に委託」していた。
そして「天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む」こととされており、
それはそれぞれ陸軍大臣、海軍大臣が担っていた。
つまり統帥権は政治とは別の独立した権限であって
いかに政治家といえど、官僚といえど
例えば戦争に係る予算などの「軍に関わること」に口を出すのは
「天皇大権の統帥権を干犯することになる」として退けられた。
その結果が湯水の如く出動された軍予算であり、
目指すべきところを持たないまま多大な犠牲を生んだ戦争継続であり、
軽んじられた国民の命であり、
戦中から戦後まで続いた物資不足なのだった。
じゃあ文民統制ならよかったのではないかと思われる向きもあろうが
当時は政治も軍出身者で牛耳られていたから仕方ない。

本書は昭和前期から中期にわたる歴史を丁寧に紐解きながら
実は伏流水として官僚政治の怖さを糾弾している。
(当時の軍官僚とて官僚)
歴史から導いた教訓が「新版前書き」に書かれている。
①軍官僚は戦争を自らの功績の手段に使った
②官僚政治はつまるところ責任を負わない
③完了の執務の基準は時代であり、歴史ではない。
簡単にいうと「出世」「無責任」「反歴史」。
もちろん全官僚に言えることではないが、
上に行けば行くほどその傾向が顕著になると嘆く。
ここ数年の財務省高官を例に挙げながら。

歴史に学ばなければ、悲劇は繰り返される。
それを気づかせてくれる本書著者の言葉には耳を傾ける必要がある。

「昭和史七つの謎と七大事件」保阪正康:著 角川新書
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「護られなかった者たちへ」

2021-11-18 | 映画・芝居・TV

ひとがひとりで生きることは難しい。
少しでも生きやすくするためにたくさんのひとが集団を作り、
その中でそれぞれの役割を担っているのが社会。
ひとつの社会を、同じような文化や方向性を持って
強固な集団にしているのが国だ。
ひとの歩みは人により、年齢によりそれぞれだから
集団が大きくなればなるほど、取り残されていく人々がいる。
そに人たちをみんなで救うために公平に金を出し合う。
互助的な使い方をするために税金はあるのではなかろうか。
税金とセーフティネットの原点はソコだと思う。

残念ながら、現代の「日本」という国ではそれが薄い。
唯一のセーフティネットである生活保護も
がんじがらめに規定が施され
最前線でそれを守るべき人たちの疲弊も想像以上だろう。
この社会派作品に登場する人たちは誰も悪くはない(のだろう)が
それではこの作品に描かれるような悲劇を避けるためには
一体どうすればいいのか。
現場を担う最前線の担当者たちが、
上層部ではなく救うべき人に目を向ければいい?
それも現実的ではないことをちゃんとこの作品では描いている。
震災当時の被災者サポート体制が足りなかった?
未曾有の災害渦中で、それもまた誰も責められない。

やはり制度不備なのだろう。
本作品で描かれていない、もっと根本的な問題提起がされている。
にも関わらず、この国のトップは
自助、共助、公助という順番をさらりと答える。
税金で賄われる国の予算は大手企業や政権周辺に使われ
他国の人々を傷つける道具(武器)の購入に使われる。
ならば税金を払う必要があるか?
選挙というのは権力を選んだり、イデオロギーに賛同するのではなく
税金の使い方を問うものであるべきじゃないか?
そんなことを感じながらの鑑賞。

内田慈さん演じる母親の言葉が痛かった。
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自分の幹となる言葉

2021-11-17 | 風屋日記
以前「座右の銘」と第して↓のようなことを書いた。


「至誠通天」=誠に至るは天に通ず
「従流不変志」=流れに従うも志を変えず

どんな時でもこの2つの言葉を忘れない。
これまで辛い時代もあったが
そのつどこの2つの言葉を唱えて乗り切ってきた。

そして、特に仕事の上で3つ自分なりの理念がある。
すべて薫陶を受けた、故3代目山口徳治郎氏から受け継いだ教え。

●私たちの仕事は、人から人、地域から地域、過去から未来への架け橋
 ・・・これは、特に紙メディアに携わる者の心構え。
    単に情報を伝えるだけではなく、架け橋となる。
    そして保存性が高い紙メディアはいつまでも残る。
    常にそれを忘れるべからず。
    これを「Creative Interface」と表現し、
    当時勤めていた会社の理念とした。

●組織にとって一番大事なものは実績や利ではなく
 理念であり、構成員や支えてくれる人である
 ・・・企業であれば売上や利益が一番ではない。
    理念がなければ「儲かれば何でもあり」になってしまう。
    支える人がいなければ何もできない。

●組織のトップがワンマンであれば、
 その組織はトップの器以上に大きくはなれない
 ・・・カリスマ的トップの組織はある程度までは大きくなるが
    ワンマンのままだとトップの器以上になることはできない。
    組織の構成員たちの力を引き出すことができない組織は
    大きくなれないどころか、
    トップの力が衰えると同時に力を失い、長続きできない。

かつて自分を100%預けていた会社は大手の傘下に入り、
社名や従業員たちは残っているものの、以前の会社ではない。
私は今も当時の会社の理念をそのまま持ち続けている。
だから、私がかつての会社を引き継いだようなものだろう。
雇用はしておらず、ひとりの会社ではあるが
理念を理解し支えてくれる人たちがいる。
ともに同じベクトルで仕事をしてくれる仲間たちがいる。
その人たちの力を生かすことによって
私たちは、私個人で取り組むよりも大きな仕事ができる。
Creative Interfaceという役割を果たすことができる。
理念を持ち、人を生かす。
企業でも、政治でも、社会でも、行政でも
世の組織のトップにはこれを求めたい。
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自分が住むまち

2021-11-16 | 社会

花巻で生まれ育って61年。
父方、母方のどちらの祖父母も花巻出身じゃないのに
孫の代、ひ孫の代で土着したというのも不思議だ。
大学時代や東京赴任時代の合計9年間の東京暮らしを除けば
花巻に52年間暮らしてきたことになる。
恐らく、何事もなければここで人生を終えるのだろう。

そして、花巻のまちをどうにかしたいと思ってから30年ほど。
このまちのプロモーションに携わるようになって7年ほど。
もちろん文句を言い出せばキリがない。
他のまちと比べて劣っていると思われるところもある。
これは市役所がどうとかいうことではなく
市民ひとりひとりレベルの話として。
大学を選ぶ際も、早くここを出たいと東京を目指したほど。

でもね、歳とともに良さもたくさん見えてきた。
文句や愚痴を言っても何も変わらない。
自分が住むまちを、もっと住みやすく、誇れるまちに。
ポジティブに、具体的に行動することにも気づいた。
「もっとこうすればいい」「もっとこうすべきだ」と
若い頃は当時の市長に手紙を書いたこともあった。
プロモーションに関わるようになってからは
普段目に見えないまちの事情もいろいろ知ることとなった。
一般にはあまり知られない良さもたくさん知った。

花巻はとてもいいまちだ。
そしてもっと暮らしやすい、誇れるまちにするには
ひとりひとりが意識を変えればいいと考えている。
せっかく自分が住むまち。
文句ばかり言うのではなく、みんなで良くしよう。

以前TVでどこかの大学の先生が話していたことが
今も頭の中にある。
「全国どこのまちにも『志民』は1割いる。
 しかし、残りの9割が『死民』だとそのまちは廃れる。
 9割のうち、3割が『志民』を支える『支民』なら
 必ずそのまちは活性化していくだろう」
いま花巻には若い『志民』がたくさんいる。
私がこの歳でできることは何かを考えた。
『支民』を増やすことならできるかも知れない。
花巻まち散歩マガジンMachicoco発行もそのひとつ。
まちのプロモーションも、そういう意識を常に持っている。

世界の旅番組を見ると、
住んでいる人たちが「ここは最高」とよく言っている。
花巻もそんなまちにしたい。
自分たちのまちの魅力に気づき、もっと良くしようよ。
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