宗教というのは面白い。
例えば欧米では各宗派に分かれてはいるものの
基本的にキリスト教が信仰だけではなく倫理にまで浸透している。
中東ではイスラム教、イスラエルではユダヤ教だ。
それぞれ時代を経てさまざまな変化や分派しているものの
ベースとなる部分は変わっていない。
(そもそも3宗教とも起源は一緒ということも理由のひとつ?)
しかし中国やその周辺国では
原始信仰に仏教が混合していたり、道教や儒教の影響があったり。
ヒンドゥーもバラモン教やゾロアスター教の影響を受けたりしている。
日本においては
恐らく原始自然崇拝の信仰があったのだと思うが
それが天皇制と同化し、原始神道に変化したのではないだろうか。
そこに中国から仏教がもたらされ、両者の習合が浸透した。
そのうち神仏混淆を理論化した本地垂迹説が定着。
さらにそこに道教やヒンドゥーの神などが混ざり合って七福神が、
仏教の深化とともに修験も定着して不動明王なども信仰の対象となった。
他国からやってきた神様や文化、信仰を簡単に取り入れ、
すぐに自分たちのものとして同化させていく柔軟性は
元来日本人の特性であったに違いない。
だから明治維新による欧化もいともあっさり受け入れたし、
終戦とともにやってきた民主主義もすぐに定着した。
節操がないと言えばそれまでだが、
進化論では、強いものではなく変化に対応できるものが生き残るというから
日本は案外しぶとく生き残っていく国なのかもしれない。
信仰は本来、意識して行うことではなく
生活慣習、文化に自然に残っているものだと思う。
だから強制しても定着しないし、力で押さえつけても摩擦を生むだけ。
十字軍の歴史も、ウマイヤ朝の侵攻もそれを証明している。
現代におけるアフガニスタンにも懸念。
写真は上根子熊野神社拝殿に掲げられた奉納額。
文化年間から嘉永年間、江戸時代後期から末期にかけてのものだ。
下の額の絵は天女だろうか。
これもまた民間信仰の対象のひとつ。
それを神道の神社に奉納するということもまた
日本独特の、宗教の習合性なのだろうが、
ちゃんと生活習慣や文化、日常の信仰に則っているので違和感はない。
元来渡来のものを受け入れてきた日本の文化。
今さら他国籍人を差別したり、移民を受け入れなかったり、
ことさら異文化を排除したりするのは、
差別者たちが言うところの伝統的日本文化に反している。