財布の中は千円札が2〜3枚と百円玉が10個ほど。
これから何か予定があるわけじゃない。
いつものように本屋に寄り、目についた文庫本でも買って
いつものように喫茶店でコーヒーでも飲みながら頁をめくろうか。
あるいはどこかの公園でぼんやりタバコをくゆらそうか。
少なくとも店で酒を飲むほどの手持ちがないことだけは確かだ。
そんな時に、歩いている商店街の路地の先に古い映画館を見つけた。
どうやら古い映画を上映している名画座らしい。
ふらりと映画館の前まで行ってみると、入場料は600円。
札を出さなくても、小銭で入れそうだ。
上映中の映画は知らないタイトルの日本の映画だが
若い無名の役者が主演らしいから、ちょっと興味がないわけじゃない。
どうせ時間は有り余っている。
入ってみるか。
入口脇の小窓の中には機嫌悪そうな感じのおばちゃん。
「学生1枚」と600円を差し出すと、
「あと5分で前の回が終わるからちょうどいいわ」
と無愛想な顔ながら意外に優しい声で答えてくれた。
ぺらぺらのチケットを持って入口を入る。
すぐ横にお菓子やら飲み物の端に
申し訳程度の上映作品のパンフレットがおいてあるガラスケース。
アルバイト学生らしい、割と地味な女の子が黙って半券をちぎった。
薄暗い、打ちっ放しのコンクリートの狭い通路には
分厚い扉が2ヶ所ほどあって、
その向こうからエンディングと思しき音楽が流れている。
まだエンドロールが流れ始めたところだと思うが
ぽつりぽつり中から客が出てくる。
しばらく通路でタバコをふかしながら待っていると
2つの扉が全開となり、10人ほどの客がつまらなそうな顔で出て行く。
みんな近くの大学の学生風で、1組のカップル以外はほぼひとり。
半分以上は男の学生だった。
次の上映会一番乗りで客席につく。
うしろの2枚の扉の他に、左右それぞれ1枚ずつ同じような扉があり
右の扉の外は便所らしかった。
そこから流れてくるほのかな匂いを避けるように
左側の真ん中辺の座席に座る。
知らない映画、出ているのも知らない役者なのに
映画館の座席に座ったというだけで、
ちょっとワクワクしてくるから不思議だ。
やがて10人足らずが座る客席は暗くなり、映画が始まった。
私が通っていた大学から駅への商店街のはずれに
古い名画座の映画館があった。
ほんのたまに、気が向いた時そこで映画を見た。
何をみたのかはあまり記憶がないけれど
映画館の雰囲気や空気、匂いだけは鮮明に覚えている。
ちょっと前に、たまたま見ていたテレビの都内散歩番組で
その映画館が出てきて驚いた。
どうやら建て替えて1階にテナントを入れ、
映画館そのものは2階になったらしく、きれいになっていた。
当時の面影は全くなかったけれど映画館の名前だけはそのままで、
その名を聞いただけでなんだか甘酸っぱい思いが湧いてきた。
当時通った喫茶店も1軒だけは残っているらしい。
道ゆく学生は変わっても、変わらないものもあるということ。
♪ あの時の歌は聴こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた ♪
(ガロ「学生街の喫茶店」より)