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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

日本語は面白い

2021-10-31 | 文化
松坂牛をどう発音しているだろうか。
「まつさかうし」?「まつさかぎゅう」?
どうやらどちらも間違いではないらしいが
生産地では「まつさかうし」で統一しているらしい。
でもなんか、生きている動物は「うし」で
肉になると「ぎゅう」というイメージになりがち。

「鮭」はどう発音しているだろう。
「さけ」?「しゃけ」?
これも、どちらでも良いみたいなのだが
広辞苑などでは「鮭(さけ)」と記述されている。
「しゃけ」は一説によると
アイヌ語の「サケ、マス」を言う「シャケべ」から来ているとか。
でも、これも活きている魚は「さけ」
切り身になると「しゃけ」というイメージの人が多い感じ。

生き物と食べるもので、元は同じでも呼び方が違う。
日本語ネイティブじゃない人には難しいけれど
これもまた日本語の面白いところ。
日付も、「1日」と書いて
「いちにち」だったり「ついたち」だったり。
「いちにち」はわかりやすいけど、
「ついたち」は「そういうもの」と知らないと読めない。
「2日」も「ふつか」なんてよく考えるとわからない。
月の最終日を「みそか」というけれど、
それは「三十日」の音読み。
でも今のカレンダーでは、
月の最終日は31日だったり、28日だったり。
たぶんこれは旧暦の名残なのだろう。

よく知らないけど、英語や中国語など
他の言語でもこういう事例はたくさんあるのだろう。
言語は文化。
決して完璧にロジカルなものではない。
それが難しいところでもあり、また面白いところでもある。
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晩秋

2021-10-30 | 生活の風景

平地にも紅葉が降りてきた。
空気が澄んで、山々は錦に彩られている。
北国が11月に入れば、
もういつ雪が降り始めてもおかしくない。
いつのまにか、あっという間に晩秋。
この景色をいつまでも残しておきたいな。

SDGsが、
今、世界中のどの国でも、どの企業でも唱えられている。
では各国で進められる最新兵器の開発や実験は
SDGsに則ったものなのだろうか。
殺人のための道具とサスティナビリティとの整合性を問いたい。
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思い出に残る本 vol.3

2021-10-29 | 読書
中学時代は部活で忙しかったが
合間を見つけてはとにかく本を読んだ。
本さえ読んでいれば「勉強しろ」と言われなくて済むという
多少の計算も働いてはいたのだが(笑)
小学校時代からの習慣がそのまま残っていたから。
しかも大人の本との出会いが大きかった。

最初は親父の蔵書であるこれ。


昭和31〜32年に出版された筑摩書房版の宮沢賢治全集だ。
全て旧仮名遣いだったが、その読み方はすぐに慣れた。
(のちにそれが古文で活きた)
夢中になって全巻読破してしまった。
親父の書棚からは高村光太郎の詩集「智恵子抄」なども。

自分んで買った文庫本で最初にハマったのはアルフォンス・ドーデ。
しかも初めて手に取ったのが、
代表作の「風車小屋便り」や「月曜物語」ではなく
これだったところが今になって笑える。


でもまぁ、ここから始まってドーデに凝ったから


取っ掛かりとしては良かったのかな?
教科書にも「最後の授業」が載っていたし
ルパンシリーズでアルザス、ロレーヌの地名も馴染みがあったから
一時期は大学で仏文を専攻し、ドーデを学ぼうと思ったほど。

中学卒業間近になってから夢中になったのはヘルマン・ヘッセ。
推薦図書になっていた「車輪の下」はイマイチだったが
(でもそれはたぶん内容よりも、点数稼ぎに思われたくなかったから)
「望郷(ピーター・カーメンチント)が良かった。


高校受験が終わったあと、春の日差しが降り注ぐ窓辺で
ゆっくりページをめくっていくと
故郷に帰ったあとのピーターの心がわかる気がした。
それ以来この本は、独身のころ毎年春に読み返したものだ。
自分にとっては3月に読む本。

高校に入ると哲学絡みの本が多くなった。
倉田百三、阿部次郎、サルトル、ヘーゲル、デカルト・・・
中でもアルベール・カミュが一番のお気に入りだった。


最初に読んだ「幸福な死」がたぶん良かったのだろう。
新潮文庫の、この銀のカバーがカミュシリーズで
このカバーを見ただけで心が躍ったものだ。
そして若い頃の自分のバイブルとなった
「シーシュポスの神話」に出会う。


今でも、かつて使った書棚に並んでるこの本は
パラパラと適当なページを開いても
そこに自分の考えの指針になる文章が載っていた。
そんな珠玉のような言葉たちを追い求めて
当時の私は仏文ではなく国文を専攻したのかもしれない。
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カメラマン・サワダの戦争 〜5万カットのネガは何を語るのか〜

2021-10-28 | 世界・平和

先日、NHK BSPで放送されたこの番組を見た。
番組宣伝を見て録画してみたんだけど、
1982年に放送された番組のアーカイブだったことに驚き。
このころ私は沢田教一の名を知らなかったから
リアルでの放送は見ていない。
40年経った今、改めて見られたことに感謝。

1982年というと、沢田がカンボジアで命を落としてからまだ12年。
ベトナム戦争終結からも7年しか経っていない。
ベトナムでも、ラオスでもまだまだ戦後が残っているころだ。
カンボジアに至ってはまだ内戦中。
そんなところにロケに行った取材陣も、妻の沢田サダさんもすごい。
そして一番の衝撃は、
冒頭に流された、沢田教一が狙撃された瞬間の映像。
こんなものが残っていたなんて。

沢田はUPIの戦場報道カメラマンだったから
最前線の凄惨な写真ももちろんたくさんあるのだが、
ピューリッツァー賞を獲得した「安全への逃避」も含め
こどもや農民、女性の写真が多いイメージがある。
印象的なのは被写体となった人々の目。
兵士も、傷ついたこどもも、逃げ惑う人々も
総じて虚な目をしている。
もしかしたら沢田は、
あの目を撮りたかったのではなかろうか。
あれこそが戦争の実態だと。
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鉛温泉 藤三旅館

2021-10-27 | 生活の風景


外来温泉へ。
ここは映画「海街diary」ロケにも使われ、
かつては高村光太郎がよく訪れたり
田宮虎彦の「銀心中」の舞台になったりという老舗。
立ち湯の「白猿の湯」が有名だけど
この日は普通の温泉風呂へ。
気持ちいいねぇ(^^)

思えば2年前には
短編映画「マルカン大食堂の贈り物」の出演者やスタッフは
ここに泊まってもらって撮影したのだった。
それもまた懐かしい思い出。

花巻市内には、鄙びた温泉街や築年数を重ねた老舗、
豪華なリゾートホテルなど12もの温泉がある。
市内にそれだけの温泉を抱えているまちも少ないんじゃない?
ここに生まれて良かったと心から思えるひと時。
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命のリレー

2021-10-26 | 生活の風景

私の祖父は明治8年生まれ。
昭和27年に77歳でこの世を去ったとのこと。
明治〜大正〜昭和を生き、
日清、日露、第一次大戦、第二次大戦を経験し
5人の息子を持った(うち2人は祖父生前に亡くしている)。

私の父は大正12年生まれ。
平成4年に69歳でこの世を去った。
大正〜昭和〜平成を生き、
第二次大戦を経験したあと、
社会人として高度経済成長を過ごし
私と妹の2人の子を持った。

私は昭和35年生まれ。
61歳という、自分でもびっくりの年齢となった。
高度経済成長時代に育ち、
バブル経済やリーマンショックを経て現在に至る。
若い頃は東西冷戦時代で、ベトナム戦争の悲惨さを知り、
ベルリンの壁崩壊に感動し、9.11に胸を痛めた。
阪神淡路大震災を映像で見、東日本大震災を内陸で体験した。
息子2人を持った。

長男と次男はそれぞれ昭和62年と平成元年生まれ。
祖父(私の父)の死は淡い記憶の中にあるだろうか。
社会や世界の出来事の中で最初に一番インパクトがあったのは
恐らく9.11だったのではないか?
当時彼らは中学校2年と小学校6年。
東日本大震災の時は長男が大学院生で次男が大学生。
どちらも家を離れていたので、それなりに大きな体験だったはず。
その後結婚し、長男は息子2人、次男は娘ひとりを持った。

もちろん祖父の父親や、さらにその父親がいただろう。
それらの方々は藩政時代に生きた人々(長州藩)なのだが、
その子、その孫、そしてその後に続く私たちが
命のバトンをつないで、いま自分の人生を生きている。
私の孫たちはそれぞれ平成26年、28年、
そして令和2年に生まれている。
もちろん自分の曽祖父以前のことはわからないだろう。
これからどういう人生を歩むのかわからないが、
少なくとも、長い時の流れの中で受け渡されてきたバトンを
自分も受け継いでいるのだということは
もうすこし大きくなってから理解して欲しいなと思う。
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手紙

2021-10-25 | 風屋日記
元気ですか?
その後体調はいかが?
大きな病気をしたことがないので
あなたの苦しみを実感することはできないけど
きっと体のこと以上に、
気持ちのキープが難しいのでしょう。
聞くことしかできないけれど
もし多少でもそれで気持ちが落ち着くようなら
辛い時には遠慮なく吐露してください。

人生の折り返し地点もとうに過ぎ、
同世代の人たちはそれぞれ定年退職してリタイヤしたり
再雇用や再就職したりしながらも、少し人生を俯瞰したり、
気持ちに余裕を持って生きているように見える。
自分も・・・と思ったりもするけれど
ゴールがない人生終盤を選んだ身としては
相変わらずあくせく、しゃかりきに毎日を過ごさざるを得ない。
自分の選択だから仕方ないけど、
時々みんなを羨ましく思ったりもするよ。
仕事やほかのことに走り回っていても
せめて周りを見渡すぐらいの気持ちのゆとりは持ちたい。

さすがにこの歳になると、
大それた夢やなりたい自分を目指すことはしないけれど
その代わり、もう少し何か形を残したいと思うようになってきた。
後代や、若い人たちに置き土産となるような仕事・・・
何ができるかな?
まだまだそういう意味では手探りだね。
慌ただしい仕事の合間に、ちょっとやりたいことがある。
恥ずかしいのでまだ秘密。
ドタバタ続きでまだまだ手をつけることができないし。

お互いに、「今できること」をしよう。
できないことばかり考えていても仕方がない。
人生の後悔はしたくないから、過去を悔いるのではなく
今できることを、その時々に楽しみながらできれば
きっと気持ちも落ち着いてくる。
どんな些細なことでもいい。
とにかく毎日ご飯が食べられて、屋根の下で寝られることに感謝し
そのことを幸せに感じるような毎日を送ろう。
明日はきっと、今日よりいい日になる。

また手紙書きます。
体調にはくれぐれも気をつけて、元気で。
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東北人魂

2021-10-24 | 文化

東日本大震災直後に盛岡駅で買ったTシャツを
10年経った今でも大事に着ている。
買った直後はこれを着て東京にも行った。
逆境に負けてたまるか・・・は
古より攻め続けられた東北人が抱いている心。
そこから新渡戸稲造が生まれ、佐藤昌介が生まれ、
原敬が生まれ、後藤新平が生まれ、米内光政が生まれた。

東日本大震災からこれまで、
オリパラ準備のために復興事業が遅れ
「被災地支援」という名の中央資本による搾取に遭い
福島ではいまだ復興にすら手をつけられていない地域がある中
オリンピック招致や、選挙での票集めに利用され続けている。

救いは、ひとりまたひとりと立ち上がってきている若者たち。
彼らの力を本格的に活かすのはこれからだ。
少しずつでも、半歩ずつでも、前へ1
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浄土思想

2021-10-23 | 世界・平和
岩手に暮らしていて良かったと思うことが2つある。
ひとつは差別がないこと。
「被差別」と言う言葉や概念がないので、
みんな普通に自分が住む地域を「」と躊躇なく言う。
多国籍の人も同級生にいたが、普通に友人として接していた。
なにより他国の食文化である冷麺やじゃじゃ麺などを
自分たちの文化として抵抗なく取り入れている。
美味しいものは美味しい、それだけ。

もうひとつは、
他地域を1度もこちらから攻めたことがないこと。
戦は必ず他所からやってきた。
坂上田村麻呂しかり、源義家しかり、源頼朝しかり、
そして戊辰戦争時の新政府軍だ。
平和で穏やかに暮らしてきたこの地の人々は
そのたびに戦に敗れ、征服されてきた。
それでも、特に頼朝が攻めてきた頃の平泉の国は
浄土思想により、敵味方問わず戦死者を手厚く葬ってきた。
そして、ちゃんとこの地ならではの文化は残り
人々は変わらず平和に暮らし続けてきた。

他国脅威論がいろいろと語られる昨今の世の中。
それに対抗すべく「防衛力」強化が図られ続けている。
それらはすべて税金が投入し続けられているもの。
人を殺すために作られた武器の均衡で平和が守られるのだろうか。
暴力は暴力しか生まないのではないか?
税金は、私たちの社会が私たち自身のために維持されるべく
みんなから公平に集められるもの。
それが一部の人々の「脅威論」によって多額投入されている。
それが「当たり前」の状態だろうか。
誰も殺し合いなど望んでいないだろう。

第二次大戦で日本は敗れたがその後の日本はどうなった?
日本文化や慣習、日本人としてのアイデンティティは失われた?
人の命を犠牲にする考えのもとに他国を凌駕することが
果たしてこの国のあるべき姿?
それよりも、この国の社会の一員として
みんながほとりひとり笑顔で幸せを感じることこそ
目指すべき姿じゃないの?

と、歴史を眺めながらふと思う。
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「令和を生きるための昭和史入門」

2021-10-22 | 読書

自分の蔵書というよりも
30代の息子たちや、これからの時代を生きる
若い人たちに勧めたい本として、まず自分で読んでみた。
昭和史の概要、特に自分が生まれる前の戦前・戦後については
割と知っているつもりでいたのだが
初めて知る、あるいは認識を新たにしたことがたくさん。
自分が知っていたのは表面的な
ある意味、学校の日本史で習うような事象だけだったことに
ちょっと驚いている。
事象には必ず理由や意味がある。
それを知らなければ、知ったことにはならないし
歴史は途切れることなく現代まで続いているのだから
今おきている事柄の本筋を見誤ってしまう。
何が原因で、どんな経緯を辿り、今この状況なのか。
それを知ることができる1冊。

現代の対立軸となっている防衛問題、対米追随問題、同盟関係、
そして保守とリベラルの関係などが、
なぜ現代の状況になっているのかよくわかった。
すべては終戦から、サンフランシスコ講和条約締結までの6年間で
今の状況が生み出されたということ。
特に朝鮮戦争勃発が大きなファクターとなった。
武力放棄を唱えていたはずの吉田茂が突如変節して進めた
対米追随、西側同盟支持の単独講和か、
文化人、学者、中道・革新陣営が唱えた
全方位外交、非武装中立の全面講和かという議論の末
結局単独講和となり、旧ソ連の後を継いだ現在のロシアとは
いまだに平和条約を締結できていない状況など
それがいまだに論争が続く原点となっていることを知った。
「再生日本」を目指すか「新生日本」を目指すかの論争。
なるほど。

田中角栄についての分析も納得。
これまた目からウロコだった。
本書は保守派、リベラル派ともに読むべき本。
表面的な事柄だけで言い争いや貶し合いがいかに不毛であるか
よくわかる。

「令和を生きるための昭和史入門」保阪正康:著 文春新書
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親ガチャ

2021-10-21 | 社会

ホントは新聞記事を不特定多数の方が目にするように
こういうところへUPすべきじゃないんだけど
とりあえず本文が読めないぐらいの解像度で全体像を。
詳細読みたい方は10月14日付の朝日新聞をご覧ください。

「親ガチャ」とは、こどもは親を選べないので
生まれた環境によって自分の人生もある程度決まってしまうこと。
どうやらこどもたちは「親ガチャ」という言葉を使いながら
親を恨むのではなく、運命を諦観しているのだそうだ。
もちろんこれは親の問題ではなく
ここにも書いてあるように社会の問題だろう。
しかもそれはある時を境に顕著になったと思っている。
バブル経済だ。

それまでの社会はいろんな形のセーフティーネットが
制度化ではなく社会そのものに備わっていた。
様々な人生の選択肢、お互い思いやる人間関係・・・。
人と人の距離も近く、緩い形のコミュニティが形成されていた。
それが1985年から1990年ごろのバブル経済時代
「金持っているやつ、儲けたやつが勝ち組」的価値観に変わり
手段を選ばず(汗もかかず)金儲けに走ることが当たり前になった。
それまでは学校時代に多少ドロップアウトしても
あるいは貧困家庭や家庭環境が劣悪でも、
仕事を選ぶことができたし、大学で学びたければ夜間部もあった。
それが「有名大学を出て有名企業に勤め」なければ負け組に。
金さえ持っていれば塾へ通い、有名大学へも入れる。
金がなければ高校すら出ることがおぼつかない。
そこでドロップアウトすれば、その先はもう道がない。
運命を恨みたくもなるだろう。

本当なら、人に勝る能力や才能を持つ人が
生まれた家庭環境によりそれを活かす人生を送れないというのは
本人のみならず、社会にとっても損失だと思うし
なにより「普通の人」が「普通の生活」を送れない社会とは
いったい誰のための社会なんだろうと思う。
様々な手を打って、そんな現代社会を変えられる政治家たちも
結局自分のために、金を持つ人に寄り添い
自分のこどもに教育を受けさせて跡を継がせる。
政権内部に入るためにはある程度の当選回数が必要だが
叩き上げの人は、どんなに上にへつらっても
政権に近づく年数を経るともう高齢になっている。
2世、3世は若いうちから親の地盤を継いで実績を重ねるから
まだ若いうちからそれなりの立場になれる。
今の閣僚たちに2世、3世の割合が高いのはそういうことだ。

昔とは違い、努力で運命を変えるのは難しい社会。
「努力は裏切らない」という時代ではなくなっている。
でもね、実らないかもしれないけど
努力した経験は必ず自分の中で生きると信じる。
10を目指して努力して3までしか達成できなくても
努力せずに1のままよりは1歩前に進むことができる。
そんなことの積み重ねをしていくしかない。
大丈夫、幸せは金だけじゃない。
とりあえず屋根の下で寝られ、3度のご飯が食べられれば
それなりに充実した人生を送ることができる。
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林風舎

2021-10-20 | 文化

先日、久しぶりにここでお茶。
米粉を使ったモチモチ、フワフワのロールケーキと
香り高いコーヒーをいただきながら
宮沢賢治の弟 故清六氏の孫である和樹さんとも
これまた久々でちょっとお話をした。

私の親父は清六さんとは仲間だった。
戦時中にも関わらず、赤羽王郎氏指導の元に文芸誌を出したり
親父一家が花巻空襲で焼け出される前は
清六さんの家(賢治さんの生家)のすぐ近所で
空襲による火災の際は一緒に賢治の原稿を防空壕から蔵に移したり。
他の文芸仲間とともに親父が先に死ぬまで親交があり
私もよくお供について行って清六さんに可愛がってもらった。
親父が死んだ後は、私が勤めていた会社で
(創業が明治26年で、生前の賢治とも深いつながりがあった。
 「銀河鉄道の夜」のジョバンニがアルバイトしていた活版所のモデル)
賢治に関する雑誌発行の際は、内容確認や監修をお願いに行ったり
賢治とうちの会社についても思い出話を聞いたりしたものだ。

和樹さんは清六さん亡き後、
賢治さんの想いを引き継いでこられた方。
以前から時々林風舎でさまざま語り合ってきたし
賢治への想いも共有してきた。
今回は初めて国柱会や石原莞爾についての話をちょっとだけ。
このことについても、和樹さんの考えに同意。
どんなことにも言えることだけど、
賢治(をはじめとした昔の方々)の考え方を理解するには
当時の時代背景や、周辺環境、周辺情報を
ちゃんと調べて理解する必要がある。
それにしても、宮沢家のルーツについては初耳。
ちょっとびっくりした。

私からのちょっとした相談も快諾いただけて
閉店間際で躊躇があったんだけど、やっぱり行ってよかった。
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更科

2021-10-19 | 食べ物・お店

北上市の中心部で、
昭和24年から変わらぬ安定の味を届ける蕎麦屋さん。


蕎麦屋さんなのに、
坦々麺や焼売などの中華系をはじめ
なんとオムライスやナポリタンもメニューに揃う。
一見何屋さんなのかわからなくなる(^^;

とはいえ、やっぱり70年以上も変わらない蕎麦でしょ。
ということで天ぷら蕎麦を。


天ぷらは別皿でやってくる。
プリプリのエビだけではなく、舞茸やでかいカボチャなどの野菜も。
別盛りなのでさくさく、熱々の天ぷらだった。
細めの蕎麦もさすが、程よいコシがモチモチ。
ツユも出汁がよく効いている。
うまいなぁ(^^)
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花巻の風 vol.9

2021-10-18 | 風人堂

週刊金曜日に月イチ連載の「花巻の風」。
9回目は花巻で「まち活性化」のために
自ら動き活躍する高校生〜20代の若者たち。
高校生グループ「はなふーぷ」と
大学時代に活動を始め、
社会人となっても仲間を増やしながら
活動を続ける「HANALEE(ハナレヤ)」の2団体を
それぞれ現代表者に取材して掲載した。

20年先、50年先まで花巻を支える人材は
今の大人たちではない。
自分たちが暮らしやすいまちを
自分たちの手で作り上げてこそまちは活性化する。
この場に留まっていてはいけない。
もちろんこれまでの歴史を知った上で
新しい道を切り開いていく姿に頼もしさを感じる。

そして、大人である自分は
果たして彼らのためにどんな手助けができるのか
それもまた考えさせてくれた。

週刊金曜日10月15日号は全国の書店で販売中。
もちろん風人堂でも、花巻の風が掲載された
バックナンバーも含めて販売中。
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後悔はしたくない

2021-10-18 | 風屋日記
この歳になると、
いつ何時なにがあるかわからない。
まして自分の最期は頭か心臓だと思うので
ある日突然パッタリになる可能性。
だからこそ
やりたいことは、
やらなきやいけないことに優先してでも
やりたい時にやっておきたい。
行きたいところへは
行きたい時に行っておきたい。
会いたい人には
会いたい時に会っておきたい。
言いたいことは
言いたい時に言いたい人に言っておきたい。
「いつか」「そのうち」という日は永遠に来ない。

これまでも大きな後悔なく生きてきたと思うし
これからも後悔はしたくないから。
・・・と、そうは思ってるんだけどね。
人生なかなか思うようにはいかないことも知ってる。
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