風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

入団式

2007-04-16 | 風屋日記
何度も何度も何度も・・・書いているけど(笑)
私の母校である花巻北高はバンカラ校。
昔からの独特な風習がいろいろと残っている。
入学式より応援団入団式、卒業式より応援団退団式の方が
より重要で厳粛なイベントであることもそのひとつ。

入学式なんて、校長や来賓の話を聞き、
ひとりひとりの名前を呼ばれて返事をし、
あとは校歌のテープ(今はCD)が流れて終わり。
先輩方が出席しておらず斉唱できないから仕方ないけど
何だかやけにあっさり終わる。

そして翌日。
新入生は入団式があると聞いていてもイメージが涌かない。
それぞれ始まるのを教室で呑気に待っているだけだ。
すると・・・
ボロボロの学生服、無精髭に破れ学帽を被り、
腰手拭い、裸足姿の応援団幹部が
突然教室に飛び込んで来る。
「全員っ!! 廊下に出て1列に並べっ!! 早くっ!!」
まるで災害でも起きたように、みんな我先にと廊下へ出る。
「直立不同ぉ~っ!! 目ェつぶれぇ!!」
薄目を開けて前方を見てみると、
長い廊下のずーっと先まで1年生が直立不動で並んでいる。

・・・とその時、地の底から響いて来るような太鼓の音。
ドンドンドンドンドンドンドンドン・・・・
一定のリズムが淡々と刻まれていること自体が無気味だ。
「よぉ~し。A組から前へ進めっ!!」
1年生達は粛々と幹部について前へと進んでいく。
緊張で手足が一緒に動きそうになる。

体育館の前で一旦行進は止められる。
中からは相変わらず一定のリズムの和太鼓の音。
突然「わー!!!」とも「うぉー!!!」ともつかない歓声が挙がる。
並んでいる1年生達は1歩ずつ前へと進み、
先頭からひとりずつ体育館の中へ入っていく。
廊下から見える体育館の中は真っ暗。
中からは和太鼓と大歓声。
「何ごとが起きているのか・・・」と心臓が破裂しそうになる。

体育館の中へ入り、暗い中で大勢が騒いでいる横でまた止められる。
目をつむっていなければならないので、まだ様子がわからない。
あと3人ぐらいのところまでくると段々様子がわかってくる。
体育館のまん中に教壇が3壇程度積み上げられ、
1年生はひとりずつその上に立って大声で挨拶をしているのだ。
2・3年の先輩達は教壇上の1年生に向かって
手拭いを振り回したり、部のプラカードを振ったりしながら
とにかく大騒ぎをしている。

いよいよ次は私の番。
と、幹部のひとりが耳もとで囁く。
「出身中学と氏名だけでいい。余計なことは言わない方がいいぞ」
見れば私の前の奴は「え・・・っと入るクラブは・・・」とか
「彼女・・・ですか? い・い・いませんけど・・・」
とかかなりイジられまくり状態になっている。
ここは一発、野球部で鍛えた声のデカさを見せつけてやろう。
「次っ!!」
「はいっっ!! 花巻中学校出身っっっ!! 風屋ですっっっ!!」
私のデカい声に一瞬静まり返った先輩方が
「おぉー!!!!」と返してくれ、あっという間に自分の番は終わった。
そして先輩方と対峙する格好でまた並ばされ、
1年生全員が終わるまで直立不動で待つことになる。
もちろん女子も同じ。
何人もの1年生の女の子達が泣いているが先輩方は容赦なかった。

全員の挨拶が終わると、一瞬にして静寂の場となる。
「校歌っっ!!」という声。
団長が前に出、先輩方による校歌斉唱が始まる。
すごい。
腹の底から出す声で体育館の窓がびびる程の声量。
背中に電気が走り、
それまでの恐怖で空白となった頭の中に
先輩ひとりひとりが全力で歌う校歌が充満してくる。
ある意味トランス状態。
何しろ、入団式においてその後何があったか
まったく記憶がない程なのだから。

そういう体験により新入生は段々花高生となっていった。
私も、うちの息子達も。
今年の新入生達はどうだったのだろう。
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咲いた・・・かな???

2007-04-15 | 風屋日記
今日の日記は1~2輪咲いている桜の写真を添え、
タイトルは「咲いた!!」にする予定だった。



・・・咲かないじゃん ┐(´ー`)┌

それどころか今夜から明日の晩にかけて雪もありとのこと。
桜どころじゃなさそーだなぁ(^^;
ということで、まだしばらくそのタイトルはお預けだ。


次男のチーム、今日の練習試合は今年初めて自校にて。
第1試合の黒沢尻工業戦は6-4で勝利。
そして、しばらくは話のネタになりそうな第2試合は
わざわざ遠征いただいた八戸南高校を相手に
なんと25安打、25点を取り、守っては2安打完封。
でもエラー続出のダラダラ試合じゃなかったよ。
相手のエラーは3つだけ(こちらは0)。
中でもこの試合4番を打ったいつもは捕手の控えが
二塁打3本、三塁打1本の合計9塁打の大当たり。
うちの次男も生まれて初めての5打数5安打。

今日の打線の花は咲いたみたいだね(笑)
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大船渡にて

2007-04-14 | 風屋日記

今日の練習試合は大船渡にて。
花巻から約80km南東。
三陸の海沿いにある港町。
内陸よりも温かいから
桜もポツリポツリ咲いてたよ。

試合の方は…まぁあんなもんでしょ。
だんだん試合慣れしていけばいい。
明日の天気予報によれば最高気温6度だって。
雪がちらつくかも知れないとのこと。
勘弁してよ(>_<)
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いつの間にか

2007-04-13 | 風屋日記
田起こし

今朝、犬の散歩に行ったら
近くの田圃で田起こしが始まっていたよ。
掘り起こされた土の中の落ち穂のおこぼれを狙って
カラスが1羽トラクターの後ろにくっついて
ぴょんぴょん追い掛けていた。

水仙

家の庭、道路に面した花壇では水仙が咲いていた。
普通のものより小振りな花が群生していて
すごくかわいい。

そういや今年初めてウグイスの声を聞いたな。
まだ初音だったせいなのか
ケキョケキョケキョ・・・とだけ。
早く鳴き慣れるといいね(^-^)
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徳育

2007-04-12 | 風屋日記


子ども達の教育カリキュラムに
「徳育」を盛り込む予定なんだそーだ。

確かにそーすれば、
選挙で公約したことを
当選直後に「不可能」なーんて簡単に言うような
テキトーな人はいなくなるのかも知れない。

確かにそーすれば、
何に使ったかわからない税金について
「法律上説明は済んだ」などと
シレッとして答える大臣は生まれないかも知れない。

確かにそーすれば、
自分を含めた男性のことは棚上げして
離婚した女性にだけ「貞操」を求めるような
ジコチューな法務大臣の無責任発言は
無くなるかも知れない。

でもその前に
「徳育」の名の元に
そういう方々にギモンも持たず
素直についていく「国民」が生まれるのだろう。



氷点下で霜が降りた朝に。
でも生まれたばかりの今日の朝日は暖かかったよ。
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美しい日本語

2007-04-11 | 風屋日記
今朝の朝日新聞「天声人語」を読んでびっくり。
天気予報から「宵のうち」という言葉が無くなるんだねぇ。
「夜の早い時間」って言葉は味も素っ気もないな。
季節によって指す時間帯が変わっていく
「宵」「黄昏」「夕」あたりの言葉には匂いがある。
もちろん朝の「かはたれ」「払暁」なども同じ。
単なる時間を表すのみならず
季節や空気の質感や温度、湿度までもが感じられる。
美しい日本語だ。

でもね、個人的には古い言葉だけが美しいとは思わない。
新しい若者の言葉も日本語の面白さを遊べる楽しさがある。
ってかチョー感心することも多いしぃ。
画一的なボキャブラリーの政治家の方々なんかより
めっちゃ豊かな言語能力だと思うなぁ。

そういえば先日の選挙を見ていて思ったんだけど
いわゆるタカ派と呼ばれる方々の日本語はひどいね。
特に某知事は作家でもあるはずなのに
その下びた表現は空虚な内容も合わせて耳を被いたくなる。
まして当選直後に公約として掲げたことを「無理」とは
開いた口が塞がらない。
(耳は閉じるが口は開く 笑)
そういう方を選んだのですよ・・・都民の皆さん。

あ、もちろん某知事ばかりじゃないよ。
いかにも悪人顔でダミ声の総裁選にも出た某大臣や
爬虫類系の目が気になる某与党幹事長など
ホントにその日本語表現はひどい。
「美しい国」をわざわざ作らなくてもいいから
せめて無くなりつつある「美しい日本語」を
しっかりと残して欲しいなぁ。
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今日の体調

2007-04-10 | 風屋日記
頭痛と冷や汗

食欲不振と吐き気

時折寒気と火照り感

じっと座っていられない程のイライラ感




あ、ご心配には及びません。
こりゃ間違いなく自律神経のトラブルなので。
しかも昨日よりはまだマシだし。
何つーことないっす。
ただちょっとメモっとこうと思ったのでした。
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桜の蕾

2007-04-08 | 風屋日記

今日は次男のチームの今年初試合。
仙台に遠征しての練習試合だ。
もちろん行ってきたよ。
相手校の校庭脇の桜並木の蕾はもうピンク色。
開花したところもあるらしいけど。

花巻北 3-4x 泉松陵

相手校は昨秋の宮城県大会でBEST16だったとのこと。
その相手と互角以上、逆に勝っていた試合だった。
最後はサードのサヨナラエラーで負けたが
それも守備範囲が広いために追いつき、
体勢を崩しながらの悪送球なので責められない。
その他はノーエラー、ヒットの数も9本で相手の倍と、
シーズン最初にしてはいい試合だった。

聞けば相手はもうすでに
10試合ほど練習試合をこなしているらしい。
今年に入ってからの試合経験の差が勝敗になったかな。
もっとうまく攻撃していれば5点は取れたからね。
後から聞いたら今日は試合慣れが一番の目的で
ずーっとノーサインだったらしいけど
きちんと攻撃していれば5~6点は取れたと思うよ。

我がチームも、まだ蕾ながら開花は近い・・・かな?(笑)


※携帯替えました。カメラの性能は200万画素→320万画素。
 少しは画質がよくなったかな?
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もう信じていい?

2007-04-07 | 風屋日記
つくし

クロッカス

花

今朝の犬の散歩中に見つけた春。
(クロッカスはわが家の庭)
何だか空気も生温い。

春だべか。
信じていい?
タイヤ交換はまだダメかな?
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うむむ・・・

2007-04-06 | 風屋日記
ここ数日、体調が悪い。
今日も朝からシンドいなぁ。
でも休めないし・・・。

うむむ・・・。
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呆れた

2007-04-05 | 風屋日記
企業活動であることはわかってるよ。
株式会社である以上、
チームはファンのものではなく株主のもの。
「勝利」よりも「利益」が一番大切な目的だということも
この歳になればわかっているつもりだ。
「汚い」などと子どもみたいなことを言うつもりはない。

でもね、実際には「怒り」以上に空虚な気持。
このイノベーションの時代に
旧態依然とした「ニッポン型経営」を見せつけられたから。
考えてみりゃ、株の持ち合いや系列が中心の
古式ゆかしい経営だもんね。
しかも業界団体=プロ野球機構が護送船団方式をとり、
既得権益を手放そうとしない。
コーポレート・ガバナンスはどうなってんの?
コンプライアンスは?

物心ついた時からの虎キチで、新婚旅行も甲子園だった。
いや阪神だけじゃない。
二軍も含め全チームほとんどの選手の経歴を把握している。
アマチュア時代のプレーを覚えている選手も少なくない。
バッティングピッチャーまでわかるよ。
根っからの野球好きな私。

でもね、今はプロ野球を見る気にはなれないな。
今考えてみると、ライブドアと楽天の参入争いや
村上ファンドが仕掛けようとしたいわば「プロ野球版ビッグバン」は
構造改革のいいチャンスだったのかも知れないねぇ。
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教育話ついでに・・・

2007-04-04 | 風屋日記
以前こんな本も読んだ。
(単行本買ったけど、文庫がでたのね ^^;)

かつて一世を風靡した無着先生の綴り方教育、
その当事者であった先制や生徒達のその後。
持ち上げてはすぐに落とすという
昔からそんなやり方をしていたマスコミに振り回されつつ
地に足をつけて歩く人々の姿をルポしている。

それにしても、この当時の地域&経済格差もすげぇなぁ。
一時期日本中が「総中流」と化していたけど
それをピークにまた昔に戻りつつある日本。
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花巻昔話

2007-04-03 | 風屋日記
昔話といってもおばあちゃんの囲炉裏端話じゃないよ(笑)
昨日、園長さんへのコメント返しの中で
久しぶりに「信州白樺派教育」という言葉を書いていて
「3年間このことを1度も話題にしたことがなかったな」
と気がつき、今日の話題にしようと思ったんだ。

主人公は15年前に亡くなった私の親父。
息子の年齢の割には歳をくっていたのは病気で結婚が遅かったため。
何せ生まれは大正12年だから、生きていれば84歳だ。

親父が旧制花巻中学を卒業したのは昭和15年。
旧制第八高等学校(現名古屋大学)を受験するも失敗。
その後1~2年ほど東京の予備校で浪人生活を送っていたが、
戦局の悪化に伴い、受験を一旦諦めて帰郷。
軍用機工場での勤労動員や保険組合での臨時職員生活を送りながら
鬱々とした日々を送っていたらしい。

そんな時に出会ったのが、信州白樺派教育者である赤羽王郎氏。
「この道を往く~漂泊の教師赤羽王郎~」
今井信雄/著 1988年4月・講談社/刊
にその人生は詳しく書かれているが、
信州生まれの氏は白樺派自由主義教育の第一人者だった。
その理念の元に一生代用教員・非常勤講師として
全国をめぐり歩いていた。

自由と文化活動を求めながらも
戦時下に息をひそめて暮していた親父達若い仲間は
看護学校の講師として招かれ花巻に来ていた赤羽氏の元へ
夜な夜な足しげく通ったという。
東京美術学校を出ていた氏の類い稀な謄写版印刷技術の助けを借り
詩や随筆の同人雑誌を発行していたのはこの頃のことだ。
親父の死後、当時の同人誌仲間であった俳人の加賀谷灰人さんから
当時発行した同人誌「雪明り」実物を見せてもらったことがある。
精密な静物画の多色刷りという高度な謄写印刷。
そして活字と見まごうような精緻な鉄筆での楷書体の字。
素晴らしかった。

これまた仲間のひとりであるMさんが経営していた
中央劇場という映画館で仲間達とベートーベンを聞いたのは
親父に召集令状が来た時だったと聞いた。
一般家庭でも蓄音機は贅沢品だった頃のこと。
映画館での大音響のシンフォニーは彼らの胸にどう響いたのか。
曲が流れている間も、終わってからも、
誰もひとことも口を開かなかったと後に親父から聞いた。

赤羽氏が花巻に滞在していたのはほんの1年ほどだったとのこと。
氏を招いた花巻共立病院(現総合花巻病院)長の佐藤隆房氏は
宮沢賢治さんを庇護し、疎開してきた高村光太郎氏を援助していた
当時としてはリベラルな文化人でもあったが、
残念ながら赤羽氏の自由主義教育は、その頃の社会情勢から
こんな田舎の町でさえ受け入れることができなかったのだろう。

そして今、当時赤羽氏の元に集まった仲間達はみんな死んでしまった。
宮沢賢治さんの実弟である清六さんも、
後に福祉教育で障害者たちから慕われたW先生も、Mさんも・・・。
加賀谷さんは15年前までは老人ホームに入っていながら
主催していた句誌「新俳句」の発行を続けていて
親父が死んだ時は追悼特集まで組んでいただいたが
その後いかがお過ごしなのだろう。

応召したものの、入営時の身体測定で結核罹患が判明し
即日帰郷となった親父が、戦後苦学して教員となったのは、
恐らく赤羽氏の影響によるところが大きかったのだろう。
ほんの1年ほどのつきあいなのに、
当時の若者達にその後の生き方にまで影響を与え続けた赤羽氏。
なお「あかばねし」という言い方は親父の言い方そのまま記した。
もしかしたら「氏」ではなく「師」だったのかも知れないが。
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教育格差

2007-04-02 | 風屋日記
岩手大学のミュージアム。
宮沢賢治さんが在籍していた頃の
盛岡高等農林学校(現在の農学部)の校舎だ。
今でも岩手大学構内に残っている。

その他にも教育学部の前身は歴史ある岩手師範学校だし
工学部は旧岩手高等工業学校。
当時だって入学できる学生はほんの一握り。
全国的に見ても高等教育を目指す学生数は
ヘタすりゃ今より少なかったのかも知れないが
それでもきちんと高等教育を行っていた。

今朝の日本経済新聞に
政府の経済財政諮問会議民間議員の寄稿が載っていた。
先日書いた記事で話題にしたことに関し、
「国立大への交付金について誤解があるようなので」
と、改めて同諮問会議の考え方を説明していた。

「1~2年次には教養を身につけることが大切」
うむ、それに関しては異論はない。
「文系と理系の垣根を取り払い」
それもある意味、意義あることかも知れない。
しかしその後で問題の一言が
「国立大学は本当に全都道府県に必要なのか?」

必要だよ。
日本国民が全員都市部に住んでいるわけじゃない。
そして高等教育を求めるすべての子の家が
遠くまで進学させる経済力を持っているわけじゃない。
この考え方は
「地方に住む貧乏人は国立大学に入らなくていい」
ということに直接つながる。

高速道路についても、病院も、郵便局を含む金融機関も
政府の諮問機関といわれる組織の論調は
すべてにおいて「地方の合理化」ばかり語られている。
東京ではオリンピックまで誘致して巨額をかけた再開発。
どこかおかしくないか?

歴史ある大学まで切り捨ててまで
都会を今より更に膨れ上がらせることに
どんな意味があるというのか。
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夢や、希望や・・・

2007-04-01 | 風屋日記
一昨年昨年に続き、
今年もエイプリルフールの報道記事を書こうと思った。

「日本、中国、韓国の各政府主脳が一斉に記者会見を行い、
 3国によるFTA(自由貿易協定)の締結に向けて
 積極的な事務レベル協議に入ったことを発表。
 なお、この協議にはASEAN(東南アジア諸国連合)の代表も
 同じテーブルにつくことが同時に発表されたことから
 EUに対抗する国を越えた新たな枠組みとしての『アジア連合』の
 創設が具体性を帯びてきた・・・」

まてよ・・・と思う。
その前に6ヶ国協議はどうなる?
拉致問題や北朝鮮の核開発問題は?
そして従軍慰安婦、靖国神社などの歴史認識問題は?
竹島も、台湾との関係も懸案事項だ。
それらの問題の解決なしに上記のような状況はあり得ない。

ホントにこんがらかっている東アジア。
わざわざかき回しているのは誰かという問題もあるが(^^;
いかなエイプリルフールとはいいながら
こんなノーテンキなニュースなど風刺にすらならない。

「笑い」の基本は「風刺」だとどこかで読んだが、
風刺にするには何かしらの方向性があり、
ある意味、夢や希望があればこそ。
このニュースの前にたくさんの大きな壁があるということは
それだけ夢も希望も遠い=笑えない状況なのだろうか。

ウキウキしてニュースを考えていたのに
ここ2年、ますます状況が悪くなりつつあると感じ
何だかだんだん寂しい気持ちになってきた、4月1日。
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