風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

古地図

2017-07-12 | 文化


先週、東京の八重洲ブックセンターを訪ねた時
「古地図即売会」なるイベントをやっていたので
ふらりと立ち寄ってみた。
江戸期から明治、大正、昭和初期に至る
東京を中心とした古い地図がたくさん並べられていた。
江戸期のものは全国地図で、各藩の石高も記載されている。
ほー、盛岡は「森岡」と言っていたのか。
ほー、宿場中心の記載なので「紫波」ではなく「郡山」なんだな
・・・などなど、とても興味深く、じっくり見て歩いた。

つい買ってしまったのは大正12年3月1日の日付があるもの。
大正3年初版、大正9年改版、
そして大正12年3月1日訂正 第54版という東京近郊地図だ。
なぜこれを買ったのかというと
この日から13日後に親父が生まれているから。
生きていれば今年95歳になっていた親父が
生まれた頃の東京はこんな感じだったんだなーと感慨を持ったのだ。



馴染みある、今の墨田区、台東区、荒川区のあたりはこんな感じ。
東武線浅草駅は今のとうきょうスカイツリー駅の場所だし
今の荒川区あたりはもう「東京近郊」扱いとなっている。
東京市街地は、山手線でいうと鶯谷から品川あたりまでしかない。
他の駅は「近郊」だね。



もちろん新宿や渋谷も。
渋谷や池袋なんてちっこい停車場扱いで、駅周辺は畑が多い。

この地図が発行されてから半年後に関東大震災が起きた。
この地図上の相当な範囲が焼け野原になってしまったはず。
新宿、渋谷、池袋や、中野をはじめとした中央線沿線は
この災害を機に人々が移り住み、
現代に続く住宅街となっていくのだと何かの本で読んだ。
うちの親父の親父である、当時木炭卸を商売にしていた祖父は
首都圏に出荷した商品がすべて震災で焼けてしまい
一文無しになってしまったとのこと。
ということは、この地図が発行された頃は
近い将来そんな災難に遭うことなど想像だにせず
首都圏を相手に商売する裕福な地方の商売人だったことになる。
現に、ちょうどその頃、親父の年の離れた兄たちは
旧制高等学校や東京大学に進学中だった。
当時地方から大学に進学するなんてのは金持ちだった証拠。
人生次の瞬間に何があるかわからないねぇ。
そんなことを想像しながらこの地図を眺めていると
いつまでも飽きることはない。

ところでこの地図を見ていてもう一つ気づいたことがある。
町名がすべて旧町名になっているということだ。
そうか。この当時「向島」なんて町名は無かったんだ。
そのあたりを見ると「小梅町」「須崎町」「寺島町」になっている。
他の地域も「花町」「弁天町」「山吹町」などきれいな町名や
「若松町」「末廣町」「小川町」など今も駅名が残っているところ、
「弓町」「鍛冶町」「木挽町」など、職人にまつわる町、
「平河町」「紀尾井町」「室町」など、今も残る町名もある。
古い町名・・・いいねぇ。
盛岡あたりでも花屋町や馬町、穀町などの旧町名を復活させようという
運動を行っている人たちがいるけれど、そういうのいいと思うよ。
古い町名は古い建物と同じように、文化や物語を内包している。
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