風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

現実

2007-07-21 | 風屋日記
先日話題にした
「最後の言葉」重松清・渡辺考 講談社文庫
より。

終章「次の世代に伝えたい」の中で
遺されていた兵士たちの日記を高校生たちに見せるにあたり、
重松氏は次のように書いていた。
「家族に向けて切々と綴られた戦場の言葉が、
 携帯メール世代にどう受け止められるのか。
 斜に構えた冷笑か、照れ笑いか、
 教科書通りの平和への祈りを口にしてやりすごすのか、
 放っておいてくれと怒りだすのか・・・。
 反応に多くは期待しない。
 ただ受け止めたと、
 その証だけ見せてくれれば嬉しい」

申し訳ないが、重松氏は高校生たちを買い被っている。
私が以前訪問し、かなりアツく論争したことのある
ブログ主催者の高校生は次のように書いていた。
「今日平和教育の授業と称して沖縄戦の映画を見せられた。
 残念ながら僕はついホロリとしてしまったのだが
 それは日教組のヤツらの思うつぼなのだ。
 僕は早く学校を卒業したい。
 あんな洗脳教育から早いとこ足を洗いたいのだ。
 同級生の女の子は映画を見て『気持悪くなった』
 と言っていた。
 そんな精神衛生上よくないものを見せる神経がわからない。
 国家が蹂躙されれば、屈辱を受ければ
 命を捨てて守るのは当たり前だろう。
 人が命をかけて大切なものを守るために戦う姿は美しい。
 でも傷つき死んでいくところを見せられると
 若者は『戦いは悪いもの』と洗脳されてしまう。
 こんな教育が日本中で行われているのだ」

残念ながらこの彼は特別な存在ではないらしい。
その証拠に、彼のブログには彼に賛同する若い人達が
全国からたくさんコメントを寄せていたから。
彼らは「支那」と「朝鮮」の悪口を言い、
「ヤツらになめられないよう命をかけて国を守ろう」と言い、
それに反論する私を「媚中」「媚韓」と罵倒した。
そしてそれらの若い人達自身も
それぞれ自らのブログを立ち上げ発言している。

重松氏が会った高校生たちは
それぞれ真摯に「言葉」と向かい合ってくれたようだ。
しかしそうではない若者たちもマイノリティーではない。
そんな現実が今の日本だ。

ちなみに彼ら「ネット右翼」たちは
麻生太郎氏をカリスマのように崇めていたなぁ。
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4 コメント

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素朴な疑問 (まつたけ)
2007-07-22 02:05:23
映像で「傷つき死んでいくところを見」て「精神衛生上よくないと思っている人が、いざ「命を捨てて守る」事態になったら一体どうなるんでしょうね。
嫌というほど「精神衛生上よくない」ものを見なければならないはずですが・・・。
件の高校生には是非イラクなりアフガニスタンなりパレスチナに行って何が起きているかを見て欲しいものです。
この国のプチナショ君たちも海の向こうのプチナショ君たちも大変勇ましいことを言っているようですが、固有名詞を入れ替えたら言っていることはほぼ同じ。似たもの同士ゆえの近親憎悪なのでしょう。

最後に、
>人が命をかけて大切なものを守るために戦う姿は美しい
命を掛けて憲法9条を守るために戦う姿は、彼らにも美しく見えるのかな?(笑)。
>まつたけさん (風屋)
2007-07-22 21:51:59
どうも彼らの言い分は薄っぺらなんですよね。
まぁ、恐らく誰かののウケ売りなのでしょうが。
矛盾だらけのところをコメントでつくと
「媚中」呼ばわりとなるわけです。
ぜーんぜん議論にも何にもならない。
体験が薄く、知識だけが詰め込まれてる気がします。

ま、私自身も戦争は未体験ですけど(^^;
平和すぎることの功罪 (Dancho)
2007-07-22 23:04:24
風屋さん、こんばんは。

やはり、今の日本が、彼らには「平和すぎる」から、感覚が麻痺しているのかもしれないですね。

現実は、実はそうではない…
フィリピンの子供達は、メタンガスの充満したゴミの山から、1日の生活費50円を稼ぐために、売れるもものをあさる…そのために、「大人になるまで」生きることさえできない…そんな現実も一方であるのに…。

『どうも彼らの言い分は薄っぺらなんですよね。』

自戒も込めますが、その通りだと思います。

『重松氏が会った高校生たちは
それぞれ真摯に「言葉」と向かい合ってくれたようだ。』

この風屋さんのメッセージを拝読すると、やはり言葉は力…と思います。
ご紹介いただいた本…入手しました。読んでみますね。

最後ですが、まつたけさんもおっしゃっていますが…

『人が命をかけて大切なものを守るために戦う姿は美しい。』

これ…15日放映の大河ドラマ『風林火山』で、竜 雷太さん演じた甘利 虎泰と、武田 晴信(後の信玄)に「大切な何か」を、命を散らすことで示した、千葉 真一 さん演じた板垣 信方の後姿からも学べることと、小生は思うのです。

実際、今日の放映分では…市川 亀治郎 さん演じる武田 晴信は、板垣 信方の壮絶な討死から…

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

と謳って、「大切な何か」に気付き、説いています。

その意味から、今年の大河ドラマは、ちょっとメッセージ性が濃い内容にこれから仕上がる気がします。

高校生達にも、45分間だけ、参考書広げて勉強する手を止めてでも、見て欲しい気がしています。
>Danchoさん (風屋)
2007-07-23 12:21:23
大河ドラマはちょっと違うと思います。
私もマネジメントの勉強(反面教師も含め)のため見てますが
特にここ2回続けて「主君のために命をかける」的な
まつたけさん言うところのプチナショくんたちが喜ぶ主題。
イタガキさんも命を捨てて我が殿を諌めるという
なにやら二・二六事件の決起将校たちのようなことをしてます。
彼の黛敏郎センセイの息子さんが演出に加わるようになってから
何だか大河ドラマの方向性が変わってきたような・・・。

確かに亡びの美学ってものがあるのは承知ですが、
例えば新撰組をイジワルく見れば
当初の目的が先鋭化していくにつれて内へ内へとストイックになり、
仲間をどんどん殺していく・・・連合赤軍やオウムと一緒です。
歴史に学ばなければならないことはたくさんありますが、
それはあくまで客観的な学習でなければならず、
感情移入して美学でものを考えるのは危険だと思うのです。

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