はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

Xmasケーキの想い出、、。

2014-12-12 | 日本の家族

祖母と二人暮らしだった私は

周りの人たちに 助けられながら育った。




CO婿撮影




クリスマスで思い出す人

家族親戚から "よっちゃん"と呼ばれていた

父のふた従弟がいる。




本職サンタ07


大阪で育った彼は 高知大に入学し

そのまま 高知で就職をされ結婚、、

家族を持たれて今に至る。


彼が学生時代

祖父母が面倒を見たような話を聞いた事はあったが、

70代だった祖父が胃癌で亡くなってから、、、

どこでどうなったか、、、

急に 貧しい生活に入った祖母を

よっちゃんは 何度も 訪れてくれ

子供だった私のことも気にかけてくれた。






明治生まれ の祖母は クリスマスを祝うこともなく

クリスマスケーキなど

ハイカラなもの を買うこともなかった、、、が

クリスマスケーキを持って

汚ない我が家を訪れてくれたのは

"よっちゃん" だった。




カップケーキ娘作



目がクリクリして

ショートヘアーの似合う小柄な奥さん と一緒に

私を食事に誘ってくれたこともあった。


帯屋町と呼ばれる商店街にあるそのレストランで

ハンバーガーステーキをオーダーしてもらった私は

生まれて初めて 見た フォークとナイフを

どう使っていいのか分からず

黙って テーブルを見つめていたら


"すみません、お箸持って来てくれますか"

よっちゃんがウエイトレスに聞いてくれ、


"こっちの方が イジーちゃんはえいやろ"

私にお箸を手渡してくれた。


それまでの緊張感が す~~っと 抜け

2人からの暖かい眼差しに

安心感にも包まれた。



娘家族カリブでXmas07


よっちゃんも よっちゃんの奥さんも

汚ないなり をした私と祖母を

いつも いつも 温かく迎えてくれた。


よっちゃんとは 帰国する度に、、、(と言っても帰国は2度しかないが、、、)

会う機会を持ち

一度は 祖母家族の お墓参りに

数時間 車を走らせ

中土佐町久礼ま連れて行ってくれた。



2度目に帰国した時、

30年ぶり ぐらいに

よっちゃんの奥さんにも会う機会が与えられた。

昔のように 看護の仕事をされていた奥さんは

あの頃と同じショートヘアーに

大きな瞳を輝かせ

昔と同じ あったかいオーラで私を包んでくれた。

お二人を前に

子供の頃 お世話になった お礼を言い始めると


胸が熱くなり 涙で声が詰まった、、、。

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