耕衣の書
耕衣は俳句のほかに絵画・骨董など多くの趣味がありました。ここでは「耕衣の書」について紹介しておきます。
昭和三十八年、「永田耕衣書作展」なる個展が、三宮駅前の神戸新聞会館文化センターで開かれることになりました。耕衣六十三歳でした。
さいわい、個展は好評であり、二年後には第二回展を神戸で、第三回展を京都で開催されました。
そして、昭和四十四年には、東京の三越本店美術サロンで、「書と絵による永田耕衣展」が開かれました。
このときには、そのカタログに詩人西脇順三郎らの跋(ばつ)とともに、棟方志功がいかにも志功らしい次のような祝辞を寄せています。
棟方志功の評
「禅機という事を聞く。永田耕衣氏の書は同意から生まれていると機す。書くというよりも『機す』とその意を介した方がよくまた解した事でもよい。
ヨロコンタリ。ワラッタリ。ベソヲカイタリ。アカンベイヲ、シタリ。ナキヤマナイヨウ、ダノタリ。ダダヲコネタリ。
お終(しま)いにはスヤスヤねむって仕舞って、ひとり笑いしている様な書を生むのを得意としているこの人の書は、滅多に他に無いようだ。羨やましい」
書画展は大成功
いくつかの新聞が取り上げたこともあり、七月という盛夏に開かれた東京でのこの「耕衣展」であったが、予想以上の客がありました。
この個展での出品作は、耕衣が自作の句を書き、絵を添えたものでした。
絵柄としては、無難ということで、仏や地蔵が多いが、他に、白桃、野菊、鴉(かりす)、鶏、泥鰌、鯰など、耕衣に馴染(なじ)みの生物などでした。
左手で筆を押すように漕(こ)ぐようにして書いた耕衣の文字です。
そこには、たしかにふしぎなおもしろさ、それに迫力と風格がありました。(no3461)
*写真:耕衣の書(夢の世に 玉葱を作りて 寂しさよ)